エピローグ
風の面影
翌日――
一晩休んだ後、一同は朝日が昇って間も無くフォートリエの屋敷に再び集まり、騒動の
エヴァが再びこちらの世界に現れる可能性や、新たに現れたヴァンパイア――ラメールとフランが今後どうするか、等。
それらを話し終えた後、一同はその場で解散し、それぞれが別の場所に訪れていた。
シルビアとシャルロットの二人は、ユーティアスにあるヴェロニクのバーに訪れていた。
「――つまり、黒幕の女が生きているかはまだわからないって事ね?」
「そういう事よ。尤も今朝聞いた話では、奴が生きていたとして、向こうの世界から侵攻してくるのはそれなりに後の話だそうよ。力の回復があるとかでね」
シルビアが一連の騒動の結末を、カウンターの向こうに居るヴェロニクに説明していた。
「なるほどね……。向こうの世界とか、その辺りについては未だに半信半疑ではあるけど、ひとまずは解決したって事で良いのかしら……?」
一通りの話を聞き終えた所で、ヴェロニクが腕を組んで溜め息混じりに呟く。その言葉に、シルビアがグラスに注がれたウィスキーを一口飲んでから答える。
「ひとまずはね。でも、いずれまた戦いが始まる可能性は大いに考えられるわ。その時に備えて、あんたの所の自警団の戦力強化、そして私達も、今以上に力を付けるべきだとは思っているわ」
「ふふ……真面目ねぇ……」
緊張感の無い砕けた声でそう言ったのは、既に酩酊状態であるシャルロット。彼女はシルビアの隣の席に座り、二本目となる赤ワインを開けている最中であった。
「……あんた飲み過ぎよ。少し休みなさい」
「飲み過ぎですって? これくらいで潰れるシャルロットさんじゃ……ないわよ……!」
シャルロットはシルビアの背中をばんばんと強く叩き、上機嫌に笑い出す。その様子を見て、ヴェロニクが苦笑を浮かべながら言った。
「一時はどうなっちゃう事かと思ったけど……まぁ、元気になって良かったわ。――どうやら元気になり過ぎちゃったみたいだけど」
「ふふ……そうでしょうそうでしょう……もっと喜びなさいよ……」
「はいはい……。それにしても、珍しいわね。一人呑みが好きなあなたが、シャルロットを連れてくるだなんて」
職業柄酔っ払いの相手には慣れているヴェロニクは例によってシャルロットを軽くあしらい、シルビアに話を振る。妹とは対照的に至極落ち着いているシルビアは、静かに煙草に火を点けてから忌々しそうに答える。
「誘ったりなんかしてないわよ。帰りにここに寄るって言ったら、“たまには私も付き合う”って言って勝手についてきただけよ」
「あら、そうだったの。仲が良くて微笑ましい限りだわ」
「……今となっては、帰らせた方が良かったって後悔してるけど」
自分の肩に頭を乗せてずっと笑っているシャルロットに、シルビアは大きな溜め息をついた。
そんな二人を微笑ましそうに見ながら、ヴェロニクは言う。
「ふふ……まぁそう言わずに。たまには良いんじゃないかしら? 姉妹で肩を並べてお酒を飲むだなんて、素敵な事だと思うわよ」
「他人事だと思って……」
その時、店の扉がゆっくりと開き、両手に紙袋を抱えたエマが姿を現した。
「ヴェロニク、買い物終わったぜ――って、なんでこいつは昼間っから潰れてんだ……?」
エマは紙袋をカウンターの上に置き、普段と大分様子が異なるシャルロットを見て苦笑を浮かべる。
「ありがとう。悪かったわね、エマ。ジュースでも飲んでいきなさいよ」
ヴェロニクが紙袋を受け取り、シャルロットの隣の席を目で見て勧める。エマは少し考えた後、シルビアの隣の席に座った。
「お使い?」
「あぁ。“昼間っから呑みに来るどうしようもないシスターが二人居るから、代わりに行ってきてくれ”って言われてな」
「……そう」
シルビアは意味深な視線をヴェロニクに向ける。ヴェロニクはそそくさと紙袋を持って店の裏へと逃げ込んだ。
「なぁ、騒ぎは収まったのか?」
シルビアの前に置いてある豆が入った皿を引き寄せ、それを剥きながら訊くエマ。
「えぇ。ひとまずはね。――ところで、あんたに一つ訊きたい事があるんだけど」
「私にか?」
「あんたが作ったライフルを、ルイズが持っていた理由よ」
その質問に、エマは剥き終えた豆を一つ口に放り込んでから答えた。
「武器が必要って言ってたからな。貸してやったんだ」
