三河戦線、異常なし(4)

 半蔵と月乃は、誰にも尋ねずに駿府城の勝手口まで到達する。駿府城下の地図は、二人とも把握済みである。露店で焼き菓子を買い食いする以外の寄り道はせずに、サクサクと進んで来た。

 門前で入城手続きを待っている間に、月乃がオフの相談を仕掛ける。


「帰りはゆっくり観光しましょうね」


 今の服装は武家の下女コスプレだが、現地に溶け込む為のお洒落な町娘衣装も持参している。

 年頃の可愛い少女にデートに誘われて、半蔵だって嬉しい事は嬉しい。が、


「前向きに検討する」


 主との面談次第で、いきなり多忙になる可能性もある。確約は出来ない。


「半蔵様」


 月乃は、器用に半蔵の顔を斜め上方に睨みつける。


「雇用条件を忘れないで下さいね」

「月乃」

「はい」

「そういう時の顔が、もう一発せがむ時の顔と同じで、エロい」


 月乃は、半蔵の背中をバシバシ叩く。

 周囲には、痴話喧嘩をしている若武者と下女にしか見えなかった。


 

 手続きが済むと、案内役付きで中に通される。

 門番にも案内役にも、三河侍への侮りは見られない。


「噂とは、対応が違うな」


 むしろ、親切で丁寧。

 月乃は、半蔵の油断に釘を刺す。


「鬼の評判を取るような武将に、面と向かって失礼を働く度胸がないだけです」


 言われて半蔵は、地獄耳を集中させてみる。

 特に好き好んで三河の悪口が吹聴する会話はない。

 というか、全く話題に上らない。


(意識し過ぎた。今の主は、ここでは客将に過ぎない)


 半蔵は、主の立ち位置を客観的に見直して、『松平元康信奉』から距離を置こうと改めて努める。崇めるだけなら、バカでも出来る。

 服部半蔵が主人に捧げたいのは、もっと別のモノだ。


 案内された城代屋敷の縁側で、貴公子が鷹匠の少年と碁を打っている。

 半蔵と月乃は、顔を伏せて膝を付いて控える。


「松平殿。服部半蔵殿が来ました」


 案内役の声に、貴公子が顔を上げる。


「よく参った。二人とも、顔を上げよ」


 半蔵と月乃は、反応しない。


「顔を、上げよ」


 貴公子風の青年が三文芝居を続けるので、半蔵は言葉を返す。


「殿からの、お許しが出ておりません」

「ほら、通用しない」


 貴公子コスプレの青年が、鷹匠コスプレの少年を指差して笑う。


「企画も筋書きも、お主だろうに」


 鷹匠の衣装を脱ぎながら、松平元康は苦笑する。

 元康は顔を上げさせてから、半蔵に尋ねる。


「初対面なのに、一目で気付いた訳を申してみよ」

「殿の服を着た本多弥八郎やはちろうは、殿よりも五歳年長です。爪にも、噛んだ跡が有りません。対して、鷹匠姿の少年には、爪を噛んだ跡が有りました」


 松平元康と本多弥八郎やはちろうは、服を元に戻す手を止めて、半蔵を凝視する。


「弥八郎とも、初対面のはずだが?」

「殿と互角に碁を打てる近習は、一人しか知りませぬ」


 服部半蔵とは、一瞥で其処まで見抜ける少年だ。

 静かに、徐々に、朗々と、元康と弥八郎は笑い出す。


「百人斬りが、霞むな」

「これなら、話が早く済みます」

「武辺者は余っているから、有り難い」

「ようやく、殿以外の三河侍とマトモに話せる」


 阿吽の呼吸で紡がれる二人の会話の内容から、半蔵は『感状と褒美を与える』だけでは済まないと踏む。


(それにしても、仲が良いな、この二人)


 半蔵が主と友を値踏みしていると、主の方から半蔵への査定が伝えられる。


「服部半蔵正成まさなり。以後は、時間と場所を選ばずに、俺に仕えてくれ。手足や耳目同然に、お主を使いたい」


 いきなり側近に抜擢である。


「御意」


 望んでいた査定結果に、半蔵の顔が緩む。


(俺の使い方を心得ている人に出会えた、かも)


 半蔵はかなり満足したが、月乃は戦慄を覚えた。

 半蔵が並みの武将の器でない事は、共に仕事をすれば誰でも気付く。

 伊賀の里から出稼ぎに来た者達は、一年で半蔵を『将来最も出世する伊賀出身者』と見込んだ。

 だが、三河の若殿は、瞬時に月乃よりも高い評価を半蔵に付けた。

 尋常の人物鑑定眼ではない。


(ここまで高いと、逆に怖い)


 小姑精神とは別の危機感から、月乃は元康に心酔しないよう、留意する。

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