ソイレント・ブラック
名取
ジャンクなものは基本的に美味しい
就職できないと食われる。物理的に。
今の所(そしてきっとこれ以後も)、この基本原則の正当性を疑ってかかるものもいないし、まあこれからも出ないだろう。この国はみんな目立ったり一人だけ損をしたりするのを厭がるから。それにもう、散々SFと青春小説に書かれてきたことだ。今はそこかしこで「きみからの電話」が鳴っている。壮麗なアニメーション風の陳腐な悲劇が蔓延し、バリボリ消費され、さっさと次のサイクルに取り掛かる。
別れ、惜しみ、泣いて、食う。
食ったら出して、土に還す。
「影浦。もらってきたぞ」
黒いリクルートスーツがこちらへ駆けてくる。飼い主に投げられたフリスビーをとって戻ってきた犬のように、嬉しそうで、だらしない笑顔。今にも口元から溢れたよだれで、新品のスーツの袖を汚しそうに見える。
「無料なのがいいよな」
「そうだよなぁ!」
消えちまえばいいのに。こいつ。
にっこり微笑んで受け取って、僕はそれを縦に持ち、包装紙を破る。食べなければ、即刻教務課に呼び出しされて、退学だ。見た目はチョコレートバー。でもチョコでもなければナッツでもヌガーでもなく、このソイレント・ブラックの中身は純度99%の人間である。
「100歳まで、働くことができます! 皆が現役! 若々しく豊かな国!」
はつらつとした若い女の声が上空から聞こえる。ニコニコと往来の若者たちは持ちきれないほど買い物袋を下げて道をゆく。ノリノリのロック音楽が店から漏れてくる。ベースの音。ギターの唸り声。陶酔する若い歓声。待ち合わせ場所で友人を待つフェミニンな女の子たち。スマホをしきりに俯いて弄る背の高い青年。神妙な顔で軍隊みたいに歩くメガネ女。そんな駅前の雑多な群衆の中にいても、我らの一団は群を抜いて目を引く。
辺り一帯が、黒。
こぼした血痕が黒くこびりついたような、どでかい黒点。
クローン人間みたいに揃った髪型。ほんの些細な仕草さえもシンクロする、奇跡的な量産型人間の群れ。
3年間の大学教育で矯正されたパターナリスティック思考。
ここからふるい落とされるのは、それでもなお規格に合うことのできなかった、
「みんな一緒だとワクワクするよな!」
僕の食べる速さの約5倍のスピードでソイレント・ブラックを平らげてしまった、同級生の相原が言う。サークルはサッカー部。バイトは飲食店。親戚皆大卒。
「修学旅行とか、林間学校とかさ。昔から大好きだったんだよ!」
「歳考えろ、ボケ。無邪気ぶっても今じゃ夜な夜な彼女とやるのが大好きなくせに」
毒舌、というのが、一応まだ世間一般の大学生に認められたキャラクターのカテゴライズとして機能している。きっと罵倒ギリギリのユーモアや皮肉というものについて、突き詰めて考える頭を持った人間がいなくなったせいだろう。誰も、その本当の価値などわからないのだ。皮肉屋たちの愛書など知らない、故に古人が同じような表現を使っていたことさえも知らないし、興味も持たない。彼らにしてみれば、理解できないものはとりあえず先人の崇めたように、微妙な位置まで下がって形ばかり崇めておくしかない。「お前は毒舌だなぁハハハ」と言って。独創性や遊び心など到底理解しえない気味の悪い心理作用にすぎない。マニュアル通りに実用的価値のあるものを生み出すこと、それだけが僕の同級生達にとっての創造なのだ。だからこそ、言葉のどぎつさとは裏腹に、満面の笑みで友愛たっぷり、自信満々に振舞っておけば、どうとでも言いくるめることができる。もはや皮肉は、異星の言葉で罵るのと変わらない、超少数の者にのみ使用を許された特権言語になっていた。
まあつまるところ、死にゆく種族の死にゆく言語でしかない。
「アハハ」
そして相原はやはり怒らなかった。持てる者特有の、何にも激怒することのない、自分の美しく安定したメンタルを誇示する他にはなんの意味も持たない空っぽの笑顔を浮かべただけだった。僕は「冷笑」とかつて呼ばれた類の笑みでそれに答えた。冷笑の意味を、もちろんGPA最上位の相原は知っている。
「そうやって、あまりバカにしないでくれよ〜! 冷たいなぁ。俺だって緊張してんだよ。優しくしてくれたっていいじゃんか、なあ?」
緊張? 緊張ね。
「うん、そうだな。ごめんな」
僕は自分の分のソイレント・ブラックを相原に差し出した。目の色が変わる。手からひったくられる黒いバー。よだれが相原の口からとうとう漏れる。
