箱根EP - 04 命あるもの、命ないもの
ノアが私の横で
お風呂から上がった後、ずっと考えていた。スワローテイルのメンバーのこと、SPEEDSTARのこと、そしてなにより、自分のこと、ノアのこと。
私は、まだ飛脚になってから2年しかたっていない。もしこのまま今年のSPEEDSTARに参戦できれば、まあまあやるほう、といえると思う。でも、チームメイトになるノアの走りは、一言で言ってしまえば異次元だった。その異次元の走りをする元・SPEEDSTAR優勝経験者、つまりSPEEDSTARSの称号持ちの彼女に私はついていけない。
もしこのまま今シーズン参戦したとして、成績は
これは、大きなチャンスだと思う。でも同時に、私を追い詰めるピンチでもある。ピンチはチャンスとはよく言ったものだと思うけど、のしかかるプレッシャーはそんな一言で片付くほど軽々しい物じゃない。
憧れの人の活躍を
ノアは速い。私は遅い。それは何かのミラクルが起きて
涙がこぼれた。
悔しいのかも、怖いのかも、うらやましいのかも分からない。ただあふれた涙が枕を
「…レイナちゃん、もしかして、泣いてる?」
突然、サラさんが話しかけてきた。私はノアとサラさんに
「あ…え…えっと、その…」
「ノアが寝るっていうのも驚いたけど、今はちょうどいいや。少し二人で話さない?」
「は、はい…」
多分今、私の目は真っ赤に
サラさんと私は布団をこっそり抜け出すと、そのまま部屋を出て、星が見えるというバルコニーに向かった。
「星、きれいですね」
来る途中に自販機で買ったホットレモンをすする。2月の夜はまだ寒かった。
「私にとってはこれが普通だから別に何とも思わないけれど、都市圏に住むレイナちゃんから見たらこの景色は特別なものに映るんだね」
「こんな景色を毎日見られるのはうらやましいですけど」
「じゃあ、私と一緒に住むかい?」
「さすがにそれは…」
「ふふっ、冗談だよ。それで、さっきの涙の理由、聞いてもいい?」
「あ、あの、あんまりうまくは言えないかもしれないですけど…その、たぶん怖いんだと思います。昼間、ノアの走りを見たんです。すごく速くて、とてもじゃないけどついていくことはできませんでした。そしてなにより、ノアはSPEEDSTARSでした。私は何も知らずにただの走り屋で仲間だと思ったから、一緒にSPEEDSTARに出よう?って誘ったけど、彼女は凄い人だった。憧れの人ですらありました。だから私、ハッキリ言ってもうどうしていいかわからないんです」
思考を口にするだけで、なんだか形を得たような気がして、なおさら重くのしかかってきた。いちど
「あー、そりゃノアが悪い。完全にノアが
「…違うと思います。だって、私はあの黒髪の少女がまさか機械人だったということも知らなかったですし、なにより
それに、自分の
サラさんは近くにあったベンチに腰を下ろすと、私を手招きした。
「さっきのお風呂場での話、覚えてる?」
「?」
「ノアと私はスワローテイル時代、最も多くタッグを組んでいた。そして、最も多く共に表彰台に上がってる。でも、チームが解散した後、ほかのチームメイトはなんやかんやでSPEEDSTARに関わってるケースが多いのに、私たち二人はそのあと完全にSPEEDSTARには関わってない。それはなぜか」
「完全に引退したっていうことじゃないんですか?」
「結果的にはそうなんだけどね。実際のところ、私はノアについていけなかったし、ノアもノア自身についていけなかった。だから、そういうことになったんだ」
「どういうことですか?」
「ノアは速い。とんでもなくね。でも、その
「じゃあ、恐怖心とか、そういうのがないってことですか?」
「そう。ノアの走りはとにかく危ないし、実際問題体へのダメージだけ見たらSPEEDSTAR一戦走るだけで人間だったら
「下半身不随って…」
「私たちが、というよりもう理由はほぼノアにあるんだけど、チーム解散後私とノアがSPEEDSTARに参戦しなくなったのは、ノアの機体を競技レベルで維持できなくなったから、っていうのが正しい。スワローテイル時代はメインスポンサーにノアの開発元とタッグを組んでたカモシカ急便がいたから、一戦ごとにフルオーバーホールしてた。だから髪の毛もずっとつやつやのサラサラだったし、毎戦毎戦規格外の速さを発揮できてたんだよ」
「一戦走るごとにフルオーバーホール!?いったいいくらかかるっていうんですか…」
「カモシカも本気だったからさ。毎回5、600万円くらいかけて整備してた。でも、スポンサーがいなくなったんじゃ、そういうわけにもいかないでしょ?」
「5、600万…!?」
「本当はチーム解散後、ノアが私のチーム
「でも実際には走っていないってことは…」
「そう。ノアは走り方を変えられなかった。そして、遅く走るくらいならSPEEDSTARなんか出なくてもいいとも言った。私は諦めてなかったよ、今までずっとね。でも、ノアはそのままどこかへ旅に出てしまった。たまに私の家によることはあっても、一緒に走ることはなかったんだ。ノアのことは妹みたいに思ってたから、家族にしてあげようとさえ思ってたんだけど、完全に私の片思いで終わっちゃった」
そうこぼしたサラさんはなぜか少し
「…その、ノアは私なんかの家族になってよかったんでしょうか…」
「ノアが何を考えてレイナちゃんの家族になったのかは知らないし、そもそも、ノアの最近の走りを見てないし、旅に出てる間に何をしてたのかってことも私は知らない。だから、もう彼女は私の知ってるノアとは違うのかもしれない。それでも結果だけ見れば彼女はレイナちゃんちを選んだんでしょ?」
「はい、きっと、そういうことだと思います…たぶん」
