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 父王に呼び出されたリリー――遥香が執務室に行くと、そこには、ソファに座ってのんびりと本を読んでいる母ヴァージニアの姿があった。


 ヴァージニアは本から顔をあげると、部屋に入ってきた愛娘を笑顔で迎える。


「いらっしゃい、リリー」


 夫の願いで城に戻ってきたヴァージニアの体調はいいらしく、遥香は、彼女がたまにこうして執務室ですごしていることを知っていた。


 遥香がヴァージニアの隣に腰を下ろすと、国王が執務机を離れて向かいのソファに座った。


「クロード王子から手紙が届いた」


 父の口からクロードの名前が出ると、遥香の心臓はドキンと跳ねあがった。


 クロードは、二か月前の婚約式のあと少ししてグロディール国に帰国した。


 遥香は無意識のうちに左の薬指にはまった青い宝石のついた指輪をいじりながら、父に訊ねた。


「それで、手紙にはなんて書いてあったんですか?」


 遥香あてにも先月手紙が届いたが、それっきりで、そのあとは一通も届いていない。遥香ではなく父にあてた手紙というのが気になって、よくないことが書いてあったらどうしようと不安になってしまう。


 父王はコホンと一つ咳をして、遥香ではなくヴァージニアを見た。


 ヴァージニアがおっとりと微笑みながら、


「あなた、いつまでも子供みたいに渋っていてはだめですよ」


 と、のんびりした口調でたしなめる。


 国王は「う」と小さく唸ってから、諦めたように言った。


「クロード王子の手紙には、お前を、一か月ほどグロディール国によこしてほしいと書いてあった」


「わたしを、グロディール国に?」


「結婚前に、どういう国かを見ておいた方がいいだろうと配慮されたようだが……」


 父王の顔が拗ねた子供のようになっている。


 遥香が首を傾げていると、ヴァージニアがおかしそうに言った。


「リリー、お父様ったら、結婚式まではあなたを手元から放したくないってごねているのよ。困った人よね」


「仕方ないだろう! もっと何年も先になると思っていたのに、とんとん拍子に話が進んで、リリーが嫁ぐまであと五か月しかないんだぞ!」


「何年も先になりそうだったのは、あなたが何かと口出しして先延ばしにしようとなさっていたからでしょう?」


「……お父様、そんなことをなさっていたの?」


 クロードのとの結婚の日取りは、先月、今からあと五か月先の冬に決まった。だが、父王がもっと先延ばしにしようと画策していたと言うのははじめて聞いた。遥香があきれ顔で父を見上げると、父王はバツの悪い顔してそっぽを向く。


「ひどいじゃないかジニー、ばらすなんて」


「あらあらだって、本当のことだもの。ねえ、リリー知ってる? わたしのときは、今すぐよこせってお父様――あなたのおじいさまに文句を言って、プロポーズからお城に行くまで、一か月しかなかったのよ」


「ジニー!」


 国王が慌てたようにヴァージニアの口を塞ごうとするが、彼女はにこにこと笑って夫の手をかいくぐった。


「それに比べたらあと五か月なんて、ねぇ? あなた」


 ヴァージニアは国王の側室の立場にあるから、結婚式はしていないと聞く。少し立場は違うかもしれないが、確かに一か月は早いだろう。


 確か、父王は、コレットの母である正妃と、アリスの母である侯爵令嬢ビクトリアの二人が、先王から妃にと決められていたらしい。そこへ無理やり三人目の妃としてヴァージニアをねじ込んだと聞いたことがある。


(お父様も、なかなか強引よね……)


 母によって暴露される父の過去に唖然としながら、遥香は放っておいたらいつまでも脱線しそうな会話の軌道修正をすることにした。


「それで、わたしはグロディール国行けばいいんですね?」


「うむ、そうだが……。お前が嫌ならべつに、断ってもいいんだぞ」


 ここに来てもまだ渋るらしい。


 遥香は苦笑すると、指輪のはまった左手を握りしめて答えた。


「行きます」


 クロード王子に会える。そう思うと、トクトクと胸が高鳴って、頬が緩みそうになった。

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