毒舌キャラが未だ存在を許されているのには、もう一つ理由がある。皮肉屋はすぐ切り捨てることができて、軟膏のようにさっと塗るだけで自尊心を癒すことのできる、便利な弱者なのだ。彼らにしてみれば、どうしても笑って流せないことを言われた時や、そうでなくても(大抵はそうでないことの方が圧倒的に多いが)、自分の立ち位置的にそいつが目障りだ邪魔だと思えばすぐ「洒落にならないぞ」の一言、あるいは空気のように無視をするだけで、こちらをコミュニティから排除することができる。社会不適合。ナルシスト。心の病気。大多数と違うことを言う人間は、簡単にそんなレッテルを貼って殺せる。そのことを彼らはちゃんとわかっているのだ。
「うん。許す」
一口かじっただけの僕の配給品を、相原は美味そうにがぶりと頬張る。
「就活生のみなさん! 本日から就活が始まります!」
テレスクリーンもビッグブラザーも、大学生は知らない。大学生でさえ知らない。もう僕の曽祖父の時代には、大学生はほとんど古典文学を読まなかったそうだ。読んでも実用性の高い情報の載った昔の論文までが関の山。それ自体に意味があることを証明できないような読み物はすべて打ち捨てられた。もはや空想は、自由に思い考えることではなく、あらかじめ与えられた厳密な型に沿って、自分一人の力でそれをなぞる反芻作業を指すようになった。
「利福党は若者の皆さんの夢を応援します! 皆さまがご希望の人生を歩めることを願いまして、利福党は、就活生の皆様へ毎年ささやかな支援をさせていただいております!」
上空、はるかかなた。神の声が語りかけるが如く、利福党のバルーンは滑舌の良いボイスを降らす。
「それがソイレント・ブラックです! 我が党は就活期間中、この素晴らしいバーを、就活生に毎日一本ずつ支給しています。ソイレント・ブラックは1本で1日分の栄養を得ることができ、空腹感もまず感じません。忙しい就活生にとって、時間と健康は大切ですよね! これを食べれば、時間を節約して、食費も浮かせることができます。浮いたお金で、自分にご褒美? 友達と息抜きに焼肉もいいですね!」
美しい、はつらつとした声。焼肉食いてえ。咀嚼音混じりに相原が呟く。
「ソイレント・ブラックの原材料は就活に失敗した人間です。でも大丈夫。ご安心ください。工場で適切に加工された人肉には、有害性はありません。感染症や遺伝子汚染の危険性はゼロです。詳細が知りたい方は、利福党の公式ホームページにアクセスしてください。全工場の検査データを毎日更新しております」
上空を見上げながら、僕は甚だうんざりしてきた。こんなにロマンスに欠けるカニバリズムが許されるのだろうか? 理屈はわかっている。ここでは既に人間ではないからだ。過去のどの時よりも大規模に、画一的に行われるようになった就職活動。そこで、政府支給のAIにエントリーシートを査定され、面接官にいくつか質問をされる。そこで一定数以上の人間に「こいつは気に入らない」と判断されるような人間は、既に人間とはみなされない。
ゴミ。ジャンク品。
故に食べることを認められる。
「おい、見ろよ。ジュリエットだ」
悲劇のヒロイン。身近で大切な人が食われて、メンタルクリニック通いになった人間たちの通称。女ならジュリエット、男ならロミオ。相原に肩を叩かれ、雑踏に目をやると、先の放送を聞いてかしくしくとくずおれて泣いているワンピース女が、人混みの流れを川の中の岩のようにふたつに分けている。
「かわいそうになぁ」
「別に」
「冷たいよなぁ、影浦は」
ジュリエットにせよロミオにせよ、その悲しみの持続時間は三カ月と言われている。相原たちに言わせれば「それでも十分すぎるほど長い」らしい。
恋人や友人や家族が食われたのに?
たった100日そこら嘆いたら、元通り?
「まあ、涙が出るだけまだ良いよ。ほんとにヤバい奴は涙も出ないって、なんかで習ったわ。心理学だったかな」
相原の目が唐突に、監視カメラのレンズじみたぬめりけを帯びる。僕の目を見ている。僕の目や頬に、涙の涸れ果てた痕がないか、無遠慮に調べている。そうして調べていることを、僕に暗に示している。俺は、わかってるぞ。お前のこと全部。友情なんてちっとも感じてない俺と、わざわざつるんでる理由もな。不気味で不要な共感が、ねっとりとスライムのごとくこの皮膚に触れる。
長い年月かけて詰め込まれた学校知識のすべて、そして、陰湿で粘着質な生まれつきの性分が、相原を人間監視カメラとして機能させている。
消えちまえば良いのに。
「さて、そろそろ時間じゃないか? 俺は、まずは印刷会社だ。新帝印刷。お前は?」
「ミラキュラス・フーズ・ジャパン」
「ふーん。ま、頑張れよ」
肩をぽん、と軽く叩かれる。スーツの裾を翻し、相原は雑踏に消える。人混みに不慣れなはずの彼が、あれほどスルスルと人混みを掻き分けていけるのは、ひとえに真っ黒なリクルートスーツの恩恵だろう。皆がわかっている。清潔感のある黒い服の内側では、十中八九、人の残骸が今まさに消化されている。
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