第三章 研究所 その2
現在、シオンは牢獄から連れ出され、研究所の施設内を歩いていた。
目の前にはこの地下研究所の所長だという魔道士の男がおり、周辺には彼を守る兵隊達の姿がある。
(……この研究所はどこに所属しているんだ? これだけ広い地下施設に、制服を着た兵隊達、出歩いている研究者らしき魔道士達。かなりの資金力を持った組織のはずだ)
シオンは何か手がかりが得られないか、さりげなく視線を走らせ続けていた。そして、施設の随所に先ほどから見覚えのある図を頻繁に見かけることに気づく。
(さっきから聖典に載っている『生命の樹』とよく似た絵を多く見かける。連中がシンボルとして使っているのか?)
世界中で信仰の対象となっている天使達が記したとされているのが聖典である。生命の樹とはその聖典の中で描かれている独特なデザインの樹で、この樹は世界の真理を示しているのだと言われている。
(聖典に描かれている『生命の樹』の絵よりも、樹を構成する球の数が一個多い。あんな場所に球は配置されていなかったはずだ。生命の樹とも違う何かなのか? 何かしらの宗教団体の独自解釈? だとしたら、ここにいる連中は何かしらの過激な思想を持った宗教的な主義者達の団体かもしれないが)
グリゴリは各国の宗教上の象徴として崇められているため、それだけに宗派は多い。生命の樹をシンボルとして掲げている宗教団体も多いが、この施設と人員を維持できるほどの規模の団体となると、国内外を併せても候補は絞られてくる可能性がある。
ただ、父親が教育内容に関心がなく、まったく口出しをしてこないことを良いことに、シオンは学ぶ内容を自分で選んでいた。
(くそっ、こんなことならもっとそっち方面のことも勉強しておくんだったな)
監禁されている現状で特定は困難だろう。失踪したモニカを探すのに宗教関係の話が役に立つとも思えず、この分野はあまり熱を入れて学習してこなかったのが災いした。
「報告だと魔眼に覚醒する前でも、お前の力量はランク2の魔道士程度だったそうだな。習得している魔法に至っては四級のものもあるとか」
前を歩く男性が、シオンに話を振ってきた。
「ええ、まあ。数は多くないですが……」
シオンは心の内の怒りを抑え、相手の顔色を窺うように答える。
「俺がその年齢の頃は二級の魔法を扱うのがやっとだった。それでも天才だともてはやされた。なのに、流石、王族の血は優秀だねえ。たかが十三のガキが、大したもんだ」
男の声には妬みのような色が含まれている。
「………………」
こういう時、どういう表情をすればいいのだろうか? どういう返事をすればいいのだろうか? シオンはわからず押し黙ってしまう。
すると――、
「けど、今の俺とお前なら俺の方が優秀だ。今の俺は五級の魔法も使えるからな」
男の方から勝手に口を開いて話を続けた。五級の魔法の使い手など、大国でもなければ数えられるほどしかいない人材である。
男の話が真実なら、この男はそれだけ優秀であることを意味する。これだけの研究施設の所長を務めているだけのこともあるのだろう。
「すごい、ですね」
「すごい? 心にもないことを言うなよ。今のは失点だな」
男は底意地の悪い顔でシオンを見透かす。
「そんなつもりは……」
「着いたぞ」
シオンが弁明しようとしたところで、男は大きな扉の前で立ち止まった。金属製でずいぶんと物々しく、頑丈に作られていることがわかる。
大の成人男性が数人がかりで押してもびくともしなそうなたたずまいだが、扉自体が何かしらのアイテムなのか、男が手をかざすと扉の前に魔法陣が浮かび上がり、あっさりと開き始めた。
「さあ、入れ」
男はシオンに入室を促す。
いや、それは入室というより、入場だった。
「…………ここは」
そこには天井がある。だというのに、広い。とんでもなく広い。闘技場のようなスペースだった。黙って歩きだしたシオンだったが、室内の広大さに面食らう。
「くひっ、くひひひっ。これからお前に戦ってもらう。即死しない限りは救ってやるよ。部位欠損も俺の魔法で綺麗に復元して治してやる。くひっ、くひひっ」
男は特徴的な気色の悪い笑い方をして、シオンにそう告げた。
◇ ◇ ◇
エラーと呼ばれる生物達がいる。それらは魔物と呼ばれることもある。人間にとって害ある様々な生命体の総称で、天使達の言葉で失敗作を意味する単語だ。
天使達が記した聖典によれば、エラーは生命の失敗作なのだという。今の世界が誕生するよりも遥か昔に生まれてしまった生命の失敗作。
だから、エラーは人間をはじめとする生命の成功作を許さず、恨んでいる。そして、天使達は魔物をエラーと名付けた。
そして、聖典では地上に生きとし生ける人類以外の生命体にも標準的な強さ、つまりは脅威度が人類と同じくレベルとランクという概念によって示されている。そこにはエラーの脅威度も記されている。
場所は直径百メートルはありそうな広大な地下闘技場。
その中央付近に、シオンは立っている。
「これからお前には魔物と戦ってもらう」
シオンをここまで連れてきたこの施設の所長が、シオンにそう告げた。
「……魔物? そんなものを使役しているんですか? どうして……?」
シオンは息を呑み、少し緊張した面持ちで尋ねる。魔物を使役するなど、およそ碌な団体ではない。
加えて、ライバルであるクリフォードと手合わせをするなど、対人戦闘の訓練は定期的にこなし続けてきたが、シオンには実戦経験はない。
しかも、今のシオンは首輪のせいで自由に魔法を使えない。いきなり実戦で魔物と戦えと言われれば、緊張するのも道理だった。
「言っただろう。お前の魔眼の性能実験だ。くひっ、怖いのか?」
男はシオンの表情が微かに強張っているのを察したのか、おちょくりだす。
「実戦経験はないので。今は魔法も使えませんし」
「温室育ちな王族のお坊ちゃんだったんだもんなあ。でも、安心しろ。実験の間だけ魔眼と魔法は使えるようにしてやるから」
「……はい」
魔法が使える?
