すぐそこにある株式市場問題
俺の仕事は株式の売買。証券ディーラーと呼ばれる華やかな職業。サラリーマンが一生かけても稼げないような額のお金を、電話一本でやり取りした。一日に数億円を稼ぎ出し、次の日に数億円を失うようなドラマティックな仕事だった。
鳴りやまぬ電話のベル。飛び交う怒号。オフィスはまさに戦場だった。デスクにずらりと並んだパソコンのディスプレーの上で、刻々と変動する世界各国の株価に目を光らて二十四時間、眠らない相場と戦った。
ところが今はどうだ。AIが話題になってから、たった数年で俺の目の前の電話機は、線が外れているのかと疑いたくなるほどならなくなった。俺は大手証券のAIソフトが華々しく戦闘する様を、テレビでも見るかのように傍観するだけだ。缶詰工場の生産ラインを見つめるアルバイト検査員と変わりはしない。
学習型のAIは、何十年にもわたる膨大な取引データに、各国の経済指標や企業の決算報告書を照らし合わせて、独自の法則を導き出した。今やチャットやSNSの書き込みまで収集し、あらゆるデータを数値化していた。
当初は医者や弁護士などの高度な専門的技能を有する職業は、AIには置き換えられないと多くの学者が語っていた。しかし、相場と言う戦場で戦っていた同僚たちは一人、また一人と会社を去っていた。
現在の株式売買の構図は、欲に目のくらんだ個人投資家の資産を、大手証券のAIが相場を操ってかすめ取るようなものだった。俺たちのような株式のプロが束になってもかなわなかった化け物に、個人投資家がかなうはずがなかった。やつらは先物取引で未来まで予測していた。
ある時、俺は一度だけAIに逆らったことがある。理由もなく下がり出した中堅商社の株式をAIが売り続けた。売り上げも順調で特に問題のない会社の株をだ。余りの下げ幅に関連企業、周辺企業へと下げの連鎖が広がった。
俺の経験がそれをチャンスととらえた。俺はAIの電源を落として買いに打って出た。そして負けた。底値だと思った株価は巨体な引力にでも引き寄せられるかのように下げ続けた。それ以来、俺はAIに逆らったことが無い。
相場がこう着した比較的穏やかな日だった。その日は重大な経済指標の発表もなく、政治的な事件や企業のスキャンダルも報じられてなかった。俺はコーヒーを飲みながらのんびりとモニターをながめていた。
ピー。
小さな警報音がなった。
「ん?なんだ」
モニター画面の中の一つの数字がみるみる減って、赤い点滅が現れる。世界有数をうたわれる超優良企業の株式がストップ安になたのだ。それを皮切りに次々と警報が鳴る。画面の中の株価は、どの会社もカウントダウンタイマーのように数字が目減りしていく。
「まずい。このままだと大恐慌になる」
AI取引の危険性は多くの学者が指摘していた。背筋に冷たい汗が流れた。俺はモニターの数字に目を走らせる。先物取引の相場が一月後にすべてゼロ円になっている。
「なんだ。一月先に何があると言うのだ。単なるAIの暴走ではないのか?」
その時、スマートフォンから聞いたことのない警報が聞こえてきた。
『国民の皆様。落ち着いてください。これより、内閣総理大臣より重大な発表があります』
俺は慌ててスマートフォンを手に取った。
『今朝がたアメリカより全世界の首相に向けて連絡がありました。恐竜を滅ぼした隕石よりも巨大な隕石が地球に向かっています。衝突は今からちょうど一月後です。極秘裏に核弾頭ミサイルを使って隕石の破壊を試みましたが失敗に終わりました。我々は残された時間を、人類の尊厳と共に生きようではありませんか。・・・』
おしまい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます