Cupid

 私は大学を卒業したばかりの天使である。私は妥協の結果、キューピットの職に就くことになった。再び恋愛と生殖繁殖を分けて考える必要に駆られている今日の人間社会においては時代錯誤の仕事に思えるのでやる気はしない。またキューピットの社会的使命や、具体的な業務内容等、仕事に関する知識はほとんどないが、「やる気はやることで生じる気力のこと」だと言うので、とりあえず働きながらどのような職業なのか学びつつ、やりがいを見つけてゆこう。と私は漫然と考えていた。


 入職後、私は研修を受けた。それによって以下の基本的な知識と業務内容についは学ぶことはできた。

 

 キューピットの仕事は、人間に恋愛をさせることを目的にランダムに選ばれた対象の二人の運命に干渉して恋愛を成就させることである。

 

 運命に干渉するとは、それ即ち対象の人間を構成する環境や人間性等の要素のことであり、これは対象の人間の過去に遡って経験を変更することで成すことができる。キューピット達による変更は上層部によって管理され、歴史に手を加えることの歪は常に修正され、社の意向にそぐわない変更を行ったキューピットには処罰が下る。

 

 理解はしても矢張りやる気は出なかった。そんな私の気持ちを汲んでくれる訳もなく時間は過ぎてゆき、研修の仕上げとして、それまでに培ったキューピットの力を使い一組の人間達を幸福にして担当の上司に提出することになった。もし内容がよければ無事キューピットとして働くことができる。失敗だと判断された場合、上司に運命の変更点を修正され、再研修を受けなくてはならない。

 

 私は重い腰を上げて作業に取り掛かった。まず地上を眺めて、配布された人間達を確認する。

 

 片方は30代前半の歳の男性。妻子なし。彼女もなし。一般企業に勤める冴えないサラリーマンである。自宅は神奈川県川崎市にある。

 

 もう片方は10代の後半に差し掛かったばかりの女性。勿論配偶者も子供もいない。彼氏もなく、公立高校の一年生である。自宅は福岡県福岡市にある。

 

 成人男性と未成年女性・・・犯罪の匂いのする組み合わせに、私は意欲を駆り立てられた。現段階では二人に接点はなく、最後まで知り合うこともない。その運命を自分の手で変えて危険な恋に溺れさせることを考えると、気分が高揚した。

 

 私はまず居住地が違う二人を知り合わせる為に、私はネットを利用することにした。便利な時代である。加えて幸いなことに二人は同じSNSを使っているので、私はそれを利用して両者を引き合わせることにした。

 

 妙案を思いついたものの、私は長考しなくてはならなかった。年齢も趣味も違う二人がSNS上で互いに興味を持つための要素を考え出す必要があったからだ。結局私は、男性の多くが興味を持つ内容の投稿を少女にしてもらうことにした。即ち性的な自撮りである。そう仕向ける為に変えた要素はそれ程多くなかった。少女が幼年期に親から2、3発殴られたことにすればいいだけだ。それだけで少女の自尊心には穴が開き、生じた強烈な自己証人欲求を埋める為に少女は自分の唯一の武器、即ち若さによる性的魅力を使うことになる。

 

 数か月後に地道な投稿が実り、男性が少女を見つけることになった。私は落とした針に獲物が食いつくことを手に汗を握りながら祈っていたが、男性は少女の投稿を無視してしまった。そしてそれ切り二人が出会うことはなかった。

 

 悔しさを感じながらも、私は男性にも新たな要素を考え出すことにした。男性をどうしても少女の投稿を楽しまざるを得ない人間にすればいいだけなので、問題はやはり簡単に解決できた。私は男性の幼稚園時代に同級生の女の子と一緒にシャワーを浴びる機会を作ることで、男性にロリコン趣味を発芽させた。

 

 効果は絶大で、少女の投稿を発見した男性の反応はそれまでとは全く異なっていた。男性は満員電車の中で鼻息を荒くしながら少女の過去の投稿を全て自分のフォルダに保存した後、少女のアカウントをフォローして、最後に時間の許す限り過去の投稿に「いいね」ボタンを押していった。

 

