閑話:とある部屋の中で

 主のいない部屋は静かなものだ。

 この部屋の主はある一点に置いて以外物欲というものが存在せず、部屋の中は殺風景なものである。

 仮に外から誰かが侵入したとしても、この部屋が貴族の部屋だとは思わないかもしれない。

 そんな部屋のドアが開くと、主を良く知る人物がゆっくりと入ってきた。


「……本当に、アルお兄様はいないんですね」


 そう口にしたのはアルの妹であるアンナだった。

 アルのことを兄妹の中で一番尊敬しているアンナは、アルが夏休みを利用して氷雷山へ向かうことを残念に思っていた。

 何故なら、この夏休み中に魔法の訓練をしてもらおうと考えていたからだ。


「はぁ。エミリア先生はいますが、やはり私にはアルお兄様の指導が一番合っているように思います」


 魔力を感じ取るという方法をアルから教えてもらい、アンナは毎日のように周囲の魔力を感じる努力を行ってきた。

 その甲斐もありアルから褒めてもらうことに成功したのだが、その自信はすぐに打ち砕かれることになる。


「まさか、複数の場所から魔力を放出するなんて思わないじゃないですか」


 得意げになっていたアンナはすぐに気持ちを入れ替えて今まで以上に訓練に励むようになっていた。

 だが、魔力を感じ取るという方法はアルから教えてもらったことでありエミリアが指導できる範囲を超えている。

 そのせいもあり壁に当たってもエミリアでは的確なアドバイスができないでいた。


「次はどうすればいいのでしょうか、アルお兄様」


 返ってこない答えを期待して呟かれた言葉に対して――


(——魔力を風と思いなさい)


 頭の中に直接語り掛けてくるような声が聞こえてきた。


「だ、誰? 誰かいるのですか!?」

(魔力を風と思いなさい。さすれば、呼吸をするのと同じように魔力を感じ取ることができるでしょう)

「……魔力を風と思う?」


 この声の主が誰なのか気にならないわけではない。しかし、頭に響いてくる助言がアンナにとってとても大事なものであるように感じてしまい意識がそちらへと向いてしまう。


「……魔力を風と同じように感じることができれば、私はさらに成長することができるのですか?」

(あなたには才能があります。その才能を伸ばし、アルを驚かせて見せなさい)

「あなた、アルお兄様を知っているのですか!」

(いいですか、魔力を風と思うのですよ)

「待って! あなたはいったい誰なのですか、答えてください!」


 最後の問い掛けにだけは答えが返ってくることがなく、最初と同じような静けさが部屋の中を包み込んでいた。


「……もしかしたら、アルお兄様も今のような声が聞こえて成長したのかしら。だとしたら、神に愛されているのかもしれないわね」


 クスリと微笑みながら、アンナはアルの部屋を出ると早足で自分の部屋へと戻っていった。

 そして、誰もいなくなったアルの部屋では机の上に置き去りにされていた神像の中のヴァリアンテが盛大な溜息をついていた。


(はああああぁぁぁぁぁぁぁぁ、暇だわああああぁぁぁぁぁぁぁぁ)


 アンナがいなくなり、ヴァリアンテは暇潰しにとすぐにアドバイスしたことを後悔していた。


(んもう! もう少しここにいてくれたら反応を楽しめたのに! もっと焦らして教えてあげるんだったわ!)


 一人では動けないヴァリアンテはここ数日、殺風景なアルの部屋の中をずーっと眺めている。

 アイテムボックスに入れられると真っ暗な空間の中で過ごすことになるので現状の方がまだ動きはあるものの、どちらにしても暇なものは暇なのだ。


(あー、早く帰ってこないかしら。早く部屋から出て別の光景を見たいわー)


 今の姿をフローリアンテにでも見られたら大目玉を喰らうだろうが、アルがいない以上何もできないのだから仕方がないと割り切っている。

 だからこそ自由に過ごそうと考えてアンナに助言もしていたのだ。


(……あの子、強くなるかしら。でも魔法の才能があってもアル様が目指すのは剣の道を究めることだからあまり意味はなかったかもなぁ)


 ぶつぶつと呟きながら再び殺風景な部屋に視線を向けるヴァリアンテ。


 ――だが、彼女は知る由もなかった。気まぐれで伝えたこのアドバイスが後の大魔法師を育てることになろうとは。

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