箱根EP - 06 スピードの世界は自由だから。

  「…ナンバー66よりSSRへ。ランキングをお願いします」


 しばらく流しながら返答を待つ。加熱したモーターからは煙が上がり、3000回転まで落としたエンジンの主張してくる鼓動こどうは、V型2気筒だったことを思い出させる。この瞬間が、まどろっこしくてたまらない。早く結果を出さないと。


「SSRよりナンバー66へ。お待たせしました。第一ポイントでは61位、第二ポイントでは35位、第三ポイントでは14位です。お疲れさまでした。このあとも安全走行で」


「やっぱり前より順位が低くなってる…速度は前より出てるはずなのに、申し込み締め切り前だから、みんな最後のチャレンジしてるんだ…」


 SPEEDSTARへの参戦のためのランキング上位入賞は、締め切り直前になるほど難易度が上がる。システム上は記録登録時に順位が10位以内であればいいんだけど、駆け込みでチャレンジをする人がやっぱり一定数いる。そのせいで、締め切りが迫ってくれば来るほど足きりラインがどんどんと上がって、ハイレベルな戦いになる。


「ダウンヒルの方はなんとか9位で登録できてるからあと1種目なんだけどな…」


 相方のノアはというと、この締め切りまで二週間という激戦の中にあって、箱根から帰って来た後に訪れた秩父ちちぶでダウンヒルに挑戦し、さっさと1位を登録してしまった。


 SPEEDSTARに参戦する資格を得るには、SPEEDSTAR RECORDSの開催する予選ランキングにおいて、2種目で10位以内を記録する必要がある。ノアはこの前箱根でリーンちゃんと対決したときのヒルクライム2位と合わせるともうすでにそれを満たしているから、チーム五十嵐エンジニアリングがSPEEDSTARに参戦するためには、私がのこり1種目で10位以内を記録すればいい。


「ってノアやサラさん見てるとすっごい簡単に見えるんだけどなあ…現実じゃそううまくもいかないよね…」


 サラさんもリーンちゃんも、当たり前のようにあれから一週間で2種目ランクイン。見事、2078シーズンのSPEEDSTAR参戦チームリストに天城ロータリーの名前がり、様々な記事が界隈かいわいにぎわせている。「スワローテイルの再来か!?」とか、「ロータリーのゆう、再び」「帰ってきた最強コンビ?」なんて、連日特集が組まれてる。リーンちゃんもノアのあだ名と名前が似てるものだから、結構ノアとサラさんのコンビが復活したっていう憶測おくそくが盛り上がってて、大変そうだ。


 「でも、本当に大変なのは私の方なんだよね…」


 何を隠そうそんな話題になるほどの伝説的な選手であるノアを抱えているのに、私が足を引っ張っているせいで、参戦が危ういのだ。


 そのノアはもうすでに参戦資格を得てしまっているので、今日は私の代わりに飛脚のお仕事に出てくれている。私は朝からひたすら望みがあったトップスピードアタックに挑んでるけど、なんせ多少交通量のある時間帯はチャレンジをすることができない。次に道路が空きはじめるのは20時以降くらいだろうから、一度家に帰ってギアのチューンを見直して、晩ごはんを食べてくることにした。そういえば今日はママが久しぶりに帰ってくるんだったっけ。


――――――――――――――――――――――――――――――――


「ただいまぁ~またダメだったよ、どうしよう…」


「あ、レイナ!?おかえりなさぁ~い!ママも今帰ってきたところなの!」


 ガレージにギアを止め、内玄関からリビングに入ると、ママがたくさんの紙袋をたたんでいる最中だった。


「ママ、おかえりなさい。今回は長かったね。どこ行ってたんだっけ?」


「ル・マンのシーズンオフの取材よ?今年は去年まで連勝記録5をつけてたレヴィパイオニアの監督が移籍したりでニュースも多かったから、なかなか帰ってくる暇がなかったのよ~寂しくなかった?」


