茜色のフィルム

けい

茜色のフィルム

 夕日に染まった中庭。

 少し寒さを感じさせる秋風が、丁度よくカメラを持つ僕の集中力を高めてくれる、そんな日だった。

 そう、その日から。


 僕は彼女のことが好きになっていたんだろう。


─────────────────


 僕の高校は部活動への参加が決定事項で、特に目的もなく写真部へと入部した。

 当時の考えでは「頑張らないで済みそう」というもので、実際にそうだった。

 先輩は殆ど現れず、本当に写真が好きな子が放課後に校内を撮り回っていたり、生徒会がカメラを借りに来るくらいだ。

 顧問の先生も特に賞を目指すでもなく、部としての活動の最小限を貫くような人だった。

 このまま三年間だらだらと過ぎ去っていくと感じていた。

 転機は進級した時だった。

 顧問の先生が定年退職し、春から新しい顧問が着くことになったのだ。

 きっと他の部活だと「どんな先生が来るか」とそわそわするような話題の筈だ。

 しかし写真部は相も変わらずで、新しい顧問の話題なんて出もしなかった。


 そして訪れた新任式。


 写真部の担当になったのはまたもや教員歴の長いおばあちゃん先生だった。

 他にも部によっては担当が変わったり、新たに就いたりとあったようだが特に頭には入ってこなかった。

 正直、僕は嬉しかった。

 なぜなら、今の平穏が変わらずに保たれるのだ。

 平穏な心のどこかに燻るものはあった気がしたけれど、目の前の平和にただ安堵して気付かないふりをした。

 その日の放課後までは。

 帰りのホームルームを終え、暫く教室で勉強する振りをした後、部室へと向かう。

 一応の継続の証として、親に買ってもらった安物の一眼を肩に掛け、廊下を歩いていた。

 外からは春とは思えないくらいの一体感のある吹奏楽や運動部の掛け声が聞こえた。

 それに目を背け歩いていると、美術室から一人の女教師が欠伸をしながら出てきた。

「ふぁ……、お、こんにちは」

 眼鏡をかけた先生だった。確かこの人も新任の人だったはずだ。

 特に用もなかったので軽く会釈しその場を去ろうとすると、待てと言わんばかりに道を塞いできた。

「ね、キミ写真部でしょ、少し写真見せてよ」

 肩に掛かったカメラを見て言う。

 写真部をしていると、こう言われることは少なくない。

 だからこそそれを躱す対処も確立していた。

「あ……、納得いくの撮れてないんでごめんなさい」

 大抵の人はこの言葉で「踏み入っては行けない」と察して引き下がる。

 でもその先生は少しだけ違った。

 目を細め、何かを考えるように僕を見て唇を触る。

「あ〜、そういうタイプね。んじゃいいや!」

 さっぱりした笑顔でそう言うと、「邪魔してごめんね」と美術室へと戻っていった。

 何故だか、腹が立ったのを覚えている。

 納得のいく作品が無いわけではなかった。

 しかし、上手く撮れていないのも事実だった。

 それを見透かされたように、名前もよく覚えていない新任教師に言われたのが心に黒く残った。

 その日は普段近づかない運動部の方へも足を運び、ひたすらに撮った。

 帰る頃には日も暮れ、どうして自分がこんなに必死になったのか分からなくなっていた。

 次の日から僕の平和は一転することになる。


─────────────────


 その日の美術の授業であの先生の名前を記憶することになる。

 天羽 倫子(あまはね りんこ)、それがその人の名前だった。

 記者として多くの国を回った後、持っていた教員免許と自身の美術への関心から教員になったという。

 最初の授業という事でオリエンテーションとなり、先生への質問タイムで授業は進んだ。

 先生は目が悪く、度が強い眼鏡をかけているだとか、好きな食べ物は苺だとか、正直どうでもいいものばかりだった。

 しかし、最後に天羽先生が話した事は意外にも僕の心を動かした。

「みんなにはさ、芸術の科目を通して何を表現したいかを考えてみて欲しいんだよね」

 いい話をするからと言った後の口火だった。

「『何』を『誰』に『どんな手段』で。よくある事だけど、これが明確な人ってさ、ちゃーんと伝えたい事を、自分自身を、感動を伝えられるんだ」