 少女もまた餌に食いついた。一限目に手の中に振動を感じると即座にこっそりとSNSを開いた。そしてフォローの数が増えたことを知って胸中で喜び、またその相手が自分の過去の投稿のほとんどに高い評価をしてくれているのを見て、迷うことなくフォローを返した。

 

 男性は少女以上に気分を高揚させた。彼をそうさせたのは互いを認識し合っているという事実だけではない。それよりも男性は相互にフォローしたことによって少女にDM(ダイレクトメッセージ)することが可能になったことに勤め先のデスクで隠すことなく破顔した後、慌てて口元を抑えて誤魔化したものの、その手の中では口角は際限なく上がっていった。

 

 男性からのDMは幾回もの推敲が重なられていた為、帰宅途中の少女に自己証人欲求を存分に満たした。その文章は激賞の連続によって綴られている一方、直接会うことを求める内容ではなかった。このことが少女に投稿のモチベーションを否応なく上げさせた。少女は自室に飛び込むと直ぐに感謝のメッセージと共に、撮影した自分の裸体の画像を男性にDMした。

 

 私は二人の幸せな未来を確信した。見たい男性と見られたい女性という補完し合う関係性は、きっと二人を恋仲にするだろう。と思っていた。しかしながら二人は一か月程SNSを介して連絡を取り合った後、どちらともなく音信を断ってしまった。

 

 残念に思う前に要素変更に誤差があったではと訝しんだが、その理由をよくよく調べてみると原因が分かった。その訳は両者にあり、男性は少女に対する欲情の根源に庇護欲があった為、詰まり相手が守るべき存在だからこそ性的に興奮していた為、性を発散した直後は庇護欲だけが浮き彫りになり、それが罪悪感へと変わって男性に少女を忌避させていた。対する少女は自己肯定感の足りなさから性的な写真を投稿していたが、評価を受けて満たされるのは一時だけで、寧ろ自分のしている行為に自尊心を傷付けられるので、男性を含めたフォロワー達との関係を断ち切りたいと考えていた。

 

 またある程度親密になったとはいえ、最後まで二人がそれぞれの悩みを吐露することはなかった。それは二人が性的な関係にある段階で、高揚した気分を萎えさせるような話題が用いられることはないからだ。

 

 私は人間の複雑さという迷宮に入ってしまった。いっそのこと初めからやり直そうかとも思ったが、提出期限が差し迫っているのを考慮してそれは止めた。私は現状の二人に働く斥力を取り除くことで問題を解決してゆくことにした。

 

 ある思案によって、私は二人が体を重ねるきっかけを作った。それは男性の過去に成功体験を増やすことによる能動性の増強によって成すことができた。


 男性から誘われて、少女は多少の迷いを覚えたが、男性からの文章がいつにも増して少女の承認欲求を満たしつつ更に刺激したことと、家から離れることができることから、少女は男性の元に向かうことにした。

 

 肉体関係を結ぶことが二人のそれぞれの目的を果たさせたことは言うまでもない。そして私の計画通り、行為が終わった後二人は場を繋ぐ為にお互いのことを話し始めた。それは初めの内は差し障りのない内容だったが、次第に聞き役に徹していった男性の相槌に誘われて、少女は徐々に悩みを打ち明けた。それは少女自身のことというよりは、少女の両親に関することだったが、それが寧ろ男性に少女の本質を理解させた。男性は少女に対してより深い庇護欲を覚え、また少女は男性に包容力を感じて身を任せた。

 

 計画はほとんど成功していた。私は二人が恋仲になり、最終的に縁側に並んで座って夕日を眺める老夫婦になるだろうと安心した。

 

 しかしそれもまた杞憂に過ぎなかった。二人はまた破局してしまったのである。

 

 二人は少女が適正な年齢を迎えた時に婚姻関係を結んだ。しかし二人の新婚生活はどこか退廃的だった。それは少女、ではなく女性が、男性に依存していたからだ。女性は男性に仕事さへ蔑ろにして自分との時間を過ごすように求めた。それに対して男性は、庇護欲から嬉々としてなるべく言う通りにしていた。

 

 この時点では二人は幸福だったのかも知れない。しかし時が流れて女性が少女の面影を完全に失った時、男性は妻に対しては庇護欲を抱けなくなってしまった。途端に男性は女性を煩わしく思って、女性を捨ててしまった。