 ママはイタリア人と日本人のハーフ。ダークブラウンの髪の毛をくるくる巻いてたらしている。私の髪の毛と目の色はママ譲り。本人によると6ヶ国語も話せるらしい。その堪能たんのうな語学力を生かして、レースジャーナリストとして世界中を飛び回っている。今回も家に帰ってくるのは3か月ぶりで、ほとんど家にいることはない。


「寂しくはなかった。というか、なんなら家族増えちゃったし…」


「あ、そうだったわね!機械人の女の子だっけ?写真見たわよ~?姿が見えないみたいだけど、一緒にお出かけしてたんじゃないの?」


「ノアは今私の代わりに配達に出てくれてる。私はSPEEDSTARに参戦するためのランキング挑戦中。なかなかうまくいかないんだけどね…」


「それは大変ね~。ま、とりあえずお話はご飯食べながら聞きましょうか。パスタでいい?」


「久しぶりにママの作ったラザニア食べたいな」


「仕方ないなあ、ちょっと時間かかるけど、その間にお風呂でも入っちゃったら?」


「ううん、この後もう一回でるから、お風呂はいいや。それよりパパは?」


「うーん、私が帰ってきたときにはいなかったなあ。トラックなかったし、どこかに荷物取りに行ったんじゃない?」


「ふーん、まあいいや。私ちょっとガレージにいるから、ご飯できたらおしえて」


「はいはい」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 ご飯の用意をママに任せて、私はギアのチューニングをすることにした。ノアが来てから段階的に本来のレースギアとしての性能を解放しつつある私のクロイツ・レベレーターの調子はまちがいなく過去最高。…なんだけど、どうも100%を引き出せていない気がする。なにより、私の技術がギアに追いついていないという可能性もある。

 

 今回のトップスピードアタックのためにオンロードタイヤへのき替えまでしているのに、記録上は216km/hを記録しているのに、全然順位が届かない。今更いまさら挑戦する種目を変更するわけにもいかないし、なんとかこのトップスピードアタックで参戦を決めなければいけない。でもそれには、現在の足きりラインである227km/hを超えなければいけない。7㎞の距離で230㎞を超えるためには、数分にわたる極限の集中と、ミスのない完璧な加速が求められる。もともとオフロードとしての側面が強いレベレーターはサスストロークなどでロスが出やすい。だから、加速モーションでオフ系パワートレインの持つトルクをロスなく路面に叩きつけなければ、伸びという点でほかの高速系ギアに一歩劣るレベレーターでは勝負にならない。


 頭では分かってるはず。ギアも回ってるはず。でも、記録は伸びてない。体が、思い描いた通りに動いていないのだ。


 パパと一緒に煮詰につめたセッティングはもう私一人でいじれる余地よちが残っていない。14500回転まで回るVツインも、両足合計で最大瞬間60kwを超えるレーシングモーターも、全部、ぜんぶ、私をSPEEDSTARの舞台へ押し上げようとしてくれているのにその期待に私は応えられていない。


 「速さ…速いことってなにがいいんだろ」


 「人々は昔から”速く移動するため”に命を燃やしてきた。それは血の宿命とはいわないけど、やっぱりスピードの世界に魅了される人っていうのはいる。あなたも、そんな血を引く人間の一人ってことよ。レイナ、ラザニアできたわよ~?」


「ママ…」


「…ねえレイナ、あなたは時速500kmを想像したことはある?最近のアメリカでは、500km/hを超えるどころか、1000km/hに迫る空飛ぶ飛脚レースの開発が進んでるの。ジェットエンジンを積んで、荷物を背負って、アメリカの広大な空をこれでもかってぶっ飛ばすの。そのエアレースのギアの開発に、18歳の女の子が参加しててね」


