3

 城の中は広いので、クロードが知っておきたいという場所を中心に案内することになった。


 図書室からはじまり、クロードが使っている客室の周辺、なぜか遥香の部屋も知りたいというので、遥香の部屋がある三階の東の端、最後に中庭に降りる。


 城の中は使用人や警備の兵士などが多いが、中庭に降りると人もほとんどおらず、クロードが休憩しようというので、噴水のそばのベンチに腰を下ろした。


 昨夜、クロードに会った場所だった。


 特に会話もないので、遥香は太陽の光を反射してキラキラと光る噴水を眺める。


 しばらくぼんやりしていると、不意にクロードが話しかけてきた。


「城の中を案内してくれて助かった」


 先ほどまでの敬語ではなくなっていたが、遥香は特に気にならなかった。


 話しかけられたので、遥香は噴水からクロードに視線を移す。クロードの鮮やかな金髪も、日差しを浴びでキラキラと宝石のように輝いていた。


「お役に立てたのなら、よかったです」


「ああ、役に立った――しかし」


 クロードの青い双眸が細められる。


 遥香はその視線に棘のようなものを感じて、思わずぎくりと顔をこわばらせた。先ほどまでの紳士的な表情とは違う、ひどく意地悪な表情だったからだ。まるで、昨夜のように。


「男に、自分の部屋の場所を案内するとは、警戒心がなさすぎるお姫様だな」


 その言い方に、遥香は少しムッとした。


「あれは、あなたが案内しろって――」


「案内しろと言われれば、お前は誰でも案内するのか」


「それは……」


 遥香はきゅっと唇をかんだ。言い返す言葉が思いつかない。


 遥香は押し黙ったまま、意地の悪い顔をしているクロードを見上げた。さっきまでの穏やかな表情は完全になりを潜めている。


(やっぱりこの人、意地が悪いんだわ……)


 昨夜の方が素だったのだ。先ほどまでは猫をかぶっていただけなのだろう。


「だいたい、昨日もとろい女だとは思っていたが、歩くのもとろいんだな。歩調を合わせるのが大変だった」


「……」


 どうして、昨夜会ったばかりで、時間にしたら知り合って一日もたっていない相手に、こんなひどいことを言われなければいけないのだろう。


 もう、ここにはいたくない――


 遥香はベンチから立ち上がる。


「もう、ご案内するところはここで最後だったはずです。わたしは不要でしょうから、部屋に戻ります」


 遥香のことが気に入らないのなら、そばにいない方がいい。怒りなのか悲しみなのかわからない複雑な感情を抱えながら、遥香がクロードのそばから立ち去ろうとしたとき、


「待て」


 クロードに手首をつかまれて、遥香は足を止めた。


 掴まれた手首を後ろに引っ張られて、遥香は肩越しに振り返る。


 クロードはニヤリと口の端を持ち上げていた。


「怒ったのか?」


 遥香を怒らせることの、何がそんなに面白いのだろう。


 遥香は掴まれた手首を見、クロードを見上げて、ゆっくりと首を横に振った。


「いいえ」


「嘘をつくな。怒っているだろう」


「怒ってなど、おりません」


 嘘ではなかった。自分でも怒っているのか怒っていないのか、よくわかっていなかったからだ。


 遥香がとろいのは昔からだし、「お姉様はとろいのよ」とアリスにもさんざん言われたことがある。今更「とろい」という言葉に怒りは感じない。悲しいだけだ。


 ただ、婚約者とはいえ、ほとんど初対面の男に、そんな暴言を吐かれるいわれはないと思っているだけだ。


 クロードはつり上げていた口元を曲げた。途端に不機嫌そうな顔になる彼に、遥香は首を傾げるしかない。


「部屋に戻るので、手を離してはいただけませんか……?」


「俺は戻っていいなんて一言も言っていない」


 部屋に戻るのに、クロードの許可がいるのだろうか。頼まれた場所はすべて案内したはずだ。


 遥香はしばらく掴まれた手首を見つめていたが、やがて諦めたようにベンチに座りなおした。せめてもの抵抗に、クロードの方は一切見ず、噴水だけを見つめる。


「あとで温室の方も案内しろ」


 クロードは尊大に言った。


「では、今から向かいますか?」


「いや、少し休憩してからだ」


「そうですか……」


「温室のあとは、厩舎と裏庭、城下町も見たい」


「……わかりました」


 果たしてそれは、今日中にすべて見終わることができるのかと思いながら、遥香は小さくうなずいた。下手なことを言えば、また「とろい」だのなんだのと責められそうな気がしたからだ。


「噴水ばかり見て、面白いのか?」


 噴水ばかりを凝視する遥香に、クロードがそんな風に言ったが、やはり遥香は噴水を見つめたまま頷いた。


「ええ。光が反射して、きれいですから」


「だが、常に同じでかわり映えせんだろう」


「かわり映えしなくても、きれいなものはきれいです」


「ふん、よくわからんな」


 クロードは面白くなさそうに鼻を鳴らす。


 気に入らないのなら、早く次に向かうと言えばいいのに、と遥香は心の中で嘆息した。


「普段何をしてすごしている」


「誰がですか?」


「お前に決まっているだろう。ここにほかの誰がいるんだ」


 いちいち、言葉尻の強い人だ。婚約者なので、クロードとはこれから死ぬまで一緒にいることになるのだろうが、彼のこの口調には慣れる気がしない。


 遥香は少し考え、口を開いた。


「読書をしたり、刺繍をしたりしていることが多いです」


「それだけか? ほかの趣味のようなものは」


「それだけです。無趣味なもので」


「……つまらない女だな」


「―――」


 遥香はこっそり深呼吸をした。クロードと話していると、心臓が嫌な音を立てて軋む。むき出しの心を、その手で握りつぶされているようだ。


 噴水の水が、光のシャワーのように落ちていく。それを見ながら、遥香は波紋の浮かんだ心を鎮めようとした。


 遥香がだんまりを決め込んでしまったので、面白くなくなったのか、クロードはチッと舌打ちして立ち上がった。


「温室に行く。案内しろ」


 

 ――結局そのあと、日が暮れるまでクロードに城中を案内させられ、夜眠りにつく頃には、遥香はへとへとになっていたのだった。

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