第70話 ツチノコの工程能力

 スターレットから見せてもらったのは洗濯ばさみ。

 一見普通の洗濯ばさみなのだが、それは前世の記憶があるからだ。

 なにせ、ばね鋼が使われているなんていうのは、この世界のこの時代にはそぐわない。

 二枚の木をばね鋼でつないでいる何の変哲もないというのが、すごく画期的な商品なのである。

 なにせ、炭素含有量の多い鉄に靭性を持たせようとしたら、どれだけ炭素含有量を減らさなければならないのかって話だ。

 そんなもんが出来るのなら、鉄の使用用途がもっと多岐にわたっていることだろう。

 靭性というのは材料の粘り強さだと思ってもらえばいい。

 金属は降伏点を過ぎると塑性変形する。

 簡単に言うと、力をかけ続けるとある時点から形状は元に戻らず変形してしまう。

 その変形までの力がどれだけ強いのかというのが靭性である。

 一般的に硬い金属は靭性が低く、塑性変形して直ぐに折れてしまう。

 硬さと粘り強さが共存しないのだ。


 ばねは人類が道具を使うようになってから、比較的早い段階で使用されている。

 弓の弦はばねであるからだ。

 だが、それが金属となると登場には時間がかかる。

 少なくとも、今の文明レベルのステラに存在するようなものではない。


「凄いよね、指を放すと元に戻るんだよ」


 スターレットは無邪気にはしゃいでいる。

 だが、俺はそんな気分にはなれなかった。

 スターレットが出してきた洗濯ばさみは二個。

 それをスキルで寸法測定すると、0.1ミリのずれもない。

 つまり、洗濯ばさみの左右の部品を別々につくったとしても、組み立てたときになんの問題もでない、先端のきざきざの山位置の合わせの作業がいらないということだ。

 これにより大量生産が可能になる。

 過去に日本にネジが入ってきたのは火縄銃伝来まで遡る。

 その時のネジの作り方は、墨を染み込ませた糸を棒に巻いて目印をつけ、やすりで削ってオスネジをつくる。

 それを鉄にあけた穴に突っ込んで周りから叩いてメスネジを作った。

 なので、一対でしか使えないものであったのだ。

 こんな製造方法では、他のネジとの互換性など無いのは当然だ。

 なので量産性など皆無で、生産に非常に時間がかかった。

 しかし、こいつは違う。


「木の合わせもずれてないな」


 スターレットから渡された洗濯ばさみを手に取って確認すると、先端の合わせの部分にクリアランスがほとんどない。

 山と谷が見事に合致しているので、これなら挟み込みが甘くて風で飛ばされるような事もないだろう。

 寸法測定でわかっていたが、手に取るといっそうその出来の良さがわかる。


「どこかのドワーフの名工が作ったんじゃないかな?売っているのは王都の神殿らしいけどね。それを商人が仕入れて他の都市に運んでいるのよ」


「神殿か……」


 やはり製作には黒衣の男が絡んでいるのだろう。


 そんな風に考えながら、さらにじっくりと洗濯ばさみを確認する。

 よく見たら電気亜鉛めっき処理がされているではないか。

 膜厚を測定してみると8マイクロメートル。

 チートにも程があるぞとめっき部分を指で触りながら思う。

 ただし、電気めっきなのでばらつきはあるだろう。

 たまたま測定した個所がそうだというだけだ。


 異世界転生で前世知識チートの定番と言えば電気めっきだが、普通は金めっきとかにするだろう。

 なんでわざわざ電気亜鉛めっきなんかしているんだ。

 勿論クロメート処理もしてある。

 余談ではあるが、金めっきといってもいきなり金を表面に付着させるわけではない。

 下地処理、ストライク処理とも言うが、銅やニッケルで一度めっきをしてから、仕上げとして金をめっきするのだ。

 これをすることによって密着性が向上する。

 なお、装飾品をめっきするのであれば、電気めっきではなく無電解めっきの方がよい。

 電気めっきはその性質上どうしても電極を製品にくっつける必要があるため、電極のタッチあとが残ってしまう。

 装飾品でめっきが一部のってない個所があると、とても見栄えが悪くなるので止めた方がいいのは当然だな。

 どういうわけか、転生者は電気めっきをやりたがるが、それはどうなのだろうと思ったものだ。


