19 紅の凶竜よ、魔王は独りではないと知れ!

 バンッ!!


 ――突然の破裂音。俺はそれが、オズに渡したM67グレネードの音だとわかる。

 爆風に煽られてぱっと夜空に揺らいだのは、街を囲む赤い毒霧の一部だ。


『……アハハハハ! 何をしたかと思えバ、悪あがきカ!! その程度で美しき竜と化シタ、ワタシのブレスが散らされるモノカアアア!!』


 赤竜が嗤うとおりだ。魔力で操られる霧の渦は、瞬く間にもとの厚みに戻っていく。


 が、別に構わない。俺は夜の闇に渦巻く、赤い毒霧から目を離す。

 オズにさせたのは、霧の壁に穴を穿つことではない。もとより手榴弾一つ程度の威力で、どうにかなるとは思っていないしな。


 M67を使わせたのは別の目的のため。毒霧の壁に爆風が届いたのは単なる余波だ。

 そちらは引き続きオズに任せるとして――纏う白ローブを翻し、このタイミングで勢いよく塔を飛び出す。

 三つの月と星が照らす地面を蹴り跳ねて、疾駆し、まずは塔から近い宿屋の裏へと身を隠した。


 それはこちらに迫って来ていた竜に、やはり見られてしまったらしい。

 煌々とした月明かりの下では、ローブの白さが嫌でも目立ったか。


『今になってソコを出たかア? ハハハハハ! 逃げろ逃げロ!! せいぜいこのワタシを恐レ、醜ク、無様に逃げ回れ魔王オオオオオ!』


 嬉々とした足取りで地を揺らし、赤い竜が大通りを踏み潰して迫り来る。

 あまりの揺れに、連なる木造の宿屋が何軒も崩壊し始めた。

 しょせんは安普請だな。これでは隠れていられない。


 走るしかない――。白いローブの裾をはためかせ、一気に通りへと躍り出た。

 残念ながら退路は少ない。通りの左右は倒れた巨大な遺跡に塞がれて、まるでそそり立つ城壁だ。駆け上がることはできない。

 故に、ここには一本の大通りしか造られていなかった。


 退いて物見の塔に戻るか、それとも迫る竜の足元をすり抜けるか? 残されたのは二択のみ。さあ、どうする?

 ……臆しようとする足を叩いて、選んだのは竜へと向かう血路だ。

 それは、さすがに無理が過ぎるか。


『舐めるナアアア! 魔王ウウウウウウウ!!』


 風が舞い、赤竜の胸が膨らむ。ブレスが来る!

 直前に、かぶっていたローブのフードが脱げる勢いで、真横へと跳躍していた。


 ゴバアアアアアアアア!!


 赤いブレスが放たれて、通りの石畳を焼き尽くす。

 それをぎりぎりで回避できたのは、生まれついての脚力があったからだ。地面にごろごろ転がって、慌ててぴょんと跳ね起きる。


「む、無理無理無理いぃ! これ以上は、ほんとに死んじゃうよおーーーー!?」


 わめいたのはフードの下から長い耳を出した、黒毛のウサギ娘だった。


『何ィ!? お前ハ……魔王じゃナイイ!?』


 よくやった。正直、ここまでできるとは思っていなかった。

 巨大な竜がウサギ娘の方を向いている。


「後少しだ」


 着ていたローブをウサギ娘に渡した俺は、物見の塔の最上階に留まっていた。

 寝そべり、銃床ストックに頬付けし、SR-16の照準サイト越しに赤い竜を狙い続ける。


 ウサギ娘はただの囮。そうなることをヤツが望んだから。


「ふ。死ぬぞ、貴様」


 俺は一応忠告した。


「し、死にたくはないけど! でもぉ……どのみちアタシなんか、このままだと絶対、あっさり死ぬだけだと思うしぃ! 言いたくないけど運の悪さには自信があるのぉ!」


 自己分析だけはできている女だった。


 確かにそのとおりだろう。無力なウサギ獣人コボルトがたった一匹で生き残れるほど、状況は甘くない。隠れたまま暴れる竜に潰されるか、逃げて毒のブレスに巻かれるかだが、少なくともヤツの目はどちらも望んではいなかった。


 別にウサギ娘を信じたわけではない。

 魔王たる俺が、ヒトなど信用するものか。生きるも死ぬも勝手にすればいい。

 戯れに許しただけ。最悪、まったく役に立たないことも織り込み済みでだ。


 俺の予測では、最初のブレスで終わると思っていたが……ふ、意外としぶといな。


悪運博兎バッド・ラビットだったか」


 くだらない二つ名を思い出し、つい口にする。


 ただし、まだ十分ではない。竜の立ち位置は、俺の望む向きに足りない。だから引き金トリガーには指をかけない。

 大切な、たった1発しかない5・56㎜弾だからな。


『謀ったナアアアアア! 魔王ウウウウウウウウウウウ!!』


 赤竜が怒り狂い、厳つい頭を巡らせる。

 もうウサギ娘には興味がないようだ。俺を探して赤黒い双眸を輝かせる。

 一度は、俺のいる物見の塔も睨んだが――竜は他に視線を移す。


『どこだアッ、どこにいるウウウ!? おのれ小賢しイ真似ヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲヲ!!』


 ウサギ娘に気を取られているうちに、俺は塔から出てどこかに身を隠した。そう思えば思うほど物見の塔が死角になる。

 頭だけでは飽き足らず、巨体を動かし竜が周囲を索敵する。いつでもブレスを噴けるように胸を少し膨らませ、口元からはちろちろと赤い霧を漏らしていた。


 まだ攪乱には足りないか?

