第68話 歪曲  ドラゴンとミノタウロス

 


 ドラゴンに呼び出されたミノタウロスは何も言わずに黙り込んでいた。呼び出されたのは男と女、そして彼等の子供の3名だった。

 男のミノタウロスはユリウスの姿が見えないことを訝しがり、彼の香りを感じようとして鼻を動かしたが、次第にその目に激しい怒りと憎しみの色が現れた。荒い息を吐き出し、自らの体の何倍以上もあるドラゴンに向かって飛びかかろうとして身構えた。


「大切な話がある。

 お前達を呼び出したのは、争う為ではない。」

 と、ドラゴンは静かな声で言った。


「ユリウス様の身に、一体何が起こったのですか?」

 男のミノタウロスは低い声で言った。


「我が知っている、そして我が見た、全てを話そう。」

 ドラゴンはそう言うと、ドロドロと崩れ落ちていった左半身の水溜まりに息を吹きかけてかき集め、丸い水晶玉を作り上げた。

 弱々しくなった手で水晶玉を撫でつけ、語り継ぎたい全てを水晶玉に映して見せた。

 両親のはるか後ろの方で、子供のミノタウロスが水晶玉に映った光景を、今目の前で起こっているかのような錯覚に陥りながらガタガタと震えながら見ていた。


「貴方が…ユリウス様の邪魔をされたのですね。

 ユリウス様のお考えは貴方のような者には分からなかった。

 今すぐにクリスタルの封印を解いて、僕達の光を返してください!」

 男のミノタウロスは声を荒げた。


「神自らがユリウスを止められ、彼自身も神の意志に従い、クリスタルに力を封印された。

 神の決定には何者も逆らえない。

 神の領域に踏み込んだ神に最も近いユリウスは、神の意志を直接聞く事ができる選ばれたる魔法使いだ。

 時間を与えられたのだ。

 人間が美しさを取り戻すことができると思われたのかもしれない。最後に勇者は望みを口にしたのだから…たとえ、それが叶わぬ望みでも。

 2人の勇者の友情と言葉を聞いて、人間の可能性を感じられたのだろう。」

 と、ドラゴンは言った。


「美しさ?美しさなど、人間にはありませんよ。

 奴等は狡猾なだけです。勇者だって、ユリウス様の優しさにつけ込んだんです。

 そういう小賢しい事が平気でできるのが、人間なんです。

 たった数ヶ月しか人間と一緒にいなかったくせに、しかも3人の男としか関わっていないくせに、分かったような口を聞かないでください。

 貴方は人間の恐ろしさを何も知らない。

 人間の闇の部分を何も分かっていません。」

 男のミノタウロスは吐き捨てるように言い、ドラゴンを憎しみのこもった目で睨みつけた。


「それほどまでに人間が憎いか…」

 ドラゴンがそう言うと、女のミノタウロスも恨みのこもった目で睨みつけた。


「えぇ、憎いです。

 人間に大切な子供を殺されたのですから。いつまで経っても、人間が憎くて憎くてたまりません。

 ユリウス様だけが私達の話を聞いてくださり、力を与えてくださいました。私達の光を返してください!」

 女のミノタウロスは大声でドラゴンに向かって言い放つと、その場に泣き崩れていった。男のミノタウロスもしゃがみこんで妻を抱き寄せた。殺された子供を思いながら、互いに抱きしめ合うと、苦しい感情が全身を駆け巡った。


「我には、我の役割がある。

 それを果たす事が、創造者の願われた事だ。

 勇者を守らねばならない。人間を救わねばならない。

 クリスタルの封印を解く事は、我にはできない。

 お前達の苦しい気持ちも分かるが、これ以上お前達に人間を殺させるわけにはいかない。」

 と、ドラゴンが凛々しく低い声で言った。


「貴方が果たしたのは表の役割です。その裏に込められた本当の役割を果たさなかった。

 貴方は、ただの事なかれ主義です。

 そんな貴方には僕達の気持ちは分からない。

 だからこそ力を持ちながら、戦いの末にこんな方法を選択したのです。

 事なかれ主義の最たる例である、現状を何も変えずに弱い者に我慢を強いるだけの方法をとったのです。

 この戦いを無意味なものにしたのです。

 僕には、そう思えてなりません。」

 男のミノタウロスはそこまで言うと言葉を切った。そして激しい怒りの感情を剥き出しにし、ドラゴンに挑むように立ち上がった。


「貴方が美しいと言った人間がどんなに恐ろしいか教えてあげましょう!

