マザー・オブ・キラー
赤魂緋鯉
マザー・オブ・キラー
車1台がやっと通れる幅の道路が、迷路の様に入り組んでいる裏路地に、ライトも点けていない黒塗りのバンが1台静かに止まる。
街灯すらない上に新月な事もあって、それが止まった場所はほとんど真っ暗だった。
バンに乗っているのは、運転手ともう1人、後部座席に座っている、男と見間違う程に背が高く、短髪で黒髪黒目の若い女だった。
無駄な脂肪が一切無い、絞り上げた肉体を持つ彼女は、シャツまで黒いスーツ姿で、腰のベルトに少し詰めた日本刀を2本挿している。
その顔立ちは端正ではあるが、極めて表情に乏しい。
『3カウントで出てくれ。1分後だ』
「了解」
少し離れたのビルの屋上で、援護のためにスタンバイしている狙撃手の少女から、彼女はそう指示を受けた。
右腋のショルダーホルスターからデリンジャーを抜き、無言で目を閉じて祈る様に、その銃身の上部分を額につけた。
ちょうど1分後、狙撃手の彼女が3つ数え、
『死ぬなよ『
そう言うと同時に、『先駆』と呼ばれた女がスライドドアを開けた。
丁字路を右に曲がった先にある、一見廃ビルに見える建物へと、彼女は一直線に駆けていく。
「なんだ? また猫かなんかか?」
その彼女に、塀に仕込んである隠しセンサーが反応して、門番役の警備員を装った男3人が顔を
「てっ――」
「おい! と――」
「ひっ! どっ――」
狙撃手はその頭に1発ずつ打ち込んで、顎から上を爆発させる。
『先駈』は3つの噴水の水を1滴も浴びること無く、ドアを失ったビルの
「おっ、女じゃねーか」
すぐさま、いかにも荒れくれ者然とした、武装した男達がワラワラと出てきたが、
「殺すなよ! 後のた――」
1番先頭の2人の下品に笑う頭が、タイルの
男達の群れに、二つ名通り『
「なん――」
「たかがおん――」
「刃物じゃだ――」
「ショットガ――」
「いや、
「うわああああ!」
「待て! にげ――」
「たす――」
勇ましく向かってくる者や、慎重に攻め手を変えようとする者、恐れおののいて逃げる者まで、『先駈』は平等に首から上を
彼女の通った後は、すっかりブラッドバスと化していたが、その彼女は一切返り血を浴びていない。
「ひっ、ひいッ!」
真っ先に逃げた男は、『先駈』に追いつかれたと認識した瞬間、失禁しながら腰を抜かして前に倒れ込んだ。
その水たまりを踏んでしまった『先駈』は、顔をしかめて足を止め、亀みたいに動く男の背中でショートブーツの靴底を拭いた。
「命だけはた――」
足拭きにされた男は、命乞いをするフリをして、服の袖に仕込んだ暗器の散弾を放とうとした。
だが、それに気がついていた『先駈』に、その腕と頭を同時に切り落とされた。
彼女は薄暗い廊下を再び駆け始め、ある地点でピタリと止まると、壁の一部を凝視する。
「……」
その壁に一切迷わず蹴りを入れ、地下に続く隠し階段を出現させた。
地下へと歩を進める彼女は、途中に所々設置されたブービートラップをさらりと破り、難なくボウッとした光に照らされた地下1階へとたどり着く。
「……?」
殺気を感じ、また戦闘要員が現れた、と思いきや、その元は、十代前半ぐらい年格好をした子ども達の群れだった。
しかし、その子ども達は拳銃を手にしていて皆一様に、表情がロボットの様に欠落していた。
それを見た『先駈』は2本の刀を
子ども達は、ゆらり、と幽霊じみた動きで『先駈』に向かって来る。
彼女は右手に刀を持ち、先程よりは速度を落として走り、すれ違いざまに子ども達のこめかみを大分加減して殴り
再び、あっという間に立ちはだかる相手が居なくなった。
子どもが持っていた銃の弾倉を抜いて、それぞれ適当に放り投げた『先駈』は、その後大体同じ要領で下への階段を見つけた。
地下2階、3階は致死性が高いトラップだけで、誰1人として人間は現れなかった。
そして、最下層の4階に到達すると、
「良く来たな『先駈』!」
やたらめったら筋骨隆々で、それを自慢する様に上半身裸のスキンヘッド男が、階段の出口から5メートル程先の地点に立っていた。
体格同様にデカい声で
「お前の事は知っているぞ! 韋駄天だの神速だのと評される圧倒的な脚力! 首だけを確実に狙いに来る、と分かっていても防げない剣技! しかーし! 高周波ブレードに頼っていることから、貴様はパワーが足りないのだろう!」
