箱根EP - 04 命あるもの、命ないもの

 ノアが私の横で爆睡ばくすいしている。どんなことがあっても、寝る体勢たいせいになってしまえばすぐに夢の世界へと入り込んでいけるのは素直すなおにうらやましいと思う。まあ、機械人が夢を見ているかは知らないけど…


 お風呂から上がった後、ずっと考えていた。スワローテイルのメンバーのこと、SPEEDSTARのこと、そしてなにより、自分のこと、ノアのこと。


 私は、まだ飛脚になってから2年しかたっていない。もしこのまま今年のSPEEDSTARに参戦できれば、まあまあやるほう、といえると思う。でも、チームメイトになるノアの走りは、一言で言ってしまえば異次元だった。その異次元の走りをする元・SPEEDSTAR優勝経験者、つまりSPEEDSTARSの称号持ちの彼女に私はついていけない。


 もしこのまま今シーズン参戦したとして、成績は皆無かいむで、後から振り返ったときに「いやーこの若さで参戦できただけでもすごいじゃん」って言えるだろうか?チームメイトに伝説的なSPEEDSTARS抱えて?


 これは、大きなチャンスだと思う。でも同時に、私を追い詰めるピンチでもある。ピンチはチャンスとはよく言ったものだと思うけど、のしかかるプレッシャーはそんな一言で片付くほど軽々しい物じゃない。


 憧れの人の活躍を邪魔じゃましないために。うちの店がノアを抱え込んだときにった借金のために。そして何より、未来の自分のために。私はここで踏ん張って、なんとか食らいついていくしかないと思うと、誰もいない場所に逃げ出したくてたまらない。


 ノアは速い。私は遅い。それは何かのミラクルが起きて突然とつぜんくつがえるようなものではなく、ただ眼前がんぜんに突き付けられた事実だ。走ってきた距離と、過去に挙げた功績こうせきがその差を確固かっこたるものとして証明している。


 涙がこぼれた。


 悔しいのかも、怖いのかも、うらやましいのかも分からない。ただあふれた涙が枕をらす。旅館の人に申し訳ないなと思いながらも、そのしずくを止めることはできなかった。


「…レイナちゃん、もしかして、泣いてる?」


 突然、サラさんが話しかけてきた。私はノアとサラさんにはさまれてるから、見えてしまったのかもしれない。


「あ…え…えっと、その…」


「ノアが寝るっていうのも驚いたけど、今はちょうどいいや。少し二人で話さない?」


「は、はい…」


 多分今、私の目は真っ赤にれている。それを見られるのがなんだか恥ずかしかったけど、それでも、この時だけは誰かにすがっていたかった。



 サラさんと私は布団をこっそり抜け出すと、そのまま部屋を出て、星が見えるというバルコニーに向かった。


 「星、きれいですね」


 来る途中に自販機で買ったホットレモンをすする。2月の夜はまだ寒かった。


「私にとってはこれが普通だから別に何とも思わないけれど、都市圏に住むレイナちゃんから見たらこの景色は特別なものに映るんだね」


「こんな景色を毎日見られるのはうらやましいですけど」


「じゃあ、私と一緒に住むかい?」


「さすがにそれは…」


「ふふっ、冗談だよ。それで、さっきの涙の理由、聞いてもいい?」


「あ、あの、あんまりうまくは言えないかもしれないですけど…その、たぶん怖いんだと思います。昼間、ノアの走りを見たんです。すごく速くて、とてもじゃないけどついていくことはできませんでした。そしてなにより、ノアはSPEEDSTARSでした。私は何も知らずにただの走り屋で仲間だと思ったから、一緒にSPEEDSTARに出よう?って誘ったけど、彼女は凄い人だった。憧れの人ですらありました。だから私、ハッキリ言ってもうどうしていいかわからないんです」


 思考を口にするだけで、なんだか形を得たような気がして、なおさら重くのしかかってきた。いちどおさえたはずの涙が再びこぼれそうになる。


「あー、そりゃノアが悪い。完全にノアが身元みもとを明かさなかったから、」


「…違うと思います。だって、私はあの黒髪の少女がまさか機械人だったということも知らなかったですし、なにより容姿ようしがかなり変わっていたので言われても信じられなかったと思います」


 それに、自分の未熟みじゅくさから出た涙の理由を、他人に押し付けたくはなかった。押し付けてしまえば、逆に自分が弱いってことを証明してしまうような気がしたから。


 サラさんは近くにあったベンチに腰を下ろすと、私を手招きした。うながされるままに隣に座る。


「さっきのお風呂場での話、覚えてる?」


「?」


「ノアと私はスワローテイル時代、最も多くタッグを組んでいた。そして、最も多く共に表彰台に上がってる。でも、チームが解散した後、ほかのチームメイトはなんやかんやでSPEEDSTARに関わってるケースが多いのに、私たち二人はそのあと完全にSPEEDSTARには関わってない。それはなぜか」


