ショートショート Vol10 逃避行

森出雲

逃避行

 深夜0時に迎えに来て。私の部屋の窓の下。

 私は十五分も前から、あなたを待つの。

 遠くで響くバイクの音。力強く生命力に溢れた音。

 0時ちょうどに月が輝くと、あなたのバイクが窓の下に停まる。

 あなたは、シールドを開き、窓を見上げる。いつもの優しい瞳。

 私は小さくなって、あなたの胸ポケットに入るわ。先に入っていたタバコの箱に腰掛けて、ポケットの淵に両肘を立てて前を見る。

 さぁ、出発。

 あなたは再びエンジンをスタートさせる。

 静まった住宅街の隅々まで、あなたのバイクの心音が染み渡る。でも、あなたは決して誰一人起こしてしまわないように、ゆっくりとバイクを走らせるの。


 住宅街からメインストリートへ。

 少なくなった車の間を、瞬く間に駆け抜ける。もうここまで来れば安心とばかりに、あなたはスピードを上げる。あなたと一緒に感じる初夏の風。ヘルメットの中のあなたは、それでも少し淋しそう。

 メインストリートからバイパス。そして高速へ。

 大都会の光の海を掻き分け、あなたのバイクは西へ向かう。

 すり抜ける車の間。迫り来る朝日から、あなたは懸命に逃げる。ほんの一瞬も気を抜けないほどの、あなたの真剣な眼差し。

 高速を降りれば、そこはもう海の側。

 風に微かな潮の香り。

 あなたはいつも、シールドを上げて、潮の香りを胸いっぱいに楽しむわね。


 やがて、いつしか朝日がすぐ背後まで迫っている。

 はっきりと区切られていたヘッドライトの光がぼやけ、あなたの鮮やかなヘルメットもその色を取り戻し始める。そして、いつもの海岸沿いの小さなパーキングにあなたは入っていくの。


 防波堤のすぐ側にバイクを停め、あなたはバイクを降りる。その頃には、薄っすらとした朝の光があなたを包んでいるわ。

 あなたは、ヘルメットをバックミラーにひっかけ、胸ポケットからマルボロのメンソールを取り出す。私はそれを知っているから、あなたの左肩に座る。いつも飽きることなく凭れていたあなたの肩。

 あなたは、タバコを咥え、ジッポのオイルライターで火を点ける。風にライターの火が煽られるけど、決して消えることが無いわね。

 潮風とメンソールタバコの煙を胸いっぱいに吸い込むと、波が輝き始めるわ。

 残された僅かな時間。何度も何度も見上げたあなたの横顔。

 私は、本当に幸せだったわよ。大好きなあなた。

 朝の光があなたの横顔を照らし始めると、私の大切な時間も終わる。ゆっくりと私の身体も消えていく。

 もし、未来であなたと巡りあえたとしたら、また連れてきてね。

 大切な、あなた……。

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ショートショート Vol10 逃避行 森出雲 @yuzuki_kurage

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