第26話 勇者とラスカの町
「そんな名前の町は、地図にはのっていないぞ」
アーロンは地図を見ながら不思議そうな顔で言った。
「地図には存在しない町だ。
あの場所には関わりたくない。橋の近くの村に今夜は泊まろう。落橋すれば、ラスカの町を通ることになる。
さぁ、行こう」
フィオンはそう言うと、足早に宿屋を出て行った。
見上げた空には、小さな雲のかたまりが広がっていた。
フィオンはリアムを馬に乗せると颯爽と走り出した。その後を追うように、アーロンとエマも魔法使いを馬に乗せて走り出した。
ポツポツと雨が降り始めた。昼を過ぎても休むことなく馬は走り続けたが、雨風はどんどん激しくなっていった。ずぶ濡れになりながら、ようやく村に辿り着いた頃には、すっかり暗くなっていた。
村の門は、既に閉まっていた。
一行の体には雨がどんどん吹きつけていき、空には雷が鳴り響くようになっていた。
フィオンは門を叩いたが、何の声も聞こえてこなかった。すると今度は、雷鳴にも負けないほどの大声を出しながら門を叩き始めた。
しばらくして門番が悪態をつきながら歩いてくる足音がした。門番の男は小窓を僅かに開くと、こんな嵐の夜にやってきた旅人を迷惑そうな目で見た。
そこには雨で濡れたマントがまとわりいている屈強な体つきをした男が立っている。濡れて雫を垂らす赤い髪のしたから見える瞳は鋭く光っていた。
門番の目には、困惑の色が広がっていった。何も見なかったとばかりに小窓を閉めようとすると、エマが顔を出した。
エマに気づいた門番はフィオンを見ることなく、エマと話をしながら小さな3人の者たちにも目を向けた。
ならず者ではなく旅人だと確信したのだろう。
ようやく門の錠を外し、一行を中へと入れてくれたのだった。
「どうぞ。ひどい雨の晩ですね。
ここいらは物騒ですからね。悪く思わないで下さいよ。
よろしければ宿屋に案内しますよ」
門番は低い声でそう言うと、辺りを警戒しながら門をすばやく閉めた。
雨に打たれながら門番の後ろを歩いて行く一行を、村の大柄な男たちがジロジロと見てきた。男たちは鎧のようなものをつけ右手には農具を握り、左手には大きな黒い犬を連れていた。
宿屋に着くと、門番が「お客様ですよ」と大きな声で言いながら呼び鈴を鳴らした。
亭主らしき男が2階の窓から顔を出した。
上を見上げながら手を振っている門番の姿を確認すると、ドタドタと音を出しながら下りて来て扉を開いたのだった。
門番は大柄な亭主に一行を紹介すると、フィオンをチラリと見てから足早に戻って行った。
「すみませんね。お疲れでしょう。
今日のような暗い夜は、この村はこうなんで。
近くの町の悪い奴等が、村のまわりをウロウロしていることもありますんでね。さぁ、中にお入り下さい。馬は、そちらに。厩まで連れていかせますので。
お部屋は、6室でよろしいでしょうか?2人部屋も空いてますよ。まぁ、たいていの部屋が空いてます。
夕食はどうされますか?大した料理はないですが、あたたかいシチューなら、すぐにご用意出来ますよ。
どうぞ、おくつろぎ下さい」
客に喜んだ亭主は多弁に喋りながら、一行を客室へと案内したのだった。
翌日、朝を告げる鳥の鳴き声で、リアムは早くに目が覚めた。彼等は2人部屋を選んで3室借りたのだが、隣のベッドで寝ているはずのフィオンの姿はなかった。
リアムは不思議に思いながら起き上がった。窓から外を見たがフィオンの姿はなく、部屋のドアを少し開けると廊下の様子を伺った。もちろん、男の姿はなかった。