なら、これはチャンスか?
一瞬だけ、そう思ったシオンだが――、
「けど、俺に危害を加えようとしたら首輪の効果が発動するからな。痛みで身動きが取れなくなったら即、魔物に殺されるぞ? くひひっ」
そう甘くはないらしい。
「……そんなことはしません」
「そうだよなあ。そう言うしかないよなあ。くひっ。ま、初回だし相手は弱めの魔物にしといてやるよ。レベル10のやつな。じゃ、俺は観戦するから。相手を殺せばお前の勝ちな。せいぜい楽しませてくれよ」
男はそう言い残すと、四級魔法である『飛行魔法』を使用してさっさとその場から飛び去ってしまう。闘技場の端っこには観戦用の小部屋があって、そこに入っていった。
それから、あまり間を空けずに、シオンが入ってきた入り口とは反対側の位置にある扉が開いた。そこから薄汚いローブを羽織って、ぼろい杖を手にした何かが出てくる。フードの隙間から、わずかに顔が窺えた。
そこには、白骨の髑髏があって――、
「スケルトン……アンデッドか!?」
シオンが身構えた。
見るのは初めてだが、見間違えるはずもない特徴的な外見である。スケルトンが姿を現した扉がゴゴゴと音を立てながら閉まっていく。
「…………火炎球」
スケルトンはシオンに向けて杖をかざすと、一級の攻撃魔法を使用した。骨の身体に声帯などないはずなのに、声が響く。
杖の先に魔法陣が浮かび上がり、呪文の詠唱と共に直径一メートルほどの火球が勢いよく射出された。
今、シオンが相対しているエラーの個体名は『スケルトンメイジ』といって、一級の攻撃魔法を使用するアンデッドだ。まともに戦えばより高位の攻撃魔法を操るシオンの相手ではない。のだが――、
「くっ!」
シオンは慌てて大きく横に飛ぶことで、攻撃魔法を避けた。訓練で手合わせをする時よりも明らかに動きが鈍い。
「おーい! 魔眼! 魔眼使えよお! 魔法も使えるようになっているんだから! 馬鹿かあ、お前!?」
何かしら拡声するアイテムを使用しているのか、小部屋で観戦しているはずの男の声が飛んできた。
「くそっ!」
やるしかない。シオンは腹をくくったのか、初めて自分の意思で魔眼を発動させた。その瞬間、シオンの両目に複雑な文様の魔法陣が浮かび上がる。
なお、魔道士が魔法を発動させるには、まず魔法陣を展開し、その上でトリガーとなる呪文を詠唱する必要があるのだが、普通は呪文の詠唱が完了するまで術者が使用しようとしている魔法が何なのかを第三者が知ることはできない(魔法陣の規模からおおよその魔法階級を知ることはできる)。
しかし、シオンの魔眼は魔法陣を視るだけで術者が使用しようとしている魔法が何なのかを知ることができる。
正確には、魔法陣のすぐ傍に半透明の枠が浮かび上がり、その中に術者が使用しようとする魔法の名称や効果、能力、発動に必要な時間などが記載されているのだ。
魔眼を発動させた今のシオンは、スケルトンメイジが展開している魔法陣の意味を正確に読み取っていた。
「火炎球」
スケルトンメイジが呪文を詠唱して、次の魔法を使用する。だが――、
「…………」
シオンはスケルトンメイジよりも後から魔法陣を展開し、スケルトンメイジよりも先に無詠唱で魔法を発動させた。呪文の詠唱を破棄できるのもシオンの魔眼が秘めた能力の一つだ。
すると、シオンの魔法の発動に二、三秒遅れて、スケルトンメイジの火炎球魔法も発動する。
スケルトンメイジにだいぶ近い場所で両者の火炎球が衝突すると、轟音を鳴らして半径数メートルほどまで火炎が拡散していき――、
「うひょう! いいね、いいね、いいねえ! ほらほら、もっと続けろ! ……あん?」
男の喜ぶ声が闘技場内に響いた。興奮してもっと戦えとシオンを急かそうとするが、スケルトンメイジの顔面がいきなり吹き飛ぶ。スケルトンメイジが膝をついて倒れ、魔石を残して消滅すると、男が訝しそうな声を出した。
「…………」
シオンが魔弾と呼ばれる一級の攻撃魔法で、スケルトンメイジの頭部を狙撃していたのだ。
火炎が拡散して相手の視界が遮られている状態で、正確に狙いを定めて頭部を吹き飛ばした。もろい骨程度なら、一級攻撃魔法で十分に粉砕できる。
それで、勝負はついた。シオンの目にはいまだ魔眼が発動している。
「ちっ、なんだよ、つまんねえなあ……。スケルトンメイジじゃ駄目か。じゃ、数を増やして、もっと強い奴も投入するか」
