一から始めるユートピア!~デブでもできる異世界社畜生活~

杭全宗治

第1話「例のやつ」

 これで何人目だろうか。大好きだった推しが電撃引退したのは。


「うわああああああああああぁぁぁあああ!!」


 俺は我慢できず、子供のように床の上を転がり周ってだだをこねた。


「いやだ! いやだあああああああああああああ!!」 


 俺の巨体が、狭い部屋をブルドーザーのようにどっすんばったんとかき回していく。雑誌やゲームソフトの束がドミノのように倒れていくが、止められない。


「嘘じゃん! 学業に専念とか嘘じゃん! 彼氏出来ただけじゃああああああああああああん!!」


 アキバで売り出し中だった地下アイドル、俺の大好きだったくるみ咲ちゃん。一時期は完全芸能界デビューなんて噂もあったのに、彼女は手のひらを返すかのように突然引退した。


 彼女は当初留学のため、というもっともらしい理由をHPで発表していたが、有志の手によってすぐにそれが嘘だということが判明した。

 理由はお決まりの、恋愛絡みのアレであった。


「金返せ! 俺の金返せよおおおおおおお!!」


 彼女に使ったうん十万もの金は、もう戻ってこない。残ったのは、彼女と抽選で握手出来るという券を得るために買いまくった、この大量のCDだけ……。

 あの時は得意になってそのCDに埋もれる画像をSNSにアップしたものだが、今となってはそれも黒歴史だ。マジで今すぐ記憶から消えてもらいたい。


 って言うかあれがネット上にずっと残るとかもう死にたい。一応顔は隠したけど、見る人が見れば体型とかで丸分かりだし……。


「はあ、はあ……」


 と、少し現実的なことを考えたら、ちょっと頭の血が引いていった。

 散々当たり散らして溜飲を下げた俺は、またいつものように、黙って部屋を片付け始めた。ドルオタ歴も長くなってきたせいか、切り替えもだんだんと早くなってきた。

 アイドルは他にもたくさんいるしな。次だ。次に行けばいいのだ。


 そうして一人頷き、しばらく黙々と片付けを行っていると。

 六畳半のワンルームの部屋に、ふいに玄関のチャイムが鳴り響いた。


「うん?」


 宅急便でも来たか。今日って何か頼んでたっけか。アメゾンで頼んでおいた抱きまくらか? それとも予約してたフルプライスのエロゲかな? だとしたら今日は頑張っちゃうぞ! デュフフゥ……。


 おざなりに返事をして玄関のドアを開けると、しかしそこには俺の予想に反し、一人の少女が立っていた。


 年は16、7歳くらい。オーソドックスなセーラー服の上に、濃紺のセーターを着込んでいる。スカートの丈は長過ぎず、短過ぎずと、男からしたらもっとも足が綺麗に見えるバランスを保っていて好感度が高い。


 ソックスもセーターと同じく濃紺であり、ギャルっぽさは皆無。しかし地味という訳では全くなく、上等そうなカシミヤのセーター、磨き抜かれてピカピカなローファーなどなど、個々のパーツがマニアの着せ替え人形のように洗練されていて、思わず心の中で唸らされてしまった。


 真っ直ぐ筋の通った小ぶりの鼻、大きな目にたっぷりとしたまつ毛。頬から顎にかけてのラインは女の子らしく丸みを帯び、思わず指を滑らせてみたくなるくらいの綺麗な曲線を描いていて……。

  