「完全に引退したっていうことじゃないんですか?」


「結果的にはそうなんだけどね。実際のところ、私はノアについていけなかったし、ノアもノア自身についていけなかった。だから、そういうことになったんだ」


「どういうことですか?」


「ノアは速い。とんでもなくね。でも、その要因よういんが人間じゃないからってところにあるとすると、私たち人間はとてもじゃないけどまねできないし、ついていくことすら難しいんだよ。走り見たならたぶん分かるでしょ?彼女たち機械人には死という概念がいねんがまだあまり定着していない。というか、そもそもがそういう風にできてる。ゆえに、人間だったら安全性を優先するためにできない挙動きょどうをなんなくやってのける。命というリミットが存在しないからこそ実現できる速さなんだよ、あれ」


「じゃあ、恐怖心とか、そういうのがないってことですか?」


「そう。ノアの走りはとにかく危ないし、実際問題体へのダメージだけ見たらSPEEDSTAR一戦走るだけで人間だったら下半身不随かはんしんふずいになってるレベル。だから、本当はもう別カテゴリーなんだよね」


「下半身不随って…」


「私たちが、というよりもう理由はほぼノアにあるんだけど、チーム解散後私とノアがSPEEDSTARに参戦しなくなったのは、ノアの機体を競技レベルで維持できなくなったから、っていうのが正しい。スワローテイル時代はメインスポンサーにノアの開発元とタッグを組んでたカモシカ急便がいたから、一戦ごとにフルオーバーホールしてた。だから髪の毛もずっとつやつやのサラサラだったし、毎戦毎戦規格外の速さを発揮できてたんだよ」


「一戦走るごとにフルオーバーホール!?いったいいくらかかるっていうんですか…」


「カモシカも本気だったからさ。毎回5、600万円くらいかけて整備してた。でも、スポンサーがいなくなったんじゃ、そういうわけにもいかないでしょ?」


「5、600万…!?」


「本当はチーム解散後、ノアが私のチーム天城あまぎロータリーに加入して、二人でもっかい全国制覇しようぜ!っていう話になってたんだけどね。うちの天城も正直そこまで大きい会社じゃないし、走るたびに500万とか無理なわけ。だから、ノアに”走り方変えて、そしたらもっかい走れるから”って言ったんだ」


「でも実際には走っていないってことは…」


「そう。ノアは走り方を変えられなかった。そして、遅く走るくらいならSPEEDSTARなんか出なくてもいいとも言った。私は諦めてなかったよ、今までずっとね。でも、ノアはそのままどこかへ旅に出てしまった。たまに私の家によることはあっても、一緒に走ることはなかったんだ。ノアのことは妹みたいに思ってたから、家族にしてあげようとさえ思ってたんだけど、完全に私の片思いで終わっちゃった」


 そうこぼしたサラさんはなぜか少し微笑ほほえんでいた。


「…その、ノアは私なんかの家族になってよかったんでしょうか…」


「ノアが何を考えてレイナちゃんの家族になったのかは知らないし、そもそも、ノアの最近の走りを見てないし、旅に出てる間に何をしてたのかってことも私は知らない。だから、もう彼女は私の知ってるノアとは違うのかもしれない。それでも結果だけ見れば彼女はレイナちゃんちを選んだんでしょ?」


「はい、きっと、そういうことだと思います…たぶん」


「ならそれはそれでいいんじゃない?ただもし、今後一緒に活動していくうえで、ノアが走りを追求しすぎるあまりお金を気にせずかけるようになったら、私に教えて?一発ガツンと言ってやるから。あの体も高かったでしょ?ちゃんとノアに払わせないと調子乗らせちゃだめだからね」


「機体の分も一応お金は出してるみたいですし、ノアのことをよく知るサラさんがそういってくれるならすごく心強いです」


「大丈夫。レイナちゃんはいまいくつだっけ」


「17歳です」


「私がスワローテイルに参加したのは16の時だけど、実際にSPEEDSTARに参戦できたのは17の時だし、優勝したのは19歳。それに、なんやかんや言ったけど、結局ノアは今のSPEEDSTARのレベルでも十分戦えるほど速いはずだから。参戦初年度で初優勝なんてこともありえるくらい舞台は整いつつあるんでしょ?レイナちゃんも飛脚なら、スピードフリークなら、走り屋なら、チャンスをつかめる可能性が少しでもあるなら、しっかり手を伸ばさないとね」


「手を伸ばす…」


「その結果が期待通りでも、そうでなかったとしても、精いっぱい手を伸ばした経験は思い出になるでしょ?ほら、これ私の連絡先。元・SPEEDSTARSのチーム天城ロータリー所属、サラ・アニーラの連絡先を知ってる人なんてこの世にあんまりいないんだから。頑張って!」


「わぁ、いいんですか!?サラさんの連絡先…」


「ノアの監視かんしのためにもね。…あ、そっか。明日のノアの説得せっとく次第では私も今シーズン参戦しなきゃいけないのか。そしたらレイナちゃんとはライバルになっちゃうな―、もしそうなったら手は抜かないから安心してね」


