第6章 町庁舎と警察署
6-1
次の日の早朝、マトリは日の出と共に起き、急いでヒックスを叩き起こしにかかった。ヒックスの部屋も警官たちに荒らされていたはずだったが、なぜがそこまで変化がないように見えた。
ヒックスの好きな歴史小説の山を超え、脱ぎ捨てられた靴下を脇に押しやってベッドに近づいた。ベッド脇に落ちていたかじりかけの古いリンゴを踏みつけて転んでしまい、
「何すんだよぉ〜」
ヒックスは頭のてっぺんまで掛け布団を引っ張り上げながら唸った。布団の端から、オレンジ色を帯びた金茶の髪がいく束か見えている。
「俺は朝に弱いんだよ。ほっといてくれぇ」
「だから起こしに来たんでしょう。ヒックス、起きなさい、起きるのよ! 起きなさいってば!」
マトリはヒックスのベットから掛け布団を全部はぎ取った。ヒックスはひぇっと言って、
「町に行くんじゃなかったの? 起きなさい、ヒックス・ウォーカー!」
ヒックスはしばらく寝ぼけていたが、だんだんと記憶が
「なんで日の出前に起こさなかったんだよ! 今日は忙しいのに!」
「まあ! 他に言うことがあるでしょう!」
ぷりぷりしているマトリ残して、ヒックスは階段を転がるように降りた。が、サスペンダーを忘れてズボンが途中で脱げてしまい大慌てで引き返した。
台所に下りると、ラフィキが眠そうな顔でもう座って待っていた。
「師匠の部屋に、カビみたいなものがの生えた丸いガラスの皿がたくさん落ちていた。あれは何だろうか?」
「あー、あれね。お父さんの大切な趣味なんだって。ごめん、掃除してなかったけど、寝れなかった?」
マトリはコーヒーを入れながら答えた。
「いや、問題ない……」
ラフィキはそれ以上何も言わずに、マトリの出したコーヒーを一口飲んだ。
マトリは朝一番で町の商店街に出かけた。いよいよ道場に食料が全くない状態となりつつあった。今朝見つけたのは、食べ残しのカチカチになったパンだけだった。ラフィキは道場に残って、菜園で何か食べれそうなものがないか探している最中だ。
朝一で正解だったとマトリは思った。人通りは少なかったが、それでも人々の視線を感じないわけにいかなかった。
立ち止まって盗み聞きする勇気はなかったが、二、三人で固まって何かを話している婦人たちの視線がチクチクと首筋に刺さる気がした。その度にマトリは落ち着かない気分になり、早足になった。
食料品店が開くと、マトリは飛び込んで必要なものだけを急いで買った。食料品店の店主は元から無愛想な人物なので特にいつもと変わりなく、マトリの心はそれほど痛まずに済んだ。
マトリはかなり軽くなった財布をポケットに戻し、紙袋を持って歩き出した。プロックトンが預けてくれていたお金はあとわずかしかなかった。
歩きながら、マトリはプロックトンのことを考えた。逮捕されてから一晩経過した。お父さんは今どうしているのだろう。取り調べは一晩中続いたのだろうか?
マトリはなるべく人気の少ない道を選んで、プロックトンのことを考えながらぼんやり歩いた。そうするうちに、気がつけば町の庁舎の前に来ていた。
庁舎は重厚なレンガ作りで、アーチ型の玄関ポーチには細かい装飾が施されている。
庁舎の前には芝生を敷き詰めた広場があり、数日後にはここで森林開発についての住民説明会が開かれる予定だ。
庁舎と同じ敷地内にカイコウラ警察署もあった。灰色の石造りで、庁舎よりも殺風景な印象だ。
あの建物の中にお父さんもいるんだ。マトリはゴクリと唾を飲み込むと、警察署にそっと近づいてみた。入り口に立っている制服を着た警察官にギロリと睨まれ、マトリは縮み上がったが警察官は何も言わなかった。マトリは恐る恐る警察署へ一歩足を踏み入れた。二歩目からは小走りになった。
警察署の中も外見と同じく殺風景な印象だった。壁は灰色で、事務所らしき場所には木の机や椅子がかなり狭苦しく詰め込まれていた。天井の所々から、「生活安全課」や「地域課」など書かれた木の札が吊り下げられている。
マトリは「受付」と書かれた木の札が下がっているカウンターに近づいた。受付の向こうには、そばかすだらけの男性警察官があくびをしながら座っている。
「あ、あの……」
「はい、なんですか」
警察官はめんどくさそうに答えた。
「昨日の昼にプロックトン・グレイビアードという人がこちらに来たと思うんですけど」
そう告げると受付の警察官は眠気が吹っ飛んだようで、あやうく椅子から転げ落ちるところだった。そばかすの警察官は座り直すと、まじまじとマトリを見つめた。事務所にいる人たちも首を伸ばしてマトリを見ようとしているようだ。マトリは首筋が熱くなるのを感じた。普通に仕事を続けてくれればいいのに。
「あの、面会することはできないでしょうか? 私は娘のマトリカリアです」
マトリはおずおずとそばかすの警察官に尋ねた。
「残念ですけど、今取り調べ中なのでできないですね」
そばかすの警察官が気の毒そうに答えた。
「ほんの少しでいいんです。顔を合わせるだけでも……警察の方が一緒でいいですから」
マトリは懇願した。
「お嬢さん、帰って荷物をまとめた方がいいですよ」
「でも……」
「さあさあ、いい子だからさ」
そばかすの警察官がカウンターから身を乗り出した。そしてひそひそ声でマトリに話しかけた。
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