ぼくの夏休み

丸 子

夏休みが始まった!

夏休み。

ぼくの大好きな休みだ。

プール、かき氷、すいか、海、肝だめし大会、お祭り、キャンプ、花火大会。

楽しいことばかりだ。

しかも学校がない!

ゲームは、し放題。

友だちと遊び放題。

今年の夏休みは自転車で遠出をしようと、たかしと相談してる。


それなのに。


夏休みになったばかりだというのに、お母さんときたら

「宿題しなさい」

とうるさい。

「今の内にコツコツとやっていかないと、あとで泣くことになるわよ」

だとか

「絵日記の天気は毎日つけないとわからなくなるわよ」

だとか。

ぼくの顔を見るたびに

「宿題やったの?!」

と聞いてくる。

しまいには

「宿題をやらないと、たかし君との約束もなしにするわよ!」

だって。


「宿題」「宿題」ガミガミ ガミガミ・・・。

まったく嫌になるよ。





宿題。

今年は担任が森口先生になって、ものすっごく宿題が多い。

モーリーのヤツ、宿題をするこっちの身にもなってくれよ。

算数プリント30枚、10マス計算100枚、計算ドリル、漢字ドリル、漢字の一万マスプリント50枚、夏休みドリル、自由研究、読書カード20冊分、絵日記、習字、ポスター、夏休み最後の復習プリントテスト。

こんなに多くちゃ、ぜったい終わらないよ。

終わるわけがない。

勉強っていうのはゴールが見えるから、がんばれるんだ。

こんなに出されちゃゴールなんて見えない。

ということは、がんばれない。

一学期最後の日、森口先生から宿題の説明があった時に、あきらめがついた。

「さぁ、今年は宿題を忘れて遊ぶぞー!」

と気持ちよく。

いさぎよく、だ。




ぼくの名前は、ただし。

小学4年生。

背は真ん中くらい。

髪の毛はハリネズミみたいに逆立ってる。

顔は・・・まあまあ?

遊ぶの大好き。

ゲーム大好き。

勉強・・・大きらい。

命令されたり、じっとしているのも苦手。

授業は体育以外、いつも「がんばりましょう」。

給食は、もちろん、大好き。




今、ぼくは新幹線に乗っている。

ひとりで。

どうしてか?

おばあちゃんの家に泊まりに行くことになったからだ。

昨日の夜、おばあちゃんから電話がかかってきて、急に決まった。

というか、おばあちゃんとお母さんで勝手に決めたんだけど。


おばあちゃんは、ぼくのお父さんのお母さん。

おじいちゃんが死んじゃってからは、おばあちゃんは大きな家にひとりで住んでる。

おじいちゃんは、ぼくが小さいころに死んじゃったから、ほとんど覚えてない。


あ、「死んだ」じゃなくて「なくなった」って言わないといけないんだった。

「なくなる」って、どういう意味だろう。

「死んで いなくなる」から「なくなる」なのかな。

お母さんに意味を聞いたら

「辞書をひきなさい! そのために買ったのよ!

まったく、すぐ人に聞くんだから・・・」

ガミガミ ガミガミ・・・・・

はいはい。

聞かなきゃよかったよ。




で。

おばあちゃんの家は遠い田舎にあるから、東京に住んでいるぼくは新幹線で行かないといけない。

それで、ぼくは今ひとりで新幹線に乗っている、というわけだ。




ぼくの夏休みの予定を、どうしてくれるんだ。

全部パーだよ。

「はぁ・・・終わった」

ため息と一緒に出たゼツボウを、お母さんは笑い飛ばした。

「だいじょうぶよ。おばあちゃんとこで、ちゃんと宿題を終わらせてきたら、たかし君とだって好きなだけ遊べるんだから」

そう言われても、ぜんぜん、うれしくない。

帰ってきたら、きっと、へとへとになってる。

遊ぶとしても、遠出じゃなくて、近くで、だろうなぁ。




お母さんたら、夏休みの宿題のほとんどを荷物と一緒にリュックに入れたんだ。

ちょーーーー重い!