 僕達にはこの子以外にも息子と娘がいましたが、人間に殺されました。

 僕の息子は人間の男達に執拗に追いかけられた挙句に酷い暴行を受けました。息子は外に出るのが怖くなり、狭い洞窟から出ることが出来なくなりました。

 人間に会う事を怖がり、昔のように笑えなくなり、何をしても楽しみを感じられなくなってしまったんです。生きていくのがしんどくて息をするのも精一杯で、人間の男達の恐ろしい残像に日々悩まされました。起きていても寝ていても、何かの拍子に奴等の影が襲いかかってくるんです。

 それが、どれほど苦しい事なのか貴方に分かりますか?

 分かるはずがありません。美しさを取り戻せるや可能性があるなどと言っている貴方には!

 息子の心に消えない深い爪痕を残し、人生を変えてしまったんです。僕が少し目を離した時に、自ら生命を絶ったのです。

 僕の息子は死にました…けれど…奴等はのうのうと生き続ける…息子にあんな酷い事をしていながら…いえ、その事すらも覚えていないでしょう…。そうして罪を裁かれる事のない奴等は味をしめて、何度も何度も同じ事を繰り返していく。

 そんなの許せない!

 人間の男は僕の子供の心を壊し、自殺に追い込んだんです。

 だから、僕は人間の男の体を壊しました。

 これで同じです。僕は同じ事をしただけです。

 壊すのなら、壊されて当然です。

 そんな連中を救う価値などありません!」

 男のミノタウロスは憤慨しながら言った。



「憎しみでは、何も生まれない。

 お前の息子が死んだのは、とても悲しい事だと思う。だが、お前が殺した中には、罪のない人もいたかもしれない。

 それに息子は復讐を望んでいたのか?復讐をしたお前自身も苦し…」


「貴方はそうやって綺麗事だけを並べ立てるんです!」

 男のミノタウロスは大きな声で、ドラゴンの言葉を遮った。


「とても悲しい事!?よくもまぁ、そんな言葉で息子の死を語る事ができますね!

 何も生まれない?そんな事はありませんよ!

 僕の心に、満足感は生まれました!

 息子を苦しめ続けた人間に牙を向けた事で、空っぽの感情は少し満たされました!

 それに罪もないですって?息子が痛めつけられていたのにニタニタ笑っている連中や見ているだけの連中に罪がないと本当に言えるのですか?それを知りながら何もしない奴等の世界に罪がないと本当に言えるのですか?

 いえ、言えません!

 奴等も同罪です!容認した罪がある!

 復讐は僕が望んだ事です、苦しみなどありません。

 僕にとって復讐こそが至上の喜びなのです。復讐こそが、生きる意味なのです。復讐が果たされるのならば死んだって構いません。

 それは僕だけではありません。多くの魔物がそうです。

 貴方には分からないだろうから、復讐する者の気持ちを教えてあげます。

 オラリオンから離れて、ゲベートとソニオを走り続けるにつれて、言葉を発する前に人間を襲う者も出てきました。その者達は月の光で傷が癒やされずに体はどんどん弱くなり、剣や槍で殺されました。えぇ、多くの仲間が殺されました。

 どうして、やめたのか分かりますか?

 彼等は恨みを晴らして死にたかったんですよ。

 家族を友を殺されて、たった1人で生きていく事は無意味に等しいですから。

 ユリウス様は、その事もご存知だったのでしょう。

 だから、わざわざ約束を守れば月の光が傷を癒してくれると仰ったのです。僕にはそう思えてなりません。

 綺麗事に酔いしれている貴方には分からないでしょうね。」

 男のミノタウロスは冷ややかな声で言った。そこにはドラゴンに対する蔑みが込められていた。



「ユリウスの意図は我には分からぬ。きっと、誰にも分からないだろう。

 けれど、他にも道があったように思えてならない。

 我は、お前達がこの先も憎悪にとらわれるのではなく、かつての穏やかな心を取り戻して欲しいと思っている。」

 ドラゴンは測り難い目を男のミノタウロスに向けた。お互いの目には譲れない炎がユラユラと揺らぎだし、どちらも目を逸らさずにお互いを見据えた。


「道ですって?!どんな道があるというのですか! 