「奴が私達の敵だった事は知らなかったと?」
「いや、知ってた。本人から話は聞いたからな」
「……ふーん」
「ちぇっ、そんな目で見るなよ……。あいつは悪い奴には見えなかったんだよ。だから貸したんだ。現に、約束は守ってくれたしよ」
「約束?」
「武器を貸す代わりに、ソフィアを殺すな。そう言ったんだ」
「……へぇ、そんな約束をね」
シルビアは煙草の煙を吸い込み、天井に向かって吐き出す。
うねる煙を見つめながら、ルイズの事を思い出していた。
「(今回の騒動を引き起こしたのは確かに奴ではあるけど、半ば操られていたようなもの……。戦いに対して純粋過ぎるというだけで、エマの言う通り、根は悪い奴じゃなかったのかも……)」
シルビアがそんな事を考えていると、シャルロットが突然彼女の背中を強く叩いた。
「何辛気臭い顔してんのよ。ほら、もっと飲みなさい!」
「……あー面倒臭い」
シルビアは大きな溜め息をつき、シャルロットの顔をぐいっと押して強引に離した。
一方で、アリス率いるヴァンパイア勢と、それについてきたサクラとマリエル一行は、マーズ地方にある温泉へと訪れていた。
マーズ地方はソレイユ島の中で唯一人工物が無い区域であり、温泉もサクラが発見しただけで人工的に手が加えられているワケではない。それでも、彼女達が全員入り切る程には広く、また、調整せずとも温泉として丁度良い温度であった。
「どうです? 中々良いものでしょう」
サクラが隣に居るマリエルに訊く。
「良いですね。ソレイユ島にこんな所があったなんて、初めて知りましたよ」
マリエルは人懐こい笑顔で答える。すると、ルナと肩を並べて浸かっているリナがサクラにこう訊いた。
「それにしても、どうして私達を誘ったの? ヴァンパイアが温泉なんて、歴史のどこを見ても一度たりとも無かった事だよ」
「良いではありませんか。疲れた身体を癒すには、こうしてゆっくりと温泉に浸かるのが一番です。それは人間でもヴァンパイアでも同じでしょう」
「同じかどうかは知らないけど……まぁ確かに、嫌いじゃないかも」
リナはそう言って、ふうっと息をついた。尚、彼女の隣に居るルナは、目を閉じて口元まで浸かり、一言も発する事なく温泉を満喫していた。
――そんな彼女達とは少し離れた隅の方には、ノアとフランが肩を並べていた。
「おい、ノア」
「なんだい」
「お前、これからどうするんだよ」
「ボクは何も変わらないよ。今まで通り、アリス様に仕える」
そう答えてから、ノアは「いや――」と付け足し、こう続けた。
「今まで通りってワケじゃない。アリス様に仕える事に変わりは無いが、これからはボクはボクとして生きていく」
「……なんだそりゃ。どういう意味だよ」
「まぁ、ちょっと色々あってね……。そういうキミは、本当に今朝の話通りに暮らすつもりかい?」
訊き返されたフランは、溜め息混じりに答える。
「仕方ねぇだろ……他に行くアテなんかありゃしねぇんだから。暴れようモンなら、あそこに居る侍に瞬殺されちまう」
「あいつは侍ではないんだけど……まぁそれはいい。それにしても意外だな。キミが大人しく矛を収めるだなんて」
「勘違いすんなよ、一旦収めたってだけだ。磨き直して、またあの侍やヴァンパイアハンターに挑む。その意思は曲げられねぇぜ」
「そうかい。まぁ、精々頑張ってくれ」
大きな伸びをしながら関心無さそうにそう言ったノアを、フランは横目で睨み付ける。
「……てめぇも他人事じゃねぇからな」
「なんだ、まだボクに勝つ気でいるのかい? 見上げた根性だね」
「なんだと? 寧ろてめぇが一番先だ。オレ達の中じゃ一番ヌルい相手だからな。小手比べにゃ丁度良いぜ」
「……やはりお前とは白黒つけたほうが良さそうだな」
「上等だ。なんなら今すぐにでもケリつけてやらぁ」
そう言って、勢いよく立ち上がるフラン。ノアは横目でフランを一目見た後、呆れた様子で苦笑を浮かべた。
「そんな格好で戦うつもりかい? 貧相な身体が丸見えだぞ」
「ッ――!」
ノアの指摘に、フランは慌てて湯の中に身体を戻す。
「て、てめぇ、見てんじゃねぇよ……!」
「キミが勝手に立ち上がったんだろう」
「うるせぇ! 忘れろ!」
「何をだよ」
「うるせぇ!」
ヴァンパイアの中でも似た者同士である彼女達は、相変わらず大小問わずの諍いが止まらない。