着替えとかのほうが、ずっと少ないじゃないか。

ゲームのソフトは3つまでだし・・・・・ありえない。


「いとこの さとちゃんがいるから、たいくつしないわよ」

だって。

「さとちゃんに宿題ちゃんと見てもらいなさいよ」

じょーだんじゃないっ!




おばあちゃんの家には、いとこの さとこも来ることになってる。

さとこも ぼくと同じ小学4年生。

おばあちゃんの家の隣町に住んでいる。

女の子なんだけど なぜか気が合って、小さいころは よくいっしょに遊んだっけ。

でも、最後に会ったのは、いつだ?

思い出せない。

ウチのクラスの女子は口うるさいから、もしかすると、さとこも口うるさくなってるかも。

いやだなぁ。




おばあちゃんの家に行くのに前向きになれない理由が他にもある。

実は、ぼく、苦手なんだ。

おばあちゃんのこと。

おばあちゃんは何歳か わからないけど、すごく年取って見える。

でも、笑うと子どものような顔にもなって ふしぎなんだよな。

とっても優しいおばあちゃんなんだけど、ときどき こわいことを言うから苦手なんだ。


たとえば

「米つぶが ついたままで ごちそうさまをすると、 茶わんから火が出るよ」

とか

「夜に つめを切ると、親の死に目に会えないんだよ」

とか

「食べ物をそまつにすると、バチが当たるよ」

とか

よく分からないことを言うんだ。

ぶきみだろ?


家では、そんなことを言う人は だれもいないし、友だちにも そんなことを言うヤツはいない。

そんなこと言ったら

「何言ってんの?」

と、バカにされそうなのに、おばあちゃんが言うと、なんだか本当に起こりそうで気味がわるい。




東京を出発して 、やっと おばあちゃんの家に着いた。

小さいころに遊びに来たときのまんまだ。

庭の手入れが行き届いていて、花がいっぱい咲いている。

なんていう花か知らないけど、色とりどりで きれいだ。

広い庭の一角は小さな畑になっていて、何かの野菜が育っている。

庭の真ん中には、でっかい木もある。

ここ、ぜんぶ、おばあちゃんが ひとりでやってるのかな。


ぼーっと見てたら、おばあちゃんに

「疲れただろう? 荷物を置いておいで。お昼にしよう」

と言われた。


さとこは先に着いてた。

ぼくの大荷物を見て、笑いながら

「荷物、持ってあげるよ」

と、半分持ってくれた。

あれ、ぼくより大人っぽくなってる?




お昼ご飯を食べ終わって、ひと息ついていると、おばあちゃんが

「ただし、茶わんから火が出るよ」

と言った。

「えっ? ぜんぶ残さず食べたよ」

と言うと、おばあちゃんは

「お茶わんに、ご飯つぶが残ってる」

と言う。

よく見てみると、たしかに お茶わんの あちこちに ご飯つぶが くっついていた。

家では このくらい、何にも言われないのに。

おばあちゃんに言われるまで気づかなかった。

心の中で「えーっ、このくらい いいじゃん」と思いながらも、ぼくは おばあちゃんが こわくて何も言い返すことができず、一つぶずつ はしで すくって食べた。


「ごちそうさまでした」

小さな声で言うと

「はい、おそまつさまでした。ただしは はしの持ち方が じょうずだね」

と、ほめられた。

おばあちゃんは、また子どもみたいな顔して笑ってる。

ほめられて うれしかったけど、「おそまつさま」って何だろう、人? と首をかしげた。

おばあちゃんもアニメとか見るのかな。


お茶わんを片づけながら

「おそまつさまって、だれ?」

と、さとこに聞いたら

「バカねぇ。おそまつさまでした、っていうのは、ご飯を作った人からの、こんな食事ですが食べてくれてありがとうございました、ってお礼の気持ちをあらわすことばだよ」

と教えてくれた。

ふーん、そうなんだ。

知らなかった。

さとこが知ってるってことは、じょうしき問題?