 しかし惜しむらくは、その綺麗な瞳が俺を蔑むように見ることである。

 その突然の来訪に何も言えずにいると、彼女はふんと鼻を鳴らし、ますます蔑みの視線を俺に浴びせた。


「何じろじろ見てんのよ。きも」


 体を隠すように腕を組みながら横を向くと、彼女は汚いものでも見るかのような目で俺に言った。


「相変わらずのようねクソ兄貴。あれから全く何も変わってない」


 ずしゃ、とモルタルの廊下に機嫌悪そうにローファーを走らせながら、彼女は――我が妹の織部さやは、今度ははっきりと俺をにらんだ。

 その鋭い視線にたじろぎながらも、俺は何とか声を絞り出してそれに答えた。


「や、やあ妹者よ。急に俺の所に来るなんて珍しいじゃないか。まさかとは思うけど、何か身内に不幸でもあったのかい?」


 それくらいしか、この見目麗しい妹がこんなところに来る理由がない。

 そう思ったが、しかし妹は吐き捨てるように言った。


「そんな訳ないでしょ。その時は逆にあんたには伝えない。あんたと一緒に親戚達の前に立つとかありえないから」


 その容赦のないドSぶりが懐かしかった。実家にいた時はよくこんなふうにして罵られたものだが、ちょっと久しぶり過ぎたせいで、昔はできたはずの愛想笑いがとっさに出なかった。出たのは彼女が特に嫌っていた、にちゃっとした苦笑い……。


 何をどう返せば彼女の機嫌がよくなるのかを考える。しかし彼女はこうしている時間も惜しいのか、俺の返答を待たずにさっさと本題に入ってしまった。


「お母さんからあんたに伝言」


「え、母さんから? はい」


「来月から仕送りはなし。頑張って一人で生きるように、だって」


「え!?」


 ホワッツハプンドゥ。 パードゥン?


「え? 今何て……?」


 ちょっと聞き捨てならないことを言われた気がした。何かさらっと死の宣告のようなものを受けたような気がする。

 しかし我が最愛の妹は、めんどくさそうにやはり同じことを言った。


「だから、来月からあんたへの仕送りはなしになったって言ってんのよ。このクソ兄貴」


「はあああああああああああああああああ!?」

 

 驚きのあまり、俺は妹への配慮も忘れて叫んでしまった。


「ちょっと、うるさい」


「いやいやいや! そんな急に言われても困るんだけど! 嘘でしょ!?」


「嘘なわけないでしょ。何で嘘言うためにわざわざあんたのとこにまで来んのよ。あたしはそんなにバカじゃない」


「いやでも! 万が一ってことがあるじゃない! あ、ほら、そう言えば今日はエイプリルフールじゃん!」


「今日は11月30日。どこの日付を見ているのかしら。まったくかすりもしてないわね」


 冷静に事実を突きつけてくる妹に、しかし俺はめげずに食い下がる。


「いやいや! 次元が歪曲したのであれば可能性は微粒子レベルではあるが存在する! そうだ! だからこんなことになっているんだ!」


「ちょっと、声でかい」


「もしそうならまずい! 俺は今すぐ母者のところへ行って次元を正さなければならない! そうしないと世界が大変なことになる! 可及的速やかにことを行わなければ!」


「おい」


「よし! そうと決まれば今すぐ行こうぞ! ついて来い妹者よ! 我とともに次元の狭間をかいくぐり、魔王と化した母者をぐぎゃあああああああああ!!」


「うるさいっつってんだろこのキモオタがああああああああ!!」

 

 現実逃避しながらわめく俺に、ついに妹の鋭いローキックが襲った。

 狙ってやったのか、綺麗に弁慶の泣き所にそれが入る。俺は突然全身に走った痛みに耐えかねて叫び、玄関を転げ回った。


「ぐあああああいでえ! いでえよおおおおおお!!」


 久しく味わっていなかった痛みに、額から脂汗が流れ出す。

 最近90キロ程にもなってしまったせいだろうか。全身から汗が出汁のようににじみ出てくる。こいつはやばい。かつて味わったことのない痛みかもしれない。

 

