3

 夕食前になると、遥香の体調はすっかりよくなっていた。


 湖でとれたますをメインとした夕食を堪能し終えたあと、食後のワインを楽しみながら、アリスが湖であったことを話すのを聞いていた。


 遥香はワインのかわりに、香辛料で香りづけし、沸騰させた赤ワインベースのホットジュースを堪能している。また酔って醜態しゅうたいをさらしてはいけないからだ。


「リリー、体調は本当に大丈夫?」


 リリックが心配そうに訊ねる。


 遥香はにっこりと微笑んで頷いた。


「ありがとう、兄様。少し休んだら平気になったわ」


「だから言ったじゃない、病気じゃないんだから心配する必要なんてないのよ」


「アリス、そういう言い方はないだろう」


「だって……」


 リリックにたしなめられて、アリスは不貞腐ふてくされて赤ワインをあおった。遥香と違ってお酒に強い妹だが、それでも無茶な飲み方をするとよくない。


「アリス、一気に飲むと酔っちゃうわよ」


 心配になって遥香が注意するが、機嫌が悪いのか、キッと睨まれてしまった。


「お姉様と一緒にしないでよ」


 ふん、と鼻を鳴らして、アリスはグラスに注ぎたしたワインをまたあおる。


 助けを求めるようにリリックを見たが、リリックもさじを投げてしまったようで、好きにさせておけと目で言われた。


 困り果てていると、クロードが笑顔を浮かべてアリスに話しかけた。


「それで、さっきボートに乗ったと言っていたね。どうだったのかな? 風も穏やかだし、少し肌寒かったけど天気もよかったようだし、楽しめたかな」


 話を振られて、不機嫌だったアリスは途端に機嫌を直した。


「ええ、とっても楽しかったわ! リリックがボートをいでくれて、湖を二周もしたんですよ!」


 二周もつきあわされたのか。遥香は心の中でリリックに同情した。さぞ疲れたことだろう。


「そう。じゃあ、天気がよければ俺たちも行こうかな。ねえ、リリー?」


 話を振られて、遥香はぎこちなく首を振った。クロードと二人きりで、どこにも逃げ場のない湖の上に二人きり。――正直言って、少し怖い。


「ねえ、リリック! わたしたちもまた行きましょう?」


 ぐびぐび赤ワインを飲み干しながら、一転上機嫌のアリスはリリックを誘う。


 オールを漕ぎ続けて筋肉痛なのか、リリックは腕をさすりながら嘆息した。


「もう充分だろう?」


「全然満足してないわ!」


 アリスはくるくるに巻いているハニーブロンドを指先に巻き付けて、拗ねたように口を尖らせた。


「今日だって、本当はもっと遊びたかったのに、リリーお姉様が心配だって言って帰っちゃったじゃない! いっつもお姉様! お姉様ばっかりずるいわ!」


「リリーは調子が悪かったんだから仕方ないだろう」


自業自得じごうじとくじゃない!」


 またご機嫌斜めになったアリスに、リリックは眉間をおさえる。


「アリス、頼むから、ここではもう少し我儘を控えてくれないか……」


 たまりかねたようにリリックが言えば、眉を跳ね上げたアリスは、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。


「わたし、酔っちゃったみたい。部屋に戻るわ。リリック、部屋まで送って!」


 リリックはため息をつくと、すたすたと先に部屋から出て行ったアリスを追いかけるため席を立った。


「騒がしくてすみません。―――リリー、僕は先に部屋に戻るよ。おやすみ」


「おやすみなさい、兄様」


 一言クロードに詫びを入れ、遥香に就寝の挨拶をすると、「リリック!」と大声で呼ぶアリスの元へ歩いていく。


 リリックの姿が見えなくなると、ワイングラスをおいたクロードがあきれたように言った。


「お前の妹はすごいな。あれが婚約候補だったなんてゾッとする……」


 これには遥香もアリスのフォローができなくて、困ったように眉を下げる。


「いつもあんなふうなのか?」


「い、いつもは、もう少し聞き分けのいい子なんですけど……、たぶん」


「たぶん?」


「リリック兄様には、いつもあんな感じだったとは思います……」


 クロードは考え込むように視線を落とし、給仕にワインをぎたさせると、それを口に含みながらぼそりとつぶやく。


「なるほど、リリック、ね」


「え?」


 含みのあるクロードのつぶやきに遥香は首をひねった。


 クロードは目を細めて遥香を見やると、口の端を持ち上げる。それは、いつもの意地悪な笑みではなく、どこか愉快そうな微笑みだった。


「お前は、本当に、ほわんとしているな」


 遥香はどうしてそんなことを言われるのかさっぱりわからず、何度も首をひねる。


 クロードがたまりかねたように吹き出すと、今日の彼は機嫌がよさそうだと思いながら、遥香は彼の笑いが収まるまで、ぼんやりとそれを見つめていたのだった。

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