虫を捕ったり、家のまわりを探検したりして、たくさん遊んだあと、お風呂に入った。

古いお風呂だけど、きれいにそうじしてあって、タイルとかピカピカ光ってる。

ウチのお風呂より清潔かも。

さっぱりと気持ちがよかった。


湯船に入って鼻の下までお湯に浸かっていると突然おばあちゃんの声がした。

「ただし、お風呂でおしっこすると神様に叱られるから<地の神様ごめんなさい>と言ってからおしっこしなさいよ」

は?

地の神様って?

お風呂でおしっこって幼稚園生かよ!

でもトイレのことを考えていたら体が自然とブルっとふるえた。

やっぱ、おばあちゃんて変だなぁ。



お風呂上がりはコーラの一気飲みって決めてるけど、さすがに、おばあちゃんの家には炭酸もジュースもない。

代わりに冷たい麦茶を一気飲みした。

ぷはー!

うまい!




口笛を吹きながらゲームして「晩ご飯は 何かな」と考える、シフクの ひととき。

おばあちゃんの作ってくれるご飯は「ザ・ふるさとの味」って感じで、けっこうおいしい。

「野菜ばっかなのが惜しいんだよな。もっと肉を出してくれると三ツ星レベルなんだけどな・・・」

なんて、ブツブツひとりごとを言ってたら

「ただし、暗くなってから口笛を吹くと へびが来るよ」

とつぜん、低い声がした。

わっ、びっくりした。

おばあちゃんが部屋の入り口に立ってた。

「はぁ? っていうか、いつから いたんだよ」と言いかけたしゅんかん、頭の中に 大きなへびが のそりのそりと 部屋に入ってくるようすが 浮かんだ。

ぞくり として 体がブルッと ふるえ、もう夜に口笛を吹くのはやめようと強く思った。

そんな ぼくを見て おばあちゃんは 子どものような顔で笑いながら

「それで、よし」

と ろうかを歩いていった。


だから苦手なんだよ・・・。

なんなんだよ・・・。


よくわかんなくて、なんか こわい。

気味が悪いんだよな。

それに、ウソや おどしじゃない気がするから余計にこわい。




夕飯は 郷土料理だった 。

食べたことのない料理もあった。

また野菜メインかぁ。

ハンバーグとか焼肉とかが良かったなぁ。

昼間は肉じゃがだったから、まだ食べられたけど、煮物って苦手。

なすの煮浸しも・・・オェ〜。

ずっと、こんな感じなのかなぁ。

頭の中の残念な気持ちが顔に出ていたみたいで

「なんだい、ただし。食欲がないのかい?」

おばあちゃんにチクリと言われた。




夕飯が終わって、また片付け。

さとこに

「おまえ、おばあちゃんの料理が好きなの? おかわりしてたよな。無理して、腹こわすなよ」

って話しかけたら

「おばあちゃんのお料理、おいしいよ。ただしは知らないかもしれないけど、おばあちゃん、お料理上手なんだよ。お漬物も全部手作りだし。テーブルセッティングも凝ってるし。全国の郷土料理を作れるんだよ」