 僕達が穏やかとは…貴方は何も見ていない。ただ力がなかったから静かにしていただけです。

 他に道はありません。それは現実が証明しました。

 僕達が言葉を話しても、奴等は見た目が違う僕等の話を聞こうとしなかった。奴等は同族以外は受け入れない腐った生き物なのです。まぁ…人間同士でも殺し合いをしていますが…誰かを痛めつけ苦しむ姿を見るのが元来好きな生き物なのでしょう。

 そう…殺し合う道を選んだのは奴等自身です。

 奴等が話を聞くのであれば、僕達にも心があるという事を力ではなく言葉で訴える事ができました。

 それに王が何故魔物を恐れているのか、その本当の理由を教えてやる事ができました。騎士の剣を抜かなければならない相手が本当は誰なのかを教えてやる事ができたのです!

 先に剣を振りかざし、その道を閉ざしたのは奴等自身です!復讐心をさらに駆り立てたのは奴等自身です!

 それでも貴方は人間を擁護するつもりなのですか?」

 男のミノタウロスはそこで言葉を切り、激しく息をした。



「本当に腐っている。

 貴方だって知っているはずです。

 自分が魔物に殺されないように、他の人間を生贄にする町もありました。自分よりも弱い者には何をしてもいいと思っているんです。だから誰も止めずに、生贄は殺されて縄で縛られていたのです。町ごと燃やしてやりましたよ。そんな奴等は死んで当然ですから。

 もうどうにもならない程に腐っています。

 ここまで腐りきっているのに、他にも道があるというのならば、僕に教えてくださいよ。

 貴方はどうされるのですか?!

 さぁ!答えてください!」

 男のミノタウロスはドラゴンを睨みつけた。


 広場には長い長い沈黙が流れた。

 男のミノタウロスの瞳は憎悪で燃え上がり、ドラゴンに向かって拳を振り上げた。



「僕が、答えてあげます。

 答えは、何もしない。

 貴方に答えを求めても答えないし、助けてはくれないし、何もしてくれない。

 そうやって黙り込んでいるだけです。」

 男のミノタウロスの握りしめた拳の指の爪が手の平に食い込んで血を流した。憎しみの感情はさらに激しくなり、ドラゴンを睨みつけた。


「道があると言いながら黙り込み、我慢だけを強いるのです。

 でも我慢したからといって、報われる日はきません。我慢した先にあるものは、諦めた先にあるものは無力感だけなんです。もうどうにもならないと言って死ぬ者もいました。何も悪い事はしていないのに、ただ普通に生きていただけなのに。

 何処にも救いはなかった! 

 そんな時だったんです…。

 現実を変えて欲しいと願い続けて、目の前に現れたのがユリウス様でした。ユリウス様は僕達の話を聞いてくださり、力と言葉をくれました。本当に…嬉しかった…善良に生きている者には戦う権利があると…おっしゃったんです。

 あの時…満月の夜に…ユリウス様が…僕達に力をくださった時に…どのような顔をされていたのか…貴方に分かりますか?

 いえ、分かるはずがない。

 貴方は黙り込むか綺麗事を言うだけです!」

 男のミノタウロスは大声を上げた。

 ドラゴンの真っ直ぐに自分を見ている目に、男のミノタウロスはつのる怒りと苛立ちを抑えきれなかった。



「それが何故なのか教えてあげましょうか!?