 どこか寂しそうに先生は話していた。僕はそんな先生から何故か目が離せない。

「だから、私の授業ではそれを考えながらみんなに作品を作ってもらいたいな〜って」

 照れくさそうに笑いながら「先生っぽいでしょ」なんて言っていた。

 僕はその日から、気が向いた時にだけ行っていた部室にも毎日通うようになった。

 休日には近くの公園や森に足を運んで鳥や木を撮った。

 色々な写真を撮るうちに、「自分の見た美しい瞬間を誰かに伝えたい」という明確な考えが浮かんできていた。

 しかし、そこまで決まっていても肝心な『誰』に、が決まらなかった。

 夏のコンクールでは、不特定多数に伝えてみようと思い、ひたすらに作品を作って、その中の一つを出した。

 結局、その作品はコンクールで入賞すらしなかったことから、つたえたい人が明確でない作品はダメだと思い知らされた。

 夏休みが終わり、そのコンクールの結果を知った僕は入賞作品を見に近くの会館まで来ていた。

 同じ高校生である彼らが一体誰にこの作品を伝えたかったのか。

 ただ、それが知りたかった。

 数十分、作品を見て回っていると、意外な人物に遭遇した。

「お、珍しいね。ウチの写真部はこういった展示に興味なさげかと思ってたけど?」

 天羽先生だった。

 夏真っ盛りで暑い中、先生はロングスカートなんて履いていて、普段の印象とはまた違うことが、僕の心を揺らした。

 思えば、先生は『何かを伝える』事を考えるような人だ。ここにいてもおかしくは無いだろう。

「先生こそ、休日にわざわざ写真を見に来たんですね。意外です」

 少しだけ皮肉っぽく言ってしまったのは、僕自身が先生に感化されたことに少し悔しさを覚えていたからだった。

「……まぁ、好きだからね、写真」

 そう言いながら先生は一枚の写真を見ていた。

 手を繋いで帰る家族の写真だった。小さな子の両手は父と母にしっかりと繋がれ、絆というものを伝えたいという事がひと目でわかる。

「私が最初の授業で言ったこと、覚えてる?」

 先生は写真から目を離さず、どこか悲しそうな表情と声で言う。

「……?はい、何となくですけど」

 なぜそう言ったのかは分からなかったけれど、この写真が何を伝えたいかを聞いていたのは分かった。

「じゃあさ、この写真は『誰』に伝えたいんだろうね?」

 言葉に詰まってしまった。

 『誰』に。それは僕が最も壁に当たっているものだったからだ。

 半日入賞作品を見ていたけれど、それがわかったのはほんのひと握りだけだった。

 数秒の間先生がみている写真を、じっと見つめて考えていると不意に先生が笑った。

「やっぱそこだよね。私もその壁には何度もぶつかったからね」

 先生は眼鏡を直しながらこちらを向くと、覗き込むように僕の顔を見た。

「ま、お仕事で写真をやる訳じゃないから『誰』にを初めに決める必要は無いよ。今はキミの感じたものを誰かに届けられればいいんだよ」

 そう優しく笑うと、「じゃあね」と先生は会館を後にした。


─────────────────


 休日が明けた月曜の放課後。

 もうすっかり持ち慣れたカメラを持って僕は直ぐに教室を出る。

 真っ直ぐ部室に向かう中、何を撮ろうか考えていた。

 近頃の木々は、少しづつ紅葉し始めて、撮れるものもすっかり変わっていた。

 他の部活は相も変わらず頑張っていて、写真部だけが何処かに取り残されたかのように静かだった。

 四季によって撮れるものも、その表情も変わる。

 カメラを持っていて気づけたことの一つだ。

 些細な変化にも気づけるようになったし、少しづつではあるけれど納得のいく作品もでき始めた。

 こんな人に見てもらいたい。

 僕が感じたままを誰かと共有したい。

 そんなことを考えるうちに、この考える時間が、少しづつコンクールへの熱意へと変わっていくのを感じていた。

 部室に荷物を置くため、扉を開く。

 するとそこには天羽先生がいた。

「え……」

 基本的に誰もいないこの部室で寄りにもよって顧問でもない先生が居るとは思いもしなかった。

 先生は扉を開けたまま立ち尽くす僕を見てくすっと笑う。

「よ、居るとは思わなかったでしょ」

 居ることにも驚いたが、先生の手に持っているものにも驚かされた。

 大事そうに手に包まれていたのは先生のカメラだった。

