第48話 勇者と意味

 


 その日の朝は灰色に曇っていて、今にも雨が降り出しそうだった。風が少し吹いてテントを揺らし、地面に落ちている葉が風で舞っていた。

 彼等は朝食を食べ終えると、陸橋近くの町に向けて出発する前に、ダンジョンに潜る為に用意しなければならない物について話し始めた。


「ダンジョンは真っ暗と考えた方がいいよな。何の情報もないんだから暗い洞窟と考えるしかない。さて、どうやってダンジョンの中を進んで行ったらいいのか…。

 魔法で灯りは作り出せるのか?ダンジョンで使う魔法ならば、使う時を選んでるってことになると思うんだが」

 と、フィオンは魔法使いの顔を見ながら聞いた。


「火の魔法が使えませんので松明のようには無理ですけど、微かな光を杖に灯す魔法なら出来ます。

 ダンジョンの中でお役に立てるかなと思って、ずっと練習していました」

 と、リアムが言った。


「そうか、ありがとう。

 松明の材料を用意しないといけないのなら陸橋を渡る時に荷物が増えるし、最果ての森の枝を使うわけにもいかないしな。

 数百年前から存在する、よく分からないダンジョンで火を使うなんて危険だから良かったよ」

 と、フィオンは言った。


「僕もそう思う。灯りは、リアムにお願いしよう。

 最果ての森は不思議な力で守られていると聞く。あの森の木の枝を勝手に燃やすのは危険だろう。

 右も左も分からないダンジョンに足を踏み入れるのだから長めの杖とロープも用意しよう。生きている物がいるとしたら、床や天井や壁に何か仕掛けがあるかもしれない」

 と、アーロンは言った。


「あと大事なのは食料ね。持てるだけの食料は持っていかなければならないわね。

 最果ての森に行くための陸橋は月に一度だけど、森から出る時も…きっと次の三日月まで待たないといけないのかしら」

 と、エマがため息混じりに言った。


「さぁ、どうだろう。来る者は拒むが、出る者まで拒まないで欲しいところだな。来た人間を早く追い出したいと思えば、陸橋をかけてくれるかもしれん。食料が切れる前に、早く戻れることを願おう。

 干し果物や塩漬け肉、日持ちしそうなパンってところか。持っていけるだけ、持っていかないとな」

 と、フィオンは言った。


「水は、どうかしらね?湧き水が飲めたらいいけれど。喉が乾いてどうにかなりそうになるまでは飲みたくはないけどね」

 と、エマは心配そうに言った。


「あの…なら…自分が先に一口飲んでみましょうか?」

 ルークは勇者の顔を見ながら小さな声で言った。


「それは、僕がしよう。用意した水がなくなったら、僕が先に飲もう。さまざまな毒にも慣れているから」

 と、アーロンが言った。


「でも…」


「ルーク、君はダンジョンに施された封印の魔法を解くことに全力を注いでくれたらいい。

 これは騎士としての命令だ」

 アーロンが厳しい声でそう言うと、ルークは黙り込んだ。エマは少し驚いた目をしながら、騎士の顔を見つめていたのだった。


 それからも意見を出し合って、必要な物と誰がどの荷物を持つかについて話し合っていた。

 話が終わり、食事の後片付けと出発の準備を始めようと立ち上がると、アーロンがエマに話しかけた。


「エマ、昨日は本当にすまなかった。

 申し訳ないんだが、宿屋に着く前に、どうしてもフィオンと話がしたい。少しの間、ここから離れてもいいかな?」

 と、アーロンが言った。


 エマは、しばらくの間、灰色の空を見上げながら考え込んでいた。それから辺りをぐるっと見渡すと、優しい表情でアーロンを見つめた。


「いいわ。後片付けはしておくから、行ってきていいわよ。

 でも、私から見える場所にしてくれないかしら?