「アルトも同じものを作れないかな?」


 スターレットが期待に満ちた目でこちらを見てくる。

 少し黙考してから


「デボネアの協力があればできそうだよね」


 そう答えると、彼女は身を乗り出して来た。


「明日相談に行ってみない?」


「そうだね」


 俺はそう返事をした。

 しかし、そのとき気持ちはややうわの空であった。

 何故なら気になっていたことがあったからだ。

 スターレットと別れてから神殿に向かう。

 グレイスに話をきくためだ。


 神殿に到着すると直ぐにグレイスに会う事が出来た。


「夜に乙女の部屋の元へ訪れるなんて、他の人に勘違いされそうね」


 そういうグレイスは神官服を着ており、これから男女が褥を共にするような雰囲気ではない。

 まあ、穿った見方をされてしまえばどんなことも悪く伝わるのだが。


「神殿に夜這いに来るほど罰当たりじゃないですよ。それに先ほどまでスターレットと一緒でしたしね。下半身の理性は人並みにあると思ってます」


「どうだか。それに男の下半身の理性なんてツチノコよりも見つからないものよ」


 ツチノコと比較されてもねえと思ったが、一般論としては反対することも出来ないかな。

 下半身絡みのトラブル、犯罪なんてものは前世でも散々見てきたからなあ。

 宗教的な倫理観で性欲を抑制しようとするのもわかる。

 ただし、得てして宗教関係者自身の下半身に理性が無いのが問題だよなあ。

 いや、ここでも宗教関係者とひとくくりにするべきではないか。

 その理性の無い宗教関係者が何σに属するかが重要なんだよな、品質管理経験者としては。

 理性が無い人が-6σだとしたら、そんなもんは殆どいないわけだが、これが1σの範囲に入っていた場合は殆どの人に理性が無いとなる。

 それによって対策が変わってくるわけだ。

 まずはそのための工程能力指数調査からだな。


 工程能力とはばらつきがどの程度あるものかということだ。

 下半身の理性があるかないかという調査には不向きではあるな。

 ツチノコを発見する確率だって工程能力は調査出来ないだろう。

 なにせ、ツチノコは目撃情報のみであって、それが本当にツチノコであった証拠はどこにもない。


 尚、対象の人物が6σだとすると10億人に2人の計算となる。

 地球上の人口を70億人としても14人しかいない理性の無い人ということになる。

 そんなもんの為に対策に高額な費用をかけてもいいのかってなりますよね。


「アルト、黙って考えこんちゃっているけど、別に貴方が襲ってくるって疑っている訳じゃないから気にしないで」


 俺が違う事を考えていたが、黙考する時間が長かったせいでグレイスがちょっと焦って言い訳をしてきた。

 否定してもいいが、勘違いしてもらっていたほうが優しくしてもらえるかな?

 そう思ってあえて否定はしなかった。


「真面目な話をしてもいいかな?」


「ええ、もちろんよ」


 グレイスは頷く。

 俺はスターレットから聞いた洗濯ばさみの話をグレイスにもした。

 グレイスは最初は理解できていなかったが、話を進めていくうちに、この世界に洗濯ばさみが今まで無かったという事に気が付いてくれた。


「そう言われてみれば洗濯ばさみは無かったわね。誰も考え付かなかったのかしら?」


「そりゃそうだよ。だってばねが無いもの」


「無いの?何故?」


 グレイスはばねが無いことを知らなかった。

 厳密にいえば弓の弦だってばねではあるが、ここで言うのはばね鋼の事である。


「ばね鋼を作る事が出来ないからね」


「何故作る事が出来ないの?」


「製鉄技術が未発達だからね」


「何故製鉄技術が未発達なの?」


「鋼を作るのに使う元素を用意出来ないからね」


「何故用意出来ないの?」


「発見されてないからね」


「何故?」


「地球では錬金術の発達で様々な元素を発見していったが、この世界ではそこまで錬金術が発達していないからだよ」


「何故?」


「何故は5回までにしようね。まあ、錬金術が未発達だから地球の科学の知識まで到達してないからなんだよ。製鉄技術なんていうのは科学技術の塊だからね」


 ってなぜなぜ分析か!