 ここ数年の機種で、ストラップやホルダーを見る限り、かなり使い込まれているものだとわかる。

「先生も、写真撮るんですね」

 平静を装って扉を閉め、荷物を置く。

 そんな僕の事なんて気にもせずに先生は「そうだよ」と言い、僕の手を取った。

「ね、一緒に撮りに行こうよ」

 突然手を取られたことにも驚いたけれど、その誘いにも驚かされた。

 あまりの突然に僕の思考はまともに働かなかった。

「え、いや、一人で集中したい……から」

 先生の手をゆっくりと剥がし、心にも無いことを言ってしまう。

 それが意外だったのか、先生は少し驚いた表情をして「ん〜、そっか」とだけ言った。

「まぁ、美術部は基本暇なんだよね。みんな私が居なくてもちゃんと授業に描いてるし。また来るからさ、気が向いたら一緒に撮ろうよ」

 そうして先生は写真部の部室からあっさりと出ていった。

 僕は、先生に握られた手をしばらく見つめ、何回か首を振ると写真を撮りに行った。

 案の定、その日は全く集中できなかった。


─────────────────


 次の日、今日こそはと意気込む僕にまたしても天羽先生が立ち塞がった。

 昼休みのことだ。

 昼食を取り、次の授業の教室へと歩いていると目の前から天羽先生が歩いてきた。

 僕に気がつくとにっこりと笑い「今日は?」とだけ言ってきた。

 意味こそ分かってはいたけれど、どうにも「一緒に撮る」事に嫌悪感があった僕は適当に断った。

 先生は変わらずに味気ない返事をして美術室へと歩いていく。

 別段悪い事をした訳ではなかったけど、どうにも罪悪感が生まれてしまう。

 その日の放課後、いつも通りに部室に行き荷物を置く。

 カメラだけを手に取り、部室を出る。

 撮ろうと思っていたのは夕日に照らされる中庭の木だ。

 中庭まで行き、目的の木の前でカメラを構える。

 陽は既に沈み始め、日当たりの良い中庭全体を、柔らかな紅で染め上げていた。

 暫くカメラを構えたり移動したりを繰り返し、ひとつの場所に落ち着く。

 中庭にはテーブルや椅子もあり、昼時には多くの生徒が昼食で利用する。

 僕が撮ろうと思ったのはそんな普段見る視点での写真だった。

 シャッターを切る。

 夕陽の陰や、それに染った木の色。

 それらを見ながら微妙に角度や位置を変え、何度もシャッター切った。

 数十分繰り返していると、不意に背後から声がした。

「どう?納得いくものは撮れた?」

 ビクッとして慌てて後ろを振り返ると、案の定居たのはカメラを持った天羽先生だった。

「……驚くじゃないですか、やめてくださいよ」

 飛び跳ねそうな心音を抑えながら、ため息混じりに言うと先生は笑いながら謝った。

「ごめんごめん、かなり集中してたからさ。少しからかいたくなっちゃったんだ」

 そう言いながら先生は僕の隣で自分のカメラを構え始めた。

「どんな作品も、考えながら作るのもいいんだけどね……」

 カメラを構えたまま動かなくなる先生。

 そこに、ひとつの風が吹いた。

 揺れる木の葉。

 近くの紅葉した紅葉が飛んでくる。

 それが中庭のシンボルである木に重なる瞬間を先生は逃さずシャッターを切った。

 「ほら」と僕に今撮った写真を見せてくる。

 そこに写っていたのは、紅葉で季節を感じさせつつ、中庭のシンボルである木の、普段は見ることのできない姿が確かに切り取られていた。

「こうやってさ、ちょっとした変化を待つのも楽しいよね」

 そう言う先生は柔らかく微笑む。その表情に僕の心はまた跳ねた。

 そんな僕を他所に先生は近くの花壇へと歩いていた。

「ウチの園芸部も凝ったことしてるよね」

 そう言いながら『四季花壇』と呼ばれている所でカメラを構える。

 僕の学校の園芸部は『四季花壇』と名付けられた場所で数十種類の花を育てている。

 どの季節でも必ず咲いている花があり、生徒にはかなり好評なようだ。

 しかし写真を撮る上では、そんな花壇にもネックはあった。

「でも、周りの花が咲いてないと撮りづらくないですか」

 この『四季花壇』は一年をかけて時計回りに花が咲いていくが、シーズンでない所は花が全くない。

 それが空白となり、僕は少し撮りづらさを感じていた。