「18歳の…?」


「エリー・イェーガーちゃんっていうんだけど。その子に話を聞く機会があったのよ。で、なんでそんなにスピードを追い求めるのかって聞いたのね」


「うん」


「そしたら、なんて答えたと思う?”スピードの世界は自由だから”だって!”眠たい日常はつまらないけど、スピードは私たちを別の世界に連れてってくれる。脳みそに流れ込む大量の情報で頭が焼けそうになるくらいヒリついた、流れる時間感覚が狂うあの瞬間に私たちは永遠を感じてるって、最高でしょ?”って笑いながら。私が握るのはハンドルじゃなくて、コントローラーじゃなくて、マイクとペンだからその感覚を感じたことはないけど、レイナなら分かるんじゃないかしら」


「流れ込む情報で頭が焼けそうになる…永遠…」


 SPEEDSTARに参戦するために挑戦を始めて2年。幾度いくどとなくスピードの世界は最高だと感じる場面があった。それは、林道の路面状況を見極めながら80km/hで走行しているときだったり、ヒルクライムで次のカーブを予測しながら速度と体勢を整えターンしている時だったり、ノアと出会う日の夜、トップスピードアタックをしている時だったり。


 一瞬が永遠になる瞬間。それが、私を魅了みりょうしてやまない。エンジンの打撃感、モーターの駆動音、目にもとまらぬ速さで流れる景色、まるで鋭利な刃物のように研ぎ澄まされる感覚、エンジンの回転数と同調するように加速する思考。そのすべてが、私をスピードの世界へと駆り立てていた。


 ノアやサラさん、リーンちゃんという強大なライバルが急に身近に現れてしまったから、頭がそのことで一杯になってしまっていたらしい。


 頭が急激に冷えていくのを感じる。思考が一本の糸をピンッと張ったように静まり返る。どこからともなく飛脚を始めて以来の相棒、レベレーターのVツインの音が聞こえてくるように感じた。思わずアクセルトリガーを引くように人差し指を引く動作をする。頭の中でエンジンがうなりを上げる。思わず背筋がゾクッとするこの感覚。


 「スピードの世界は、自由だから…」


 走っている時だけは、端末に山ほどたまっている学校の課題からも、うまくいかない友達関係からも、将来の不安からも、ノアのことからすらも、解き放たれることができる。


 スピードの世界には、私と相棒、それから道しか存在しない。だから、その時だけは素直に自由で居られるのだ。


 火がともった。私の心臓にはVツインのビートが刻まれている。ノアも、サラさんも、リーンちゃんも、この瞬間は誰にも邪魔できない。


「ママ、ありがと。ご飯の前にちょっとだけ走ってくるね」


「ちょっとレイナ―、せっかくラザニア作ったのに、さめちゃうじゃない」


「ごめん、でも、たぶん今しかないんだと思う」


「はぁ…きつけなきゃよかったかしら?しかたない、わかったわ。パパと、…ノアちゃんだっけ?もみんな帰ってきてからもう一回温めなおして食べることにしましょ?くれぐれも命だけは大切にするのよ~?」


「ごめん。それと、ありがとう、ママ」


「うん。行ってらっしゃい」


「いってきます」


 2月もあと2週間。夜はまだまだ寒いけれど、頬をでる夜風が熱を帯びる頭を冷却してくれる。私ももう走り屋の一員。スピードフリーク達の熱に侵された一人。なら、チャンスをつかめる可能性が少しでもあるなら、しっかりと手を伸ばさなければいけない。ほかの誰でもない、自分のために。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 「R17バイパス下り、オールクリア。こちら登録ナンバー66 五十嵐レイナよりSPEEDSTARRECORDSへ。”トップスピードアタック”計測を申請しんせいします」


 数秒ののちにオペレーターより返答。


「R17バイパス下り、クリアを確認。ナンバー66の申請を承諾しょうだく。周囲を一時的に封鎖ふうさします。ナンバー66はトップスピードアタックを開始してください。計測地点は3㎞、5㎞、7㎞の3地点です。Good Luck,Challenger」


