9-2
マトリは、パントフィ先生でさえジャドソンの正体を暴けなかったのだと思うと、絶望が体の中を
とんでもない男に目をつけられてしまったようだ。やはりプロックトンを解放するのは難しいのだろうか?
「……マトリさん、その胸につけているペンダントは珍しい色ですね。なんという石でしょうか?」
パントフィ先生が、不意にマトリのペンダントに興味を示した。
走っている時に、胸にしまっていたペンダントが服の外側に飛び出したようだ。
「私が赤ちゃんの頃に握っていたものなんです」
マトリはペンダントをパントフィ先生に手渡し、先生は興味深そうに石を調べ始めた。
「ヒックスから聞いているかもしれないですけど、私は幼い頃お父さんに引き取られた身でして……。その石が両親を探す唯一の手がかりではあるんですけど……」
「なんと、これは驚きました!」
パントフィ先生は暖炉に近づくと、
「これはモアナイトという非常に珍しい石ですよ。私も今まで一度しか見たことがありませんが、しかし間違いありません。この石にはモアナイトの特徴がよく現れています」
「モアナイト?」
一度も聞いたことのない名前に、マトリは困惑した。ヒックスとラフィキを見ると、二人ともさっぱりわからないという顔をしている。
「マトリさん、こちらに来て見て下さい。モアナイトは見かけはブラックオパールとそっくりですが、実は秘密があるのです。さあ」
マトリは立ち上がり、暖炉の近くで膝をついた。石を受け取り、暖炉の明かりにかざす。
黒紫色の石は、有色効果で中心部に赤や黄色、黄緑色などの色が浮かび上がったが、いつもと変わったところがあるとは思えない。
「あの……何が特別なのでしょうか?」
「石の内部を三十秒ほどじっと見つめてみてください。目を逸らさないで」
マトリは言われた通り、有色効果で浮かび上がった小さな赤色をひたすら見つめた。すると、その赤色が
「え!? これって……」
マトリは顔を近づけ、
石の上部にあった小さな赤色が、微かに波打ちながらゆっくりと移動している。よく見ると、石に浮かび上がった色全てがゆっくりと動き、時計回りに、渦を巻くように回転している。
マトリは石を初めて見たかのように凝視した。モアナイトは美しかった。それはまるで宇宙のようであり、マトリは石に吸い込まれるような感覚を覚えた。
「すごい……すごい、すごいわ!」
マトリはすっかり興奮してしまった。俺にも見せてとヒックスの手が伸びる。
「うわ、うわー! すっげえこれ! ラフィキも見てみろよ。なんで今まで気がつかなかったんだろうな」
「ふふ、意識して見なければ分からないほど光はゆっくりと移動しますからね。しかも明かりにかざさなければ、有色効果も確認できません。普通に見ただけでは中々気づきますまい」
パントフィ先生は、若者がはしゃぐのを嬉しそうに見ている。
「この石は珍しい石なんですか? どこで採取できるのでしょう?」
マトリは尋ねた。
「いい質問ですね。この石は非常に珍しい石です。市場にはほとんど出回っていませんし、存在すら知らない人もいます。本物を見ても、ブラックオパールと勘違いしてモアナイトと気がつかない人もいます。
しかし、私の知る宝石商が言うには、価値を知る人に売ればこの石の値段は天井知らずだそうですよ。宝石商の間では『幻の石』や、『モアの宝石』『モアの命』などと呼ばれていますね」
動く光の秘密を知った時とは違う興奮が、漣のように胸に広がった。「モアの宝石」の「モア」が、伝説の鳥モアであることは間違いない。「モアの命」ということはつまり……。
「もしかして、この石が採取できる場所って……」
「お察しの通り、モアの体内から採取できる石です。モア自体が、この国から消えかかっている貴重な鳥ですからね。希少な石となるのは当然でしょう」
マトリは今初めて知った驚きを事実を、ひとり噛み締めた。自分はモアに運ばれてお父さんのもとにやって来た。昨日はモアの声を聞いた。そして自分の出自の手がかりとなるかもしれない石は、モアの体内から取れたものらしい。
ヒックスとラフィキは二人で体を寄せ合って、まだ石を見ている。
マトリはパントフィ先生の横へ静かに移動すると、ひそひそ声で話しかけた。
「あの……パントフィ先生? ちょっとご相談したいことが……先生を頼ってもよろしいでしょうか?」
パントフィ先生は目をキラキラさせ、マトリにだけ聞こえるひそひそ声で返した。
「なんなりと、マトリさん。なんなりと」
「あのですね……実は私……信じられないかもしれないですけど……赤ちゃんの頃モアに連れられてお父さんの家に来たらしいんです」
「なんと! それは
「はい。それに、もしかしたらモアの声を聞いたかもしれないんです。モアが私に話しかけたんです——」
マトリは、十五年前プロックトンの前にモアが現れたこと、昨日森に入った時に初めてモアに出会えたこと、その時頭の中に響いた不思議な声のことをパントフィ先生に話して聞かせた。
「パントフィ先生は信じて下さいますか? その……私の気がおかしくなったとか、やっぱりそう思いますか?」
マトリは不安に思いながらパントフィ先生を見上げた。
「もちろん普通じゃない人に見られるのは分かっています。目だってこんな色だし。でも、どうしても聞いてもらいたかったんです。だってお父さんも今はいないし……」
マトリはパントフィ先生が答える前に急いでそう言った。もしパントフィ先生に「ちょっとおつむがおかしい子」というような目で見られたら、クロユリに嘲笑されるより何倍も傷つくだろう。
パントフィ先生はほっと小さく吐息をもらした。そして、薄茶色の瞳に光を称え、優しい口調でマトリに話した。
「マトリさん、それは素晴らしい体験ですよ。事実は小説よりも奇なりと言います。学べば学ぶほど、働けば働くほど、いかに自分が何も知らないかを思い知らされます。
知識を集め、学び、働いて知ったことは、いかに自分が何も知らない人間かということです。マトリさんが私の知り得ない体験をしたからと言って、なんら不思議なことはありますまい」
「じゃあ先生は、私のことを信じてくれるんですね」
マトリは、胸の中に絡まっていた解けにくい糸が一本解けたような、スッとした気持ちになった。話して良かったと、心からそう思った。
「それにしても、マトリさんとモアは深い縁があるようですね。私はモアのことはよく知りませんが、私の知り合いにモアに詳しい研究者がいます。ジャスパー・マーチンという男で、チュロスフォード市の大学で研究をしている鳥類学者ですよ。
彼は昨今の森林伐採や開発、
もしマトリさんに気があるなら、彼を紹介することができますよ。マトリさん、興味はありますか? マーチン博士なら、もしかしたらマトリさんの体験に説明をつけることができるかもしれません。それに彼は、モアナイトにも詳しいですよ」
マトリはこの思いがけない話を聞いて、微かに胃が震えた。嬉しい反面、手を出すのが少し億劫な気もした。モアとモアナイトの秘密を紐解いていけば、いずれ自分の出生の秘密にも行き着く気がしたからだ。
どのような真実が待っているのか、今はまったく見えない。それを受け入れるだけの準備が、マトリにできていると言えるだろうか。
そんなマトリの気持ちを察してか否か、パントフィ先生はそっとマトリの肩に手を回した。
「大丈夫ですよ。あなたは一人じゃない。ほら、見てご覧なさい」
パントフィ先生の指差す方を見ると、ヒックスとラフィキが急いで石を観察するフリをした。しかし、どう考えても直前まで盗み聞きをしていたのは明らかだった。
「私、会ってみたいです。マーチン博士に」
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