5

 ゴーン……


 荘厳な鐘の音を聞きながら、遥香はゆっくりと目を閉じた。


 結婚式当日。


 聖堂の閉ざされた扉の前で、遥香は気持ちを落ち着けるように深い呼吸をくり返す。


 元の世界では父の腕を取って進むバージンロードも、この国では一人で進むのがしきたりのようだ。


 リリーの両親もすでに会場入りしており、遥香の隣には、最後まで準備を手伝ってくれたセリーヌと、扉の前に立つ警護の兵士たちのみ。


(長かったけれど……、短かったような気もするわ)


 弘貴の見つけた、帰る手がかり。


 間違っていなければ、今日、十二時を数えたその瞬間に、遥香はこの世界から去ることになる。


 帰れるという確証があるわけではないのに、どうしてだろう――、きっとこれで最後なのだという確信があった。


(帰りたいのに淋しいような気もするなんて、変ね……)


 クロードとは今朝、別れの挨拶をした。式の最中に話すことなんてできないからだ。


 クロードは少しだけ寂しそうな顔をして、「元気で」と言ってくれた。彼にはお世話になりっぱなしで、リリーと、幸せになってほしいと心から思う。


 遥香はゆっくりと顔をあげると、セリーヌを見た。彼女にも、今日で最後だろうと告げていた。本来リリーの侍女であるはずの彼女は、遥香にとてもよくしてくれて――、今も少し潤んだ目で見つめ返してくれている。


「今まで、本当にありがとう」


 セリーヌだけに聞こえるような小声で告げれば、彼女が泣きそうな顔で頷いて、真っ白な薔薇のブーケを手渡してくれた。


「あなたも元気で。幸せに」


 遥香は頷いて、ブーケをぎゅっと握りしめると、前を向いて顔をあげる。


 セリーヌが準備が整ったと進行役に告げに行き、ややして、目の前の両開きの扉がゆっくりと開いた。


 厳かに響くパイプオルガンの音色を聞きながら、微かに震える足を一歩、また一歩と踏み出していく。


 緊張して心臓が飛び出しそうな遥香には、永遠にも思えそうなほどに長く感じる絨毯の先に、金色の髪を撫でつけ、白い礼服に青いマントを羽織ったクロードが優しく微笑んで立っていた。


 緊張して人の顔なんて見られないのに、遠くに立つクロードの表情だけははっきりとわかる。


 これまでの感謝と、これからのクロードの幸せを祈りながら、遥香はゆっくりと進む。


(リリー……、あなたは絶対に幸せになれるわ)


 だから、この優しい王子様のことも幸せにしてあげてほしいと、心から思う。


 最初は帰りたくて仕方がなかった。今でも帰りたい。でも――、この世界に来て、クロードに会えて、みんなに会えて、よかったと思う。


 あと数歩でクロードの隣に立つというとき、口の動きだけでクロードが「遥香」とささやいたのが見えた。


 遥香は微笑んで「ありがとう」と唇を動かす。


 するとクロードが笑って、そっと手を差し出してきた。


 その手に手を重ねて、ぎゅっと握りあうと、クロードと並んで司祭に向きなおる。


 後ろで微笑む女神像を見て、ちらりとレリーフのある場所に視線を投げた。


 十二時まで、あともう少し。


 式は滞りなく進行し、あとは誓いのキスだけ。


 クロードと向き合った遥香は、手を握り合ったまま、彼の綺麗な青い瞳を見上げた。


 最後だと思うと、目が潤んでくる。


 今にも泣きだしそうな遥香に、仕方のない奴だなと言いたそうに苦笑するクロードは、小さく口を動かした。


「お前に会えて、よかった」


 ほとんど声を出さずにささやかれたその言葉に、遥香の目尻から涙が零れ落ちる。――そのとき。


 ゴーン


 ゴーン


 十二時を告げる鐘の音が鳴り響いた。


「幸せに」


 クロードが最後にそうささやいて――、静かに唇が重なった。

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