政略結婚ですけど溺愛してくれないと困ります!
日崎アユム/丹羽夏子
第1話 実質追放ではありませんこと!?
王は、とてもではないが父親が娘に向ける目とは思えないほど冷ややかな目でゲルハルディーナを見つめた。そして、ほくそ笑んだ。
「もう一度言おう」
玉座の背もたれから軽く身を起こす。
「そなたにはアンスガルと結婚してもらう」
自分の地位が揺らぐことはない、はずであった。
それが一瞬にして失われた。
「アンスガル……」
震える唇から吐き出すようにその名を呟く。
知らない名ではない。むしろここ数年ゲルハルディーナなりに気を配ってきた男であった。
なぜなら彼は南の国境沿いの要衝を防衛する辺境伯だからである。
この王国の国防における最重要人物であると言っても過言ではない。軍事力で言えば、王である父に次ぐ第二位、否、もしかしたら王をしのぐ第一位の存在かもしれなかった。辺境伯アンスガルここにあり、と言えばどんな異民族も恐れをなして逃げ出すという。
ゲルハルディーナが彼に気を配ってきたのは、彼がいつか調略せねばならぬ相手であると思っていたからだ。
つまり彼は今ゲルハルディーナにとっては味方ではない。
邪知暴虐の王たる我が父の忠臣であり、だがしかし簡単に廃すこともできぬ有力者である。
いずれ取り込まねばならぬ。いずれ我が世が来た暁には、自分にひざまずかせて忠誠を誓わせるべき相手だ。
ところが父はそれに屈してその男のものになれなどと言う。
敗北、であった。
「なぜでございましょう」
ゲルハルディーナは不敬にも顔を上げ、背筋を伸ばして父に詰め寄った。
「わたくしに何か手落ちがございましたでしょうか。昨年のわたくしの領地の民からの税収は過去最高値を記録、東国との経済的互恵関係の条約についても父上様の名代として立派に務めを果たして更新してまいりました。これからも変わらぬ忠義を尽くして父上様やゲルハルトを補佐することに全力で努めると誓ったはずです」
「で、あるからこそ、だ」
王は娘がこうやって反発するのを見越していたものと見える。
「そなたも分かっておろう。アンスガルは我が王国最強の騎士、余にとってもっとも重んずるべき家臣である。かの者におのれを風下に置かれていると思われてはならぬ。余がこの上なく目を掛けていると思わせる必要があるのだ」
「では新たな領地をお与えになればよいではございませんか。もしくは新たな位を。かの者は父上様がお与えになるものならば何でも喜んで受け取ります」
「余がかの者に与えられる最高の宝物がそなたなのだ、ゲルハルディーナ」
言い返せなかった。
そう、自分こそがこの国の宝、この国でもっとも賢く美しく尊い存在なのである。自分を下賜されると言われて喜ばない男などいない。アンスガルは不愛想で無表情の何を考えているか分からない男だが、自分が目の前に現れたらむしゃぶりつくに決まっているのである。
それに、冷静に考えて、有力家臣に自分の娘を嫁がせて関係を強化するのはよくある話だ。何せゲルハルディーナが丹念に水と肥料を与えて育てたこの国は戦争が強く金も持っているので、わざわざ東西の隣国に媚びへつらって娘を捧げ奉る必要はない。王の好きな時に、好きなように、結婚させることができるのである。それだったら最強の騎士、辺境伯アンスガルを間違いなく味方としてつなぎ止めておくために利用した方がいい。
だがしかし、だがしかしである。
「ち……父上様」
ゲルハルディーナは目元を押さえてよろけてみせた。半分は演技だが、半分は本気だ。父はこの娘が政略結婚ごときでショックを受けて泣くような娘ではないと確信しているだろうが、ゲルハルディーナは今は本当に悲しいのである。
何せ、弟が王になろうが関係なく自分は永遠にこの宮殿に居座って真の女王としてこの国に君臨し続けるつもりでいたのだ。
「ゲルハルディーナは……、ゲルハルディーナは、これからもこの都にいとうございます。わたくしは、亡き母上様の代わりとして、父上様の政治を手伝い、ゲルハルトを守って生きてまいりました。結婚などしとうございません。女の幸せより、国と弟を思う気持ちに人生を懸けて――」
「なーにが女の幸せぞゲルハルディーナ、心にもないことを言うでない。東国から一番美男の王子を婿に取って人質とすると申しておったのはどの口だ」
王が鼻を鳴らす。
「いや、むしろ、女の幸せを思えばこそ、だな。アンスガルはいい男ぞ。余がもっとも信頼している家臣である、余の娘であると思えばそなたのようなじゃじゃ馬でも大事にしてくれるであろう。辺境伯夫人として南部の城にこもって夫に尽くし我が子を慈しむ、これ以上に幸福な女の人生があろうか」
「我が子ですって!? このわたくしに子供を産めと!?」
「他の誰があろう。励め。辺境伯家を存続させねばならぬ。立派な男児を産んでアンスガルのような騎士に育てるのだぞ。そなたはできる、そなたならできる」
「いやっ! 嫌でございます! わたくしは子など産みとうございません! わたくしはこの国と結婚したのでございます! あるいはゲルハルトと! そう、ゲルハルトの妻として――」
「愚か者! お前のような姉が貼りついておってはゲルハルトが息継ぎできぬのだ!」
「それが本心ですのね!?」
うすうす分かってはいたのだ。
この父は自分より双子の弟のゲルハルトをひいきしている。教会との交渉事には必ず連れていくし、宮殿の夜会でも率先して広間の中心に引っ張り出すし、何かにつけてうちの息子可愛いアピールをするのだ。どう考えても姉のゲルハルディーナの方が優秀で王位にふさわしい子であるというのに、である。なぜなのかさっぱり分からない、やはりゲルハルトが男でありゲルハルディーナが女だからであろうか。
「よいか、ゲルハルディーナ」
とうとう父も立ち上がり、ゲルハルディーナを怒鳴りつけた。
「余は絶対そなたをこの宮殿に残さぬ! そなたみたいな邪知暴虐の娘が実権を握ったら余の大事なこの国が破滅しかねぬであろう! 天地が引っくり返っても余の後継者はゲルハルトだけだ!」
こめかみには青筋が浮いていた。
「そなたをこのまま放置しておったらゲルハルトを暗殺しかねぬ。最強の男に見張ってもらって辺境の地にとどめ置かねばならぬ」
ゲルハルディーナは「ああー」とか細い声を上げた。
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