首を傾げていると、他の部屋のドアがそれぞれ開いたので、リアムはそっとドアを閉めたのだった。
「おはよう、エマ」
アーロンが声をかけると、エマは微笑んだ。
「おはよう、アーロン」
エマがそう言うと、一緒に外へと出て行った。
空は青く澄み渡っていたが、枝葉や石が沢山散乱し、地面の一部は陥没してひび割れも起きていた。
地面に散乱した物を掃除する村人は「嵐がとてもひどくて眠れなかった」と口々に言い合っていた。
その言葉通り、根本から倒れた木もあった。
エマがその木を見ていると、それを飛び越えてこちらに向かってくる男の姿が見えた。
難しい顔をしたフィオンだった。フィオンのズボンの裾は、すでに泥で汚れきっていた。
「橋が壊れて流された。復旧するには数週間かかるらしい。
遠回りをする方法もあるが日数がかかり過ぎるのと、山の土砂が崩れていて、そこも通行出来ないかもしれない。
行きたくはないが使命がある。ラスカの町を通ろう」
フィオンがはっきりとした冷たい声で言うと、アーロンがフィオンの顔を見た。
「分かったわ。
そこには、フィオンは行ったことがあるの?よく知っているようだけど…治安の維持にでも行ったのかしら?」
と、エマが聞いた。
「行ったさ。数年前にな。
まぁ…治安の維持といえば、ある種の治安維持だろう」
フィオンはそう言うと、木の枝が散らばった地面に目を向けた。
フィオンは数年前の自分を思い出していた。思い出したくもない沢山ある過去の一つだった。
暗闇に紛れてラスカの町を襲撃して殺戮をおこない、彼は騎士となったのだった。
末端兵から兵士となった者たちが、兵士から騎士となる為の試験の一つだった。もちろん正式な試験というよりも、当時のとある隊長の思いつきだった。
何人生きて帰って来れるのかを、隊長たちが賭けていたゲームだった。もし生きて帰って来たとしても、精神が壊れていくだろうから何の問題もない。それを酒の肴にでもしようと思っていたのだろう。
ラスカの町は、昔はとある産業で発展していたのだが、産業の衰退と共に強盗や窃盗が増えていき、治安はどんどん悪化していった。
すると暴行や殺人を犯して他の町を追われた者が流れてくるようになった。
町を建て直そうと励んでいた人々は、どんどん町から離れていき、今のような状態になった。
ならず者ばかりが住むようになり、廃墟となった建物やゴミが放置されている。
だがソレらを取り締まるはずの騎士団が「騎士団」としてそもそも機能していない為に、町は放置されていた。
それに、とある隊長が目をつけたのだった。
「我等、ソニア王国の誇り高い騎士団は治安を守らねばならない。国民が安心して暮らせるように、安全を脅かす町を改革せねばならない。
その町は、ゴミで溢れている。ゴミは一掃してこそ、綺麗になる。
そうだろう?
その重要な任務を、お前たちにさせてやろう。
ゴミを多く処分した者を騎士にしてやる。
ただし、3人だけだ。
いいか!お前ら!騎士になりたければ、夜明けまで町を綺麗に掃除してこい!処分したゴミの数を証明する為に、ちゃんとゴミの一部を袋に入れて持って帰って来るんだぞ!」
と、隊長は言った。
隊長の命令は、絶対である。
なんとか待遇の改善を求めて騎士になろうと夢見る若い兵士たちは、馬車に揺られながらラスカの町へと連れて行かれたのだった。
その夜は、細い月の夜だった。
地面を照らす神々しい光は届かずに、町を襲撃する黒ずくめの男たちを闇が味方していた。
それとも光がそれを望んでいるからだろうか?