「ふーん、テーブルセッティングねぇ。それより俺が食べたい物を作ってくれる方がいいや」

「何それ。わかってないなぁ。これだから男子って!」

とバカにされた。


さとこは そのまま おばあちゃんの手伝いに行ったので、ぼくは縁側に出て庭をぼんやり見ていた。

星が ものすごくいっぱいあって、月が ものすごく 大きくて明るくて、街灯がなくても明るい。

おばあちゃんの家では テレビがあっても付けないから虫の声が よく聞こえる。

車も通ってない。


ものすごく・・・静か・・・というか・・・なんていうんだろう・・・ザワザワしてない。

頭の中が空っぽになって、ぼくの気持ちも静かだ。

隣に蚊取り線香が焚いてあって、その音まで聞こえてきそうだ。


チリチリと線香が燃え尽きていく音。

線香が煙に変わる瞬間の音。

その煙に蚊がやられる「キュー」って鳴き声と クラクラと落ちていく羽音。


こんな風に感じたことなんてなかった。

毎日、毎分が忙しくて、いつもバタバタしていた。

こんな風に ぼーっとすることが、まず、なかった。


とっても静かな夜。

夜って静かだったんだ。

風の音や虫の鳴き声って、こんなに心地良かったんだ。


大きく深呼吸したくなった。

鼻から胸いっぱいに息を吸い込むと、いろんな匂いが入ってきた。

草の匂い。土の匂い。おばあちゃんの家の匂い。

そういえば、自分の家の匂いって、どんなだったっけ。

気にしたこともなかったな。

おばあちゃんの家の匂いは、湿布みたいなスーッとした匂いと石鹸の匂いと雑巾がけした廊下の匂いと古い家具の匂いと線香の匂い。

家が大きいから部屋ごとの匂いがある。

畳の部屋の匂いや台所の匂い、洗面所の匂い。




「ただし・・・ただし。風邪ひくよ」

肩を叩かれて目が覚めた。

いつの間にか眠っていたみたいだ。

歯を磨くのも面倒でヨロヨロと布団に入った。




次の日の朝。

自然と目が覚めた。

いつもは起こされないと起きないのに。

目覚まし時計も効果なし。

二度寝、三度寝は当たり前なのに。

廊下から味噌汁のいい匂いがしてきた。

グゥーーーーーー

おおー、今日も元気だ、ご飯さいこー!

早く着替えよう。


「おはようございますっ!」

元気いっぱいに あいさつすると おばあちゃんも さとこも起きていて

「おはようございます」

あいさつが返ってきた。

朝から大きな声であいさつするのって気持ちがいいな。


テーブルには すでにご飯が用意されていた。

やったー! 今朝は大好きな焼き鮭だ!

みんなで

「いただきます!」

さっそく食べ始めた。

「ただしは 皮まで食べて えらいねぇ。はい、これも お食べ」

ぼくのお皿に大きな梅干しが一個。

「この梅干しもおばあちゃん特製だよ」

さとこが いばって教えてくれた。

作ったの、おまえじゃなくて、おばあちゃんだろっ!

心の中でツッコんでおいた。

丸ごと口の中に梅干しを入れたら

くぅーーーーー すっぱい!

ぼくの顔が おかしかったのか おばあちゃんと さとこが大笑いしてる。

あわててご飯をかきこむ ぼくを見て

「梅は その日の難逃れ」

おばあちゃんの呪文のような言葉に きょとんとしてしまった。

「梅干しを食べると その日1日 何事もなく 過ごせるっていう意味の ことわざよ」

さとこが教えてくれた。

また、えらそうにしてる。

くそっ!




それにしても、おばあちゃんの料理、本当においしいな。

それに、なんだか、イライラしなくなった。

おばあちゃんは あいかわらず 苦手だけど、楽しい夏休みになりそうだ。




「よしっ いっちょやるか!」

わざと大きな声を出して気合いを入れて、勉強することにした。

簡単な宿題から片付けていこう。

とりあえずリュックの中から宿題をぜんぶ床に出して並べてみた。

その中から簡単そうなのを机に置く。


おばあちゃんの家の部屋は、畳が ほとんどだ。

ぼくが借りている部屋も畳で、寝るときは布団を敷いて、昼間は布団の代わりに机を部屋の真ん中に置いてある。

布団は一応、自分でたたんだり敷いたりしてる。

ぼくだって布団を片付けることくらいできる。

家ではベッドだし、シーツの交換なんかも ぜんぶ お母さんがやってくれるから、自分でやったことなんてないけど。

まぁ、それなりにね。


というわけで、畳の上に宿題のノートやなんかを広げて、机の上で宿題に取りかかっていると

「何でもかんでも床におくんじゃないの。踏んだらどうする?」

さっそく おばあちゃんの声だ。

はいはい。

「文房具を粗末にすると字の神様が怒って字が汚くなるよ。まったく、だらしがないね」

字の神様ってなんだよ。

「枕をお尻に敷くなんて、なんて子だい! 座布団があるだろう。座布団を使いなさい!」

あー、もう うるさいなぁ!