 そんなこともお構い無しに先生はシャッターを数回切っていた。

「ん〜、確かにそうかも」

 先生は撮った写真を確認しながら少し難しそうな顔をしていた。

 そんな先生を見ながら、そういえばと思ったことを口にする。

「先生は、写真はどれくらい撮ってるんですか」

 しゃがんだ先生の後ろ姿に質問を投げる。

「え……、年齢バレそうでやだなぁ。まぁ長いには長いよ、それこそ絵よりはね」

 こちらを向きながら苦い顔で言う。

 さすがに年齢まで聞くのは失礼だと思い、そこは触れないことにした。

 僕も気を取り直してカメラを構えると、同じようにしている先生が突然話し始めた。

「本当は写真部の顧問が良かったんだけどね〜、美術教員が美術部の顧問に、なんて言われちゃったし」

 先生のため息が聞こえたのが僕には意外だった。

「まぁ、写真部も活発じゃなさそうだったしいいかなって思っちゃったよ」

 その言葉は否定はできなかったけれど少しだけムッとしてしまう。

「でも、自分はちゃんと活動してますよ。……最近になってからですけど」

 言っていてなんだか子どもっぽくて恥ずかしくなってしまい、最後の言葉の声が小さくなるのが自分でも分かった。

 先生が一枚シャッターを切り、少し笑う。

「ごめんて、でもさ」

 先生が僕の方を向いているのがカメラを構えていても分かった。

「キミみたいな子が居るって知ってたら、無理にでも写真部の顧問になってたよ」


 それは、ずるい。


 僕は自分の顔が熱くなるのがすぐに分かった。

 今は絶対に先生の方を見れないと思い、カメラをいつもより顔に寄せてシャッターを切る。

 当然写真はブレたし、ピントもまともに合わない。

 観念してカメラを離し、下を向く。

「…………なんですか、それ」

 耳を髪で隠し、僕は言った。

「ん?私の素直な気持ちだよ」

 先生は僕に向かってにっこりと笑い、立ち上がる。

「さて、そろそろ戻らないと、流石に部の子達にどやされちゃうからね」

 先生は「またね」と言い、中庭を後にした。

 僕は先生が去ったことを確認して大きくため息をついた。

「………………今日は、帰ろ」

 中庭を早足に出て部室に持ち物を取りに行く。

 帰り道、肌寒くなっているにも関わらず僕の頬は熱いままだった。


────────────────


 次の日も、その次の日も天羽先生は僕を見つけては同じ所でシャッターを切っていた。

 僕は口でこそ邪険にしていたけれど、先生は気にもとめなかったし、僕自身も先生との話や一緒に撮る写真は嫌いではなかった。

 数日、先生と写真を撮っていて分かったことがある。

 先生はすごく集中して撮る時は眼鏡を外す。

 カメラを構えて少し静止すると一度カメラを離す。そして小さくため息を着くと眼鏡を外す。

 その仕草がどこか蠱惑的で、その度に僕は動揺していた。

 正直それで見えているのか不安だったけれど、その写真は普段の写真よりも惹き付けるものがあった。

 そして同時に僕はその真剣な先生の表情が好きだった。

 他にもカメラについての技術的なことも教わったけれど、一番印象に残っていたのは、先生が撮る写真の殆どが感覚で撮っているということだった。

 多くを撮って一枚を選ぶ時や、納得いくアングルを探しに探して一枚だけ撮る時があると先生は言っていた。

 僕は比較的考えながら数枚撮ってその中から選ぶ。

 何度もアングルや距離を変えて、なるべく色んな種類の写真を撮っていた。

 だからこそ、感性に任せて良い写真を撮る先生が眩しく見えたのかもしれない。

 少しづつ天羽先生に対して特別な感情が芽生え始めた時、その日は来てしまった。


─────────────────


 秋も終わりに近づく頃、僕はいつも通り部室に向かっていた。

 寒さと共に運動部の活気は少しづつ小さくなり、制服も夏服から完全に冬服へと変わる。

 僕もセーターを着て、マフラーまでして部室を出た。

 その日は秋晴れで、久しぶりに夕日を撮ろうと思っていた。

 顧問の先生から生活指導の先生へと屋上の使用許可を貰いに行き、鍵を貰う。

 使用許可書とカメラを手に、屋上への階段を登ろうとした時、後ろから声がした。

「ね、今日は屋上に行って何を撮るの?」

 天羽先生だった。