べらべらとよく喋る、男の話を一切聞いていない『先駈』は、両方の刀を鞘に収めた。
「ふははは! 図星を突かれ戦意を喪失したか? 命乞いというなら認めてやろう! ただしそのためには1つ条件がある! お前も女なら分かるだろう?」
その内の1本に右手を柄に、左手を鞘に添え、姿勢を低くして居合いの形に構える。
「どうやら痛い目も見たい様だな……!」
筆舌に尽くしがたい程、非常に下品な顔で『先駈』を見据え、舌なめずりをしながら背負っているクラブを手にした。
「先に言っておくが、オレはこのナリだが、貴様が思っている程鈍重ではないぞ?」
「そう」
圧倒的に体格が劣る『先駈』を完全に舐めている男は、わざわざ自分が不利になる情報を彼女に開示した。
「うおおおおお!」
自身を殴りつけんと横にクラブを振りかぶる男が、至近距離に来るまで『先駈』は全く動かなかった。
「――それで?」
極寒の声色で一言、そうとだけ言った彼女は、
確かに、単純なスピードでは『先駈』に匹敵し、彼女を容易に組み伏せる事も出来たが、
「――あひょ?」
男が殺してきた相手に、同じ速さの相手は1人もおらず、また技術面は彼女の相手にもならなかった。
ほとんど慣性で突っ込んできた、状況を理解出来ていない男をヒラリ、と
「ああああ! ああああッ!」
人間スプリンクラーと化した男は、しばらくやかましく叫んでいたが、やがて
薄暗いダイオード電球が冷たく照らす廊下を歩きつつ、『実験室』、という文字の後ろに数字がドアにふられた、暗く小さな部屋を『先駈』は1つ1つ確認する。
「……」
最奥の『教育室』と表示された大部屋を残し、全て確認するも中には誰も居なかった。
しかし、なんとも言えない酸っぱい臭いと、鉄の様な臭いが混じったそれが、はっきりといくつかの部屋に残っていた。
「……」
はっきりと悼む表情を浮かべながら、『先駈』は無言で得物を強く握りしめた。
彼女は少し
トラップを警戒しながら、『先駈』は『教育室』のドアを開けた。
室内は通路とは違って、まともな明るさに照らされたそれなりに広い空間で、壁も床も水場に使うようなタイル張りだった。
その1番奥に、手かせをはめられ壁で鎖に
他に隠れるような所も無く、扉の上にある中2階の様になっている空間にも、誰1人としていなかった。
「……逃げた、か」
この『研究所』には研究員が二十数人ほど居たが、『先駈』が突入した時点ですでに逃げていた。
もはや少女の気配以外は何もない、という事を悟った彼女は、得物を鞘に戻してその少女へと歩み寄った。
「……ッ」
彼女も『先駈』が昏倒させた子どもと同じく、感情には乏しかったが、怯えているのが分かる程度には発露出来ていた。
「怯えなくて良い。あなたを助けに来た」
「!」
『先駈』としては、怖がらせないように笑ったつもりだったが、口元がヒクヒクしただけで、余計に怖がらせてしまった。
「……。それ、外すから手を出して」
ややショックを受けた様子で彼女は固まったが、気を取り直して少女にそう求める。
「……」
彼女は怯えた様子ではあったが、おずおずと手を差し出した。
「少し大きな音がするから、驚かない――、ガ……ッ」
刀を抜こうと目を逸らした瞬間、少女が鎖とダミーだった手かせを引きちぎり、『先駈』の首に鎖を巻き付けて、尋常では無い力で締め上げ始めた。
「ッ……」
少女のその目は、たった一瞬前と違って、あの子ども達と同じものになっていた。
ガクッと膝を突いた『先駈』は、震える手が得物に伸びかけたがピタリと止め、
「……」
自らを殺さんとしている、少女の背中に手を回した。
「ぇ……?」
それは決して突き放す動きでは無く、少女を包み込む様なものだった。
予想外の行動に動揺してその手を放し、元の表情に戻った彼女の瞳から、数滴の涙が流れ出してきた。
四つん這いになって激しく
「なん……」
彼女の行動の意味と、涙が止まらなくなった理由が理解出来ず、混乱する少女を『先駈』は膝立ちになってもう一度抱きしめた。
「大丈、夫……。もう……、殺さなくて、良い……。あなたを殺す人は、もう居ない……、から……」
「……ほん、と?」
「……そう。ほら……、誰も、居ないから……」