一気に やる気がうせた。

あーあ・・・・・。


おばあちゃんの足音が遠ざかるのを かくにんして、ゲームをすることにした。


「もう宿題は終わったの?」

さとこだ。

お母さんみたいなこと言うなぁ。

無視してゲームに集中する。

「おばあちゃんは誰にでも小言を言うんだよ。知らないおじさん、おばさんや、お姉さんにも。大人も叱られるんだよ。この前は私のお父さんも叱られてた」

ちょっと嬉しそうに、さとこが、こっそり教えてくれた。

へぇー、大人も叱られるんだ・・・。

大人になって叱られるのって、どんな気分なんだろう。

ぼくの気持ちが聞こえたように

「お父さん、けっこう、へこんでたよー。大人になって叱れるなんて恥ずかしいって」

あのおじさんがねぇ。

へこんでる姿を想像してみた。

同情するよ、おじさん。


「でもさ、おばあちゃんの小言って、ちゃんと意味があるじゃない? だから叱られてもありがたい気持ちになるよね」

「字の神様なんていないから、意味ないと思うけど」

「字の神様って本当にいると私は思う。水の神様も、土の神様も、ノートや本にも神様がいると思うよ」

「そんなにたくさん神様がいたんじゃ、たいへんだね」

「うーん・・・なんていうのかな、大切にしなさい、ってことなんじゃないかな。何をするにも ていねいにするってこと。それと、ありがとうございますって感謝の気持ちを持つこと」

「ていねいに、ありがとうございます、ねぇ・・・」

わかったような、わかんないような。




お昼ご飯のあと、皿を洗いながら、さとこがおばあちゃんに話してる声が聞こえた。

「それにしても、ただしは宿題しないでゲームしてたね。おばあちゃん、注意しないの?」

「注意なんてしないさ。ただしが「やらなきゃっ」て思ったときに やる。それが大切なんだよ。人様から「やりなさい」って言われてやったって頭に入りっこない。人間だれでも、今ひつようなもの・やらなきゃいけないことが わかるものさ」

「へぇー。でも、ただしは わかってなさそうだけど」

そう言って、2人で笑ってた。


今 やらなきゃいけないこと・・・

宿題やるか。




気付いたら夕方だった。

もしかして数時間ぶっとおしで勉強してた?

こんなこと生まれて初めてだ。

終わった宿題が山づみになってる。

こんなに集中できたなんて・・・やるじゃん!




気分転換に庭に出てみた。

息を吸って大きく伸びをする。

体がいい空気を求めている。

あー、空気がうまいなー。

自然はいいなー。


ふと畑を見ると、おばあちゃんが野菜を採ってた。

「おばあちゃーん」

呼びながら、おばあちゃんのところへ歩いてく。

きれいな色のトマトやキュウリ、ナスもある。

おばあちゃんは 木で出来たカゴに 採れた野菜を入れていく。

「おいしそうだね」

「そうかい? ただしは野菜が苦手じゃなかったのかい?」


意地悪そうに笑う おばあちゃん。

ホント、意地悪だ。

それなのに、なぜか、腹がたたない。


「でも畑になってると、おいしそうに見える」

「そうさ。命を頂くんだから、おいしいに決まってるよ」

「おばあちゃんさ、おばあちゃんの幸せって何?」

「幸せかい? どうした、ただし? めずらしいこと聞くんだねぇ」

「・・・なんとなくね」

「幸せ・・・ねぇ。庭の花が咲いた。野菜が育った。ご飯をおいしく食べられること。こうして孫に会えること。離れていても、みんなが元気でいること。どんな小さなことでも幸せを感じて、それを集めること。この世のすべてに感謝する心を持っていられること」