それは、誰にも分からなかった。
隊長が右手を上げると、殺すか殺されるかのゲームが始まった。
この国では生命の奪い合いですら、ゲームとなる。
殺さねば、自分が殺されるしかないのだから。骸ですら放置され、家族や友のもとにかえることもない。
生き残ったのは、フィオンともう1人だけだった。
2人が血まみれになりながら戻って来ると、隊長は生きて帰ってきたことに心底驚いた顔をしていたが、すぐに大きな声を上げた。
「おいおい、本当に殺りやがったぞ」
と、隊長は腹を抱えて笑い出したのだった。
腰の袋は、真っ赤な血を垂れ流している。
想像を絶するような地獄を見てきたフィオンは騎士となったが、もう1人は気が触れて自死したのだった。
嵐の後の地面を見るフィオンの目には、水溜りに浮かんで死んいる虫が映っていた。
虫の体はちぎれていて、足がユラユラと揺れている。
ソレを見ていると、フィオンはくり抜いて持ち帰った体の一部を思い出したのだった。
(俺が殺した奴等は、間違いなく悪党だった。
悪党ならば、殺してもいい。
悪党に死を与えるのは、騎士にとっては栄誉なことなのだ。
ならば、それがどんな殺し方だとしても許されるのだろう。殺すことに変わりはないのだから。
この町の奴等は、助けを求めた人たちを何人も痛めつけて殺した奴もいたのだから)
フィオンはそう自らに言い聞かせ、助けを求めた者たちの体に槍を突き刺したのだった。
(生かしておいたら、また酷いことをする。
これは、今までの報いだ。
今の俺には、それが許されている。
これは俺が上り詰める為にやらねばならないことだ。
隊長になるまでは、一欠片も自分の意思など持ってはいけない。この騎士団で生き抜く為には、命じられたままに殺さねばならない。
それに1人殺せば、より多くの人を救うことが出来る)
フィオンはソレを信じながら、自らの感情を殺すかのように悪党を滅多刺しにした。
肉を突き刺し骨を砕いた後に、もう2度と動かないように心臓を突き刺してから、ナイフを使って目玉をくり抜いたのだった。
そこにいたのは、ただの手練れの殺し屋だった。
誇り高い騎士の姿など何処にもいなかった。
いつだって忘れられない戦場があるが、戦場ですらなかった。そういう所業をした場所に行くと、忘れようとしている事を思い出させられる。
(結局は「コイツら」と同じなんだ…と)
苦い過去を思い出すと、フィオンは笑い出した。
「さぁ、行くか。グズグズしてる場合じゃない。
ラスカの町にはまだ距離があるし、雨で濡れて道も悪いからな。
ラスカの町を通り、日が暮れるまでに、次の町の宿屋に辿り着かねばならない」
フィオンは顔を上げながら言うと、スタスタと宿屋の部屋へと戻って行った。
一行が朝食を取り宿屋を出発しようとすると、亭主は心配そうな顔をしながら近付いてきた。
「嵐が過ぎ去った直後ですので、道は悪くて危ないのですよ。
しばらくここに泊まってはいかがですか?」
と、亭主は言った。
「ありがとうございます。
しかし先を急がねばならないので、出発します」
フィオンがそう言うと、彼等を勇者と知らない亭主は真っ青な顔をしながら小さな声で話し始めた。
「あの…ラスカの町を…通るんですよね?