 当事者でなければ、薄っぺらいだけの綺麗事が簡単に言えるからです。

 僕達の嘆きも苦しみも深く知ろうとはせずに、今の貴方のように中身のない正論だけを言う。憎しみでは何も生まれないと馬鹿げた事を言うだけなんです。そして他に方法があったのではないのかと並べ立てる。

 けれど、自らはその答えを出さない。

 そう…自分は深くは関わらず遠くから眺め、ただ自分は善人で賢いかのような言葉を言って、偽りの正義に酔いしれているだけだ!」

 男のミノタウロスはさらに声を荒げた。


「外に出た娘は皮を剥がれて、道に転がっていました。

 死に顔は恐怖で歪んでいましたよ。

 僕はあの子の声を聞くこともできなければ、顔を見ることもできません。もう2度と、あの子に会うことができないのです。

 それなのに娘を殺した奴等は、今も何処かで楽しみや幸せを感じながら生き続けているかもしれない。

 あんな酷い殺し方をしていながら…そんな事を許していいのですか…。

 現実なんて、不平等にできているんですよ。

 ええ…不平等です。

 だから…その不平等に抗う為に牙を向いてもいいじゃないですか…何故僕達だけが我慢を強いられる…何がダメなんですか…」

 男のミノタウロスは目に涙を溜めながら訴え続けた。


「何もしてくれないのに、正論だけを投げつける綺麗なだけの言葉は…僕にとっては…」

 男のミノタウロスは言葉を切った。

 耐え続けた日々を思い出し怒りで体を大きく震わせてから、大きく口を開いた。


「死ねと言われているような気がしてならないんですよ!」

 男のミノタウロスは叫び声を上げた。



「ユリウス様が僕達にしてくださった事を批判するような言葉は、僕は絶対に許しません。

 苦しんだ事のない貴方の薄っぺらい言葉は特に許しません。

 ユリウス様が魔法使いの子供達を苦しめ続けた人間の男達を、どのような瞳で見ていたのか分かりますか?どれほど耐え抜かれたのか分かりますか?

 魔法使いである以上は導かねばならなかった。

 神とは、恐ろしい御方です。

 魔法使いであるユリウス様に、魔法使いの側にだけ立つ事を許さなかった。貴方には分からないでしょうね!

 ただ人間の側にだけ立っていればいい貴方には!」

 と、男のミノタウロスは叫んだ。



 男のミノタウロスは今度はドラゴンを批判するような目をした。 


「貴方は…力を持ちながら惨めな選択をしました。

 人間を救わねばならないと言いながら惨めな選択をしたのです。望みを口にした弓の勇者に、どうして残された貴方は進むべき道を示さなかった!?

 叶わぬ望みでも、ユリウス様の前で望みを口にしたのだから、勇者は生命を賭けて、その役割を果たさなければならなかったのです!

 貴方はこのダンジョンに力を注ぐのでなく、勇者に力を注がねばならなかった!

 3つの国の人間に真実を告げて、勇者がさらなる困難に立ち向かい苦しむ事になったとしても、それが勇者の本来あるべき姿でしょう?苦しむ事を知らずに勇者にはなれません!本当に救わねばならない者が分からないからです!

 そうだ…勇者が弓を掲げれば、腐った国に一石を投じる事ができました。それにオラリオンの騎士の多くは目を覚まそうとしていました。勇者に付き従ったでしょう!さらに時間が経てば忘却の魔法の反動で愚かな王は死に、その頃には魔法使いの子供達が本来の力を取り戻します。彼等も、力になるでしょう!

 聖なる泉の位置するオラリオンから世界の夜明けが始まるのです。

 どうして、弓の勇者にその道を示さなかった?

 それこそが勇者を守るという事なのではないのですか?

 貴方は勇者を守らずに、フレデリックという男を守ったのです!