 しかし俺は焦らない。十分に時は稼げたはず。そろそろだ。


 ――なあ、オズ?



【行くがよい!!】



 システムを通しての、従魔のメッセージが現れた。

 それも赤竜の目の前に、俺の近くに、赤霧に囲まれた街のあちこちに。


 すべては位置を気取られぬようにするためだ。竜が文字に面食らう。


『何だアアッ!? どこダアアアアアアアアアアアア!!』


「ふ」


 俺は嗤っていた。……ほくそ笑んだものではない。自虐の笑みだ。


 魔王である俺は、命じた。従魔を通して命じてしまった。

 赤い竜と化した英雄を討つために――使える手は他になかったのだ。



【今こそ我らが魔王さまへの忠義を見せるときぞ!】



 宿屋の瓦礫がまだ砂埃を上げる、大通り。

 そこに姿を見せた、異形の群があった。


 どろりとした粘液の体を持つのは、赤や黄に緑のスライム種だ。燃える毛並みを纏う大きな鼠がその間を這い回り、折れた街灯の代わりに夜の石畳を淡く染める。また、揺らめく明かりを足に抱える蝙蝠が飛び、手足の生えたキノコが胞子を撒きながら走った。

 少し遅れて現れるのは、ヒトほどもある蜘蛛に、ごろごろと転がる岩石だ。それと石畳を覆いながらうねる、無数の蔓――。


 地下に閉じ込められていた下級魔族たちが今、一斉に地上に出てきた。

 そのために俺は、オズにM67グレネードを渡したのだ。


 従魔に破壊させたのは、物見の塔からほど近い位置にあった、【×】と記された巨大な岩。塞がれた地下ダンジョンへの出入り口の一つだ。

 そこへオズは飛び込んで、下級魔族たちを扇動した……というわけだ。



【すべては魔王さまのために!!】



 照準サイトから目を離した、塔の壁の穴から見える視界。そこに蠢く魔族の数はおそらく百に満たない。短時間でオズが掻き集めるにはこれが限界か。

 それでも皆が、生まれついての俺の忠臣だ。巨大な竜を前にしても歩みを止めない。

 散開し、それぞれが一斉に襲いかかる!


『何だアッ! ザコどもガアアアアアアアアア!!』


 確かに竜の吠えるとおりだ。いるのは下級魔族ばかり。


 ゴバアアッ!


 赤いブレスを吐きかけられれば、逃げ損ねたランタン蝙蝠が数体蒸発した。地面ではマタンゴたちも溶けてなくなる。

 その隙に土蜘蛛が左右に散り、尻から粘性の糸を吐きかけた。竜の太い足や尾に絡む。

 さらに、竜の足の下に潜り込んだのはスライムたちだ。彼らは自らが踏み潰されながらも、ぬるりと竜を滑らせる。赤い鱗に覆われた巨体がぐらついた。


『それガ、ドウしたアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』


 振るわれたのは竜の尾だ。地を叩き、走り回る焔鼠を潰しながら巨体を支えた。


 そこに無数の爆裂岩が転がり込む。

 丸い岩の体は燃えていた。――魔力を暴走させた、最期の手段。

 命と引き換えに岩は爆ぜ、竜の足の鱗を焦がした。


 すべて、竜にとってさほどのダメージではないだろう。赤竜は絡んだ糸を掴み取り、繋がる蜘蛛を引きずり回した。強固な遺跡の壁に叩きつけ、粉砕する。

 下級魔族たちは次々に蹴散らされ、煌めく残滓だけになった。

 魔族の心結晶コア・ハートだ。

 それも動き回る竜の巨体に触れれば取り込まれ、消失する。


 死んでいく……俺の見ている前で、臣下たちが。

 俺はSR-16の照準サイトに視界を戻し、その様子をつぶさに目に焼き付けた。


 感じ取るのは下級魔族たちの、魔力の波動。

 そこに恐怖はない。竜と化した英雄への激情ばかりだ。

 ああ、なんと哀しいことだろう。魔族は元来温厚で、ここまで怒りに駆られることはない。戦うのも身を守るためだけだ。それなのに……。


「貴様たちは、それだけのことをされ続けてきたのだな」


 故に皆の動きには躊躇いがない。スライムのイムが迷いなく、俺のため自らを犠牲にしたように。

 その猛攻に今、竜の注意が完全に惹き付けられていた。


 ……足止めを食う赤竜との距離は、およそ300m。

 SR-16の非光学照準器アイアンサイトで狙うには、ぴたりの射程だ。


『おのレ……煩わしイワアアアッ!!』


 赤い鱗の竜が胸を大きく膨らませる。まとめてブレスで片付けようというのだろう。

 巻いた風を――潰れた宿屋の瓦礫に絡み、身を起こした這い寄る蔓たちが受けて、そよいだ。それ以外に風の動きがないことを蔓の葉が示す。


 重畳だ。取り巻く毒霧の渦があるせいか? 中心となる街の中には、弾を邪魔する横風がない。

 さあ、見せろ! 俺は引き金トリガーに指をかける。このときを待っていた。


 赤竜は取り巻く魔族をブレスで一掃しようとしてか、巨体を回す。

 見せてみろ! 晒せ!


 反転し、見えたのは竜の背中。翼の付け根――。

 鱗に唯一覆われていない、かつての「我」も白刃で貫かれた、竜の弱点。


「ふ」


 今だ!



 ――バァン!!


『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る