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坂上の彼氏が指定した店は、オフィス街の近くにあった。
縦に長い店の奥には巨大スクリーンがあり、野球中継が音声なしで映し出されている。
店のカウンターには洋酒のボトルが並び、そのほかに四つほどテーブル席があった。
「由美ちゃん、こっちこっち!」
一番スクリーンに近い側のテーブル席に高橋はいた。スポーツマンのような短めの髪に背が高くがっしりとした体躯の高橋の横に、はっきりとした二重の、アイドル顔の男性が座っている。彼が高橋の同僚の橘だろう。
「ごめーん、待った?」
「いや、俺たちも今来たところ」
「よかった。あ、彼女が営業部の秋月さん。四月から来てもらってる派遣さんなの。秋月さん、彼氏の高橋さんと同僚の橘さん」
「はじめまして、秋月です」
挨拶を交わして坂上と遥香が席に着くと、橘がさっと飲み物のメニューを差し出した。
「俺たちはビールだけど、二人はどうする?」
「あ、わたしもビールで大丈夫! 秋月さんは?」
「じゃあ……、梅酒のソーダ割で」
「了解。すいませーん」
橘が店員を呼んでお酒を頼むと、ややしてお酒とともに薄く切ってカリカリに焼いたバケットの上にキノコのソテーが乗った突き出しが出てくる。
どうやら、イタリア系やスペイン系の創作料理の店らしい。
お酒を持ってきた店員に、坂上と高橋が最初の料理としてアヒージョやオムレツ、レタスなどを頼み、高橋の音頭で乾杯する。
カチーンとグラスを合わせる軽い音がして、ジョッキの半分近くまでビールを一気飲みした橘が、面白そうな顔をして坂上を見た。
「ゴールデンウィーク、オーストラリアに行くんだって?」
「やだ、橘さん、何で知ってるの?」
「高橋ががっつりのろけてたから。入社した当初は仕事が恋人だとか馬鹿なことを言ってた高橋が、こうも変わるとは思わなかったわー」
「うるせー橘! お前こそ、看護師の彼女はどうしたよ」
「いつのことを言ってるんだ、そんなのとっくに別れたよ」
「は? まじで? いつ」
「バレンタインの前だから、約二か月半前かな。秋月さんは彼氏は? って、こういうの聞くとセクハラとかになるのかな」
急に話を振られて、遥香は口に入れていたバケットを慌てて飲みこんだ。
彼氏、と言われて一瞬弘貴の顔が思い浮かぶが、弘貴は彼氏ではないと慌てて脳内に浮かんが彼を消し去り、遥香は小さく首を振った。
「いません」
「いないの? ラッキー」
「何がラッキーよ。橘さん、秋月さんに手出したら怒るわよ」
「坂上ちゃん、軽い冗談くらい目くじら立てずに聞き流してほしいなぁ。あ、俺ビール追加。高橋は?」
「じゃあ俺も」
橘がビールをピッチャーで持ってきてと店員に頼んでいるのを聞きながら、遥香は少しびっくりしていた。
遥香はこういった飲み会にはあまり参加したことがない。以前勤めていた会社の忘年会とかには参加したことがあるが、その席は仕事の延長のような感じで、これほど砕けた飲み会ではなかった。
(飲み会って、こんなにノリが軽いんだぁ……)
橘の口調は明らかに冗談のようだし、遥香をからかっているわけでもないとわかるので不快な気持ちにはならないが、序盤からついて行けるかどうか自信がなかった。
だが、遥香以外の三人はこういった席に慣れているので、遥香の心配もよそに、場を盛り上げて話題を提供してくれる。
気がつけば遥香は笑いながら話の輪に加わることができていた。
「じゃあ、たまたま経理部に書類を届けに行った坂上さんに、高橋さんが一目惚れしたんですか?」
橘が面白おかしく高橋と坂上のなれそめを語るものだから、遥香はわくわくしながらそれを聞いた。
「そうそう! そのあと、接点を作るのに必死になってる高橋が面白くてね」
「橘、お前余計なことをべらべら喋るなよ!」
「営業部にいる同期を巻き込んでの飲み会のセッティングとか、いろいろ協力してやったんだから、これくらいネタに使わせろよ」
「橘ぁ!」
高橋がふざけて橘の口を両手で押さえる。
坂上がその様子を見てクスクス笑いながら、
「そうだったの? でも実は最初、高橋さんより橘さんの方がわたしのタイプだったのよねー」
おどけてそんなことを言うものだから、高橋が顔を青くする。
「そうなの!? 聞いてないんだけど!」
「言ってないものー」
「くっ。確かに橘はそこそこ顔がいいけど、別にイケメンってわけじゃないだろ?」
「お前、何気に失礼だからな。つかお前が言うなよ」
「俺は筋肉で勝負だからいいんだ!」
「えー、わたし、マッチョってあんまり好きじゃないのよね」
ピシィ、と音がしそうなほど高橋が悲壮な顔で凍り付くのを見て、遥香は思わず吹き出してしまった。
くすくす笑う遥香の横で、坂上が店員に赤ワインを頼む。
「ていうか、イケメンって言うのは八城係長みたいな人のことを言うのよ」
坂上の口から弘貴の名前が出て、遥香は笑顔をひきつらせてしまった。
ピッチャーからビールを注ぎながら高橋が苦笑する。
「あの人と比べられたら立つ瀬ねぇわ。な?」
「ああ。八城係長と比較されたら、うちの会社の男はほぼ全員が白旗を上げるね。あれは別世界の住人だよ」
三人がそんなことを言うものだから、遥香の脳裏に再び弘貴の姿があらわれた。微笑みを浮かべて手を振る弘貴の影に、遥香は残った梅酒を一気飲みする。
頭の中に何度も弘貴が出てくるのは、まずい兆候だ。
「というか、あの人、たぶんだけど、うちの創業者関係だろ」
「……え?」
遥香は目を丸くした。
「あ、それ俺も聞いたことがある。一応社内では内緒にされてるけど、間違いないんじゃない? 今の社長は創業者とは関係ないけどさ。八城係長がいずれ社長とかあるんじゃないかな? だって会長は創業者一族だろ」
「うそ。知らなかった」
遥香はぼんやりと弘貴が住んでいるマンションを思いうかべた。会長所有の部屋をかしてもらっていると言ったが、橘と高橋の話が本当なら、その好待遇もうなずける話だ。
もともと高いところにいる人だとは思っていたが、以下の話で雲の上の人のような気がしてきた。
「顔よし、家柄よし、頭よし……。やばいよ、ハイスペックすぎるわ」
あんなのと比べられるとたまらないわ、と高橋が嘆く。
遥香は、二杯目に持ってきてもらったカシスオレンジの味がまったくわからなくなった。
(どうしよう……)
弘貴とつきあえないと思っていたが、今の話を聞いた今、もっと無理だ。住む世界が違いすぎる。
――君が好きだ。
弘貴はどうしてそんなことを言ったのだろう。
混乱した遥香の頭の中で、弘貴の顔と言葉と、高橋や橘の話が、ぐるぐると回り続けていた。
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