 今にも雨が降りそうな嫌な天気だわ。本当に嫌な天気。降り出す前に出発したいから、近くにいて欲しいの。

 そうね、あの辺りがいいかしら」

 エマはそう言うと、少し離れた小高い丘に立つ一本の木を指差した。


「あの木の下なら、私も安心だわ」


「ありがとう」

 アーロンがそう言うと、フィオンは迷惑そうな顔で2人の顔を見たのだった。



 馬には乗らずに緑の大地をまっすぐに歩き、アーロンが先に丘をのぼって行った。木を目指して進み、後ろを歩くフィオンの方を振り向きもせず、木の根本に座り込むまで一言も喋らなかった。


「昨日は楽しかったな、フィオン」

 アーロンはそう言ったが、フィオンは何も答えなかった。


 アーロンが立ったままのフィオンを見つめると、フィオンは刺すような目で見下ろした。


「宿屋で出来ないってのは、どういう話だ?

 そういう話なら、お前とこれ以上する気はないぞ。あの日に、全部終わっただろうが」


「僕が君と話しておきたいのは、ダンジョンには一体何が潜んでいるのかという話だ。それは、今でなければ出来ない。

 立ってないで、隣に座ったらどうだ?

 君が前にいると、エマたちの姿が見えない」

 アーロンがそう言うと、フィオンはしぶしぶ座り込んだ。


「魔物だろう?俺は、そう聞かされている」

 と、フィオンは素っ気なく答えた。


「君は、その目で魔物を見たことがあるのか?」


「お前は、どうなんだ?」

 フィオンは険しい表情をしながら言った。


「僕の国では1匹たりとも見なかった。その痕跡すらもなかった。このソニオ王国でも、そうだった」


「野宿をしている間に、調べてたのか?」

 フィオンはジロリとアーロンを睨みながら言った。


「そうだ。野宿はいろんな面で本当に良かったよ。

 僕は勇者のテントに音もなく忍び寄ってくる魔物がいないかを、野宿が最後となる今日までずっと警戒していた。

 もし僕が魔王ならば、勇者が陸橋を渡る前に殺させ、城門に首を並べて人間の希望を根こそぎ摘み取るよう命令する。

 かつて人間を恐怖におとしいれた魔王ならなおさらだ。

 あれから数百年が経った。今も本当にダンジョンの中で魔物が生き続けていられるのならば、恐るべき知能と力を持っていなければ不可能だ。

 勇者を付け狙い隙を見て、いつかは攻撃してくるだろうと思っていた。簡易なテントで眠っている勇者を襲うのが、手っ取り早いからね。

 空も地上も警戒していたから、訓練された君の鳩を発見出来たんだ。他とは動きも違う、利口な鳩だったから。

 それなのに、魔物は今日まで何も仕掛けてこなかった。もう陸橋が目の前だというのに…。

 火まで焚いて場所を教えてやったのに、魔物の気配すら感じない。闇夜に隠れて襲ってこないのなら、危険な魔物なんて、そもそもこちらの大陸には来ていないんだろう。

 水を汲みに行ったり、町に1人で薬を買いに行くついでに、あちこちを歩き回ったが、その痕跡すら見つけられなかった。

 町の宿屋に泊まって頻繁に1人で出かけると、君の国の王の見張りが君にうるさく言うだろうから申し訳なくてね。

 最果ての森にもっとも近いソニオ王国でもそうだ。

 空も森も、どこにも恐ろしい魔物はいない。

 魔物はこの大陸にはいなかった。

