知りたくなかった事実

1

 混乱がすぎれば何も考えられなくなるのだと、遥香ははじめて知った。


 遥香は瞬きをくり返しながら、部屋の中に視線を這わせ、次いで覆いかぶさるようにして遥香を抱きしめている男の金髪を見る。


(……うそでしょ?)


 遥香が目を覚ましたとき、そこは遥香の暮らしている世界ではなかった。遥香が、毎夜夢に見ていた、リリーが暮らしている世界だったのだ。


 遥香を抱きしめているのはクロードで、その彼の体温をしっかりと感じられることに遥香は戸惑いを覚える。


 確かに、遥香は毎夜この世界の夢を見ていた。


 この世界の中で遥香はリリーと呼ばれていた――が、それは遥香であって遥香ではなかったのだ。


 遥香はいつも「見て」いたのだ。見ていただけで、その夢の世界の住人と触れ合う感触など感じなかったし、例えるなら、映画館のスクリーンを見ているような感じだ。見ているだけで、実際に遥香の意思で行動していたわけでなはい。夢の中で遥香はリリーだが、リリーの意思を操れていたわけではないのだ。


 遥香はあくまでも見ているだけの存在。そのはずだったのに。


「……クロード王子?」


 試しに声を出してみたが、ずっと意識がなかったからか、自分でも驚くほどかすれたその声は、しかし遥香の声ではなかった。似ているが、リリーの声だ。


 クロードがゆっくりと体を起こし、コツンと額を合わせてくる。


「リリー、よかった」


 嬉しそうに破顔するクロードの顔に、遥香は心が痛むのを感じた。


 遥香はリリーではない。でも、クロードにはリリーにしか見えていない。


 どうして遥香の意識がここにいあるのかはわからないが、クロードの目に映るリリーは、彼の求めるリリーではないのだ。


(でも……、こんなこと言って、信じてもらえるわけがないよね)


 遥香は眉を寄せて考え込む。混乱は少し落ち着いたが、わからないことだらけで、せいぜいできたことと言えば状況の整理だけだ。現実世界で事故にあって、気づいたら夢の中でリリーになっていた。それだけである。


 急に思案顔になった遥香にクロードは心配そうな顔になった。


「どうした、リリー? 頭でも痛むのか?」


 優しく額に触れられて遥香は戸惑う。髪と瞳の色こそ違えど、クロードは弘貴にそっくりなのだ。まるで弘貴に触れられているようで、考えることを放棄してその手に甘えたくなった。


 クロードが指を絡めて遥香の左手を握ろうとして、ふと訝しそうな表情を浮かべた。


「……指輪が……」


「え?」


 クロードが遥香の左手の薬指を撫でる。


 遥香も視線を下に滑らせて指輪を見ると、そこには弘貴からもらったダイヤモンドの指輪が輝いていた。


「―――え?」


 遥香には見慣れた指輪だが、よくよく考えると、今はリリーである遥香がこの指輪をはめていることはおかしい。


(どうして……?)


 驚いて目を見開く遥香に、戸惑ったような表情を浮かべたのは、今度はクロードの方だった。


「この指輪は……、知っている。でも、なぜここにある? これは夢の中で……」


 そこまで言って、クロードはハッと顔をあげた。


「まさか。……いや、でも」


 遥香の瞳を見つめ、クロードが深く息を吸い込む。


 困惑した色を浮かべたクロードの碧い瞳が遥香を見つめ、


「お前―――、まさか、遥香か?」


 言われた言葉に、遥香は驚愕した。

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