「ぐあああああああぁぁぁぁ……あ?」


 このままでは痛みによるショックで死ぬ。そう思って何とか痛みを散らそうと○ート様のように暴れ回っていると。

 神は俺を見放さなかった。ふと視界の端に僥倖、福音来たれり。そのおかげで俺は、何とか命を現世に留めおくことに成功した。


「……?」


 突然ぴたりと動きを止めた俺を見て、妹は不思議そうに俺を見下ろし、その視線を追った。

 しかしまだ気付かれていないようだ。それなら、やることは一つだ。


「ふむ、いいぞ……とてもいい……」


 俺は腕を組みながらうんうんと頷き、その福音、パンチラを余すことなく享受した。

 コットンの白。我が妹ながら、“分かって”いる。


 昨今のJKは制服を超ミニにしている輩がそこそこいるが、そういう連中は大体Tバックとかを履いている上に恥じらいが皆無であり、全く萌えない。


 その点彼女のこいつはどうだ。フォルムは一応シャープ寄りのデザインだが、これは『見られることをほぼ想定していない』油断パンツである。ちゃんとお腹が冷えないようにするための、機能性パンツである。


 男は見てはいけないモノに反応する生き物……。見られたらきっと恥ずかしがるんだろうなあ、という想像もあってこそのパンチラなのである。恥じらいなくしてエロスなし! なのである。


 やはり妹はできる子だった……と感慨深くそれを見上げていると、妹ががようやくその俺の視線の意味に気付き、その綺麗な白い顔をさっと紅くした。

 お、いいですねその恥ずかしそうな表情。めちゃポイント高いですよデュフフゥ……。


「妹者よ……やはり君はアイドルになるべき逸材だ。どうだろう、今からでも俺と一緒に……」


 しかし俺は、その台詞を最後まで言うことができなかった。


「うるさい!」


「ぐうぉっほ!!」


 またしても妹の容赦のない一撃が俺を襲った。

 妹は赤い顔のまま歯を食いしばり、俺の出っ張った腹をうどんのたねでも作るかのように足で踏み倒した。


「きもいきもいきもい! ほんと! まじできもい! しね!!」


「ぐっ! ちょ! 妹者やめっ! ぐっふぅっ!」


 一単語発声するごとに俺の腹を思いっきり踏む妹は、もはや半泣き状態であった。

 やはりアイドルに誘ったのはまずかったか。それとも単に、パンツを見られたことによる憤慨なのか。


 どちらにしても、このままでは俺は死ぬ。いくら俺が脂肪の塊であると言っても、これだけやられればダメージは通る。俺はただのデブなのであって、拳法殺しの○ート様のように物理攻撃無効の特殊体質ボディというわけではないのだ。


「妹者ごめん! もう何も言わないし、パンツも見ないから! ぐふぅ! だから許しごっほぅ!」


 俺が必死になってそう懇願し、ローアングル解消のためにずりずりと壁に背を預けると、ようやく妹は恐怖のデブ殺しストンピングをやめてくれた。

 その目は相変わらず涙がにじんでいたが、散々暴れたおかげか、幾分落ち着いたように見える。

 ふう。危うく屠殺されるところだった。危ない危ない。

  

