信玄の腹

 出浦盛清は、稲葉山城から躑躅ヶ崎館までの帰路を、往路と同じく三日で済ませる。

 七日前と同じく、出浦盛清は主人が六畳間の水洗トイレから出て来るまで待たされた。


「二回連続、用便で待たせてしまった。お主の中の武田信玄は、用便なる人物として残ってしまうのう」

「お気になさらず」


 出浦盛清は、話したく話したくて仕様がなかった報告を、する。

 ありのまま、見聞きした一部始終を伝える。

 報告の途中で二度、信玄は六畳間の水洗トイレに戻って唸った。

 報告を終えると、三度目の水洗トイレ駆け込みがあると思いきや、信玄はサッパリとした面持ちで出浦盛清に語る。


「水軍を作る」


 海の無い武田領で何を? と言いかけて、盛清は今川の領地を得れば容易いと気付く。


「陸路を通っていては、鬼面の忍者や天才軍師の目論見通りに過労死してしまうわ。水軍で速度を得よう」


 出浦盛清は涙ぐんで、自分の主君は桁違いだと感動する。


(やはりお屋形様は、天才軍師の力量でも推し量れる器では無い。十年後を見ておれ、むっつり半蔵。…いや、それまで生きていないか)


「お? 良い思い出し笑いだのう。美濃で佳い女と性交に成功したのか?」


 思わず笑ってしまった盛清に、信玄が尋ねる。

 隠す事も無いので、盛清は半蔵への『処置』を話す。


「三ツ者の連絡網を用い、服部半蔵の首に賞金をかけました。ああいう男は、敵に回ると分かった以上、早急に…」


 信玄が怒りを露わにして、盛清を睨み付けている。

 盛清には、睨まれる意味が分からない。


「出浦盛清」


 怒りよりも疲れを滲ませながら、信玄は若い人材に諭す。


「勿体ないから、殺すな。十年後、わしが三河を占領して松平家を従わせれば、服部半蔵の構築した情報網も、丸ごと手に入るではないか。わしの情報網が、一気に倍になるのだぞ? な? 勿体ないだろう?」


 言われて出浦盛清は、自分も信濃を信玄に占領されてから仕えるようになったクチだと気付く。

 仕える前は、自分だって信玄謀殺を考えていたものである。


「あ」


 言われてみると、早計である。

 過労死策に対抗する手段を信玄自身が編み出した以上、最優先で多額の賞金をかけて殺す必要もなくなった。


「な? 取り消しに行け。今すぐ!」


 自分のオモチャを飼い犬に咥えられた子供のように、信玄は盛清を急かした。

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