第五話:外出② ~初めての都会の喧騒と、職務質問~
夕方から雨模様になると予測される空は、確かに雲は多いが十分に青空を見せている。だが都会のビル群は、そんな空を掻き消さんとする勢いで乱立していた。
地上に目を向ければ、数える気など到底起きるわけもない人の群れが、それぞれの目的で足を動かしている。無秩序に見える群衆の動きは、けれどどこか統制がとれたように人の流れが自然に形成され、人々はそれに乗ることで不必要な衝突や混乱が起きずに済んでいる。
彼らが織りなす賑わいに、自動車や電車の走り去る音、店から流れ出るBGMなどが好き勝手に加わって、辺りの喧騒はいよいよ混沌を呈してくる。
「お、おお、おおお……」
目の前で繰り広げられる光景に、イセルはただただ圧倒され、途方に暮れたように声を漏らした。都会の駅前の雑踏は、異世界からの来訪者の思考を止めて余りある衝撃を与えた。。
「イセルさん、どうかしました?」
茫然と立ち尽くすイセルの顔色を、麗菜は心配そうに窺う。
「レ、レイナ。今日は祭りでもあるのか……?」
若干表情を引きつらせるイセルは、せめて何かしらの理由があってくれと願いを込める。
「え? うーん、確かにGWで人は多くなってますけど、土日でも大体こんなものかなと」
「祝日だけじゃなくて、週末ですらこんなに……?」
さして感慨もなさげに告げられた答えに、イセルは気が遠くなるような心地を覚えた。
元居た世界でここまでの賑わいを見せる機会など、そう多くはなかった。勇者や英雄として旅を始める前は、例えば両親である国王や王妃、イセル自身や妹の誕生日は王国の祝日として、国民総出の祭りを行った。国家を挙げての祭日というわけでもない公休日や、ましてや毎週末にこんな喧騒が繰り広げられるなど、イセルの感覚では到底ありえないことだった。
「イセルさん、大丈夫ですか? 人込みに酔いました?」
「ああ、うん、大丈夫だ。ただなんというか、今目にしているものや、環境が、本当に、圧巻というか……」
立ち尽くすイセルは、驚愕を表情に張り付けている。最初はイセルを思いやるように声をかけた麗菜だったが、やがて楽しそうにクスクスと笑みを零す。
「レイナ?」
「ごめんなさい。駅前だけでこんなに驚いていてくれるんだったら、今日が終わるころにはどんなことになっているんだろうって思うと、おかしくて」
「うっ……仕方ないだろ。こっちは見る物聞く物全て、生まれて初めてなんだ。いくら『てれび』や『いんたあねっと』で、ある程度知識は得たって言っても、実際に目にしたら……」
楽し気な声で指摘され、妙な気恥ずかしさを覚えたイセルは言い訳を並べる。そんなイセルを目にした麗菜は、尚も上機嫌に笑い続ける。
――やっぱりいつもより、よく笑ってる気がする。
麗菜を見て、イセルはそんなことを思う。
イセルがこの世界に召喚され、魔導士学校の生徒として生活する中で、麗菜との関係性は初期に比べて打ち解けたものとなっていた。それでも根が真面目な麗菜は、学校という場においては心のどこかで気を張っている様だった。
普段の生活でも笑顔を見る機会は勿論あったし、根暗であるということは決してないが、優等生気質の麗菜は感情を表に出すにしても、どこか控えめだったようにイセルの目には見えた。
今目の前に居る少女の態度や表情は、普段よりも柔らかかった。
――気晴らし、成功しそうだぞ、ヒヨリ。
底抜けに明るい、小柄な少女の顔を思い浮かべながら、イセルは穏やかな心地になった。
「これくらいで驚いていたら、身がもたないって? 望むところだ。折角学校の外に来たんだ、それくらいじゃなきゃ張り合いがない。頼むから俺を、飽きさせてくれるなよ?」
強気に口角を上げるイセルに、麗菜は明るい笑顔を見せて答える。
「わかりました。それじゃあ行きましょうか、まずは水族館へ」
弾む声を聞いたイセルが最初にしたことは、懐から携帯端末を取り出し、その意味を調べることだった。
「正直、軽く見ていた」
興奮覚めやらぬと言った呆けた表情で、イセルは大きくため息をついた。
「でしょうね……水族館の意味を調べて、最初に出た一言が『食べるのか?』だったときは、どうしようかと思いましたけど」
「ぐ……」