「あの、ほんとごめんね。ジョークのつもりだったんだけど、よく考えたらもうさやちゃんも高校生だし、ちょっとやり過ぎだったね。ごめんごめん」


 そうして立ち上がりつつ改めて謝罪を入れると、彼女は一瞬だけ俺の顔を見た後、「もう、いい」と、何かを諦めるかのように大きく息を吐いた。


「用、済んだから帰る。あとはあんたの好きにして」


 こんなところには長居できん。そう言わんばかりに早々に踵を返す妹だったが、最後に少しだけ振り返り、辛辣な一言を残した。


「アイドルのおっかけだか何だか知らないけど、そんなの自分のお金の中で何とかしなさいよ。この穀潰し」


「へぽぉ!!」


 最上級の罵りが、クリティカルな一撃となって俺を襲った。 

 返す刀はもはや必要ない。キモオタフリーター一人殺すには、この上段からの袈裟斬り一本で十分である。と言うかむしろオーバーキルですわこんなん……。


 そうして俺が膝を折るのを見届けると、妹は今度こそはっきりとこちらに背を向け、言った。


「じゃあ私はこれで。せいぜい頑張って生きるのね」


 俺はショックで顔を上げることが出来ず、つむじ辺りに妹の捨て台詞が降って来るのをただ黙って受けることしか出来なかった。

 うう、今までJKの罵りとかご褒美だとか思ってたけど、これはちょっときつい。こんなのずっと受けてたら俺の頭はいつかカッパみたいに禿げ上がってしまう……。 


「ねえ、どうしてそんなふうになっちゃったの? 昔はもっとさ……」


 自分の頭皮の行く末を案じていると、ふいに少し悲しげな声が耳に響き、思わず俺は顔を上げた。


 その声は、薄暗い廊下に吸い込まれるようにして消えていった。そうして再び静寂に包まれた廊下に、ゆっくりと歩き出した妹のきびきびとした足音が冷たく響き渡る。

 その背中が見えなくなると、やがてその音も世界から消え、俺はまたいつものように独りになった。


(さやちゃん……)


 俺は力なく立ち上がり、廊下の手すりにもたれかかった。

 何だかひどくダメージを受けてしまった。今あのめちゃくちゃに散らかった部屋に戻ったら、さらに打撃を受けて立ち直れなくなってしまうかもしれない。


 そう思った俺は、そのまま部屋の鍵もかけずに外へと歩き出した。

 行き先なんぞない。でもとにかくこうしないとダメだという気持ちに引っ張られ、足が勝手にどこかへと動いていく。


(はあ、これからどうしよう……)


 希望のない現実に、俺は一人ため息をついた。

 仕送りがなければ、俺は割とリアルに死ぬ。かろうじてやっていたコンビニのバイトも、馬の合わない同僚にレジ金のマイナスを俺のせいにされて居づらくなり、先週辞めてしまったばかりだ。

 

 この世は理不尽でいっぱいだ。大好きなアイドルは突然引退するし、仕事はなくなるわ仕送りは止まるわで全くいいことがない。本気で自分の周りだけ次元的な何かが歪んでしまったんじゃないだろうかと思えてくる。


(……ん) 


 と、うなだれながらとぼとぼと歩いていて、俺はふと気付いた。

 幽鬼のように力なく揺れる腕の先。右手には、未練がましくあの革手袋がはめられていた。


 必死で集めた券のかいあってくるみ咲ちゃんと握手できてから、間違って手を洗ってしまわないようにと常に身につけてきた相棒である。しかし彼女がああなり、俺がこうなってしまった今、これはむしろ忌むべきもの、呪いの装備となってしまったのではないだろうか……。


 俺は思い至り、きょろきょろと周りをうかがった。

 俺のここ最近の不幸は、こいつのせいかもしれない。ちょうどここは公園の近くだ。水道で手を洗い、口をすすいで禊をしよう。心機一転するための神聖な儀式を執り行うのだ。


 思いつきにしてはいい考えだと思ったが、俺はそこで重大なミスを犯した。

 道路を挟んで公園があるというところで、俺はふと好奇心に駆られ、先走ってその悪魔の右手を解放してしまったのだ。 


「どれ、どんなもんに…………ってくっさ!!」


 ほんの出来心だった。昔腕を骨折した時のギプスを外した時もかなりのものだったが、今回のこれはどんな臭いなんだろう。なんとはなしに、そう思ってしまった。

 俺の最大の失敗は、見誤ったことだった。長き封印により、俺の右手は想像以上の悪魔の香りを放つ、リーサルウェポンと化していたのだ。


 俺はそのあまりの臭気にのけぞり、その勢いでふらふらと数歩たたらを踏んだ。そしてそのまま、あろうことか車道へと出てしまった。


「ぐっ……まさかこれ程とは……!」


 時刻は午後6時頃。まだまだ車の往来のある時間である。

 俺はそんな中、いつの間にやら車道の真ん中に立っていた。そしてそれに気付いた時には、もう全てが遅かった。


 眩しい光と、甲高いブレーキ音。 

 突如として目の前に現れた大型車に、俺は轢かれる寸前だった。


「ぎゃ、ぎゃあああああああああああああああああ!?」



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