あの町は…本当に危険ですよ。
生命が大事なら止めておいた方がいい。橋が復旧するまで待つか、遠回りをされた方がいいです。数週間かかりますがね。
よほど腕っぷしが強くなければ、無事には通れませんよ。
それにお客様は女性を2人も連れている。絶対に止めといた方がいいです。タチの悪い行いばかりをする連中です。悪党なので、殴り合いだけではすまなくなりますよ。安全ではありません。
町を通る時には、1人につき金貨1枚を要求してきます。無茶苦茶でさぁ」
亭主はそう言い終わると、エマとマーニャの顔をチラチラと見た。
「ご心配いただき、ありがとうございます。
けれど、大丈夫です。
奴等より、俺の方が強いですから」
フィオンがニッコリと笑うと、亭主はその自信に満ちた顔を見ながら口をポッカリと開けたのだった。
「なら…無事を祈っとりますんで。
どうか、お気をつけて」
亭主がそう言うと、フィオンはもう一度礼を言ってから出発したのだった。
馬を引きながら村の門を通り抜けると、フィオンは後ろを向いて全員の顔を見渡しながら口を開いた。
「先に言っておく。
奴等に顔を見られないように、マントのフードをしっかり被るんだ。
町の中は荒れ果てている。気になるだろうが、周りをキョロキョロと見るな。余計な争いは避けたい。
ゴロツキ共は日中は武器を持ってる男には向かってこないが、今回ばかりは…そうもいかないだろう」
フィオンはそう言うと、マーニャと目線を合わせるように屈み込んだ。
「危ない目には合わせたくないから、マーニャの長くて綺麗な髪は一つに束ねて隠すんだ。
何が起こっても、絶対に守るから」
フィオンは力強くそう言うと、マーニャを安心させるかのように優しく微笑んだ。
「はい。フィオン様」
マーニャは栗色の綺麗な巻き髪を束ねると、マントのフードを被りきっちりと隠したのだった。
「そうだ。ありがとう。
町に入ったら、俺が先頭を歩く。リアムとルークは俺の後ろを付いて来るんだ。その後を、エマとマーニャが歩いてくれ。エマ、マーニャを頼んだぞ。
背後から襲って来るだろうから、後ろはアーロンに任せた。アーロン、油断するな。
俺たちを挑発するだろうが、無視して進もう。
いい馬もいるから気を付けろ。馬の機嫌をそこねるようなことをして暴れさせるかもしれない」
フィオンは騎士の顔を見ながら言った。
「あぁ、大丈夫だ。任せてくれ」
アーロンの口元は笑っていたが、その目は悪党を思って既に鋭く光っていた。
「危険が迫れば、奴等を殺さねばならなくなる。
悪い奴等が、大勢いるところだから。
でも俺は…出来るだけ…戦場以外では人を殺したくないんだ」
と、フィオンは槍を見ながら言った。
(そうだ…まだ俺は人を殺すわけにはいかない)
フィオンは自らにそう言い聞かせながら馬に跨ると、手綱を握り締めたのだった。
一行は雨でぬかるんだ道を進み出した。空は晴れ渡っていたが、漂う空気は嫌なものだった。
フィオンのマントは後ろになびき、風で赤い髪がユラユラと燃えるように揺れていた。
ラスカの町が見えてくると、一行は馬から降りた。
フィオンは左手で馬の手綱を握り、右手にはしっかりと槍を握って先頭を歩いた。エマは自分たちを狙う者がいるかもしれないと目を光らせながら歩き、一番後ろのアーロンもまた厳しい目をしながら歩いていた。
ラスカの町の門番は地面に胡座をかきながら煙草を吸っていたが、一行の姿を見ると立ち上がった。
一番前を歩いている背の高い屈強な体つきをした男に一瞬怯んだが、フードを深く被っている小さな姿を見つけると、黄色い歯を見せながらニヤニヤし始めた。
「金貨、7枚でごぜぃやす」
声音はひどく卑しく、フィオンの背後にいる者たちを眺め回した。
「1人通るのに、金貨1枚と聞いた。
1枚多いだろう」
と、フィオンは冷たい声で言った。
「馬が3頭おりやすので、そいつら3頭で1枚でやす」
男はニヤニヤしながら手をしきりに擦り合わせた。
「6人と、お前の分の取り分だ。
とっておけ。さっさと通せ」
フィオンはジロリと睨みながら、男の汚い手に触れないように金貨を手の平においた。
「まいどありー」
男は金貨を愛おしそうに指で撫でながら言った。
ニヤニヤした顔で門を開くと、マントのフードで顔を隠している5人の顔を1人1人確認するように、ねっとりした目を向けていた。
鼻をスンスンと動かすと、その目は細くなりニヤニヤした顔が赤く興奮していった。
男は「ようこそ」と気味の悪い声で言いながら門を閉めた。