 そもそも恐ろしい魔物なんて、今も存在しているのだろうか?」


「勇者を見て恐れをなしたから襲ってこなかったのかもしれない」

 フィオンが冷たい声で言うと、アーロンは笑い出した。



「魔物だぞ。危険な魔物なら、そんな魔物の頂点に立つ魔王はさらに恐ろしいはずだ。

 もしこちらの大陸に魔物がいて勇者を殺さないのならば、魔王のもとには戻れまい。これは、僕等だってそうだ。

 そうだろ、フィオン?君なら分かるはずだ。

 それに僕は君が村の宿屋に泊まるのを嫌がらないことも、魔物がソニオにもいないと確信させる一つになった。

 盗賊の後に、そう確信したんだ」


「なんでだ?」

 と、フィオンは言った。


「君の槍は悪に向けられていた槍だった。

 もちろん国民の生命を守る為に。

 危険な魔物がいるとしたら勇者の生命を狙うと分かりきっているのに、そんな騎士が、わざわざ宿屋に泊まり、村人や町人を危険にさらそうなどと思わない。

 いくら君の国の王の見張りが宿屋に泊まれとうるさく言おうとも。

 国民の生命を守りながらでは戦いにくくなる。

 けれど、君は宿屋に泊まるのを嫌がらなかった。それこそ、そんな魔物がいないからだ。村や町を魔物から守る為の兵士と騎士もいない。そんな魔物など見たこともないからな。配置するだけ無駄だからだ。

 まぁ君の国では、兵士と騎士が村にいる方が村人も迷惑だろうな」

 と、アーロンは言った。


 フィオンはただ前を見つめるだけで、なんの反応もしなかった。


「それに、君も不自然に思っただろう?

 派手で馬鹿げたお祭り騒ぎの見送りを。勇者一行の顔を堂々とさらし、今この瞬間から旅に出ることを国中に知らしめるなんてどうかしている。

 魔物がどこかに潜んでいるのなら、どうしてそんな危険を犯すのか理解出来ない。

 最果ての森につくのを、困難にさせるだけだ」


「だったらお前は息子なんだから、直接国王に聞けばいいだろう?国王は喜んで、お前にだけは真実を言ってくれるだろう。

 いや、本当はもう何もかもを知ってるんじゃないのか?」


「何もかもというのは、どういう意味だ?」


「この世界の異変の原因だよ。

 あまりに長閑だから、何で馬で走ってるのかを時折忘れてしまいそうになる。

 被害に遭っているのは、聖なる泉が位置しているオラリオンとゲベートだ。聖なる泉の北はオラリオンに接し、残りはゲベートに接している。

 泉のうち、3分の2がオラリオンの領土だ。オラリオンが最も被害に遭っている。ソニオは全くだ。

 そのお前のいう魔物とやらがこの大陸にいないんだったら、誰がその原因を作ったのかっていう話になる。

 一体、誰なんだろうな?

 金のある奴か、他の国を陥れようとしている奴か、それともダンジョンの何らかの力を手に入れようと企む奴なのか?

 おい、どうなんだ?」


「なぜ、僕に聞く?」


「そんな風に思ってるのならば、世界の異変を作り出したのは誰なのか、ずっと考えていただろうが。いや、考えないとおかしい。

 誰が何の目的でクリスタルの話を持ち出し、ダンジョンに勇者を引き寄せているのか。

 国王は、何を考えている?真実は、何なんだ?

 俺はただの騎士だから、その裏にあることまでは教えてはもらえない。王命が下されれば、それに絶対に従うしかない。

 おい、どうなんだ?