「おばあちゃんは、よく感謝するって言うけど、だれに感謝してるの?」

「神さま、仏さま、ご先祖さま。目に見えないけど、私たちを守ってくれている そういうものすべて」

「ご飯をよそる時も、小さい声で「神さま、仏さま、ご先祖さま。いつも おいしいご飯をありがとうございます」って言ってるよね」

「よく聞いてるねぇ。そうやって いろんなことを観察するのは よいことだ。ただしは よいところが たくさんあるじゃないか」

「家では、お母さんに叱られてばっかりだけどね」

「ふふふ、お母さんには お母さんの考えがあるのさ」




「おばあちゃん、お風呂そうじ終わったよー」

さとこが家から顔を出した。

「あれ、ただし、ひきこもりは終わったの?」

「ひきこもりってなんだよ! 宿題してたの!」

「ウソー! ゲームしてたんじゃないのー?」

「してねーよ!」


そんなぼくたちの会話を楽しそうに聞いているおばあちゃんの顔は幸せそうだった。

こんな会話でも聞いてて幸せなのかなぁ。




ぼくたちの夏休みは、こうして過ぎていった。

お昼ご飯のあとの宿題は いつの間にか 毎日の日課になってた。

宿題のあと庭に出て、おばあちゃんと野菜を採ることも。

おいしい野菜を見分けるコツ、食べごろの野菜を見つけるのも うまくなった。





そして ある日。

とても暑い夏の昼下がり。

暑いなんて言葉では たりないくらい、体が溶けるとか、逆に干からびてしまうんじゃないかと恐ろしくなるような日だった。

ただ、セミの声だけが響いていた。


その日も宿題を終えた ぼくは庭に出た。

いつもどおり。

「おばあちゃーん」

いつもどおりに呼ぶ。

でも 返事がなかった。

どうしたんだろう、と思いつつ、もう少し大きな声で呼びながら畑を歩いた。

そんなに大きな畑じゃない。

土に顔をうずめるようにして倒れているおばあちゃんを見つけたのは すぐだった。

驚いて一瞬声が出なかった。

頭が真っ白になった。


おばあちゃんを呼び続けるぼくの声に いつもと違う何かを感じた さとこが庭に出てきていた。

ただ立ってることしかできないぼくの隣に駆け寄ると、「おばあちゃん!」と声をかけて、すぐに家に走って入った。

いつもは靴をそろえて置くのに、左右の靴が とんでもない方向に飛んでった。

片方の靴は裏返しのまま。

そんな脱ぎ方なんて したことないのに。

ぼくが適当に脱ぐ靴を いつもそろえて置いてくれるのは さとこだったのに。


ただごとではない何かが起こっているということ。

それは全身で感じてる。

肌がヒリヒリして、地面に穴が空いて足元がスッとする感じ。

頭が冷え切ってしまい、息がうまくできなくて、手が冷たくなってる。

あれ、地震かな? と思ったら自分の体が震えていた。

心臓がものすごい勢いで バクバクいってる。

どうしよう。

おばあちゃんが・・・。

どうしよう。

お昼は元気だったのに。

普段と何も変わらなかったのに。

どうしよう。どうしよう。どうしよう。




ぼくが動けないでいる間も、さとこは家から出てきて、おばあちゃんに何かしてる。

おばあちゃんの鼻と口の前に手をかざして何してるんだろう。

おばあちゃんの着ている服の首のところと お腹のところを ゆるめてる。

そうっと おばあちゃんの体を寝かせたままで横向きにしてる。

それから、家から持ってきた氷が入った袋を おばあちゃんの首筋と脇の下と足の付け根に挟んで タオルで顔を拭いている。

一体さとこは何をしてるんだろう。



そのうち、車がおばあちゃんの庭に入ってきて、さとこの おじさんが出てきた。

おじさんは町役場に勤めていて、さとこからの電話はおばさんが取って、おじさんに知らせたらしい。

そういうことを、あとで知った。