 勇者という名を陥れ、フレデリックの事もただ弓を携えた男にしてしまったのです!」

 男のミノタウロスが大声で叫ぶと、しばらくの沈黙が流れた。


「知っていた。

 オラリオンの騎士達の心が王から離れつつあると知っていた。国が危機に瀕しても何もしない王を見て、目を覚ましつつあると知っていた。

 だがフレデリックは騎士の心を動かす事はできないだろう、彼はもう人を信じる事はできない。

 それに騎士だけではなく、国民の心も動かして気高さと誇りを呼び覚まさせなければならない。

 それこそが英雄だ。

 選ばれたる英雄が失敗すれば、世界に何が起こるか分からない。神とは、慈悲深くも恐ろしい御方だ。

 絶望に打ちひしがれる彼を見て、我にはどうしても英雄が背負う重荷を、彼1人に背負わせる事は出来なかった。

 あまりにも荷が重すぎる。

 彼の中に次なる希望は生まれないと思ったのだ。

 だがフレデリックは立派な男だった。英雄にはなれなかったが、立ち向かった勇者だった。最後に弓を引けたのは、彼自身の力だ。」

 と、ドラゴンは言った。


「勇者となる選択をしたのは彼自身です。

 困難に立ち向かわなければならない事は、初めから分かっていたはずです。真実の重さによって投げ出すぐらいならば、彼は勇者になるべきではなかった。

 人間なんて、滅びればいいんですよ。」

 と、男のミノタウロスは言った。


「人間が、いつかは滅びる事は決まっている。

 だが、その時を延ばすことができる。

 神が5つの国の魔法使いの王の中で、何故ユリウスを選んだのか、お前ならその本当の意味が分かるはずだ。

 神の領域に踏み込ませた男が、何故はじめに神によってつくられたオラリオンの魔法使いの王ではなくユリウスであったのか。

 他の王なら既に人間を滅ぼしている。こうまで時間は与えない。

 それが、神が、ユリウスを選んだ理由だ。

 この意味が、分かるな?」


「分かりません…分かりたくもありません。」


「我は彼が魔法使いの時に、時間をかけて叶えようとした望みを大切にしたいのだ。

 我は何としてもユリウスを光の道へと導く者としたいのだ。これ以上闇をまとわせたくはない、光をまとわせたいのだ。」

 と、ドラゴンは言った。


「人間は道を踏み外し続けます。

 神の目を盗み、蕾でしかない花を手折るような者達です。人間の本質は傲慢で愚かにできているのです。

 こんな事なら魔物が勢力を結集して、さっさと全ての人間を喰い殺しておけばよかった。人間がいる限り、ユリウス様ははかりにかけ続けなければならず、永遠に苦しみ続ける。」

 それから男のミノタウロスは一言も口を利こうとはしなかった。しゃがみこみ、泣き続ける妻を抱き締めていたが、近寄ってきた息子の怯え切った顔を見ると安心させるように背中を撫でた。






「ユリウスを愛していたのだな。」

 と、ドラゴンは言った。


「今も、愛しています。

 僕達の話を聞いてくださった、たった1人の御方です。

 僕達の為に涙を流してくださった、たった1人の御方ですから。」

 男のミノタウロスは妻を抱き締めながら震えた声で言った。





 ドラゴンは肩を震わせている男のミノタウロスをしばらく見つめていたが、重々しく口を開いた。


「ミノタウロス、時間があまりない。

 我はお前に頼みたい事があって呼び出したのだ。これはユリウスの為にも頼みたい事だ。

 聞いてくれるな?」 

 ドラゴンがそう言うと、男のミノタウロスは冷たい目でドラゴンを見た。



「我は今から残された右半身の全ての力を使って、様々な魔法をダンジョンに施す。

 魔物がダンジョンから出られないように、また何者も入って来れないように封印の魔法を施す。

 20階層の最奥に新たに石の扉の部屋を作って、我がさらなる魔法陣を施してそこにクリスタルを封印し、ユリウスは長き眠りにつく。

 そして魔王はユリウスではなくドラゴンであったと、魔物達の記憶をすり替える。ここにいるお前達以外の全ての魔物の記憶をすり替える。」

 と、ドラゴンは言った。


「何という事を!

 仲間から、ユリウス様の記憶も取り上げるというのですか!」

 男のミノタウロスは激怒した。


「そうだ。

 先程のお前の言葉から分かったが、お前達のユリウスへの愛はあまりにも深すぎる。

 ユリウスがクリスタルに封印されていると分かれば、なんとかして封印を解こうと、方法も分からないままクリスタルに触れようとするだろう。

 だが通常の魔物が魔法陣に触れれば死に至る。それでも彼等は止めないだろう。

 我は魔物が苦しんで死ぬ姿を、ユリウスに見せたくはない。

 だからユリウスへの深い愛情を消す為に、魔物の記憶をすり替えるのだ。」

 と、ドラゴンは言った。


「そんな事、許されるはずがありません!