麗菜にしては珍しい、やや呆れた口調で放たれた言葉に、イセルは声を詰まらせる。
「しょうがないだろ。海の生物って言えばこっちは魚しか思いつかないし、魚をただ泳がせるだけであんな行楽になるなんて、普通思わない!」
照れ隠しとすぐに分かる拗ねた様子で、イセルは語調を強めるが。
「でもまあ、実際見たこともないものを文章だけの情報だけで判断するのはいけないと、肝に銘じなきゃいけないのは確かか。魚だけでもあんなに種類が居て、それ以外の生物も水槽の配置や光の加減だけでああも見世物になるとは、考えもしなかった。
あのイルカとかいう生物も、中々芸達者な奴らだったな。あそこまで獣に芸を仕込む調教師たちの腕も見事だった。
しみじみと、そしてやはり興奮を隠しきれぬ様子で呟くイセル。麗菜は苦笑しながらその声を聞いていた。
二人が水族館を一通り巡ったころには、ちょうど正午に差し掛かる時間帯であったため、麗菜がチョイスした店で昼食にしようと足を運んでいるところだった。麗菜の選んだ店は大通りから少し離れ裏通りにある、いわば隠れ家的な場所であるため、道行く人の姿も駅前や水族館内に比べれば疎らだった。
「水族館はよかったけど、やっぱり人込みがな。あの窮屈ささえなければ文句なしだったが」
「連休ですし、それこそしょうがないですよ」
歩を進め、二人が穏やかに会話しているときだった。
イセルの視界に、二人の男の姿が映り込む。
一人は20代前半の若い男。
一人は40代に差し掛かろうかといった、落ち着いた雰囲気の男。
二人とも統一されたデザインの制服を身に付けており、肩には日章のエンブレムが施されている。
イセルの目を特に引いたのは、彼らの装備品だった。上半身はジャケットを着こんでおり、左腰には刀剣類と分かる得物が下げられている。
二人は道路を挟んだ、イセル達の歩く歩道の対側の歩道を歩いていた。
「レイナ、あそこにいる奴らは何だ?」
「え? あー、あの人たちは警察官ですね。でも帯刀警官が巡回だなんて、何かあったのかな」
イセルに指摘された麗菜は視線を向けて、質問に答える。
「帯刀警官?」
麗菜の口から出た耳慣れない言葉。イセルは再び問いかける。
「えっと、警察についてはご存知ですか?」
「ああ。市井の治安を守る衛士のことだろ?」
「そうですね、大体その解釈で合っている……のかな?」
一度イセルの理解度を確認した麗菜は、淀みない口調で説明を続けていく。
「魔導士が警察官になる場合には、非魔導士の警察官と区別して魔法警察官という立場になるんです。その姿から一般的には、『帯刀警官』って呼ばれることが多いですね」
「帯刀……持っているあの武器は、魔導器か?」
「正解です。刀は日本の歴史に古くから密接に関わってきた武器なので、日本や日本人にとって刀というものは、それ自身が魔法的にも強い意味を持つシンボルなんです。だから日本の警察や国防隊――この国の軍隊は、伝統的に汎用魔導器として刀の形状を採用することが多いです。
汎用魔導器は名家固有の魔導器と比べて、もちろん性能は劣るんですけど、刀という概念を付け加えることで魔法的な機能の底上げをしているんです。そのおかげで日本の汎用魔導器の性能は、他の国のものと比べてもとても優れているって言われてます」
優等生らしい丁寧な説明で、イセルの疑問は大方片付いた。
「なるほど、大体分かった。あと一つだけ聞きたいんだが……」
そうして生真面目な表情をイセルの問いは、
「ああして街中でも武器を携帯している輩が居るんなら、俺も愛剣を携えてもいいのでは――」
「だめです」
麗菜にバッサリと切り捨てられた。
「駄目、か。まあそうだとは思っていたが……」
「イセルさんの今の立場は、私たちと同じ学生なんですから。銃刀法違反で捕まっちゃいますよ」
硬い表情を一転させ、さして堪えた様子もなく頭を掻くイセルに、麗菜も苦笑しながら応じた。
「足を止めてしまってすまない。行こうか」
再び歩き始めようとしたときだった。
帯刀警官の二人がイセルたちを目に留め、二人で二言三言交わしたあと、イセルたちに近づいてきた。
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