エピローグ 死霊術と工業革命、対するは……
歴史の面影を色濃く残す都市ナルバは、カナギシュ王国の王都である。
大陸一の大国に、突如として宣戦布告されたのだ。
ラジオでその報がもたらされた時には、数少ない資産家は既に王都を逃げ出していた。
第一報から数日経った今、逃げようとしているのは中流階級の中でも資産が多少なりともある者達だった。
彼らは最低限の荷物を持って、王都に接する大いなるルラネ川の川縁に設えられている船着き場へと殺到している。
迫る防衛戦。
しかし、戦力の差は歴然であり、これに在る事実が加味されれば勝算は無いに等しい。
故にこの様な切迫した状態になるのは当然だ。
私も行く当てがあるのならば逃げだしていただろうか? いや、逃げださないか。
ともあれ、この運行で最後だと告げて大型蒸気船が煙をくゆらせ川伝いに遠方へと旅立てば、疎らに残るのは、取り残された人々と散乱した荷物だけ。
そんな彼らを徐々に傾く陽が赤く染め上げているのが見えた。
取り残された者達は、悲嘆に暮れその場にへたり込む。
誰もが迫る滅びを想起して、絶望のただ中にある様だ。
その中にあって、冷静さからか、或いは諦観からか毅然と立っている老紳士がいた。
彼は、僅かに疲れたような足取りで船着き場の外れにあるベンチに向かい、腰を下ろした。
持っていくべき荷物は殆ど無かったのか、肩にかけていた小さなバッグを降ろして、なんとも言えない息を吐き出す。
自身の指先を顔の前に持ち上げて見れば、夕日に赤く染まっている事に思わず苦笑を浮かべた。
迫る未来を示しているかのようだとでも思ったのだろう。
物憂げに息を吐き出しながら何気なく周囲を見渡し、ベンチの傍にカナギシュの歴史を記した書が投げ出されているのを見つけ、紳士は手を伸ばして拾い上げた。
何度となく踏みつけられた跡がある歴史書のページをめくり、読みふける様子は大学でも家でもよく見た姿だ。
「教授」
声をかけると紳士は拾い上げた歴史書を閉じて、ベンチより立ち上がり、私を見た。
元より妻の眠るこの街を去る踏ん切りがつかずに今の今まで迷った挙句に、結局船に乗り遅れたのだろう。
「何、踏まれる歴史書と同じく、我が祖国も軍靴に踏まれる定めかと思ってね」
通常の20倍以上の値まで高騰する船賃すら用意できなかった人々と同じく、王と王の軍隊と命運を共にするよ、そう続けた老いた教授の言葉は重い。
それも良いだろうと、私はルラネ川から微かに見える古びた王城を眺めた。
現王テサ4世は宣戦布告が成された時、即座に降伏を申し入れた。
戦力差が歴然としていたからだ。
だが、侵攻してくる強国タナザはカナギシュの過去の行いには償いが必要だと声高に主張し、もし降伏したくば、多額の賠償金と数多の人民を労働者として差し出せと伝えてきた。
この条件を、テサ4世は受け入れる事が出来なかった。
彼等の求める労働者とは、死体であるからだ。
タナザの労働者は、
古来より、
だが、タナザのそれは工業革命と結びつき、劣悪な環境下で働く労働力として極限まで使い潰すと言う有様になっている。
そこには死者に対する哀悼など欠片も無く、大陸で唯一の
大陸の諸国でも当然問題となっているが、その成果は凄まじくタナザは今では押しも押されぬ大国となり、非難をどこ吹く風と無視しているのが現状だ。
タナザの
遂には死者に戦列を組ませ、銃を持たせて兵士に仕立て上げた。
新鮮な死体に限られる為無尽蔵とは言わないが、数の問題のみならず作戦まで一変させた。
この死者の軍隊は、あらゆる戦史を過去の物としたと言える。
タナザの指導者は気でも触れたかと各国の新聞は叩き、世論を大いに煽った。