 なんという狂気の沙汰だ!貴方は本当に狂っている!貴方は何もかもを奪うのだ!」

 男のミノタウロスは何度も何度も激しく叫んだ。


「そうだ、だからこそ我は滅びる。この身と引き換えだ。

 それでも我は果たさねばならない。」

 と、ドラゴンは言った。

 

「真実を知っている僕達親子に、魔王はドラゴンであったと仲間に嘘をつけというのですか?そんな事はできません!

 僕達の王は、これから先も、ユリウス様ただお一人です。

 ドラゴンが魔王だと、僕は決して言いません!

 こんな屈辱的な事はありません。

 ドラゴンを魔王と崇めるダンジョンで魔物が生き続けるなんて、ユリウス様に対する裏切りです。死んだ方がましですよ!」 

 男のミノタウロスは大きな声で言った。


「これは、もう決定事項だ。

 ユリウスはお前達が死ぬ事は望んでいない。魔王はドラゴンであるというダンジョンになったとしても、お前達が生き続ける事を望むだろう。

 お前がドラゴンを魔王と呼びたくないのなら、別の名で呼べばいい。」


「嫌です!絶対に嫌です!

 貴方がそんな事をしても、僕が毎日毎日仲間の心に語りかけ、ユリウス様の事を思い出させてみせます!

 魂に刻まれた思いは消えません、仲間は必ず光を思い出します!

 何もかもを貴方の思い通りにさせません!」  

 男のミノタウロスの目はめらめらと燃え上がった。拳を振り上げながらドラゴンに向かって一歩踏み出そうした。


 ドラゴンは力を振り絞り、轟くような声を出した。


「お前は20階層を仲間の死体で埋め尽くしたいのか!

 ユリウスにその光景を見せたいのか!

 ユリウスを悲しませたいのか!」

 ドラゴンがそう言うと、男のミノタウロスは黙り、拳を下ろした。けれど、その顔は沈痛で目からボロボロと涙をこぼしていた。


「お前達を死なせたくない。

 お前達の為にも、ユリウスの為にも、死なせたくない。

 お前達が閉ざされたダンジョンで生き続けられるように、我も、最後の一滴まで力を注ぎ込む。

 お前達が善良である限り、さらなる知恵も与えよう。

 よいな、仲間同士で争いなどするな。」

 と、ドラゴンは静かな声で言った。



「そんな事、貴方に言われなくても分かっています。

 互いに争い合うのは愚かな人間だけです。僕達を奴等と一緒にしないでください。」

 男のミノタウロスは吐き捨てるように言ってから、天井を見上げて身震いをした。



 だが、残された時間が短いドラゴンは構わずに話を続けた。



「このダンジョンは20階層ある。

 1から17階層は好きに使うといい。

 20階層には、我の息子があらたな魔王として君臨する。

 19階層は、お前達が使いなさい。20階層にみだりに魔物を出入りさせてはならない。

 18階層には、いつの日か、特別な力を持った男が生を受ける。

 今は神の怒りを買い、魂のまま磔にされているが、それもやがては解かれる。

 今度こそ、彼の役割を果たす為に、この世界に送り込まれる。

 だが、彼は再び白の教会で生を受ける事は許されない。歪んだ人間の世界に、神は特別な力を持った聖職者を遣わさない。

 となると、次に生まれ落ちるとしたら、ここしかない。

 つまり、男とは聖職者の生まれ変わりだ。」


「聖職者ですって?!」

 男のミノタウロスは仰天して叫んだ。


「あんな男と共に暮らすなど絶対に嫌です!あの男が傍観者となった為に、多くの魔法使いが死んだのです!