 なぜなぜ分析とは何故を5回繰り返すことで不良の真因に辿り着く手法である。

 これは遡りであるが、5回目から逆にたどっても繋がるはずだ。

 地球の科学の知識まで到達してないのは錬金術が未発達だからであり、そのため元素の発見がされていなくて、だから鋼を作るのに使う元素を用意できていなくて、結果的に製鉄技術が未発達でばね鋼を作る事ができない。

 っていう流れになる。

 それ以外にも、高炉や電炉を作れないっていうのもあるだろうけど。

 それもまた分岐してなぜなぜをやっていくことになる。

 ただ、真因は一つ派と複数の真因が重なって不良が流出する派の宗教対立があったりして、転職したり上司が変わったりするとやり方も変わってしまうんですよね。

 あと、客先によってもか。


「つまり今の技術じゃばねを作ることが出来ないから、今までこの世界に洗濯ばさみがなかったっていう事ね。じゃあどうして今更出てきたの?」


「これが王都の神殿で売っているという事からして、黒衣の男が関わっているのは間違いないかな。電気亜鉛メッキなんていうのも使われているし」


「めっきなんて珍しくないでしょ」


「それは俺達現代の地球人の生活ならばだよ。電気めっきなんてものが紀元0年前後に存在していたという話もあるが、亜鉛クロメートなんてものは無いよ」


 バグダッド電池に関しては諸説あるので、それが本当に電池であって電気めっきに使用されていたとは断言できないが、仕組みとしては電気めっきをすることが出来るのだとか。

 ただし、それが量産に使用できて安定した品質を確保出来るのかっていうのはまた別問題である。

 電気めっきとなるとめっき時間が膜厚に影響してくるが、正確な時計もないのに同じ時間で槽から引き上げるなんてことは無理だろう。

 そもそも、めっきの膜厚を測定する手段が無い。

 めっきしたはいいが、良品なのか不良品なのかがわからないのだ。

 ついでに言うなら塩水噴霧試験機もないので、めっきの防錆能力も調べられないな。


「つまり、オーバーテクノロジーっていう事ね」


「そうなるね。そして、神殿がこれを売る目的はなんだろうか。それを訊きたいんだ」


 グレイスはしばし黙考する。


「資金稼ぎかしら?」


「資金稼ぎか」


「そうよ、贋金づくりは重罪だからリスクが高いけど、洗濯ばさみなら作っても犯罪にならないわ」


「神殿が販売に乗り出すには弱くないかな?」


「民衆への浸透作戦だとしたら理解できるわ。生活の質を向上させてくれるのが神殿だとなれば、熱心な信者を増やすのも簡単よ」


 その意見を聞いてハッと思いつく。


「それって神殿からしても黒衣の男を切れなくなるよね。魔族側からしてみれば、使い捨ての駒にされなくなるメリットがあるから」


「それかも知れないわね」


 どんなに品質がひどくても発注が止まらないし、新規受注も出来る会社があった。

 そこの技術がないとエンドユーザーが満足できる車が作れないのだ。

 切りたくても切れない存在になる狙いはあるだろうな。


「そうなると、今後も生活の質を上げる商品を投入してきそうだね。ほかが真似できないようなやつを」


「そうね。リバーシだのマヨネーズだのといった他で真似できるようなものじゃなくて、電気を使わなくて済むような工業製品ならね。何か考えつく?」


 そう言われて少し考えてみた。


「ゼンマイ式の時計とかかな。この世界も体感では24時間だからね。それと、海は見たことないけどコンパスなんかはあるかも。それに、真似できても手加工と機械加工じゃコストが違うからね。南京錠や包丁なんかは価格競争になれば職人は敵わないかな」


「価格競争はどうかしらね。職人たちが失業すれば恨みが神殿に向くわ。私ならそんなことはしないで、新規の需要を取りに行くわよ」


「確かにそれはあるけど、例えばマッチを売り出したとしたら、火打ち石に関わる仕事をしている人たちは失業するよね」


「そうね。でもそうしたらその人たちに代理店を任せてもいいかな。私ならってことだけどね。強欲で傲慢なあの連中が市井の民をおもんぱかるなんて思えないわ」


「なんとなく相手の雰囲気はわかったよ。ありがとう、参考になった。こちらも対抗して類似品を出すしかないか」


「アルトにもできるの?」


「俺だけじゃ無理だよ。みんなに手伝ってもらわないと。品質管理なんて知識だけはあるけど、実際にものを作るなんて出来やしないんだから」


 そう言うとグレイスはクスッと笑った。

 何故笑われたかわからないので、その理由を訊ねる。


「知識はあるなんて随分と自信がある言い方なのに、その直後にものを作れないなんて卑下する言い方をしたのが面白かったの。知識はあるという所がアルトのプライドなのね」


 それを聞いて恥ずかしくなったので、グレイスにお礼を言って立ち去ることにした。

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