第四章 ジャックとタルト その1

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 エリナ女王は美しい。


 まばゆい金色の髪に白魚のような肌。


 真っ赤に燃え上がるその瞳はまるでルビーのよう。


 背は高く、すらりとした長身であるにもかかわらず、彼女の胸許は張り裂けんばかりに盛り上り、臀部にはみっちりとした肉がこれでもかというほど詰まっている。


 それはまさに、男を虜にするためだけに神が繊細な手つきで微調整を繰り返したとしか思えない、至極の体つきだった。


 その美貌に屈服しない男など、この世界には存在しないだろう。





 ある一定の線を超えた美しさは見る者の情欲を掻き立てるよりも早く、触れてはならぬという神聖さを感じさせてしまうことがある。

 彼女のそれも例外ではなく、理性と欲望の葛藤が彼女をよりいっそう魅力的に見せているのだ。

 実際、彼女と相対した男たちは、自然と頭を垂れ、その場に跪くだろう。女王という位ではなく、彼女の美しさに向けた心からの敬意なのである。


 エリナ女王の美しさの源になっているのは、彼女が日常的に食している肉である。週に一度、彼女の晩餐には特別な料理が並ぶ……


 王宮の長い廊下を歩きながら、ジャックは考えていた。ありすが自身の夢の中に迷い込む一週間前のことである。


 ――彼女と出会ってから、いったいどれだけの月日が経っただろうか。


 よく磨かれた大理石の廊下にジャックの重い足音が響き渡る。左手の壁は一定の間隔を置いてアーチ状に切り抜かれていて、柔らかな陽射しが差し込んでいた。そこから覗く豪奢な庭園も今の彼の目には映らない。


 廊下を渡り切り、角を折れるとすぐに下に向かう階段があった。そこでいったん足を止め、ゆっくりと深呼吸をしてからその階段を下りた。

 暗く、冷え切ったこの階段を一歩下りるたびにジャックの心は二つの相反する感情に悩まされる。


 愛する者に会える喜びと、いつかそれを失うことに対する恐怖。


 エリナ女王の親衛隊である父と女王の遠縁にあたる母の間に生まれたジャックは幼い頃から両親に連れられ、頻繁にこの王宮を訪れていた。


 幼いジャックにとってこの王宮はかっこうの遊び場だった。


 この世界の全ての賢智が収められているという王立図書館や最新の魔法薬を研究している薬剤実験室、珍しい魔獣のはく製が陳列されている宝物庫など、好奇心の赴くままにこの宮殿内を探検していった。

 母の後ろ盾もあり、厳しく咎められることはなかったが、立ち入ることが許されない場所もあることにはあった。エリナ女王の居住エリアと、ジャックがこれから向かおうとしている場所だ。


 階段を下り切るとまたすぐ上に向かう階段が現れる。青白い石造りの壁はところどころにひび割れが見られ、隠生植物のつたが這っていた。天井には蜘蛛の巣が張り巡らされている。長い期間、手を入れていない証拠だ。


 廃れたような臭気がするのは、このすぐ下に下水道が流れているからだ。陰気な空気を感じ取りながら、ジャックは無言で足を動かした。


 階段を上った先には堅牢な金属製の観音扉が構えており、その前に二人のがっちりとした体躯の衛兵が立哨していた。青銅の鎧で身を固め、大ぶりの槍を握っている。

 ジャックの姿を認めると、衛兵たちはすぐさま居住まいを正し、敬礼をした。


「お疲れ様です」


「ああ」


 ジャックは懐からルビーをはめ込んだ金属板を取り出すと、右側の衛兵に見せた。


「女王陛下の勅命だ。通してもらおう」


「はっ」


 衛兵たちが一歩下がったので、ジャックはそのまま金属板を扉に向けた。この扉は女王の魔力により特別な鍵が掛けられており、どんな怪力の持ち主だろうとこの扉を力技で突破することはできない。

 ジャックの持つ金属板にも扉と同様に女王の魔力が込められており、これこそが、この扉を開く唯一の鍵なのだ。


 やがて金属板のルビーが赤々と輝きを放ち出した。扉の中央にもルビーがはまっており、それも同じように光り始めた。二つの宝石は共鳴するように光を交差させ、まもなくして硬質な音が、がちゃり、と響いた。


「どうぞ」


 左右の衛兵が扉に手をかけた。ゆっくりと扉が開かれる。刺さるように飛び込んできた太陽光に、階段室の暗さに慣れていたジャックは思わず目を閉じた。


 いつもこの瞬間が苦手だった。


 このまばゆい光が、彼女たちの拒絶の意思の表れのように思えてならない。お願いだからそこで帰ってくれ、と。彼女たちはそんなことを口にするはずがないのに。

 まぶしさが薄れるのを待ってからジャックは扉をくぐり、そこへ踏み入った。地獄の入り口と呼ぶにふさわしい扉の先に待ち受けるもの……それは――



(なんてのどかなのだろう)



 王宮内にいくつも造られている中庭の中でもここは最も面積が広い。


 中央には石造りの噴水があり、その縁に座って数人の少女たちが読書をしている。その周りを取り囲む花壇ではまだ四、五歳くらいの幼女が満面の笑みを浮かべながら花たちを見つめていた。奥には遊具が設置されていて、ほとんどの少女たちはそこで遊んでいる。柔らかな陽射しを受けて、皆のびのびと育ってた。


 一人の少女がこちらに気づいたようで、駆け寄ってきた。


「ジャック様、こんにちは」


「こんにちは」


 彼女の名はエリン。絵を描くことが好きな少女だ。十歳という年齢の割に身長がだいぶ低く、小柄な子である。ジャックとも仲が良く、彼女に似顔絵を描いてもらったことが何度かあった。


「気分はどうだい」


 ジャックが訊くと、エリンは頬を赤らめながら、


「最高です。悪いとこなんて全然ありません。ねぇ、ジャック様」


 エリンは長い黒髪を耳にかけ、天真爛漫な目をして言った。















「今週は誰がエリナ女王に食べていただけるんですか?」

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