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 裏山の散歩コースは、山の小川沿いに緩やかな傾斜で伸びていた。


 川のそばなのでひんやりとした風が吹き抜けて行って涼しい。川を覗き込んでみると、澄んだ水が岩ででこぼこした水底みなぞこを縫うように流れていた。


 なるほど、これだけきれいな水だったら、蛍がいてもおかしくない。


 旅館の女将さんによると、上流の方まで登ったら小さな滝もあるらしい。


 あんまり長居をする時間は残っていないので、上流の方までは登るつもりはなかったが、どこで引き返そうか悩みどころで、なんとなく上に上に登っていくと、弘貴が「あっ」と足を止めた。


「遥香、見て。あそこ。何か見えない?」


 弘貴が指をさす方向を見ると、散歩コースから外れた先に、何かきらりと光るものが見える。


「なんだろうね」


 わくわくした表情を浮かべて、見に行きたくてうずうずしている様子の弘貴に連れられて、遥香は散歩コースから山の中に入った。


 もともと昔使っていた道があるのか、少し木々をよけて進むと、すぐに歩きやすい道に出る。そこをまっすぐ行くと、やや開けた場所に出て、古ぼけた小さな教会が立っていた。


 協会の窓には小さなステンドグラスがはまっていて、どうやらそれが日差しを反射して光っていたらしい。


「鍵が開いてるよ」


 弘貴が教会の入口を引くと、ギィと軋む音を立てて教会の扉が開いた。


「弘貴さん、勝手に入っていいんでしょうか?」


「開いているんだからいいんじゃない?」


 弘貴と一緒に教会の中に入ると、ずっと使われていなかったのか、埃っぽい室内の奥に、汚れたマリア像があった。ステンドグラス越しに日差しが入り込んでいるが、それでも教会の中は薄暗く、遥香は少し怖くなって弘貴の手を握りしめる。


 弘貴は「怖くないから大丈夫だよ」と言いながら遥香の手を握り返し、祭壇の方に歩いて行った。


「見て、天使のレリーフがある」


 弘貴が祭壇の奥の壁にレリーフを見つけたらしく、遥香の手を引いて壁を覗き込んだ。


 レリーフは石壁の一部に掘られていて、それほど大きくはなかったが、女性の天使が天に飛び立つ姿が描かれている。


「この天使、優しそうなところが遥香に似てるね」


「そ、そんなことないですよ。わたし、こんなに美人じゃないです」


「そうかな。遥香は充分可愛いよ」


 それは欲目というやつではないだろうか。自分の子供が他人の子供より可愛かったり賢かったりして見えるというのと同じだろう。


 けれども、弘貴が「可愛い」と言いながらキスをしてきたので、遥香はこれ以上否定の言葉を言えなかった。


 無人で埃っぽいとはいえ、教会の中でキスを交わしているという事実に、遥香は少し酔いしれながら、しばらくのあいだ、教会の中で二人きりの時間を楽しんだ。

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