愛してる

1

 部下の起こしたトラブル対応で会社に行くと言い、弘貴が旅館の部屋から出て行った。


 布団の上で上体を起こした体制のまま、遥香は弘貴が出て行ったふすまを茫然と見つめる。


 初夏なのに、部屋の中がひどく冷たく感じられて、遥香は思わず自分の腕を抱きしめた。


 昨夜、弘貴が怒って部屋から出て行ったあと、自分がどうやって眠ったのか、弘貴がいつ戻ってきたのか、まったくわからない。


 わかっているのは、今朝の様子から弘貴がまだ怒っていて、遥香が謝ることもできないまま、彼がこの旅館から出て行ってしまったということだけだ。


 夕方には戻ると言っていたが、本当に戻ってきてくれるのだろうか。


「わたしが……、ちゃんと、できなかったから」


 偶然会った元彼の言葉に動揺して、弘貴を傷つけてしまったから、弘貴は怒ってしまった。愛想をつかされたらどうしようと、遥香は布団の上で膝を抱える。


 昨日の夜、さんざん泣いたはずなのに、また涙があふれてきそうだ。ツンと鼻の奥が痛んで、遥香は唇をかんだ。


 元彼の裕也の言葉で、急に怖くなった。弘貴との関係を進めて、いずれ捨てられてしまうのではないか、と。


 ――遥香は、俺じゃなくて、別れたあの男の言葉を信じるんだ?


 怒りを押し殺したような低い声で言った弘貴。あんなことを言わせたかったわけじゃない。


(わたし、……最低)


 弘貴に好きと告げることを決めたとき、たとえその後傷つくことになってもいいと、覚悟を決めたはずだった。それなのに昨夜、もういらないと言われる未来を想像して怖くなった。弘貴に何か言われたわけでもない。一人で想像して勝手に怖気づいた。


「どうしたらいいの……」


 ゴールデンウィーク前につき合いはじめてから今まで、弘貴と喧嘩をしたことがない。謝るだけで許してもらえるのだろうか。遥香とつき合っていることを後悔されたらどうすればいい。最悪このまま別れ話なんてことも――


 考えれば考えるほどマイナスの方向へ思考が傾いていく。


 遥香は首を振ると、じっとしているから悪い方へ考えてしまうのだと、起き上がって服を着替えはじめた。


 寝過ごしたせいで朝食という時間ではない。ブランチを食べに行ったついでに土産物でも見ようと、温泉街へ降りることにした。


(弘貴さんは夕方に戻ってくるって言ってたから……、信じよう)


 弘貴が戻ってきたら、まず謝ろう。許してくれなくても、許してくれるまで謝ろうと決める。弘貴が戻るまでは、少し気分転換をしよう。温泉街で何か珍しいものでも見つけて、仲直りした後に弘貴に見せるのだ。


「大丈夫、きっと仲直りできる……」


 遥香は自分自身にそう言い聞かせると、ハンドバッグを持って外に出た。

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