 お前は、俺にはもう嘘はつかないんだろう」


「僕は国王ではない。君が聞かされていることと、何も変わらない。

 僕もその原因は分からない。

 僕は君の考えが聞きたかっただけだ。だから、まず僕の考えを話した。

 ダンジョンに潜らねば、真実は何も分からない。

 もともと3つの国は戦争をしているのだから、国王はお互いに猜疑心を抱いて腹の内を探りあっている。真実など言わないさ。

 けれど君の言うように、誰かがダンジョンを開かせようとしているのだけは確かだ。僕たちでは想像もつかない者の手で、ダンジョンへの道が敷かれている。

 僕たちは導かれるままに、その上を歩き、ダンジョンに潜るしかない。手をこまねいているだけならば、ただ破滅に進むだけだから」

 と、アーロンは言った。


 フィオンはアーロンに鋭い視線を向けていたが、その顔が嘘をついていないということが分かると小さな声で言った。


「俺は魔物については分からない。しかし、国王と側近は見たと言っている。ならば、この国にはいるということになる。

 俺は国王の言葉を否定出来ない。これ以上は、言わせるな。

 俺には魔物のことよりも、陸橋を無事に渡れるのかが気にかかる」

 フィオンは険しい表情で遠くを見つめた。



「そうだな…。

 陸橋は通す者を選ぶ。最果ての森は、不思議な力で守られているのだから。

 陸橋で何かが起こればダンジョンには何かがいる。その何かを守るために。陸橋以上に恐ろしい力を持った…何かがいるんだろう」

 と、アーロンも険しい顔をしながら言った。


 灰色の空の色はますます濃くなっていき、吹く風は刺すように冷たくなり彼等は身を震わせた。木の枝は揺れ、葉がヒラヒラと舞いながら、2人の間に落ちてきた。

 フィオンはその落葉を拾い上げると、アーロンに手渡した。


「昨日お前に渡した剣は、どうしてるんだ?」


「どうして、そんなことを聞く?気になるのか?今とは違って、昨日はなかなか渡してくれなかったからな」

  と、アーロンは言った。


「あぁ、もちろん気になる。魔力を込められる両手剣だからな。

 さっきお前が水を汲みに行っている間に、ルークに何か変わったことがなかったのか聞いたんだ。これからも、そうするつもりだ。いつも通りほとんど喋らなかったけれど、何でそんなことを聞くのかって顔をしてたよ。

 リアムはほとんど俺と一緒にいるから、お前は何も出来ない。マーニャには聞いてない。何があっても、女の子を痛めつけたりする男ではないからな。

 あの剣で、何をするつもりだ?魔力を込めてあの剣を使うなら剣身が光り輝く。妙なことはするなよ、俺は見逃さないから」


 その言葉を聞くとアーロンは黙り込み、葉を地面に置くと、フィオンの顔を見た。


「お前がたまに人間業とも思えないことをするのが、俺は気になっている。以前、俺を追いかけて来た時もそうだった。あれは方々捜して来れるような距離と時間じゃない。迷うことなく来たはずだ。

 お前さ、大丈夫なんだろうな?何かヤバイものに手を出してないだろうな?

 お前がマーニャを目覚めさせてくれた時に持っていたあの袋の中に、まだ何か入ってただろう?確かにあの時は助かったが、城の奴等が開発してるクスリのことを思うとゾッとする。

 怪しいクスリには絶対に手を出すな。クスリに頼れば戻れなくなる。心も体も支配されて身を滅ぼすぞ。俺はそういう奴を何人も見てきたんだ」

 フィオンが真剣な顔をしながら言うと、アーロンは静かに微笑んだ。


「何がおかしい?」


「君は本当に優しい男だな。僕のことまで、ちゃんと心配してくれているじゃないか。

 あの時、君を見つけ出せたのはたまたまだよ。これと決めた方角に君がいただけさ。何も特別なことなんてしていない。カンが冴えたというところかな」


「心配じゃない、ただの忠告だ。

 なんで俺がお前みたいな男のことなんて心配しないといけない」

 フィオンは顔を背けながら言った。


「あの時と、一緒だ。君は恥ずかしくなると、僕から顔を背ける」

 アーロンがそう言うと、フィオンはばつが悪そうな顔をしながら片手で顔を覆って隠した。


「ありがとう、フィオン。

 心配してくれたのは嬉しいが、あのクスリは魔法使いにしか作用しない。

 僕の体には、不可能だ。

 僕はただ君の槍を見ていて、君の槍に匹敵するぐらいの素晴らしい剣が欲しいと思っただけだ。

 あの剣は、一体どうやって作られたのだろう?

