英雄殺し

早起ハヤネ

最終話 君主落ちのびる

 老婆の家に甲冑に身を包んだ立派な体躯の男が現れた。男の話によれば敵の奇襲に遭って味方は潰走し、自分だけやっとのことで落ちのびてきたのだという。

「すまぬ。少しの間匿ってくれぬか?」

 名を聞いたが男は答えなかった。だが甲冑に刀傷があり折れた槍を手にしている落武者を追い返すのも不憫である。

 老婆はにこりと笑みを浮かべて男を匿うことにした。

「まずここへ座りなさい」老婆は居間に上がるよう誘った。

「世話になる」男は短く言うと草履を脱いだが足も泥まみれであった。「すまぬ、老婆。水桶にたっぷりと水をくれぬか? このままではあなたの家を汚してしまう」

 老婆はその通りにした。立ち居振る舞いといい気の使いようといいよっぽど名のある武将に違いなかった。

 男が居間に上がると戸が激しく叩かれた。

「おいここにいる者! たずねたいことがある! 戸を開けろ」

 男の肩がびくりと動いた。老婆は察した。

「…こちらの仏間に隠れていなさい。あとはこちらでなんとかしてやるわい」

「すまぬ」

 戸を開けると矢尽き刀折れた足軽風の男たちが三人ほど立っていた。

「老婆。この辺りで甲冑を着た武人を見かけなかったか?」

「わしは病にかかり寝込んでおる。そんなの見ておらんわ」

「おかしいな。大男だぞ?」足軽の一人が言った。「こっちの方へ逃げてきたという情報だったんだが…」

「おい老婆。中を検めさせてもらうぞ」

「勝手に入るでない。わしは病にかかっておると言ったじゃろう。これは一度かかると死ぬこともある恐ろしい病気で人から人へ移るものなんじゃ。カーッ、ペッペッゲホッゲホッ」

 老婆は痰を吐き咳き込むふりをした。

「お、おい、ヤバイぜ。死ぬかもしれねー病気だ」足軽の一人が戸から離れた。

「早く逃げた方がいいぜ。なんだか息が苦しくなってきたぜ」

 足軽衆は退散する気になったらしい。

「ところで、オマエたちが追っておるのはどこのどいつじゃ?」

「ああ、聞いて驚くなよ? 五味ノ国ごみのくには大将首趙野孝典ちょうのたかのりだ」

「大将?」

「つまりお殿様ってこった」

「ベラベラ話してないで早く逃げた方がいいって!」

 三人組は逃げて行った。

 老婆は居間に戻った。仏間から男が出てくる。

「助かった。礼を言うぞ」

「ところでぬし。腹は空いておらぬか?」

「そういえば空いているな。戦のあいだ陣でもろくに食べておらぬ」

「大したものは出せぬが用意するのでそちらの小上がりで待っておれ」

 しばらくして老婆は食事を持って行った。

 よっぽど腹が減っていたのだろう男は米をかきこみ、魚は骨ごと平らげ、汁で火傷しそうになって完食した。

 老婆は男にたずねた。

「あんた方はなぜ合戦をやっておるのじゃ?」

「天下を手中に収めるためだ」

「天下を手中に? それになんの意味があるのかこのご老体にはわからぬ。天下は一人のものではなくすべての者にあると思うのじゃが…」

「ハッハッハ。老婆殿。下々のオマエにはわかるまい。天下とは強い者のためにあるのだ。民草のためではない」

「天下を取ったそのあとはどうなさるのです?」

「オレは天の神に代わりこの国を治めるのだ」

「民草はどうなります?」

「もちろんオレを見上げて拝むことになるだろう」

「あなたはこの長い戦でどれだけ民が疲弊しているか考えたことがありますかな?」

「民は主人のために命懸け尽くすものである。疲弊など取るに足らず問題にもならぬ」

「それが民にとっては迷惑とは考えぬのか?」

「迷惑などと。むしろ感謝してもらいたいものだ。木の根の埋まっていたこの荒地だった土地を民を率い開拓したのはオレの祖父である。ここは代々趙野氏の土地だ。民はこの土地をオレの祖先から借り受けているのだからな」

「だがわかりませぬ。戦争をやるものには戦争をやる屁理屈があるのでしょうけれどそれになぜ田を耕し米を取る集落が巻き添えを食わねばならぬ?」

 女子供は奴隷として外国へ売り飛ばされ、略奪されるだけではなく家にまで火を放たれることもよくあることである。略奪なら卑しい欲望で説明がつきそうなものだが家に火を放つ行為はただの遊びではないのか。

 老婆がそのことを言うと男は答えた。

「女子供が外国へ売られるのは、奴隷商人が高く買い取ってくれるからだろう。オレは直接は知らん。放火するのは…憂さ晴らしだろう。足軽どもは合戦で生きるか死ぬかの極限状態に置かれる。少々の放火や略奪など目を瞑ってもよかろうよ」

「あなたは自国民が外国に売り飛ばされるのを見ないことにしておるのか」

 老婆は男に酒を勧めた。

「おおありがたい。まさか落ちのびた先で酒にありつけるとはなあ」

 老婆がしゃくに酒を注いで渡すと男は一気に飲み干した。

 男は喉をかきむしるように苦しみだすと仰向けに倒れた。

 男は事切れていた。

「もっとマシなことを言っとれば死なずに済んだのにのう」

 老婆はのち天下人になるかもしれない男を毒殺した。

 男を庭の土に埋めながら老婆は呟いた。

「このような男が歴史に名を残すのは改竄である。歴史とは名を残さぬ多くの人々の営みもあることを忘れてはならぬ」



                                 (了)




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