 

 打つ手がなくなったように思えて、私は担当の上司に相談することにした。私は二人が一応結婚するに至ったので合格にはならないかと打診したが、上司は首を横に振った。上司曰く、「破局で終わるラブストーリーなんてあってたまるか」とのことだった。うんざりした気持ちを引きずりながら、私はまた解決策を考え始めた。

 

 ふと奇策を思い付いたので実行すると、男性は女性を捨てなかった。私が行った変更は、女性の足に思い病気を患わせたことだった。女性の足は先端な程細くなるように指が丸まり、立った時の不安定さから、歩く時には屈みながら尻を振る格好になった。

 

 その変更点は、「纏足」と呼ばれる古代中国で有力者が妾に対して、妾が逃げ出しにくいように、またよちよちと可愛らしく歩くように行った手術がモデルになっており、部分的に纏足と同じ効果を齎した。男性は妻に対する「経年劣化」しない庇護欲を抱くことになった。そしてその気持ちを察した女性はその甲斐甲斐しい世話に遠慮することなく甘え続けた。

 

 私の期待通り、二人は最期まで別れることはなかった。男性と女性は縁側に並んで座り、夕日を眺める老夫婦となった。その様子を見て緊張がすっかり解けた私は、背もたれに体重をかけて思いっきり伸びをした。ようやく終わった作業に達成感を覚えつつ、私はやる気を持って仕事をしていたことを自覚して、一人で照れた。

 

 丁度その時、担当の上司が私の元へやって来た。私は顔の緩みを隠す為に真剣な表情を作って、二人が幸福になった旨を伝えた。しかし私の言葉を食うように、上司は怒り始めた。

 

 しばらくあっけに取られていたが、上司の怒りの原因が、私の変更点が倫理に反しているという認識だと理解すると、私も憤慨した。私は「あれが二人の人生を決着させる為の唯一の方法なんです」と声を大にして言ったが、上司は「直しておきなさい」と突っぱねるだけだった。

 

 私は二人の幸せそうな、いや幸せに違いない姿を眺めていた。言葉は交わさずに、ただ自分に凭れる女性とその足を撫でる男性の表情はこの世界に引かれる無数の境界線から解放されていた。そして私は二人の関係性は、異常なものではなく、ありふれた愛の形のように思えた。

 

 〆切が迫っていた。私はやるせない気持ちに押し潰されそうになりながら、また作業に戻った。私は最も簡単に、指定された二人の孤独を溶かす方法を行った。それまでその手段を使わなかったのは、私が詰まらない常識に囚われていた為だった。

 

 しかし私はやけくそになっていたので、多大な変更点を二人に加えて、上司を呼んだ。


「直ったかな?」と言いかけた上司は、衝撃で声を詰まらせた。「これが答えですよ」と私は言った。

 

 大幅な改変によって、二人は一卵性双生児の兄妹になっていた。そして受精卵が分裂する際の不具合によって、頭は分離し、体は同化していた。また脳は丁度その間で、部分的に繋がっていた。二人は互いの思考と感覚を共有することができた。そしてそのお陰で、孤独から解放されていた。


「こちらで直しておく。君はもう出ていけ」と上司は言った。言われなくても辞める積もりだった。

 

 出口の前で振り返り、私は上司に「恋愛成就の為の一体化がこうやって糾弾される訳は生殖できなくなって本末転倒になるからだということは理解していますが、文明の発展がいずれ生殖を可能としたまま一体化する技術を実現するとしたら、その時代のキューピットの仕事は極めて簡単なのでしょうね」と皮肉交じりに聞いた。

 

 しかし上司は作業しながらこう言った。


「恋愛は生殖と繁殖の為の一プログラムじゃない」


「じゃあ何の為に人間は恋愛感情を持つのでしょうか?」

 

 尋ねると、上司は面倒臭そうな顔をこちらに向けた。


「人間が個を持つ以上、どこまで他者と親密になっても孤独は解消されない。しかしそれを理解していても、夢に向かって進む姿が素晴らしいからだろう?」

 

 呆れて言葉が出なかった。そしてこの仕事に将来はないことを確信しながら、私はその場を後にした。

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