 何度見ても素晴らしい。卓越した術を持つ刀匠が作ったのだろうな…。今、あれほどの剣を作れる者は、何処を探してもいないだろう」


「さぁな…俺が知ってるのは、俺たちが槍や剣を掲げるように、斧を掲げていた奴等が作ったということぐらいだ。

 しかし、どこに住んでいたかも分からないし、そんな斧を使ってる奴等なんて見たことも聞いたこともない」

 と、フィオンは言った。


「斧か…。

 それは僕も、初めて聞いたな。他に何か情報はないのか?」


「何もない。

 その事を調べたが、文献が何も残されていなかった。その事に触れようとしていた本のページも真っ白だ。まるで後から何者かによって白く塗られたかのようにな。その文献を見ながら深く考え出すと、頭が痛くなるから、それ以上は考えられない。

 まるで魔法にでもかかったみたいだよなって、いつも話してたわ」

 と、フィオンは言った。


「そうか…。

 それにしてもおかしいな…いや、魔法か……」

 アーロンは呟くように言うと、難しい顔をした。


「しかし、本当に良かったよ。

 君は約束を必ず守る男だからな。ありがとう」

 アーロンがそう言うと、フィオンは伏し目がちになった。


「俺にも守れなかった約束があった。

 この生命にかえても守らねばならない約束だった。

 そんなことよりもだ、話を逸らすな。

 なぜ普通の剣にしなかった?お前は魔法使いじゃないんだから、魔力を込められる剣を買ったとしても意味ないだろうが。高い金を払って、何がしたいんだ?」


「そうだな…たしかに、そうだ。しかし持っていたら、役に立つかもしれないと思った」


「思った?そんな願望で、大金を出して買ったのか?

 どうかしてるぞ、お前。毎晩、神にでも祈るつもりか?」

 フィオンは呆れた顔でアーロンを見た。


「この世界を見守ってくださる神はいない。

 もう神は僕等を見放している。

 どんなに祈っても祈っても、願いは届かないのだから。願いを叶えたいのであれば、この手でなんとかせねばならない」

 アーロンの口調は急に厳しいものへと変わっていった。


「お前、騎士の隊長のくせに神への忠誠はどうなっている?

 白の教会で儀式を受けていた時は、畏まりながら跪いていたくせに」


「白の教会は特別な場所だ。

 しかし、あの儀式になんの意味がある?

 特別な力を持った聖職者が、白き杖を持って祈らねば何の意味もない。ただしき教えを説き、人間が愚かな行為を行おうとする時に、それを正して下さる聖職者はずっと現れない。神だけでなく聖職者にすら見放されたんだ。

 だからこそ、数百年前にいた方が《最後の聖職者》などと言われている」


「その意味もない儀式をした中に、お前の親父もいただろうが」

 と、フィオンは言った。


「あぁ、そうだったな。あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れて、下を向いてしまったよ。

 あの儀式は、国民に対するアピールにすぎない。白の教会が今も持ち続けている権威にすがったんだろう。

 勇者の旅を、神聖化する為に。

 だから儀式は受けたが、なんの力も授かっていない」

 と、アーロンは言った。


「なんの力もない…か。

 ならば、かつての勇者は聖職者から力を授かり魔法を使ったのか?」


「分からない。

 どれほど昔に、どの場所で、何が原因でこの世界から去ったのかは誰にも分からない。白き杖も見当たらない。

 何もかもが、失われたのだ」


「なら、かつての勇者は、なぜ魔法を使えたのか?

 魔法使いと人間との子だったのかな?お前は、どう思う?」

 と、フィオンは言った。


「恐ろしいことを言うな!