「あ、そのことなんですけど、今サラさんの家にいる人の説得が条件って…どういうことなんですか?」


「それは明日のお楽しみ―ってことにしときたいけど、まあいいや。これだけは言っておくよ。機械人の飛脚がノアだけだとは思うなよ?ってね」


「…え?」


 にやりと笑ったその顔は、レース中にサラ・アニーラが時折ときおり見せた挑戦的な表情と重なった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――



「ただいまー、今帰ったよーっと。あれ、いないのかな。まあいいや、どうぞあがって」


 翌日。少し寝不足のままサラさんの家に向かった。サラさんの家は、丘の中腹ちゅうふくにある、周りを田んぼに囲まれたこじんまりとした平屋だった。たぶん、住むスペースよりガレージの方が広い。


「おじゃましまーす」


「ちょっとここで待ってて、今呼んでくるから」


 リビングらしき部屋に通された。テレビの横に大量のトロフィーやバッチ、メダルがきれいにディスプレイされている。


「あれ?なんだか部屋がきれいですね。心でも入れ替えたんでしょうか…」


「なにそれ、なんかノアが言うと別の意味に聞こえるんだけど」


 しばらくトロフィーなんかを眺めていると、家の奥からドタバタと足音が迫ってきた。そして


「あー!本当に姉さんじゃない!」


「姉さんって…あー!あなたは…!!」


 家の奥からスワローテイル時代のノアにそっくりなサラサラ黒髪ストレート、碧眼へきがんの女の子が現れた。ノアはそれを見て硬直こうちょくしてしまっている。というか…


「姉さん?ということは、ノア、妹居たの!?」


「さーさー見ものだよレイナちゃん。奇跡の再会を果たした姉妹の反応はいかに、ってね」


 家の奥から戻ってきたサラさんは、最高に楽しそうにノアと黒髪の少女を見つめている。


「サ…サラ、どういうことですか?なんで彼女がここにいるのですか?経緯の説明を求めます…というかサラ、説得する相手ってまさか」


「そう、今はうちの家族になった、リーンちゃんを説得してねって話」


「家族に!?」


 ノアは今にも泡を吹いて倒れそうだ。というか妹がいたなんて知らなかったし、っていうか機械人における妹ってなに?


 目の前が修羅場しゅらばっていることだけしか分からなかった。


「リーン、一応ノアの今の家族、レイナちゃんに自己紹介してあげたら?」


「ああ、姉さんにも家族がいらっしゃったのね」


 黒髪の少女、リン…じゃなくてリーンがこちらを見た。スワローテイル時代のノアにそっくりだと思ったけど、よく見るとなんというか…その、リーンの方が女の子っぽい気がする。


「初めまして、姉さんの家族の…レイナさん。私はリーンと申します。姉のノアの実質的な後続機、つまりは妹で、今はサラさんの家族です」


「サラ、いつの間にこんなことになってたんですか。なんで私に教えてくれなかったんですか!」


 ノアがすごく取り乱している。


「だって、ノアが私のことほっといて一人でどっか行っちゃうから…私だって全部をノアに教えておく必要はなくない?そういうことだよ」


「その…無事でよかったですリーン…心配してたんですけど、なにせ探そうにもつてがなくて…いままでなにもできずに申し訳ありませんでした」


「姉さん…本当に私のことを探そうとしましたか?その割には通信履歴つうしんりれきには一切コンタクトのあとがのこっていなかったのだけれど」


「通信機は一切使っていなかったので…」


「本当に?」


「うっ…その、通信機を使っていなかったのは本当です。本当に探そうともしました。でも、私の方もいろいろあって、生きていくのが精いっぱいで…」


「サラさんから聞いたわ。チームが解散してからすぐに一人で旅に出たそうね。私たちのことなんか、一つも覚えていなかったのではなくて?」


 ノアが一瞬、サラさんのほうをうらめしそうな顔で見たが、すぐに諦めたようにため息をついた。


「リーン、探さなかったのは謝ります。でも、私は私でやるべきこと、やりたいことがありました。そこは理解してください。そして、いまここでこうして再会できたことは素直にうれしいです。これも偽りのない本心ですよ」


「まあ、姉さんからしたら、私たちのことはそこまで重要でないというのも分からなくはないから、べつにめはしないわ。ただ、こうして再会できた以上、いくつか聞かなければいけないこともあるのよ」


「リーン…」


 なんだかとても居づらい空気になってきた。というか、ノア、けっこう自分勝手になんでもやってたっぽくて、それもそれで不安になる。


「あの、サラさん、ちょっとお外の空気吸いたいんですけど、付き合ってもらっていいですか?」


「えー、今一番面白いところなのに―」


「いいじゃないですか、せっかく姉妹が再会したんですし、感傷かんしょうひたる時間を用意してあげても」


「感傷に浸ってる感ないけどね」


 なんだかバチバチやりあいそうな二人をリビングに残して、事情を聴くべくサラさんを連れて外に出たのだった。

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