おばさんが車を庭のすみに停めるのと同時に救急車のサイレンが聞こえてきて、それは どんどん近づいてきたと思ったら、おばあちゃんの庭に入ってきた。

こんなに近くで救急車を見るのは初めてだ。

救急車の中から出てきた救急隊の人と話している さとこの声が聞こえる。

さとこが すごく大人っぽく見えた。

はきはきとした話し方で質問に答えている。

さとこの隣には、おじさんもいる。

庭に倒れているおばあちゃんを見つけたのは ぼくなのに。

おじさんが おばあちゃんに付き添って一緒に救急車に乗った。


気がつくと、おばさんが となりにいて ぼくの肩を後ろから そっと支えてくれていた。

腕をさすってくれていたようで、ぼくの体の震えが止まっていた。

もう手も冷たくない。

おばさんを見ると

「びっくりしたでしょう。大変なことだったね」

と優しく声をかけてくれた。

さとこが ぼくたちのところまで歩いてくる。

その顔は緊張しているけど、安心している風でもあった。

「もう大丈夫。あとは病院の先生に任せよう」

班長みたいだな、と ぼんやり思った。


おばさんが

「あらあら、さとこ、どうしたの、その足?!」

珍しく大きな声を出すので、さとこの足元を見てみると、さとこは裸足で 足が真っ黒に汚れていた。

とても冷静に見えていたけど、本当は ぼくと同じくらい 驚いてたんだ。

「ごめん、何もできなくて」

情けない声で ぼくが謝ると

「大丈夫だよ」

そういう さとこの声も情けないくらいに小さくて震えていて泣きそうな顔だった。

「はぁー、びっくりした」

きっと、おじさんと おばさんが来たから安心したんだろう。

無理に笑顔を作って さとこが そう言った。



おばあちゃんは熱中症にかかったんだとお見舞いに行くとちゅうでお母さんから聞いた。

結局おばあちゃんは しばらくの間 入院することになり、お母さんがぼくを迎えに来た。

熱中症だけじゃなくて、もともと病気だったそうだ。

全然そんな風に見えなかったので、ぼくは とても驚いた。

さとこは そんな おばあちゃんのことを知っていたらしい。

何も知らなかったのは、ぼくだけだったということだ。

なんだか だまされたような、子ども扱いされているような いやな気分だ。

ぶすっつらしてるぼくを見て、お母さんは

「しょうがないじゃない。お母さんが言わなかったのも悪かったわ」

と謝ってくれた。

でも、実際、知らされていても、ぼくに何ができただろう。

きっと何もできなかったにちがいない。



おばあちゃんの病室に向かうまで、病院の匂いが鼻をついた。

薬の匂い。病気の匂いがする。

その匂いが ぼくを不安にさせる。

急に おばあちゃんに会いたくなくなった。

怖くなった。

逃げ出したくなったけど、ここで逃げたら、本当に子どものままだ。


病室の前で名前を確認して、消毒液で手を拭いてから病室に入った。

4人部屋の一番奥。窓側におばあちゃんは いた。

お母さんのうしろをついて行きながら、通り過ぎるベッドの人たちにあいさつをする。

そうっとベッドをのぞいたら、おばあちゃんは 眠っていた。

お母さんと目で話をする。

「どうしようか」

そうしたら、おばあちゃんがスッと目を開けた。

「あ、おばあちゃん」

ぼくが声をかけると、おばあちゃんはニッコリと笑ってくれた。

でも、おばあちゃんが とっても小さく見えた。

まるで別の人みたい。

パジャマとか髪の毛とか きちんとしているけど元気がなくて、本当に具合が悪いんだ、と改めて思った。



「おばあちゃん、だいじょうぶ?」

大丈夫じゃないから入院してるのに、こんなバカみたいな質問をしたことに恥ずかしくなった。

お母さんは

「何か飲み物を買ってくるわね」

と病室から出て行った。