やっと息が整ってきた『先駈』の言葉を聞いた少女は、ゆっくりと辺りを見回す。
毎日と言って良いほど目にしていた、
「これから君は、明るいところで生きられるんだ」
*
少女を抱きかかえて『先駈』が建物の外に出ると、ブルーシートを使った囲いがされていて、いかにも事件現場、といった様子になっていた。
『先駈』と入れ替わるように、捜査員風の服装をした『掃除屋』社員が、ゾロゾロと建物の中へ入っていく。
昏倒させた子ども達も含めて、少女はしかるべき所へ保護される手はずになっていた。
「お嬢ちゃんおいでー」
「……ほら、行きなさい」
だが、保護施設の女性職員が優しく呼びかけても、彼女は『先駈』にしがみついて離れようとしなかった。
なんとか説得しようとするが、少女は2人に何を言われても、頑として拒否し続けた。
そうこうしているうちに、地下1階にいた子ども達が、続々と検査のために病院へ搬送され始めた。
少女を離れさせるのに、2人が難儀している所へ、
「よ、無事で何――、って、なんだこの状況?」
ライダースーツ型の戦闘服を着る狙撃手が、『先駈』を心配して様子を見に現れた。
「おい、早くその子放せよ。この人困ってんじゃねえか」
「……君は、振り落とせとでも言うのか?」
困惑した様子でそう言う、ゴーグル型の眼鏡をかけた狙撃手に、『先駈』は同じ様な顔をしてそう返した。
「あー、なるほど。懐かれたか」
その態度で察した、年の割に大人びた年格好の狙撃手はそう言うとニヤリ、と笑った。
「まあ頑張れ。手助けぐらいはしてやるよ」
ライフルが入った硬質のギターケースを背負い直すと、狙撃手はそう言い残して、じゃあな、と囲いから出ていった。
それを見送った『先駈』は、自身の腰にセミみたいにしがみつく少女へ視線を移す。
「……。あなたは私と、居たい?」
「ん」
「そう……」
「ええっと、どうされます?」
「この子が私と居たい、と言っている以上、意思は尊重したい」
しょうが無いな、といった様子で、『先駈』は少女の頭をそっと撫でた。
かなり分かりにくいが、その表情には、強い慈しみの感情が芽生えていた。
*
それから2年程が経った、ある日の昼下がり。
「いくら夜中のお仕事の後だからって寝過ぎー! おー!きー!てー!」
「
杏と名付けた白髪の少女に、マットレスの上面を持ち上げられ、足から床に落とされる、という非常にダイナミックな方法で、『先駈』こと
「ほらー! ちゃんと服着て!」
「うん……。あと5分……」
「こらー! 巻き寿司にならなーい!」
「さ、寒い……」
うだうだ言いつつ布団を身体に巻き付けたが、杏の常人離れした筋力で
2年前、狙撃手の雇い主である『情報屋』の店主に、杏の
沙希は『情報屋』に手配してもらった『家庭教師』に、杏が普通に生活出来るようになるまで、自分も仕事の合間に協力し、彼女にいろいろと勉強させた。
かなり学習意欲もあって、知識の吸収が早かった杏は、たった1年で同年代の子に学力が追いついて、感情も豊かになった。
そこまでは良かったが、
「もー! 自分で掃除して!」
「分かった……。業者頼むから……」
「ブブー! だめー! 自分でー!」
「えー……」
沙希は自分では部屋も片づけられない程、
「ほら、ご飯作ったから食べて」
「はーい……」
目をしょぼしょぼさせながら、沙希はワイシャツにジーンズ姿に着替え、杏に半分引きずられる様にリビングへと向かった。
食卓についた彼女は、やたらクオリティーが高い、杏の作ったサンドウィッチをもそもそと食べ始めた。
「あの杏……、トマトが……」
「好き嫌いは健康に良くないから食べてー」
「でも、この種が……」
「ワガママ言うなら、卵食べちゃおっかなー?」
「食べます……。それだけは勘弁して……」
サラダサンドに嫌いなトマトが入っている事に、沙希は弱々しい抗議をしたが、杏は彼女の好物を盾につっぱねてしまった。
「杏は厳しすぎる……」
「当たり前でしょ。……「お母さん」には、長生きして欲しいからねー」
親に叱られる子どもみたいな雰囲気を漂わせる沙希へ、少し照れくさそうに笑ってそう言って、杏は自分のサンドイッチを
マザー・オブ・キラー 赤魂緋鯉 @Red_Soul031
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