「私は速い。だから、大丈夫。よろしくね、相棒」


 かつてないほどの高揚感こうようかんで手袋の中が湿るのを感じながら、レンジエクステンダーであるV型2気筒水冷エンジンのギアをローに組み替える。これでエンジンからの出力を最大限電力に変えることができる。


「キャパシタ蓄電最大確認。バッテリー保護回路動作確認。システム電圧、電流ともに安定、ブレーキ動作正常。緊急時エアバック正常確認。いざ」


 ふっと風が吹いた。弱い向かい風。それは私のおかれている境遇きょうぐうを表しているようで、もう一度周囲を確認してからバイザーを下ろす。そして、バッテリーを回路からカット、加速を始める。まずは40㎞/hまでの加速だ。スピードスケートのスケーティングの要領ようりょうで少しづつ速度を上げつつモーターに電気を流していく。ロスを最小限にするため、なるべく一歩を長くきざむ。

 40㎞/hに達したらクラウチングの姿勢に移行。ここから爆発的な加速をしていく。思考が沸騰ふっとうする、最高の瞬間だ。


「45キロ確認。キャパシタ放電」


 キャパシタは短時間で大電流を放電できる特性がある。バッテリーを切り離したのは要求される電力にバッテリーが耐えきれず発火するのを防ぐため。キャパシタを解放するとモーターがうなりをあげて回り始める。前輪の駆動輪から荷重が抜けて滑るのを防ぐために思いっきり姿勢を低くしつつ前に荷重する。


「…いける」


 キャパシタが切れたタイミングで回路から切り離し、エンジンと”直結”する。エンジンを一気に14000回転まで吹かし、キャパシタをバッテリーで充電しつつあとはひたすら速度が少しでも伸びるように、ただ姿勢を低くして、その時を待つ。


「SSRよりナンバー66へ。第一ポイント通過暫定速度は158㎞/hです」


 エンジンが、まだ回れる。もっと回してくれと話しかけてくるみたいだ。レブまであと500rpmだというのに、あと3000rpmは回ってしまいそうな感覚を覚えて、発電機の負荷をさらに一段下げる。すると、回転計が17000rpmまで吹きあがった。ありえない。ありえないけど、レベレーターは壊れない、そんな根拠こんきょのない自信が、アクセルを全開のまま固定させる。


「SSRよりナンバー66へ。第二ポイント通過暫定速度は192㎞/hです」


 第一ポイントからほんの数十秒で次のポイントを通過する。もうすでに200km/h目前まで迫っている。明らかに新記録だ。だというのに、まだまだギアは加速をやめようとしない。すさまじい走行風に吹き飛ばされそうになるのを何とかこらえ、最後に充電したキャパシタを放電する。


”ようこそ、スピードの世界へ”


ノアの声が聞こえた気がした。


「SSRよりナンバー66へ。第三ポイント通過暫定速度は247㎞/hです。これにて計測を終了します。速やかに速度を落としてください。Good Job,Challenger」


「...時速247km。250km/hまであと一歩のところまできちゃったか…」


 レブリミットを超えたはずのレベレーターのレンジエクステンダーの調子を確認するも、全く異常は見られない。というより、さらに元気がよくなっているようにすら思えた。


「ナンバー66よりSSRへ。ランキングをお願いします」


 しばらく流しながら返答を待つ。まるで無風の河口湖のように静まり返った思考は、興奮すら冷静さで抑え込んでしまう。さっきまでの記録を大幅に超える、自分でも驚愕きょうがくの新記録を出しておきながら心は穏やかだ。


「SSRよりナンバー66へ。お待たせしました。第一ポイントでは12位、第二ポイントでは8位、第三ポイントでは3位です。お疲れさまでした。このあとも安全走行で」


 夜空を見上げる。そこには、たくさんの星が瞬いていた。



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