哀れな男の話をしよう

猫乃助

始まりの日

 いい天気だった。けれど、いつまでも晴れは続かない。

 その日はある男の姉が結婚式を上げた。祝福にふさわしい晴れやかな空。山の中にある小さな集落で、人口は少ない。

 集落の人たちが皆集まり、結婚式は執り行われた。皆に祝福され、宴は夜まで続いた。あまり娯楽の無い場所ゆえに、祝い事があれば皆が集まりにぎやかに執り行うのが風習となっていた。

 男は穏やかな気持ちで伴侶と共に笑う姉を見ていた。

 男の両親は早くに亡くなった。

 この山には人狼が住み、昔から山に入って帰ってこない人、大怪我をし、命からがら逃げかえってくるものが後を絶たなかった。

 男の父親は狩人として、人狼を狩っていた。強く自慢の父だったが、人狼に殺された。母親は帰りの遅い父親を心配して夜更けに森へ近づいて食い殺された。

 それ以来、男と彼の姉の二人暮らしが始まった。

 そうはいっても、集落すべてが家族の様な場所だったお陰で、幼い子供でも生きて行くことにそれほど苦労は無かった。

 彼らが孤児になってしばらくして、同じように別の集落から逃げてきた少年と共に暮らすことになった。

 彼も両親を殺され、命からがら逃げてきたのだという。彼の集落は全滅し、買える場所がないというのだ。

 それから三人で家族同然に暮らしていた。

 そして、いつしか彼と姉は恋に落ち、夫婦となった。

 今日は本当に家族としての契りが結ばれた素晴らしい日だと男は慣れない酒を飲みながら、幸せの余韻に浸っていた。

 しかし、幸せは長くは続かなかった。

 集落の男達の多くは酒に酔い、泥酔していた。女達は宴の準備で疲れたのだろう。ぐっすりと眠っていた。子供たちも、久しぶりの宴ではしゃぎつかれて眠っていた。

 穏やかな夜になるはずだった。しかし、集落はあっという間に悲鳴に包まれた。

 誰かが集落に火を放ったのだ。炎に囲まれ逃げ場を失い、じわじわと焼き殺されていく人々。

 男は慣れない酒の所為で具合が悪くなり、集落から少し離れた場所で休んでいたお陰で炎に包まれることは無かった。その結果、この放火の犯人と遭遇することとなったのだ。

 松明を手にしていたのは、姉と結婚した彼だった。

「なんで、どうしてお前がこんなことを?!」

 男は声を荒げる。

「復讐だよ、両親を殺された。この村の奴らに」

 満月を隠していた雲がゆっくりと晴ていく。月光に照らされた彼は笑っていた。耳まで裂けたような大きな口で、人ではない姿へと変貌していく。

 今まで、10年以上共に過ごしていたというのに、どうして今まで気づかなかったのか。

 彼は男の父親に家族を殺された。その復讐をするために、この村に孤児としてもぐりこんだというのだ。人狼であることを隠すのは大変だったという。

 そんな話は男にはうまく飲み込めず、目の前にいる存在が何なのか理解ができずに苦しんでいた。

「今までの生活は全部、復讐の為だけだったのか?」

「それ以外に何がある?」

 その言葉に男の中で何かが崩れたような気がした。

 実の兄の様に思っていた彼が、復讐のために作られた幻想だったこと。

 幸せそうに笑っていた姉を騙していたこと。

 家族の様に接してくれていた村人全員を殺そうとしている事。

 男の中にあった幸せと日常はもう、維持する事は出来なかった。一生懸命目の前で起きている事に言い訳をしようとするが、心中に渦巻く感情は怒りだった。

 拳を握り締め、男は走り出していた。

 しかし男の拳が彼に届くことは無かった。先に獣と化した彼の鋭い爪が男の顔を引き裂いた。

 長く鋭い爪は男の左耳からザックリと顔を抉った。左目は潰れ、鼻も捥げ落ちそうだった。

 痛みより熱さとして感じられる。体を動かして、村へ向かおうとする彼を止めようとするが、男の体は動かない。傷口からあふれる血は止まらず、体が痙攣し始める。

 地面に倒れ、残った右の瞳からは涙があふれて止まらなかった。

「なんで、なんで、どうして?!」

 殺す機会なんて何度もあったのに、どうしてこの幸せな日を選んだのかという怒りを、今までの思い出は全て偽りだったと否定された悲しみを、復讐心に気づけずに、彼を止めることができなかった自分の不甲斐なさを恨んで男は叫んでいた。


 だから、私は彼に声を掛けることにした。

「君は人ならざるモノを恨んでいる?」

 男は私の問いに答えた。

「ああ、ああ!」

 いい声だ、男の悲痛な声を聴くと私の気持ちは止まらなくなった。

「なら、敵を見る眼を与えよう。奴らの匂いをかぎ分ける鼻を与えよう。闇に潜むやつらの音を聞き分ける耳を授け、そして燃え尽きそうな君の命の灯に再び炎を与えよう。君の恨む人ならざるモノを殺す力を与えよう。君が人ならざるモノをすべて殺すまで、その命は尽きることはない。さぁ、さぁ、私の施しを受け取ってはくれるかな?」

 朦朧とした意識のまま男は私の差し出した手を握り締めた。

「契約はここに完結した。さぁ、存分に戦うといい」


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