灰かぶり姫も楽じゃない

甲斐八雲

1章『灰かぶり姫は…』

No,1

 もう死にたい。


 何度も思っていたことが心の中に溢れて止まらない。


 どうして自分はこんなにも不幸なのだろう?


 普通の家庭に生まれたかった。

 贅沢なんて言わない。何処にでもあるような普通の家庭で良かった。


 でもわたしの家庭は違う。たぶん家族ですら無い。


『もうあの子に客でも取らせて稼がせた方が良いんじゃないの?』


 それがわたしの母親の言葉だ。


『でも売春とか、どうやって客を得るんだよ? 下手にアプリとかを使うと、警察の巡回に引っかかるらしぞ?』


 父親の返事がそれだった。


 わたしはそれを震えながら聞いていた。

 自分の部屋代わりの浴室で、息を殺して聞いていた。


 あの2人はわたしを売る気なのだ。家事だってなんだって全部やって来たのに……ついには体を売ることまで望んでいるのだ。


 もう嫌だ。もう嫌だ。もう嫌だ。


 ……死のう。




 清々しい気持ちでとはいかず、今日は朝からどんよりとした気持ちで午前中を過ごした。


 人生最後になるはずの授業では、各教科で教師に答えを問われた。間違えたりもしたけど別に良い。今日で終わりなのだから。

 後は放課後にどこで死のうか考えれば良い。


 出来たら他人に迷惑の掛からない死に方をしたい。


柊人しゅうとって1人暮らしなんだろう?」

「ああ。叔父さんが海外に行ったままでな。お蔭で悠々自適だな」

「うらやまっ! 母親に小言を言われないとか良いよな?」

「小言は無いな。ただし家事は全部自分負担だぞ?」

「……それは嫌だな」

「何ならご飯を作りに来てくれてもいいんだからねっ!」

「きもっ」


 コッペパンをモソモソと食べていたわたしに、クラスメートの会話が耳に届いた。

 お昼休みのこの時間……家庭環境のせいで放課後に自由時間の無いわたしは遊ぶことが出来ない。だから女子たちのグループに加われなくて完全に浮いていた。


 イジメられないのがせめてもの救いだ。


 会話をしているのはクラスメートの男子2人。

 1人暮らしをしているのは椿柊人つばき しゅうと君だ。

 自分のことを自称"老人"と謳う彼は、何かあると『年寄りに無理を言うな』が口癖な変な人だ。ただ1人暮らしをしているのは知らなかった。


「家事をしてくれる人とか居ると助かるんだけどね。俺って老人だから色々と辛いのよ。洗濯とか洗濯板でザブザブとかマジで辛いし」

「ねーよ。いつの時代だよ?」

「結構最近だよ? 俺はいつもそれで」

「あり得ないって」


 笑い合う彼らは本当に仲が良さそうだ。


 でも『家事が出来る人が居れば』という言葉にわたしの中の何かが動いた。

 死ぬぐらいなら、そっちの方が良いのかもしれない。

 彼から悪い噂は全然聞かないし、何より彼女の類もいるとは思わない。


 死ぬぐらいなら……。




「それで俺を後をストーキングして来た訳か」

「……」


 彼の問いに何も言えなくなる。


 放課後、彼の後を付いて歩いて……マンションの入り口で相手に気づかれた。

『何してるんだ?』と問われて恥ずかしくなって逃げ出そうとしたら、ビックリするほどの大雨が降りだして……そのまま彼の部屋へと案内された。


「お願いしますっ!」

「うおっ! マジか?」


 土下座するわたしに彼が驚く。


「家事とか何でもするので、どうかこの家の隅にでも置いて下さい」

「……と、言われてもな? 無理だって分かってるだろう?」

「分かってます。それでもお願いします!」

「無茶苦茶な……」


 頭を掻いてほとほと困った様子の彼がため息を吐いた。


 わたしが無茶を言ってるのは理解している。このままわたしがこの家に住み着くことは、彼を犯罪者……誘拐と監禁の罪を背負わせる行為に等しい。


 先日テレビのニュースで見たばかりだから間違いない。


「……自分の家に居たら売春させられるって?」

「はい」


 疲れ果てた様子で彼は視線を向けて来る。

 どこか暖かで年上の気遣いを感じる柔らかな眼差しだ。


「ここに居たら俺が襲うかもしれないぞ?」

「……」


 分かっている。その可能性は午後の授業中に何度も考えた。

 でも見ず知らずの男性たちを相手に毎日のように体を売るぐらいなら、1人の方がまだ良い。


 それがわたしが出した結論だ。


「望むんだったら何でもします。だから……」

「その覚悟を別の方向に向けてくれよ。マジで」


 ほとほと困った様子で彼はまた頭を掻いた。


「勝手に外泊しても大丈夫なのか? 親が探すだろう?」

「……」


 それは考えてなかった。

 わたしを売りたいあの親なら探すかもしれない。別の理由で。


 でももうあの家には帰りたくない。

 本当に嫌だから。嫌だから。


 ポタポタと涙を溢してわたしは再度頭を下げた。


「お願いします。どうか」

「……分かったよ」

「……」

「今日は泊っていけ。ただし今日だけだぞ?」

「はい」


 何とも言えない感情に、わたしは額を床に押し付けて肩を震わせる。

 わたしの前で座った彼が、良し良しと頭を撫でてくれる。

 それだけ。たったそれだけのことで……わたしの中で何かが切れた。


 声を上げて泣き出したわたしを、彼は何も言わずにずっと頭を撫でてくれる。



 良く知らなかったクラスメートが、優しい人だと今日わたしは初めて知った。

 それがわたし……"椿"亜子つばき あこが体験することとなる不思議な彼との生活の始まりだった。




(C) 甲斐八雲

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