本来ならば、大陸の残りの国々が手を取り合い対抗せねばならない程の相手だ。
だが、カナギシュを始めとした各国の種族間抗争の傷痕は根深く、多国間の連合を容易に許さない情勢が出来上がっていた。
各国に一定数居る「魔族とは(或いは森護とは、或いは人間とは)手を組めない、それならば死霊術師の方がマシだ」と言う論調に代表される強硬派の存在が、それである。
馬鹿なんじゃないかなと思うんだが、そんな存在がいるのは事実なのだ。
結局、他国は歴史あるカナギシュの末路を悼みつつ、次に備えるためにタナザを刺激しないと言う消極的な中立を貫いている。
タナザの矛先が自分達に向かぬように、陸路は周辺国に封鎖され、カナギシュ国民は逃げ込む事すら出来ない。
その一方のタナザは、悠々と進軍の準備を整えて、今や国境付近に軍を集結させている。
明日にでもラジオで何かを発表すると言うが、きっと派手な進軍合図でも出すのだろう。
大陸の各国間で結ばれていた戦争協定、略奪の禁止や民間人への攻撃の禁止と言う協定に、タナザは消極的であり、調印も未だできていない。
協定に消極的どころか死体を欲する彼等が何を行うのかは明白だ。
これによりカナギシュ王国の未来は潰えるだろう。
「君も逃げたのではないのか? 私が行く時にそう言っていただろうに……」
「そう言わなきゃ逃げなかったでしょう? それより……教授はどうして逃げなかったんです?」
「慌てふためいていた若い夫婦が後から来たのでね、順番を譲ったんだ」
「人が良いですねぇ」
私は感心したように笑う。
何処の誰とも知れない行き倒れの私を家に住まわせてくれたばかりか、古い言語しか喋れなかった私に教育まで施してくれるほどだから根っからの善人なのだ、教授は。
大学の司書の仕事も斡旋してくれたし。
そんな彼が言うのだ、老いた自分はラジオで戦闘の結果を聴き、妻の墓前で自害するか、と。
バルアド大陸において四百と数十年の歴史を持つ嘗ての大国は、風前の灯。
教授が先ほど告げたように、踏まれた歴史書と同じく軍靴に踏みつぶされようとしていた。
時はバルアド歴1836年6月。初夏にも至らぬ時節の事である。
しかしだ。
ウオルが……私の従兄弟甥が苦労して築き上げた王国が……。
オルキスグルブ王国の野望を打ち砕いた彼の王国が……子孫がこの様な末路を迎えるなど許せるものではない。
「教授、私は戦おうと思うのです。タナザと……オルキスグルブの残党と」
「ベルシス君……?」
怪訝そうにする教授に手を差し出したところで声が響いた。
「誠にベルシスかっ! 信じられん、まさにあのベルシス!」
「エルーハ! あんたが生きていて良かったよ」
上空より舞い降りてきたのは、今では人前に姿を見せなくなった竜人だ。
そんな竜人が突如姿を見せたことで悲嘆に暮れていた者たちが驚いているのが見えた。
それは教授も同じようだった。
「ルクルクス教授、戦史学科を教えている貴方の力を私にお貸しいただきたい!」
「ベルシス君、君は一体……?」
目を丸くしている教授に私の傍らにふわりと着地したエルーハが声高に告げた。
「知らぬか? この男こそカナギシュ王朝に伝わる伝説の一つ。神君ロガ王ベルシスであるぞ!」
「神君はやめて」
「ロガ王ベルシス! あの伝説の兵法家!」
それは違う! カルーザスと混じってねぇか!?
色々と齟齬があるけど、まあ、良いや。
必ずこの国を守って見せる!
それに……三勇者の気配を感じてもいる。
彼らと合流できれば……そして各国と合力出来ればタナザにだって勝てるはずだ!
<了>
『連合元帥ベルシス・ロガの憂鬱』に続く
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