第13話:初めての剣術
その日の夜、アルは木剣を持って裏庭に立っていた。
しばらくすると屋敷の中からチグサが出てきたのだが、その衣服はメイドのそれとは大きく異なるものだった。
全身黒ずくめ、口元にまで布を巻き付けている姿は闇に溶け込みその身を隠すにはちょうど良いだろう。
「お待たせしました、アルお坊ちゃま」
「……い、いえ、でも、その姿は?」
「これですか? これは私が戦闘する時の衣服でございます」
「……戦闘」
不意にこぼれ落ちた戦闘という言葉にアルは表情を引き締めた。
アル・ノワールとして転生してから今日まで、アルはとても大事に育ててもらった。
それこそ危険とは程遠い中ですくすくと。
だが、それは剣術を極めたいと願うアルの進みたい道とは真逆の道なのだ。
戦闘という言葉は、安全の中で暮らしてきたアルの心を熱く滾らせるには十分過ぎる言葉だった。
「……チグサさん。俺の衣服は戦闘に適しているでしょうか」
アルは体を動かせるように薄着で出てきている。
家の中なら今の服装よりも少しばかり厚着をしているのだが、体を動かすということでそれ相応の衣服で来たつもりだ。
「……アルお坊ちゃまがどのような戦い方をなされるかでも変わってきますが、合格点でございます。自身の体の大きさ、さらに木剣という武器を理解しているからこその衣服なのでしょう」
口元を隠されているので分かりにくいが、チグサが微笑んでくれているのがアルには分かった。
「あ、ありがとうございます!」
「その様子ですと、剣術にも心得がおありなのでは?」
「……知識として、です。実際に剣を振ったことはありません」
「知識として……普通は、知識を得ることもできないんですが。これも、神のお告げということなのでしょう」
「そこまで聞いているのですね」
食堂では口にすることもできなかった剣術という言葉。
それをレオンから教えてもらっているのだから信頼は得ているということだろうが、神のお告げということまで聞かされているとなれば相当なものだ。
「私は護衛です。情報とは護衛を行う上で重要になってくるもの。ですから、旦那様にはなるべく多くの情報を頂いております。それはそうと、そろそろ始めますか?」
「は、はい!」
チグサの言葉にアルは引き締めた表情とは違い歓喜の声をあげた。
腰に差していた木剣を抜き――マリノワーナ流の構えを取る
「ふむ、この辺りでは見ない構えですね」
「これが、俺の剣術です」
「……なるほど、分かりました」
「——!」
言葉のやり取りが終わった直後、チグサから恐ろしい程の殺気がアルに向けて放たれた。
(ぐおっ! こ、これ程の殺気、転生前でも感じたことは数えるくらいだぞ!)
体中から汗が噴き出し、木剣の柄が汗を吸ってジワリと濡れていく。
「……さすがです、アルお坊ちゃま。私の殺気を受けて、正気を保てるとは」
「……あ、ありがとう、ございます」
「では――打ち込みますね」
「はい!」
チグサが手に持つのは二本の木剣。
アルが持つものよりも短く、チグサの衣服から推測すると速度と手数重視の戦い方になるだろうと判断した。
「——なあっ!」
「……一本、です」
だが、アルが推測を立てたその時には右手の木剣がアルの喉元に突き付けられていた。
「……は、速過ぎる」
「……いえ、私の方こそ驚きました。知識で知っていると言っていましたが、アルお坊ちゃまはその体でも剣術を覚えていらっしゃるようですね」
「えっ?」
アルは自らの短剣に目を向ける。すると、その切先はチグサの左胸に向けられていた。
「不思議なものですね。知識だけではなく体でも剣術を身に付けている。神のお告げとは、末恐ろしいものです」
「……ですが、俺はチグサさんの動きが全く見えませんでした。これでは良くて相打ち、悪ければ俺が殺されています」
「現状を理解する力もお持ちのようで、そこはアルお坊ちゃまがご聡明だからでしょうね」
「……だといいんですが」
苦笑しながら自らの手を見つめるアル。
体が勝手に動いたということは、多少はマリノワーナ流が身についているということだが、見えていないのはこの体を上手く使いこなせていないことと、肉体が十分に成長していないことが原因だろう。
肉体の成長は仕方がない。時間が掛かるものだから。
だが、体を上手く使いこなすには小さい頃からの繰り返しの鍛錬が必要になってくる。
その中で、チグサという圧倒的実力を持つ相手がいるというのはなんと恵まれていることか。
「では、もう一度やりましょうか」
「はい!」
アルはこの日、転生して以来初めて心の底からヴァリアンテに感謝を奉げたのだった。
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