 ユリウス様が受け入れられるはずがありません!」  

 男のミノタウロスは苛立たしげに言った。


「今度生まれてくる男は、あの時の聖職者ではない。

 別の魂を持った男だ。

 生まれ変わった男に、新たな道を辿らせてやって欲しいのだ。神は役割を果たさなかった為に、男に恐ろしい呪いを施すだろう。それでも男は生きなければならない、どうか男を助けてやって欲しい。

 男は聖職者の時のように特別な力を持っているだろう。

 その力は、閉ざされたダンジョンでお前達が暮らすのに必ず役に立つ。男が住む18階層には外の世界の知識も与え、いつ何時でもお前達の役に立つように流動的にしておこう。人間の考え方や世界を理解できるように書庫も作ろう。

 お前達が生き抜く為にも、特別な力と知識を持った男は必要だ。仲良くするんだぞ。」

 と、ドラゴンは言った。


 男のミノタウロスの目はまたもや燃え上がった。

 お互いに火花を散らし不穏な緊張が走ったが、男のミノタウロスはもう何を言ってもどうにもならないのだと分かると肩をすくめた。



「ミノタウロス

 これを持ち帰り大切に手入れをし続けて欲しい。我の体が崩れ落ちても、刻み込んだ聖なる泉の加護の力は消えはしない。」

 ドラゴンがそう言うと、男のミノタウロスはギョッとした顔になった。ドラゴンは血まみれの状態の勇者の2本の剣と弓を差し出したのだった。


「お断りします。

 ユリウス様を傷つけ、仲間を殺した武器を僕に見せないでください。すぐに、その恐ろしい武器を処分して下さい。」

 男のミノタウロスは憎くて憎くてたまらない勇者の武器を目の前にすると、体を激しく震わせた。


「いつの日か役に立つ日が来るかもしれない。」

 と、ドラゴンは静かな声で言った。


「風向きが変わる「その日」がやってくるかもしれない。

 いや、やってくるだろう。

 その時に、これらの武器が使えるように手入れをし続けて欲しい。絶望をまとったユリウスの魔王としての力を弱めさせる事ができるのは、この剣と弓しかない。その使命を与えている。

 この武器は使う者の身を守り、力を高め、真の力を最大限に引き出す聖なる泉の加護の力が込められている。聖職者の生まれ変わりが、今は眠っているその力を引き出し、次なる希望の力となってくれるだろう。

 だが、お前達魔物が加護の力を引き出して剣を使うと、生命が危険に晒される。気をつけるのだ。

 よいな!これはユリウスの為でもあるのだ!

 ユリウスが光をまとい、彼が勇者に力を与え、英雄として勇者を帰還させられるようにせねばならない。

 全ては、お前達が愛した魔法使いとしてのユリウスを取り戻す為だ!クリスタルの封印から、ユリウスを魔王として完全に解き放ってはならない。」

 と、ドラゴンは言った。


 それでも、男のミノタウロスは受け取ろうとはしなかった。

 身じろぎもせずに、憎しみの色を瞳に宿し、激しい心の苦しみが彼を襲っていた。

 勇者の武器を手にする事すらも忌々しかったが、ユリウスの顔を思い浮かべると、彼自身どうしたら良いのか分からなくなっていた。

 突然、彼は叫び声を上げた。

 広場中にその叫び声は響き渡り、そのままよろめいて膝をついてしまった。


 ドラゴンは勇者の武器を静かに床に置き、血を拭い取り、武器の手入れの仕方を教え、道具も与えた。



「どのような状況で「その日」がやって来るのかは、我には分からない。

 ユリウスがどのようにして目覚め、どのように力を使い、クリスタルの封印が破られるのかは予想もできない。

 だがユリウスを深く愛していたお前達ならば、漆黒の影を感じる事ができるだろう。

 先程の水晶玉は、閉ざされたこのダンジョンで唯一外の世界を見る事ができる。外の世界に異変が起これば、この水晶玉によって気付くだろう。きっと、ユリウスの目覚めの時と関係がある。