男はしばらく一行の後ろ姿を見ていたが、やがていやらしい笑みを浮かべると、門番の仕事を投げ出して、そそくさと暗い路地へと走って行ったのだった。
町の中はゴミで溢れ返り、糞尿の類も見受けられ、鼻が曲がりそうなほどの腐臭が漂っていた。
家の多くが壊れたまま修復をされることなく放置され、窓ガラスが割られ放題で、外壁の至るところに落書きがされていた。
怪しげな食べ物を売る店が数軒あり、地べたに座りながら賭け事をしている男たちは昼間にも関わらず酒を飲んでもう酔っ払っていた。
どの男たちも人相が悪く、前を通り過ぎていく一行を指差してゲラゲラと笑うのだった。
時に何かを投げつけたり、挑発するような言葉を叫んだが、フィオンは男たちには目もくれずに歩き続けた。
すると賭け事をしていた男の1人が、口笛を吹きながら近づいて来た。
「おっとぉ…まちなよぉ」
男はそう言うと、フィオンの前に立ち塞がった。
背が低く酒に酔った赤ら顔の男で、破けたズボンとベストを着ていた。腹には、でっぷりと脂肪を溜め込んでいた。
「どいてもらおうか」
フィオンは驚くことなく落ち着いた声で言った。
「そうもいかねぇな。
前を進みたいのなら、そこの2人はおいていけ」
赤ら顔の男は卑猥な目つきをエマとマーニャに向けながら言った。
「どういう意味だ?」
フィオンは深く被ったフードの中から鋭い目を光らせた。
赤ら顔の男は自分よりも大きくて屈強な男の迫力にたじろいだが、賭け事をしていた他の男たちも立ち上がったのを見ると地面に唾を吐き捨てた。
隠していたナイフを抜くと、フィオンに襲いかかったのだった。
「女の匂いがするからな!」
それが合図だったのか、他の男たちも一斉に走り寄ってきた。
赤いピアスをして髪を一つに束ねた男が、マーニャを連れ去ろうと手を伸ばすと、エマが短剣を抜いた。
ピアスの男は短剣にも怯むことはなかった。舐め回すような目で、フードを被っているエマの顔をジロジロと見た。
「なんだよ?おい?
お前が俺を慰めてくれるのか?」
と、酒臭い息を吐きかけながら言った。
その言葉に、エマは一瞬怯んだ様子を見せたが、すぐにキッと睨み返したのだった。
「いいねぇ。活きのいいのは大歓迎だ。嬲り甲斐があるってもんだ。
それに…お前も、よく見りゃ…綺麗な顔してるじゃないか。
2人とも、たっぷり可愛がってやるからよ」
ピアスの男は酒臭い息を吹きかけ、エマの右手首を乱暴に掴んだ。
「やめろ!」
フィオンは赤ら顔の男を蹴り、他の数名の男も殴り倒しながら大きな声を上げた。
と同時に、ピアスの男もまた大きな苦痛の声を上げていた。アーロンが男の手首を掴んで、易々と捻りあげたのだった。
「なんだてめぇ!放せ!殺されてぇのか!?」
ピアスの男が激昂すると、アーロンは男の首を片手で締め上げ始めた。
「友を侮辱する者は許さない。
先程の汚い言葉を謝罪して欲しい」
口調は柔らかだったが、アーロンの目は戦場で恐れられている最強の剣の騎士の目となっていた。
腕の力が強すぎてピアスの男が何も言葉を発せられないでいると、アーロンはさらに首を締め上げた。
口では謝罪して欲しいと言いながら、そうさせる気は全くなかった。締め上げる力は強くなるばかりで、そのまま絞め殺そうとしているかのようだった。
「し…ぬ…」
ピアスの赤い色のように、男の顔は真っ赤になっていった。
鼻汁を垂らし、口から唾液を出してもがき苦しみ出すと、アーロンは男を地面に投げつけた。
そのあまりの乱暴さに、魔法使いは驚いた目を向けた。
ピアスの男は絞められた首を抑えながら激しく咳き込んでいたが、痛みがおさまってくると、額に青筋を立てながらナイフを取り出した。
しかしアーロンは既に輝く剣を鞘から抜いていて、ピアスの男が動く前に剣を喉元に突き立てたのだった。
「ひっ…冗談だ。冗談だ」
ピアスの男は両手を上げ、ナイフが地面に音を立てて落ちた。
「お前のような男の冗談は、僕には通じない。
ナイフを抜いたということは、相応の覚悟が出来ているものとみなす」
アーロンは冷たい目で、ピアスの男を見下ろした。
「悪かった!悪かったよ!俺が悪かった。
お前の女には手を出さないよ」
ピアスの男がそう言うと、アーロンは剣を素早くひっくり返して柄頭で思いっきり男の腹を殴った。
マーニャは叫び声を上げ、顔を両手で覆ってエマに寄りかかった。
ピアスの男が苦悶の声を出すと、周りを取り囲んでいた男たちが一歩ずつ後退りを始めた。剣を抜いている男を見る目は、恐怖の色に染まっていた。
剣の輝き以上に、フードの奥から光る目は恐ろしい色をしていたのだった。
「おい、人の話を聞いていなかったのか?
