雨上がりの天使を追って

月詩龍馬

雨上がりの天使を追って

 それは、初雪が降った次の、凍えるほど寒い日。

 降り頻る雨と冷たい風の中、僕は病院へ続く道を走っていた。かつての同級生から送られた、一通のメールを頼りに。

 風が街路樹を揺らし、視界が霞むほどの雨が打ちつける。傘は役に立たず、おろしたてのスーツは汚れ、時折革靴の中に水が飛び込む。道行く車は白い水しぶきを巻き上げ、凍える体に追い討ちをかける。それでも僕は足を止めることはできなかった。嫌いな雨も、その時だけは気にしていられなかった。

 病院の玄関にたどり着いた時、突然雨が止み、雲間から光がさした。不気味な予感に、心臓が一際強く脈を打つ。

 僕はびしょ濡れのまま病室に駆け込むと、驚く友人と親族をかき分けてベッドを覗き込んだ。そこには、力なくベッドに横たわる親友の姿。やがて彼は僕に気づいたのか、首を僅かに動かしてこちらを見た。

「雨、ふってた……?」

 それは、今にも途切れてしまいそうな声。でも、懐かしい声。周りの皆が不思議そうな顔をする中、僕だけは、彼が言いたいことが、求めていることがわかった。

「ああ。たった今、止んだところだ」

 僕は髪から滴をたらして、息が上がったまま答える。すると彼は、弱々しくも昔と変わらない笑みを浮かべた。

「行かなきゃ……僕を待ってる」

 彼は何かを求めるように、虚空へと手を伸ばす。そしてそのまぶたが、ゆっくりと閉ざされた。真っ白な部屋の中、その一言だけを残して。

 僕は祈るような気持ちで、その細い手を握った。昔と変わらないような、小さな手。だがその手が握り返してくれることは、なかった。



 今ではもう遠い昔。

 僕の隣の席には、変な男の子が座っていた。

 髪型とか見た目が周りと一線を画しているとか、そういうわけではない。何か目立つ言動があるというわけでもない。彼は物静かで、普段はすごく真面目である。ただ、雨の日になると、なんだか嬉しそうな顔をするのだ。

 雨が嫌いな僕は、彼の様子が理解できなかった。傘は重く、服は濡れ、靴は汚れ、外で遊ぶことはできない。いいことがあるとは、僕にはとても思えなかった。

 だからどうしても気になって、ある日彼にその理由を尋ねてみると、不思議な答えが返ってきた。

「雨は嫌いじゃないよ。だって、雨上がりには天使に会えるから」

 聞き間違えたのかと思い僕がもう一度尋ねると、彼は少し寂しそうな顔をした。

「やっぱり、信じてくれないんだね。みんなそうだから。でも、僕は会ったことがある。あ、この話は秘密だよ」

 僕がついて行きたいと言っても、彼はそれを拒んだ。一人で行かなければ、会うことができないというのだ。最初は信じるつもりなどなかったが、いつも決まって雨上がりに姿を消す彼にどことなく惹かれて、雨上がりに彼を追って不慣れな道を歩いた。

 不思議なことに、彼は気づけば僕の視界から消えてしまう。その小さな背中を追って複雑な道を進むうちに、必ずはぐれてしまうのだ。しかも毎日違う道、違う場所。それでも勘を頼りに追いかけていく僕は、よく路地裏で迷子になった。

 するとそのたびに、彼は途方に暮れる僕の前に現れ、得意げな顔をしてこう言うのだ。

「今日も僕を待っててくれたよ。もう帰っちゃったけど、ね」

 そのあとはいつも二人、駄菓子屋に寄って、五円で買えるチョコを食べながら帰った。その甘い味が、迷い疲れた体を癒してくれる。それでも五円は五円。小遣いをほとんど持たせてくれなかった僕には、冷凍庫に入ったアイスが気になって仕方ない。

 そんな僕を見て、ある日彼は言い出した。いつか君が先に天使を見つけられたときには、その百円のアイスをおごってあげる、と。だけどその背中を追うだけの僕には、彼より先に見つけられるはずもない。もしかすると、彼もそうだとわかっていたのだろうか。そのどこか得意げな顔で。

 僕もだんだん見つけられないのが悔しくなり、地図を覚えて、本気で街を走り回るようになった。時には彼のいない晴れの日さえも、あてもなく駆け巡った。好きだった流行りのゲームも、いつしか部屋の片隅でほこりをかぶっていた。

 そうして僕たちがどれだけ日々を重ね、言葉を交わして仲良くなっても、雨上がりには彼は蜃気楼のようにふらりと消え、そして再び現れる。そして僕たちが卒業するまで、僕がこの街を離れるまで、その行方を教えてはくれなかった。



 その日から、どれほどの季節が巡ったのだろうか。

 今、僕は生まれ育ったこの街で、物書きとして生きている。

 晴れた日は公園の木の下で、あるいは駅前の小さなカフェで、のんびりとおとぎ話を書く。そして雨の日は、部屋にこもり、時折窓の外を眺めながら筆を走らせ、雨が止めば街へと繰り出す。かつて僕たちが、そうしていたように。

 目的地はない。だけど目的がないわけではない。誰も信じてくれなくても、僕はこの街を歩き続ける。

 まだ出会ったことのない、天使を探して。

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