 我の息子によく言い聞かせ、有効に使うのだぞ。」

 ドラゴンは男のミノタウロスに言った。



「有効に使う…?愚かな…人間など滅んでしまえばいい…。

 永遠にユリウス様を苦しめる存在…ならば…次で滅んでしまえばいい…何故これ程までに苦しめる…。

 次の勇者も変わらずに、きっと愚かだ…。

 奴等がいなくなれば、魔法使いと魔物と動物の美しい世界になる。誰も苦しまない世界になるのに…。

 最果ての森は、3つの国よりもずっとずっと美しい…このような景色に全て変わればいい…。

 そう…そうだ…有効に使おう…何もかもを思い通りになど…」

 男のミノタウロスは膝をつきながら小さな声で呟いた。しかし、その言葉はドラゴンには聞こえなかった。



 こうしてドラゴンは右半身に宿る全ての聖なる泉の力を使い果たすこととなった。


 最後に、黄金の瞳から大粒の涙を流した。

 その涙が床に降り立つと、聖なる泉が生命をつくりだしたように、新たな生命であるドラゴンの卵となった。


「ミノタウロスよ。

 この子を、新たな魔王として育てて欲しい。

 他者の痛みと苦しみが分かる子に育てて欲しい。

 怒りと憎しみの感情を抱きやすく、多くの欲望にも駆られ、満ち足りる事を知らぬ子であれば、絶望に囚われ、恐ろしい事が起こるかもしれない。そうはならないように、優しい子に育てて欲しいのだ。

 我が果たせなかった本来の役割を、この子がきっと果たしてくれるだろう。

 希望の光を取り戻してくれよう。

 この子に全てを伝える役目を、お前の息子に任せたい。

 我がお前に話した事を、お前からもう一度お前の息子に分かりやすく説明して欲しい。今はまだ小さくて理解できないだろうから。

 すまないが、お前の息子には長い年月を生きてもらうことになる。」

 と,ドラゴンは言った。


「どこまでも自分勝手な方だ。」

 と、男のミノタウロスは言った。


 男のミノタウロスは深いため息をつきながら、ドラゴンを見た。


「貴方は、世界とダンジョンを嘘で塗り固めました。

 そして、自らの子供にも嘘をつき、僕達にも嘘をつかせる。

 ドラゴンが本来の魔王ではないと貴方の息子が知った時に、息子はどう思うでしょうか?

 信じていた何もかもが偽りで塗り固められていたのだと分かれば、心を傷つけて過酷な道を辿らせるだけかもしれません。 

 そうは思いませんか?

 僕達も一つ嘘をつけば、それを守る為にさらなる嘘をつかねばならなくなります。どんどん現実をねじ曲げ、やがては身動きがとれなくなります。

 積み重ねた嘘は全てを粉々にしてしまうかもしれません。

 何もかもが、もっと恐ろしく歪曲するでしょう。

 それでも、嘘を選びますか?」

 男のミノタウロスは冷たい声で言った。



「全てを守る為だ。

 守らねばならない約束だ。」



「最後まで、綺麗事を言うのですね。」

 と、男のミノタウロスは言った。



 ドラゴンは男のミノタウロスに卵を手渡した。その卵はズシリと重たかった。

 そして子供のミノタウロスの頭と体に触れ、子供のミノタウロスが長い年月を生きられるように力を注いだ。


「この子を頼んだぞ。

 この子が成長した時にクリスタルを見せ、魔王としての責任を果たせるように自覚をもたせてやってくれ。

 何か感じるものがあるだろう。

 そしてこの子が全てを知っても、乗り越えられるほどの強さと自信を持ってくれるようになれば、お前から全てを話して欲しい。

 18階層に特別な部屋を作ってある、その部屋で聖職者と共に伝えて欲しい。

 次の戦いは、今回よりも熾烈な戦いとなるであろう。

 絶望をまとったユリウスは、相手のうちに潜む欲望と不安と恐れを感じとり、闇へと誘う言葉にかえる。それでも望みを抱き光を掲げ、絶望と恐怖を乗り越えられるかを試すだろう。

 全てに打ち勝たねばならない。

 勇者だけでなく、この子も試される。出来なければ、のみこまれてしまうだろう。

 次は、ユリウスの剣を鞘に収めさせねばならない。

 この子を頼んだぞ。」

 ドラゴンは最後にそう言い残すと、その体に宿る全ての聖なる泉の力を使い果たした。


 体は水となり、聖なる泉に戻ることなくその場に崩れ落ちていったのだった。


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