男が舌打ちすると、闘技場の扉が再び開いて次の魔物が姿を現す。いいや――、
「なに……?」
次の魔物達だった。扉の向こうからぞろぞろと出てきている。今シオンが倒したスケルトンメイジが十二体。
そして、スケルトンメイジ達より明らかに身なりの良いローブを着て杖を手にした存在が一体。シオンは知らないが、三級の攻撃魔法も使用できる『リッチ』という名のランク2相当のアンデッドだ。
スケルトンメイジ達は一斉に杖を構えて、その先端から魔力を放出して魔法陣を展開した。魔法を使う前段階の兆候だ。
計十二個のまったく同じ魔法陣が宙空に浮かび上がる。
シオンは魔眼の効果により、スケルトンメイジ達がこれからどんな魔法を発動させようとしているのかを正確に鑑定していた。
それぞれの魔法陣のすぐ傍に半透明な枠が浮かんでいて、【一級攻撃魔法:火炎球】【三秒後に発動可能】と記されている。
その一方で、リッチも杖を構えて魔法陣を構築していた。シオンの瞳には【二級攻撃魔法:暴風】【五秒後に発動可能】という表示が映っている。
「くっ!」
シオンは立て続けに三つの魔法を無詠唱で発動させた。シオンの全身を取り囲むように、続々と魔法陣が浮かび上がる。
一つは身体能力を強化する四級魔法の魔力疑似強化。
二つ目は身体を魔力の障壁で守る四級魔法の魔力疑似鎧。
三つ目は前方に大きく魔力の障壁を展開する四級魔法の魔力疑似障壁。
それぞれの魔法陣を展開させるのにかかった時間は約一秒。普通の魔道士は魔法陣を展開した後に一つ一つ呪文を詠唱して魔法を発動させる必要があるのだが、シオンは魔眼のおかげで詠唱を破棄して同時に魔法を発動させることができる。
これは対魔道士戦闘で圧倒的なアドバンテージを得ていることを意味する。
連続して呪文を詠唱していれば、すべての魔法を使用するのに二十秒はかかっていたかもしれないが、ほんの二秒ですべての魔法を発動可能な状態に持っていく。
やがて、スケルトンメイジ達の魔法陣の傍に浮かぶ枠内の数字がゼロとなり、【呪文の詠唱によりいつでも発動可能】と表記されると――、
「火炎球」「火炎球」「火炎球」「火炎球」
「火炎球」「火炎球」「火炎球」「火炎球」
「火炎球」「火炎球」「火炎球」「火炎球」
スケルトンメイジ達はシオンが鑑定した通りの攻撃魔法の呪文を一斉に詠唱した。少し遅れて――、
「暴風」
リッチも呪文を詠唱し、暴風を放った。スケルトンメイジ達が放った火炎球に勢いをつけて強力に押し出し、シオンを焼き払おうとする。
「はああああっ!」
シオンは前方から迫りくる火炎と暴風の壁を物ともせずに突っ込んでいった。そして、前方に展開した魔力の障壁で敵の攻撃魔法をすべて受け止めると――、
――衝撃爆波。
詠唱を破棄して三級の攻撃魔法を使用し、速度を倍返しにして敵の攻撃魔法をすべて押し返した。杖を構えたリッチやスケルトンメイジ達は反応すらできず、反射してきた圧倒的な爆煙に吹き飛ばされていく。
「……はあ」
シオンはすべてのアンデッドを倒したことを確認する。そして、疲れたように息をついて――、
(確かにとんでもないスキルだな。この魔眼は……)
自らが獲得した魔眼の恩恵が思っていた以上のものであることを実感した。相手が何の魔法を発動させようとしているかを呪文が詠唱される前に魔法陣から読み取り、その上でこちらは無詠唱で魔法を発動させて常に先手を打つことができる。
対魔道士戦ではおよそ無類の強さを誇ることができるだろう。一対一の状況ならば、格上の魔道士が相手でも勝率が高いと確信できる。
ゆえに、同じ魔道士がその魔眼の能力を知れば、その能力に嫉妬するのは必至。
「……アレでレベル10、ランク1だと?」
小部屋からシオンの戦いを観戦していた魔道士の男性が、誰にも聞こえないような声でぼそりと呟く。その声には驚愕と苛立ちが込められていて――、
「気にくわないなあ。俺より強い魔法が使えないくせに……」
と、言葉を続けている。
――いびってやる。これから何年も、何年もかけて、実験動物としての立場を理解させてやる。俺に服従させてやる。
この日から、シオンの地獄は始まったのだった。
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