 この世界の禁忌だぞ。魔法使いと人間が…など絶対にあってはならないことだ」

 アーロンは急に大きな声を出した。


「絶対など言い切れないだろう?男と女なんだ。愛し合うことだってあったかもしれない」

 フィオンはアーロンの様子に少し驚いた顔をしたが、アーロンは構うことなく嘲笑った。


「魔法使いが、人間など愛するはずがない。

 禁忌を犯して生まれた子供は許されざる子だ。

 禁忌を犯せば、世界に禍が降り注ぐ。

 だから、生きていてはいけない子供だ。生まれながらに、罪を背負っている呪われた子だ。

 しかも、その体では耐えられない魔力をも宿すことになる。禁を犯したのだから、いつの日か体は激痛に苦しみ、心を闇のように蝕んでいくだろう。当然の報いだがな」

 アーロンの瞳は、これ以上はないほどの激しい怒りに満ちていた。


「お前、マジで言ってんのか?

 魔法使いと人間が愛し合うことだって、あったかもしれないだろう?なぜ、そこまで言う?」

 と、フィオンは怒った声を出した。


「君は女性を愛したことがあるのか?」

 アーロンが冷たい眼差しを向けると、フィオンは口を閉ざした。


「ないのならば、そんな事をいう資格がない。

 女性を愛したこともない男の言葉など全く説得力がない」

 と、アーロンは冷たい声で言い放った。


「たしかに俺は女を愛したことはない。

 しかし、一つだけ確実に言えることがある。

 生まれてくる子供には何の罪もない。生まれてきた時点でその子の人生はその子だけのものだ。どう生きようが、ソイツの勝手だ。

 禍なんて、この世界にはもう沢山降り注いでいる。今更、騒ぐようなことでもない」

 と、フィオンは力を込めて言った。


「君は本当にそう思っているのか?

 禁忌を犯して生まれた子供は、禍をもたらす者なのだから断罪せねばならない。

 それが、騎士の隊長としての僕の務めだ」

 と、アーロンは厳しい声で言った。


「務めか…。

 罪もない子供を痛めつけることが正しいとはな。たいそうな務めだよな。そんなのが…騎士とはな」

 と、フィオンは低い声で言った。


 フィオンの目は、ここから小さく見える魔法使いに注がれた。遠くからでも、エマと魔法使いが楽しそうにテントを片付けているのが分かるのだった。

 その目には、ルークの怯えた表情、マーニャの震えた手、リアムが涙を流した姿が次第に浮かんでいった。


「その子供の存在は許されない。

 呪われた子供がいるとしたら、世界にこれ以上の禍が降り注がないように、首を刎ねなければならない。

 生まれてきた罪を償わせる。その子も、その父にもだ。

 僕は許さないし、国民も許さない。

 禍をもたらす者には、生きる価値すらもない」 

 アーロンの冷ややかな声には、その者に対する蔑みと憎悪の念が今やはっきりと込められていた。


 フィオンはその言葉に我慢出来なくなった。魔法使いからアーロンの方に目を向けると、怒りと憎しみで濁ったグレーの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「いや、ちがう!

 生きる価値なんて、ソイツ以外の誰かによって決められることじゃない。

 そんな事を言える奴は、何様のつもりなんだ?反吐が出る。

 生きたいから生きる。

 生かされているから生きる。

 多くの人の生命を散らせてきた俺にそんな事は言えないかもしれないが、散らせてきたからこそ分かることもある。

 それが、沢山の生命を奪ってきた俺が思うことだ。

 何の罪もないその子をお前が殺すつもりならば、俺がその子を救う。

 そうだ…本来は…傷つけるよりも、救いたい」

 と、フィオンは言った。

 アーロンがそこまで言う理由が全く理解出来なかったが、そんな事はどうでも良かった。茶色の瞳には激しい怒りの炎が燃え上がっていった。


「君は、本当に救えると思っているのか?

