魔女様は素直になりたい(けど、なかなかなれない)
やなぎ怜
(1)
「お試し妃? ……なにその奇習」
「奇習……まあそうなんだけれども」
ところは奇岩群を縫うように密林が生い茂る断崖絶壁――の上に建つお屋敷。
かろうじて掘っ建て小屋を脱却した程度の非常に質素な屋敷の中で、まだ幼さを残した顔の青年と、赤髪の少女が顔を突き合わせて話し込んでいる。
青年の名前はアルフレッド。金髪碧眼を持つ白皙の美男子は、なにを隠そうこの国の王子である。
対する赤髪の少女はララタという名前の魔法使い。アルフレッドの命の恩人であり、幼馴染であり、異世界から召喚された魔女である――という、すべてを説明するのがなんとも面倒くさい少女である。
そんなララタは今は苦い顔をしている。その原因は屋敷をおとなったアルフレッドにあった。
「頼むララタ! 僕の“お試し”妃になってくれ!」
屋敷へ入って「頼みごとがある」といつになく真剣な顔で言うものだから、ララタはそれなりに覚悟をした。このアルフレッドとは長い付き合いの幼馴染。しかし彼が頼みごとをしてきたのは片手で数える程度しかない。
よもや「金を貸してくれ」などと言うわけはなかろう。アルフレッドは王子なのだし。それじゃあこの真剣な顔に見合った願いごととはなんだろう――? ララタは内心で首をかしげつつ、アルフレッドという客人のためにハーブティーを淹れてやる。
そしてアルフレッドはララタに礼を言ってひと息でハーブティーを胃に流し込んだあと、まったくもって真剣な面持ちで告げたのだ。
お試し妃――とやらになって欲しい、と。
ハア? である。
なんじゃそりゃ、である。
妃などというものは、「お試し」でなるものではないだろう。ララタはそう考えたのだが、ここはララタからすると異世界である。もはやこちらでの生活のほうが長いが、もしかしたらそういうことはこちらの世界では常識なのかもしれない。
けれども、やはり、ハア? である。「お試し」妃ってなんなんだ? である。
妃というものはしかるべき教育を受け、教養をそなえた人間がなるものなのではないだろうか? だって妃だ。
本人の力ではどうにもできない家柄だとか、血筋だとかにララタがいるこの国の王室がこだわりを持っているとは聞いたことはないが、しかし妃だ。
魔女であるララタは妃の仕事なんぞはさっぱりわかりはしないが、国のために色々することがあるだろう。外交とか色々(ララタはそれ以上具体的な仕事について思い浮かばなかった)。
となるとまったくもって魔法が使える以外に普通を自称するララタに、妃はどう考えても不向きな職業だ。
……となんとなく前向きに検討してしまったが、我に返って戻ってくるのはやはり、ハア? という疑問である。
だからララタは言ったのだ「なにその奇習」――と。
そして真面目くさった顔をしていたアルフレッドも、自らの頼みごとである「お試し妃」が奇習には違いない、という認識があるようだったことはララタをおどろかせた。
「妃って、お試しでなるものじゃないでしょう」
「まあそうなんだけれども。でも父上もお祖父様も、そのまた先々々代も先々々々代も、それよりずーっと前の王も、『お試し』で妃を迎えているんだ。だから僕もしなくちゃいけないらしい」
「奇習ね」
「まあそうなんだけれども」
アルフレッドによるとこの「お試し妃」の奇習はいつから始まったものなのかは定かではない。きっと、とんでもない愚妃がいたんだろうとララタは思った。それでそのとんでもなく愚妃を寵愛した王がいたんだろうとも。
だからきっとそれ以来「お試し妃」とやらの奇習が生まれ、伝統の名のもと、連綿と惰性的に続けられているに違いないと。
そんな推測をアルフレッドに告げれば、彼もまた同じような意見を持っているらしいことがわかった。
「女性であるララタには不快だと思うけれど、王が子を生せるかどうかという意味の『お試し』も含まれているんだと思う……」
「ええ? それで生まれた子はどうなるの?」
「普通に子供として扱われるよ。ただ『お試し』妃を市井に返せば庶子扱いになるし、そのまま正式な室になれば嫡子として扱われる」
「ああそう。どこか家臣とかに下げ渡されるわけじゃないのね」
「下げ渡すって……。まあそういう想像をする気持ちはわかるけれども」
アルフレッドがもごもごと言いにくそうにしているあいだに、ララタは彼のティーカップに二杯目のハーブティーを注いでやった。アルフレッドはまた「ありがとう」と言って、今度は茶請けのドライフルーツを口に放り込む。