 そう話す先生は、いかにも自分も撮りに行きたいようだった。

「そろそろ綺麗に撮れなくなるかもしれないので、夕陽を。先生も来ますか?」

 そう言うと先生は嬉しそうに頷き、「すぐ行くよ」と言ってカメラを取りに美術準備室へと歩いていった。

 美術部はいいのかなと思ったけれど先生の嬉しそうな顔を見て、そんなことはどうでも良くなった。

 屋上は基本的に封鎖されているけれど、吹奏楽部やダンス部が使用する際に清掃もされているらしく、比較的綺麗だった。

 シートなんてものは用意していなかったから、立ったまま陽が落ちるのを待つ。

 屋上から見えるグラウンドでは、代替わりした野球部が必死にボールを追っていた。

 そんな様子を見ていると、天羽先生が階段を昇ってくる音が聞こえた。

「わ、さっむいね」

 屋上に出るなり身を縮ませる先生。

 その姿がどこか可笑しくて笑ってしまった。

「先生、防寒くらいはしないとダメですよ」

 そう言いながら、僕はつけていたマフラーを先生に渡した。

 意外そうにそれを受け取ると、先生は巻くと言うより肩にかけるように羽織る。

「珍しく優しいね、キミ」

 「たまたまですよ」、と誤魔化してカメラを用意する。

 お互いの肩がぶつかるくらいの距離でしゃがみ、時を待つ。

 少しづつ沈み始めた陽は紅く染まり始めていた。

 一枚。もう一枚。

 そうして数度シャッターを切ると、先生も同じようにシャッターを切っていた。

 撮り終えてから少しの沈黙。

 とりあえずは撮れたので先生に声をかけようとすると、先生が話し始めた。


「私さ、来年でこの学校から居なくなるんだ」


 突然だった。

 通常は非常勤だったとしても二、三年は勤務するはずだ。

 当然僕の口からは疑問が出た。

「流石に早すぎませんか、どうして?」

 あからさまな動揺を隠せない僕に先生は優しい声で言う。

「まぁ、気持ちは分かるよ。でも元々そういう契約で教師にしてもらったんだよね」

 少し照れくさそうに笑いを零し、天羽先生はこの学校の出身であることを話してくれた。

「でさ、どうしてかってことだよね」

 僕は先生の顔を見ていたけれど、先生は変わらずにカメラを構えていた。

「私、目の病気でさ、日本じゃ治せないんだって、しかも海の向こうでも直ぐには帰って来れないみたいだから、その思い出作りに、って恩師に頼み込んだんだ」

 先生はカメラを降ろし、ため息をついた。

「でも、良かったよ。キミみたいな子に会えて」

 その言葉に、僕はもう天羽先生に会えないのではと思ってしまった。

 そして先生は言った。


「ねぇ、キミの最高の作品を見せてよ」


 夕陽が最も紅くなった時、先生は眼鏡を外して僕を真っ直ぐに見た。

 その瞬間、僕は思わずシャッターを切ってしまった。

 ただ、美しいと思った。

 夕陽が差す中、天羽先生のセミロングが風に吹かれ、普段見ることの無い耳や、そこに着いていることさえ知らなかったピアスが写っていた。

 先生は僕がシャッターを切ったことになんの素振りも見せず、ただ待っていた。


「……今の写真です」


 僕の自信の無い言葉を聞くと、先生は嬉しそうに顔を赤らめ笑う。

「……そっか、ありがと」

 先生が近づいたのがわかった。

 髪を耳にかけ、じっと僕を見つめる。

 そうされているだけで段々と僕の頬が染る。

 それを見られるのが嫌で先生から目をそらそうとした時、先生が僕の唇を奪った。

 何が起こったのか分からぬうちに、先生が少し離れ笑う。

「……また、二人で写真、撮りに行こうね」

 そして僕の名前を呼ぶ



「二年四組の芦屋 茜さん」



─────────────────



 先生が屋上を去った後、僕はまだ動けずにいた。

 夕陽はすっかり落ちきり、スカートの間を寒い風が容赦なく吹く。

 僕のカメラにはあの綺麗な夕陽と先生が写ったままだった。




 こうして僕の恋は始まって、暫しの終わりを告げた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

茜色のフィルム けい @key_novel06

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る