 どこにも救いなどない。

 綺麗事を言うな。

 呪われた子は、殺されて当然だ。騎士でありながら禁忌を許すとでも言うのか?」

 アーロンはそう言うと、フィオンから目を逸らした。濁ったグレーの瞳は、空に浮かんでいる黒っぽいちぎれた雲を睨みつけた。



「お前、おかしいぞ。

 してはいけないってだけだ。

 お前がさっき言ったように、生まれた子の体が辛くなるから、ダメなだけだろう?俺には、そうとれる。

 そもそも禁忌とされた理由なんて、誰も分かっちゃいないんだぞ。禍だって、人間がつけた後付けじゃないか。

 それなのにお前は下らんことを並べ立てて、そんな事をする奴等に傷つける理由を与えてやるつもりか?

 その子が、お前に何をした?

 禁忌だとしても生まれてこれたんだ。なら、もういいだろうが。生まれてこれたんなら、もう禁忌じゃなくなったんだ。神の気持ちが変わったんだろう」  

 フィオンは険しい顔をしながら言った。


「君の方がおかしい。

 禁忌が変わることはないし、誰であっても犯してはならない。

 そうだ…世界中から忌まれる存在である忌み子だ。

 禍をもたらす者は死なねばならない。

 生きてていいことなどない」 

 と、アーロンは言った。その顔には深い憎悪の念が込められていった。


「ふざけんな。

 世界中の全てじゃない。

 どんなけ狭い世界なんだよ、ここは。

 お前は、全ての人間にそう聞いて回ったのか?

 一握りの人間が、そう思ってるだけだろうが。それを全員にすんな!

 俺は嫌いにはならない。その明白な理由がないからな。

 俺には禁忌なんてどうだっていい。人間なんて禁忌以上の事を犯しまくってる。

 だから、間違いだ。俺がいるから全てじゃない。

 お前が言う言葉は、俺には全く理解出来ない」

 と、フィオンは強い口調で言った。


 フィオンは激しい苛立ちを覚えると、思い出したくもない過去を思い出していった。

 見上げた空には見慣れない鳥の群れが飛び交い、耳障りでしわがれた鳴き声を上げた。その鳴き声を聞いていると、自分に向けられた蔑みの声を思い出した。


「うるせぇ」

 と、フィオンは腹立たしそうに言った。


「お前に俺の人生否定されてるみたいで腹立ってきたわ。

 俺は末端兵の出身だって言ったよな!俺は殴られ蹴られながら生きてきたんだ!「殺すぞ」と言われながら、剣を突き立てられた。俺の上半身を見ただろうが、あれは憂さ晴らしにやられた傷もある。

 ずっと「生きてる価値もないから死ね」と言われて過ごしてきた。

 毎日毎日「死ね」や「殺す」や「クソ」と言われながら過ごしてきたんだ。俺がいつ死ぬかを賭けてた奴等もいたしな。

 この国の末端兵は蔑まれる為に作られた存在だからな、どんなに暴力を振るわれようが耐えるしかなかった。殴り返そうなんてしたら、騎士団の規定に沿って殺される。

 だから、俺は上り詰めた。

 俺を殴り倒し「殺すぞ」と言った奴等を足元に跪かせた。

 今になって思えば、本当に奴等はクソだった。1人では何も出来ないクソの集まりだ。あんなクソ共の思い通りにはならないと心に何度も刻んだ。俺の顔を踏みつけた足を、いつかへし折ってやると思いながらな!

 そうだ…俺は「死ね」と言われるたびに「絶対に生き残ってやる!」と自分に誓った。何があっても、何をしても!