「ただし、ごめんよ。こんなことになってしまって」

おばあちゃんが 頭を下げた。

「ただしが おばあちゃんを見つけてくれたんだってね。驚いただろう? ごめんよ」

「いいよいいよ、何言ってるんだよ」

またしても、ぼくは こんなことしか言えなかった。

本当は ものすごく怖かったよ。心配したんだよ。

心の中で、そう言った。


「ただし。よく聞いておくれ。

ただし という名前は正しいという漢字を書くだろう?

「名は体を表す」と言ってね。名前は自分自身を映す鏡のようなものなんだよ。

自分の中に一本のものさしを持ちなさい。どういう意味かというと、

自分の中に神様がいて、やっていることがやましいかどうか。

やましいという意味はわかるかい?

嫌な気分がすること、悪いことをしているような気分がすること、そういう気分が少しでもあったら、 それは良くないことだから、やめなさい。

それは間違っているということだよ。それが やましい、ということ。

たくさん考えなさい。

悩んだっていいんだよ。

間違えたり失敗してしまっても仕方ない。でもね、同じ間違いをしないこと、それが大事。

物事を丁寧にしなさい。

自分の中に神さまは、いつも ただしの行いを見ているよ。

その神さまに恥ずかしくない行いをしているか。見られても平気かどうか。

自分のなりたい姿が その神さまでもあるんだ。

なりたい姿に近づいているか。

いつも自分の胸に聞いてごらん。

そのことを いつも心に留めておきなさいね」


なんだか、おばあちゃんが遠くに行ってしまう気がして、こわくなった。

もう死んじゃうんじゃないか、って本気で思った。

きっと泣きそうな顔をしてたんだと思う。

おばあちゃんが、ふっと笑って

「ごめんね、せっかくの夏休みが こんなことになってしまって。

今度は お盆においで。一緒に ご先祖さまをお迎えしようね」

まるで ぼくを なぐさめるように そう言った。




おばあちゃんのお見舞いに行った日の夕方、ぼくは東京に戻ってきた。

予定よりも、ずっと早く。

おばあちゃんと過ごした夏休みは短かったけど、教えてもらったことは たくさんあった。


東京に戻っても、ぼくは毎日、宿題をしたし、お茶碗は自分で片付けた。

お母さんが ぼくの食べ方を見て、きれいになった、と驚いた。

朝起きるとベッドも ととのえるようになった。

見た目は変わってないと思う。

でも、なんていうか、ちょっと変わったな、って自分では思ってる。

おばあちゃんが病院で ぼくに言ってくれたことは、正直、ほとんど よく分からなかったけど、でも頭には入っている気がしてる。

ぼくは

「これでいいのか?」

って 自分に聞くようになったんだ。

まだまだ 良いことと悪いことの区別なんて出来ないし、失敗や怒られることもたくさんある。

迷うこともイライラして友達とケンカすることも しょっちゅうだ。

でも これでいいのかなって わからなくなると、おばあちゃんの声が聞こえるんだ。

「ただし。ただしは 正しいって漢字なんだよ」

そうすると、おばあちゃんが言ってくれた「正しい」自分でありたい、って思える。

今は それでいいかなって思ってる。というか それで精一杯だ。


ぼくは、おばあちゃんと来年も さ来年も夏休みを一緒に過ごしたい。

おばあちゃんに教えてもらいたいことが たくさんあるんだ。

そのためにも ぼくは 精一杯の「ただし」でいようって決めたんだ。

おばあちゃんと ぼくの夏休みは まだまだ これからも続くんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぼくの夏休み 丸 子 @mal-co

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