No,11

 月曜の朝



 亜子は普段通りに通学して教室に来ていた。


 開き直って柊人と付き合っていることにしてからは、男子の視線が確実に減った気がする。代わりに女子の好奇な視線が増えた気もするが、どのグループにも属さずにいる自分にはそれほど苦にはならない。


 一限目からちゃんと授業を受け時を過ごす。

 ただ先週末のカフェでの時間が未だに謎のままだ。


 婚姻届の保証人になってくれた人たちに挨拶をしに行ったと言うことらしいが、本当に挨拶で終わってしまった。

 あとは手伝いでずっとドリンクを販売していた。


『だから挨拶だろ?』と我慢出来ずに昨日の夜に柊人に尋ねた返事がそれだ。

『それで良いの?』と思うがそうらしいから仕方ない。


 書類上の結婚とは言え、挨拶の類は必要だからと納得してしまおうとした。

 ただ帰りのホームルームを終えた後、担任教諭に『椿と加藤。ちょっと職員室に来い』と言われた時は心臓が止まるかと思ったが。




 職員室に呼ばれたはずが、辿り着いた先は学校長室の前だった。

 飾られたプレートで存在しているのは知っていたが、呼び出されるとは思っていなかった。


 自身の最近の行動を思い出し、校長室に呼び出されるようなことは……彼と付き合っていることになっているぐらいだ。それだったら他にもたくさん居る。

 自分たちよりももっとこう大人の関係な生徒だってたくさん居るはずだ。


「柊人さん」

「ん?」

「何で呼ばれたんですかね?」

「結婚して同棲してるからだろ?」

「……」


 そうだったと頭を抱えたくなった。

 実際亜子は頭を抱えていた。そのままの状態で校長室へと入って行った。




「椿君と加藤さんだね?」

「はい先生」


 2歳年上だが、とにかく動じない柊人を見ていると本当に安心してしまう。

 一歩下がって彼を前面に押して亜子は黙して語らずに徹することにした。自分が喋った方が迷惑になりそうな気がするのだ。


 背中を押されて前へと突き出された柊人は、肩越しで相手を見て苦笑した。


「ここに呼ばれた理由は分かっているね?」

「はい。学校の方に自分がお願いしている弁護士の先生が訪れ、亜子に関する手続きを済ませたからだと思います」

「その通りだ」


 黒い革の背もたれの高い椅子に腰かけている校長はその姿を見せない。

 悪役のボスっぽいと思いながら、亜子は背もたれを眺め現実逃避していた。何よりも彼が自分の手続きを進めてくれたことを知って、嬉しくて仕方なかったのもある。


「分かると思うが、この学校では男女の交遊は常識の範囲内で許している。だが君たちはその常識の範囲を逸脱していると言わざるを得ない」

「ですね」

「……分かっているなら今後気をつけることだ。良いな?」

「はい先生」


 クスッと笑い、柊人は勝手に来客用のソファーに座りだした。

 慌てた亜子は校長と夫の間で視線を忙しなく動かし……とりあえず柊人の隣に腰を下ろした。


「勝手に座るな?」

「なら悪役のボスっぽく背もたれを見せて座ってないでくれ。それに俺の体のことは知ってるだろう?」

「……せめて相手の許可を得て腰かけることだ」


 立ち上がった学校長がこちらに来る。


 向かいに座った彼は……どこかで見た気がした。

 軽く首を傾げて考えだした亜子は、校長の眼鏡をサングラスに変えてみた。ビンゴだった。


「えっと……お兄さんの方ですか?」

「ああ。でも学校長の名前ぐらいは覚えて欲しい物だな」

「だったら名札でもしておけ」


 恐れを知らない夫の言葉に亜子の方が震え上がる。

 それでも校長……向井孝むかい たかしは苦笑してみせるだけだ。


「お前はあの馬鹿叔父のせいで、本当に口が悪いな」

「その叔父があんな場所に連れて行くからな。何処の世に校長がマスターしているカフェがある?」

「正体は隠している。公務員は副業禁止だからな」


 だから室内でもサングラスだったんだと、亜子は納得した。


「あの先生?」

「何かね」

「わたしと柊人さんの関係は、他の先生たちには……」

「秘密にしてある。必要な手続きは私が済ませた」

「お手数おかけしました」


 頭を下げる彼に続いて亜子も下げた。


「それにしても……本当にお前は色々と厄介事を抱えるな?」

「そういう星の元に生まれたんでしょ? 乗ってた飛行機が落ちてサメに群がられるとか貴重な体験もしてますし」

「齧られて死に掛けたのだろう? それで体調は?」

「良くは無いですね。何が悪さをしているのか分からないので」


 フルフルと学校長は頭を振った。


「彼に連絡は?」

「しました。日本で手術の依頼があるそうなので、GW後に来日するそうです。それまでは『死ぬ気で生きろ』と」

「無茶を言う主治医だな」


 苦笑し彼は亜子を見た


「済まないがそこのポットを使って良いので、何かお茶でも頼めるかな?」

「あっはい」


 言われてインスタントのコーヒーを淹れて戻って来る。


「とにかく他の生徒に勘付かれない程度に気をつけろ。その点なら柊人は抜けて安心だと思うがな」

「ええ。問題は第二第三の亜子が現れたら正直恐怖かなって」

「……」


 何も言えず亜子はブラックのコーヒーを口にする。


「まあそちらの問題はお前たちでどうにかしろ。それと弟からの言伝で『必要な手続きは全て終わった』とのことだ」

「何から何までありがとうございます」

「手続きの方は知らんよ。そちらは弁護士である弟の領分だ」


 どうやらあの弟さんが弁護士らしいと知って……亜子は何かが間違っていると心底思った。




(C) 甲斐八雲

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