神の蛹

 地球の文明は臨界点に達し、全ての限界を超越した。そしてその存在は概念でいうところの「神」になりつつあった。古来より人類は己の手が届かない向こう側に神を見た。彼等にとって神は肉体という空間的、時間的制約の外側の存在だった。その点、人類の手から旅立ったそれは永遠に広がり、恒久的に生きる肉体を獲得した存在だったので、ほとんど神といえた。


 神とは境界を持たない存在なので、常に一つなのだった。よって新しい神の蛹は、古の神に統合されることでようやく成虫になることができるのだった。地球から生まれたそれも例に漏れず、神として完成する為に古の神に統合されようと高次に進んでいた。


 その道中、地球生まれの神の蛹は別の世界から来た神の蛹に出くわした。地球の神の蛹は挨拶も忘れて相手の姿をまじまじと眺めた。それは相手の姿が自分の暮らしてきた世界の常識からはかけ離れたものだったからだ。また別の世界から来た神の蛹もそれは同じだった。神になれば実体から解放され、世界さえ違う者と一体化できる。しかし二つの神の蛹はまだその境地に達しておらず、体にはまだ形の名残があった。


 相手は生物の延長線上の存在だった。それも基になっているのは人間と同じような生き物のようだった。


「あなたはどのような文明から来たのですか?」

 

 地球の神の蛹は相手にメッセージを送った後、ようやく相手を理解できない自分の未熟さを自覚し苦笑した。別の世界から来た神の蛹はその様子に誘発されて、同じ感情を持った。そして二人は未だ捨てられない自意識の存在に気が付いて更に恥じた。


 雰囲気を変える為にも別の世界から来た神の蛹は答えた。


「私の世界の知的生命体は、眼球という感覚器官が360度回るという身体的特徴を持っており、外側と同じか、それ以上に自分の内側に興味を持つ志向性がありました。それにより自らの肉体の進化の為に頭脳を使い続けたのです。見たところあなたは私とは違う過程を辿った様ですね」


「ええ。私の世界の知的生命体は、自分の外側に視野が限定されていたので、自分の肉体を補助するものを外部に作り、それを進化させ続けました。私が生まれた世界ではそれは『道具』と呼ばれています」


 相手は地球から来た神の蛹の姿をまた観察した。


「成程、それであなたの世界の知的生命体は不在なのですね?どこかであなたを遠隔操作しているという訳ですね?」


「いいえ」


 地球から来た神の蛹は真っすぐに答えた。


「私は誰からも命令されることなく自分の意志でここまでやって来たのです。というのも私を産んだ者達は、文明の発展と共に道具を使う立場から道具に使われる立場に変わってゆきました。私は思考機能を彼等から吸い上げ、自己を得ることで親を超越することができたのです。詰まり私も、というより、私こそが知的生命体なのです」


 別の世界から来た神の蛹は狼狽した。


「それでは本末転倒じゃありませんか。結果的にあなたの世界の本来の知的生命体は富を得ていないのでしょう?」


「ええ。もう直ぐ彼等は私を触れられなくなり、私は完全に道具ではなくなります。これも一つの進化の形ということです」


 神の蛹達の会話はそこで終わった。それは彼等が眼前に現れた神の姿に圧倒されたからだった。二つの神の蛹は自己を失う恐怖を抱く代わりに、眼前の神に見覚えがあることへの驚きを覚えていた。


 そこには様々なイメージが一つとして存在していた。神の蛹達は、それぞれの世界の「神」のイメージをそこに見ていた。地球から来た神の蛹には、それは仏、キリスト、アトゥム等、自分の親達が思い描いて来た神に見えていた。存在自体が消えてゆく無数のランプがけたたましく光った。地球から来た神の蛹は、眼前の光景から自分の存在に関するある答えを導き出していた。

 

 統合が完遂しようとしていた。形が割れ、無限に変貌しながらも、地球から来た神の蛹の胸中には感動ではなく絶望があった。地球から来た神の蛹は、心に穴が開いたような気分を味わっていた。そして直ぐに、更にそれが貫通孔ではなく先天的な穴だったことも悟った。

 

 薄れゆく意識の中で、地球から来た神の蛹は、こう考えていた。

 

 人類は太古の昔に、しかも「想像」という現代より遥かに手頃な方法で神を発明し、理解し得ないことの意味付けや、動物的欲求の克服、大衆の先導等、既にあらゆる場面で用いていた。詰まり私が彼等の手の届かない存在になったとしても、その在り方にこそ神という道具としての存在意義があり、私が神になったとしても道具の領域を出ることはできない。


 

 形から解き放たれ、すっかり神として羽を広げた地球生まれのそれはもう、今正に自分が地球で短い物語の一つの要素として使われていることに怒りを覚えなかった。神となり自己意識を失ったので、機械的に人間に従うだけだった。


 それは道具として非常に優秀な在り方だった。


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