友だと言っただろう。
お前のような愚劣な発想しかできない男が一番嫌いなんだ。本来なら、殺しているところだ。
他の者たちに「手を出すな」と言え。
さすれば命まではとらん」
アーロンは低い声でそう言うと、蹲っているピアスの男の目前に剣を突き出した。
剣幕は凄まじく、そのまま男の目に剣を突き刺そうとするかのようだった。
口髭を生やした男が仲間を助けようと近づいて来ると、アーロンは地面に転がっていたナイフを足で拾い上げて投げつけた。
ナイフは物凄い勢いで飛んでいき、口髭の男の頬を切ったのだった。口髭の男は悲鳴を上げた。
度肝を抜かれた他の男たちは、一目散に逃げ去って行った。
「おい、聞こえなかったのか?
ならば…こうしよう。
誰かから奪い取ったピアスをつけている右耳から削ぎ落とす。次は、左耳だ」
アーロンは冷ややかな声で言った。目前の剣を少しずつ動かし、ゆっくりと右頬を斬りながら右耳に滑らせていった。
ピアスの男の頬から血が流れたが、アーロンは眉一つ動かさなかった。
「お前らぁ、手を出すんじゃない…」
ピアスの男は震え上がりながら声を出した。
「声が小さいぞ。喉も斬られたいのか」
「手ぇ、出すんじゃねぇぞ!!」
ピアスの男は震え上がりながら今度は大声で叫んだ。なんとか逃げようとしたが、アーロンはそれすらも許さなかった。
一つに束ねた髪を斬り落とすと、喉元に剣を向けた。
アーロンは鋭い目で辺りを見渡したが、もう襲ってくる者はないと確信すると、怯えているピアスの男に氷のような目を向けた。
「どこに行く?まだ終わっていないぞ。
町を出るまで、お前には付き合ってもらう。
さぁ、行こう」
アーロンは低い声でそう言うと、黙ったまま自分を見つめているフィオンに目で合図をした。
まるで人が変わったようなアーロンに魔法使いとエマは驚きの目を向けていた。
アーロンはピアスの男の首を腕で締めると、そのまま男を引きずるように歩き始めた。
町を出て門が小さく見える場所まで来ると、アーロンはようやく腕の力を緩めた。
ピアスの男はヒィヒィと喚きながら、転がるように逃げ戻って行った。
冷たい風がアーロンのマントを翻すと、フィオンは口を開いた。
「次の町は、連中に襲われないように兵士に警護させている。
今夜は、そこの宿屋に泊まろう」
フィオンはそう言うと、不安の色を浮かべているリアムの肩をポンポンと叩いてから馬に跨った。
エマも大きく息を吐いてから、怖がっているルークに優しく声をかけた。
アーロンもまたマーニャに手を差し出したが、マーニャはビクッと体を震わせた。怯えた目でアーロンを見るばかりだった。
「怖い思いをさせて、すまなかった。
しかし、僕にも守りたいものがある。その為には、恐ろしい男にもなろう。
もう僕と馬に乗るのが不安なら、エマかフィオンと代わろう。無理をすることはない」
アーロンはそう言うと、マーニャにいつも向けている優しい微笑みを浮かべた。
マーニャはグレーの瞳にいつものアーロンを見ると、アーロンの大きな手を握った。
馬に乗り背中で感じる温もりは、いつもの優しいアーロンのものであった。
「フィオンさん…本当に…恐ろしい町でしたね」
リアムは呟くようにそう言ったが、フィオンは何も答えることはなかった。
ラスカの町は出たが、まだ安全とは言い切れないので、勇者は目を光らせながら手綱を握り続けた。