 俺が生きている限り、奴等をイラつかせられる。

 俺が生きることが、奴等への復讐だと思いながら。

 そうだ…俺は生きてて良かった。

 絶望の上を歩き、蔑まれた少年時代を過ごしたが、今は生きてて良かったと思ってる。

 その子だって、そう思うだろう。

 どんなに嫌われようが、忌み子といわれようが、生きていればいつかそう思える。

 きっと良くなるんだ。

 どんなに辛くても、良くなる日が来る。

 俺が、そうだ」

 と、フィオンは言った。


「誰もが、君のように強いわけではない」


「強くなる必要なんてない。

 俺は生きることで、奴等に復讐しただけだ」


「復讐か…。

 君はそうして騎士団で生き残ったのか。

 しかし、その子は人間でもなければ魔法使いでもないのだから、生きていく居場所はない。

 どこに行っても忌み嫌われるだろう。生きていくことは許されない。罪を背負っているのだから」

 と、アーロンは低い声で言った。


「居場所がないのなら、俺の側においてやる。

 俺は何人も少年を引き取ってるから、1人増えたところで変わらない。隊長であるうちは、どんな出自の子を俺の隊員にしようが、誰にも文句は言わせない。

 それに俺だけじゃない、他にも俺のように思う男がいるはずだ。

 生きていく場所は一つじゃない。どこかに合う場所がある。

 それに俺は魔法使いたちと過ごしていて分かった。

 魔法使いたちも、その子を受け入れる。いや、受け入れないと思っているのは、一部のクソ共だ。蔑む相手を作って満足しているようなクソ共。

 そんな奴等と一緒にいてもロクな人間になんてならない。

 これでお前の考えは間違いだと分かったか?つまんない事をこれ以上言うな」

 と、フィオンは激しい口調でいった。


「間違いか…。

 しかし、神はお許しにはならないだろう。そう…間違いなんだよ。だからこそ、この世界は見放されたんだ。

 呪いがかかっているのだから、心にも体にも」


「呪いなんてかかってない。

 生まれてきたのには、何らかの意味があったんだ。

 それなのにその子供が罪だというのなら、嫌われている生きていることが許されないというのなら、俺がそうほざく人間の口を全て塞いでやるよ。

 そんな事を言える奴の方が罪だ。

 自分の生きる意味や価値は誰かによって判断されることじゃない。俺の生きる価値を判断した奴等は、全員間違っていたんだから。

 それを決められるのはソイツだけだ。

 誰かに生きる価値もないから死ねと言われて、何故死なねばならない?言う奴等が、死ねばいい。

 そうだ…だったら俺が生きろと言おう。俺が自分にそう言い聞かせてきたように。

 俺は、その子に生きて欲しい。

 お前もこれ以上バカなことを言ったら、一発ぶん殴ってやるからな」


「そうか。

 では君の言うように、生まれてきたことが許されているのなら…神が許しているのなら、僕に証明してみせてくれ。

 口だけなら、何とでも言える」

 アーロンは怖い顔でそう言うと、フィオンを睨みつけた。


「俺が証明するまでもない。

 生を受けたことで、それは証明されている。神が許していないのならば、生まれてこれない。

 呪いなんかじゃない。

 その子も、神の祝福を受けている」

 と、フィオンは怯むことなく言った。




 アーロンはフィオンの顔をしばらく見つめていたが、やがて大きな声で笑い出した。


「祝福か!神の祝福とはこれはまた!」

 アーロンはそう言うと、手を叩きながら笑い続けた。


「君の口から祝福という言葉が聞けるとは!」

 アーロンがもう一度大きな声でそう言うと、フィオンはあからさまに不快な顔をした。


「君がそんな真面目な顔をしてそこまで言ったのだから、僕ももう一度信じてみよう。

 君に殴られるのならば、無事ではすまないだろうしな。気絶してしまう。

 僕も考え方を変えよう。

 しかし、そういうところだ。そういうところだよ!」

 アーロンは今まで聞いたこともないような大声を上げながら、愉快そうに顔をクシャッとさせて笑い続けた。


 フィオンはアーロンのその様子を呆気にとられながら見ていた。


「お前…なんなんだよ!

 俺は、思った事を言っただけだ!そういうところって何だよ!本当に失礼な奴だな!」

 フィオンはアーロンをジロリと睨みつけた。

 これ以上付き合ってはいられないとばかりに立ち上がると、笑い続けるアーロンをおいて歩き出し、エマと魔法使いの元に向かってすたすたと歩いて行ったのだった。

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