やはり、多くの人間は野生を捨てきれていない。(欲求編)
めそ
自己承認欲
食欲、睡眠欲、性欲。
この三つが人間の三大欲求なんて言われているが、そんなものドブネズミだって持っているくらい、当たり前の欲求だ。
下等生物すら持ち合わせる欲求が人間の三大欲求などと、よくよく考えてみればあまりにも滑稽なことではないだろうか。
なので私は、人間の持つ、動物的な欲求についていくつか考えてみた。
ひとつは、自己承認欲。
自己をより優れた存在と認めさせようとする行為は、群れを作る動物種ではよく見られる。が、しかし、それはより優れた遺伝子を後世にまで保存しようとする動物的本能からくるものだ。
動物的本能かる来る、という点では人間の持つ自己承認欲も同じと私は考えるが、しかし人間は本能を理性で抑制する生き物。自己承認欲は野生動物のそれと比べるとずっと弱いと考えられるかもしれない。
果たして本当にそうだろうか?
野生動物は身体の大きさや力の強さなどで自身の優位性を誇示するが、それは人間もなんら変わりない。世間一般的に、中年太りの男性より筋骨隆々の男性の方が優れているし、痩せぎすの女性より程よく肉の付いた女性の方が優れている。
運動が出来る人間、絵が上手い人間、字を丁寧に書く人間、声が綺麗な人間、顔貌の整った人間、気遣いの出来る人間、などなど、『醜』より『美』の方が優れていると考えるのは至極当然のことである。より優れた人間は周囲の人間からもてはやされ、知らず知らずのうちに自己承認欲を満たしている。
では、劣った人間は?
彼等は当然、彼我を比べ劣等感を覚える。そして、相手に絶対勝てる自身の得意分野をひとつだけでも挙げ、それを持って辛うじて自己承認欲を満たす。しかしある時、彼等は気付くだろう。
自分の得意分野にも、自分より優れた人間がいるということを。
その時、まるっきり諦めて、言い訳ばかりし、相手の揚げ足を取ることで仮初の優越感を得ることも出来る。
あるいは、競争心を燃やし自身を磨き高めようとすることも出来る。
この二つの例はまるっきり逆の行動ではあるものの、とても当然な反応と言える。自身の精神衛生を保つための生理的反応だ。これは、特に後者は群れを作る動物種において時に見ることができる。(リーダー争いに負けた雄ライオンがしばらくして同じ群れに帰ってきて、リーダーの座を奪い取ることがある)
醜美、あるいは優劣による自己承認欲の満たされ具合は、当然個人差がある。そしてやはり、手段も変わる。これに関しては一概に言えないのだが、我の強い人間ほど自己承認欲が満たされにくいことが多い、と私の経験から述べておく。おそらくは、自分自身の中で描く『理想の自己』が世間一般的なものよりもずっと優れたものとして存在しているからだろう。
しかし、『理想の自己』がいくら優れていたからといって、『現実の自己』がそれに見合った存在かどうかは、主観的にしか判断出来ないのが自己承認欲の難しいところだと思われる。結局、自分自身の欲なのだから他者にどうこうできるものではないのだ。
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