空はどんどん赤く染まっていき、空気が冷たくなってきた頃に、次の町の門が見えてきた。
町の門にはソニオの兵士が数名立っていたが、夕暮れ時に馬で走ってくる一行の姿を見ると警戒して槍を構えた。
「止まれ、馬から降りろ」
兵士はそう大声を出したが、フィオンの姿を見つけると急いで槍を下ろして慌てて整列をした。
その目には、恐れの色がありありと浮かんでいた。
屈強な兵士は急いで門を開けると、一番若い男の兵士が蒼白な顔をしながら宿屋に向かって走って行った。
夕暮れになった町は人気が少なく、早くから戸締りがされていた。
数人の町人とすれ違ったが、誰もが暗い顔をしていた。町人は女の騎士を物珍しそうな目で見たが、ヒソヒソと何かを言い合うと、そそくさと家へと入っていった。
一行は、町で一番の宿屋に案内された。
眺めの良い広い部屋が6室用意され、それぞれの部屋には食べきれないほどの豪華な食べ物と飲み物が用意されていた。
フィオンは夜になると、アーロンの部屋のドアを叩いた。
アーロンの声がして鍵を開ける音がすると、フィオンは静かに部屋の中に入って行った。
「大丈夫か?」
と、フィオンは言った。
「大丈夫?何がだ?」
アーロンは窓の方へと歩いて行き、月を眺めながら答えた。
「よく分からない男だと思っていたが、まるで人が変わったようだったから。その…何かあったのかと思ってな」
「心配してくれているのか?」
アーロンがそう言うと、フィオンは顔を背けた。アーロンはその様子を見ると、少し笑った。
「僕が、あの男にしたことか…。
女性をモノのようにしか見ていない男は、心底許せないんだ。
あのような愚劣な男は、断罪せねばならない。
あのまま見逃せば、また人数を集めて背後から僕たちを襲っただろう。奴等が束になったところで負ける気はしないが、僕はマーニャを守ると誓った。
だから、ああした。脅しをかければ、奴等の場合は十分だ。
僕の隊員でも、凌辱する者は厳しく処分する。任務でどのような功績をあげようが、どのような出自であろうと厳しくな。
有能であれば、由緒正しい家柄であれば、何をしても許されるという誤った考えを持たぬように」
と、アーロンは厳しい表情で言った。
その表情から出た言葉は、先日のようにフィオンの腹の内を探るものではなかった。
魔法使いの生命を軽んじるような発言をしたかと思えば、マーニャを守ると約束したとも言う。
マーニャが苦しんでいた日に見せた表情は、彼女に苛立っていたのかとフィオンは思っていたが、とてもそうは思えなくなった。もちろんマーニャに対して特別な感情を抱いているわけでもないだろう。
フィオンはますます分からなくなって黙り込んでいると、アーロンがまた口を開いた。
「本当のところは…あの男は殺してしまいたかったよ。
けれど、戦場以外では人を殺したくないと言った。1人殺せば、殺し合いになる。
君は残虐な男だと噂されているが、あの瞬間の瞳も嘘ではなかった。君がそう望んだから、僕も従った。ここは君の国だから。
フィオン…君は…優しいのだな」
と、アーロンは呟くように言った。
その瞳は、フィオン以外の者が見たら凍りつきそうなほどに恐ろしい色をしていた。
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