――その一方、ヴァンパイアの中でも特に抜きん出た性格の持ち主であるラメールは、アリスの隣に居た。
「ふふ……まさかあたしまで連れて来てくれるとは思わなかったな。どういう魂胆なの? フォートリエの主様?」
「その呼び方はもうやめてよ。普通にアリスって呼んでほしいな」
「そう? あたしとしては、あなたが何を考えているのかがまだわからなくてね。いきなりそこまで友好的にはなれないんだ」
そう言ったラメールに、アリスは驚いた様子で顔を向ける。
「だってそうでしょ? あたしは昨日の夜まで、あなた達を敵対視していたヴァンパイア。それで今朝いきなり、“私達と暮らそう”って言われたって、素直に信じられると思う?」
「信じられない?」
「あはは、訊き返されちゃった。同じ立場でも、フランは単純だからすぐに気持ちを切り替える事ができるだろうけど、あたしは複雑なの。色々勘ぐっちゃうんだ」
「……そっか」
アリスは優しい微笑を浮かべ、視線を正面に戻す。ラメールは横目でアリスの横顔を見つめ、彼女の返答を待つ。やがて、アリスはこの場に居るヴァンパイア達を見回しながらこう言った。
「私達ヴァンパイアは、人類にとってあまり好ましい存在ではない。当然、居場所なんてものは数少ない――ううん、むしろ他には無いのかも。だから私のお母さんやエヴァのようなヴァンパイアは、人類から居場所を奪おうとしていた」
ラメールは何も言わずに話を静聴する。アリスは続ける。
「でも、私はそんな事はしない。唯一あるあの屋敷で、ひっそりと暮らすの。ノア、リナ、ルナ、それに、これからはあなたとフランも一緒。それに、そんな私達の事を理解してくれる人間だっている。シャル、シルビア、それにお姉ちゃんやサクラ。それって、とっても嬉しい事なの」
「あなたが言っていた、人間との共存って事?」
「うん。だからあなた達にも、いがみ合って戦う事だけが全てじゃないって事を知って貰いたくて」
「……要するに、皆で平和に暮らしましょうって事だね」
「そういう事。同じヴァンパイアとして、私はあなたとも仲良くなれると思ってる」
「……」
人懐こい笑顔を浮かべたアリスを、ラメールはしばらくの間何も言わずに見つめていた。――やがて、気の抜けたように小さく笑って呟く。
「……なるほど。皆が慕うワケだ」
「え?」
「ふふ……なんでもないよ。よろしくね、アリス」
ラメールはそう言って、にっこりと笑って見せた。
そして、今回の騒動で父親を殺され、またその仇であった姉も居なくなった事で、家族を全員失ってしまったソフィア。
彼女は朝の話し合いを終えた後、“一人で行きたい場所がある”と言い、円石の広場へと訪れていた。
今朝屋敷に行く前にシャルロットに手伝って貰い、崖から少し離れた見通しの良い場所に設けた父親の墓。ソフィアはその前に跪き、そっと一凛の花を置く。そして目を閉じ、様々な思いを心中に巡らせながら、しばらくの間そこに留まっていた。
尚、彼の亡骸は殺害された後にラメールとフランの手によって処理されてしまったので、この下には埋っていない。それでも、頻繁に来れるよう、近くて見通しの良いこの広場に墓標を設けた。
やがてゆっくりと目を開けて立ち上がり、崖の端まで行って海を一望する。――脳裏に浮かぶのは、ここで初めてルイズと対峙した時の記憶であった。
三日間に及んだ彼女との戦い。最初に抱いていた殺意は、今となっては微塵も無い。父親の墓を前にした上でも、少し前まで自分の心を支配していたくろぐろとしたものは感じられなかった。
「ルイズ……」
胸の中を満たす淡い感情に堪え切れなくなり、その名前を口にする。するとその時、その場を一陣の風が吹き通った。
風はソフィアの髪を悪戯に乱した後、彼方へと消えていく。
名前を呼んだ直後の事――ソフィアはその悪戯な風に、ルイズの面影を感じた。
しかし、その不思議な感覚に、ソフィアは自ら嘲笑する。
「……まさかね」
そして、その場を後にしようと歩き出す。
広場から森へ戻ろうとした所で、ソフィアは呟いた。
「――じゃあね、ルイズ」
再び風が吹き、ソフィアの身体を優しく包んだ。
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