「ならそれはそれでいいんじゃない?ただもし、今後一緒に活動していくうえで、ノアが走りを追求しすぎるあまりお金を気にせずかけるようになったら、私に教えて?一発ガツンと言ってやるから。あの体も高かったでしょ?ちゃんとノアに払わせないと調子乗らせちゃだめだからね」
「機体の分も一応お金は出してるみたいですし、ノアのことをよく知るサラさんがそういってくれるならすごく心強いです」
「大丈夫。レイナちゃんはいまいくつだっけ」
「17歳です」
「私がスワローテイルに参加したのは16の時だけど、実際にSPEEDSTARに参戦できたのは17の時だし、優勝したのは19歳。それに、なんやかんや言ったけど、結局ノアは今のSPEEDSTARのレベルでも十分戦えるほど速いはずだから。参戦初年度で初優勝なんてこともありえるくらい舞台は整いつつあるんでしょ?レイナちゃんも飛脚なら、スピードフリークなら、走り屋なら、チャンスを
「手を伸ばす…」
「その結果が期待通りでも、そうでなかったとしても、精いっぱい手を伸ばした経験は思い出になるでしょ?ほら、これ私の連絡先。元・SPEEDSTARSのチーム天城ロータリー所属、サラ・アニーラの連絡先を知ってる人なんてこの世にあんまりいないんだから。頑張って!」
「わぁ、いいんですか!?サラさんの連絡先…」
「ノアの
「あ、そのことなんですけど、今サラさんの家にいる人の説得が条件って…どういうことなんですか?」
「それは明日のお楽しみ―ってことにしときたいけど、まあいいや。これだけは言っておくよ。機械人の飛脚がノアだけだとは思うなよ?ってね」
「…え?」
にやりと笑ったその顔は、レース中にサラ・アニーラが
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ただいまー、今帰ったよーっと。あれ、いないのかな。まあいいや、どうぞあがって」
翌日。少し寝不足のままサラさんの家に向かった。サラさんの家は、丘の
「おじゃましまーす」
「ちょっとここで待ってて、今呼んでくるから」
リビングらしき部屋に通された。テレビの横に大量のトロフィーやバッチ、メダルがきれいにディスプレイされている。
「あれ?なんだか部屋がきれいですね。心でも入れ替えたんでしょうか…」
「なにそれ、なんかノアが言うと別の意味に聞こえるんだけど」
しばらくトロフィーなんかを眺めていると、家の奥からドタバタと足音が迫ってきた。そして
「あー!本当に姉さんじゃない!」
「姉さんって…あー!あなたは…!!」
家の奥からスワローテイル時代のノアにそっくりなサラサラ黒髪ストレート、
「姉さん?ということは、ノア、妹居たの!?」
「さーさー見ものだよレイナちゃん。奇跡の再会を果たした姉妹の反応はいかに、ってね」
家の奥から戻ってきたサラさんは、最高に楽しそうにノアと黒髪の少女を見つめている。
「サ…サラ、どういうことですか?なんで彼女がここにいるのですか?経緯の説明を求めます…というかサラ、説得する相手ってまさか」
「そう、今はうちの家族になった、リーンちゃんを説得してねって話」
「家族に!?」
ノアは今にも泡を吹いて倒れそうだ。というか妹がいたなんて知らなかったし、っていうか機械人における妹ってなに?
目の前が
「リーン、一応ノアの今の家族、レイナちゃんに自己紹介してあげたら?」
「ああ、姉さんにも家族がいらっしゃったのね」
黒髪の少女、リン…じゃなくてリーンがこちらを見た。スワローテイル時代のノアにそっくりだと思ったけど、よく見るとなんというか…その、リーンの方が女の子っぽい気がする。
「初めまして、姉さんの家族の…レイナさん。私はリーンと申します。姉のノアの実質的な後続機、つまりは妹で、今はサラさんの家族です」
「サラ、いつの間にこんなことになってたんですか。なんで私に教えてくれなかったんですか!」
ノアがすごく取り乱している。
「だって、ノアが私のことほっといて一人でどっか行っちゃうから…私だって全部をノアに教えておく必要はなくない?そういうことだよ」
「その…無事でよかったですリーン…心配してたんですけど、なにせ探そうにもつてがなくて…いままでなにもできずに申し訳ありませんでした」
「姉さん…本当に私のことを探そうとしましたか?その割には
「通信機は一切使っていなかったので…」
「本当に?」
「うっ…その、通信機を使っていなかったのは本当です。本当に探そうともしました。でも、私の方もいろいろあって、生きていくのが精いっぱいで…」
「サラさんから聞いたわ。チームが解散してからすぐに一人で旅に出たそうね。私たちのことなんか、一つも覚えていなかったのではなくて?」
ノアが一瞬、サラさんのほうを
「リーン、探さなかったのは謝ります。でも、私は私でやるべきこと、やりたいことがありました。そこは理解してください。そして、いまここでこうして再会できたことは素直にうれしいです。これも偽りのない本心ですよ」
「まあ、姉さんからしたら、私たちのことはそこまで重要でないというのも分からなくはないから、べつに
「リーン…」
なんだかとても居づらい空気になってきた。というか、ノア、けっこう自分勝手になんでもやってたっぽくて、それもそれで不安になる。
「あの、サラさん、ちょっとお外の空気吸いたいんですけど、付き合ってもらっていいですか?」
「えー、今一番面白いところなのに―」
「いいじゃないですか、せっかく姉妹が再会したんですし、
「感傷に浸ってる感ないけどね」
なんだかバチバチやりあいそうな二人をリビングに残して、事情を聴くべくサラさんを連れて外に出たのだった。
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