「まあそういうわけで僕も『お試し』で妃を迎えなければならなくなったんだ」
「イヤだって言ったら?」
アルフレッドがあまり乗り気でない顔をするので、ララタはそう提案した。しかしアルフレッドは力なく首を横に振る。
「言ったさ。言ったけれども――」
「却下されたのね」
「そういうこと。だからお願いララタ。ララタが僕の『お試し』妃になって! ……こんなお願いララタにしかできないよ」
ララタは、うっ、となった。
正直に言えば「お試し」で妃なぞになるのはごめんだ。なんだかすごく面倒くさそうだし。
けれどもララタに頼みごとなんて滅多にしない幼馴染が、かなり困った、情けない顔をして頼み込んでくるのだ。これには胸にグッとくるものがあった。
もとよりクールを気取ってはみているものの、お人好しの根っこが抜けないララタのこと。困り果てている幼馴染を「ムリ」と一刀両断に捨てることなどできようはずもなかった。
「……その『お試し』妃っていつまですればいいの?」
「特に決まってはいないけれど、最低でも一年はしてもらうことになるかな……」
「一年ね、一年……」
ララタは「一年ね」ともう一度言ったあと、頭の中で皮算用をする。
一年、アルフレッドの妃になる。つまり、一年、アルフレッドのかりそめの妻になれる。
ララタは一年こっきりでもそんな夢を見られるのであれば、このあからさまな奇習も悪くはないかなと思い始めた。まったくもって現金である。
つい先ほどまでは「お試し妃」なんてバカバカしいと思っていたのに……。今は、そう自分にとっては悪いものでもないような気がしてきたのだ。
ララタは、アルフレッドのことが好きだから。
「はあ」
ララタがため息を吐くと机を挟んで向かい側にいるアルフレッドが息を呑むのがわかった。
素直じゃないララタは「あなたが好きだから『お試し』でも妃になってあげる」――なんてことは言えず、アルフレッドから微妙に視線をそらしつつ「仕方ないわね」と言った。
途端にアルフレッドの顔がパッと華やぐ。そんなアルフレッドを見て、ララタは急に気恥ずかしさが込み上げてくる。
「アルがそんなに頼むから、仕方なく! 仕方なくだからね!」
「うんうん」
「アルが困ってるから仕方なく、仕方なーく引き受けてあげるんだからね! わかった?!」
「うんうん」
アルフレッドはニコニコ笑顔のまま何度も「うんうん」と言った。本当に周囲に花を撒き散らしているかのような上機嫌さだった。
それがわからないララタではない。だからこそ素直じゃないララタは、どうにも恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がないのだった。
そして一方のアルフレッドもそれがわからないわけではない。
なぜならアルフレッドは、ララタが好きだから。
「うん、ありがとうララタ! 僕の妃として目一杯愛するからね!」
ララタはいつもは白くまろい頬をリンゴのように真っ赤にして、ぷいとあからさまにアルフレッドから視線を外した。
「お、『お試し』として、ね? でしょ?」
「うん。『お試し』だけど、本物の妃のように扱わないと、わからないことってあるだろうから……」
「わ、わかってるわよそれくらい! 『お試し』なんだからなにも起こらないわよ! 安心して!」
「うんうん」
「もうっ。本当にわかってるの?!」
「わかってるって~」
ニコニコ顔のアルフレッドが恥ずかしすぎて見ていられず、ララタは不自然に顔をそらしたまま、場の雰囲気を誤魔化すようにティーカップに口をつけた。
アルフレッドは素直じゃなくて恥ずかしがり屋なところのあるララタのそんな気持ちを見抜いていたから、それ以上彼女をいじめるようなマネはしなかった。
「ララタ、全力で君を妃として愛するから、ちゃんと感想を言ってね?」
「か、感想?!」
「だってララタが妃としてどう感じているのかわからないと、『お試し』の意味がないし……。大丈夫、僕も全力で君を愛すから! 心配しないで!」
「う、うん……?」
「ララタは僕の妃として純粋な気持ちを述べるだけでいいから」
「う、うん……」
ララタはアルフレッドの言葉に疑問を持ちつつも、墓穴を掘りそうな気がして深くは突っ込めず、そのまま流すことにした。まさか自分がアルフレッドの愛と言う名の奔流に流されつつあるとは知らずに……。
――かくしてふたりの、かりそめの夫婦生活がスタートした。
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