第五話:外出③ ~少しは冷静になることを覚えましょう~

 ――何だ?


 表情に疑問符を浮かべて麗菜を見たイセルだったが、麗菜もまた戸惑ったように首を傾げて見返すのみだった。


 「ここで何をしている?」


 イセルたちの元に足を運んだ警官のうち、若い男から放たれた第一声がそれだった。もう一人は様子を見るように、数歩離れてイセルたちを窺っている。


 ――挨拶もなしにいきなりそれか。


 横柄な物言いと、声に宿る高慢さに、イセルは少し苛立ちを覚える。


 「ええっと、今からこの近くのカフェに行って、お昼にしようかなと」


 麗菜の方はイセルが覚えたような苛立ちと無縁だったのか、やや戸惑いを見せるものの丁寧な口調で答える。


 「その目の色……君はハーフか? 親のどちらかが外国人?」


 麗菜の空色の瞳に目を付けた男は、端的に質問を重ねる。


 「そうですね、この目の色は母と同じです。母方の血筋に、ヨーロッパの生まれの方が居ると聞いています」


 「ヨーロッパのどこ? お母さんは外国の方? それともハーフ? いつから日本に来てるの? それとも生まれは日本?」


 「えっと……母は日本生まれです。でもすみません、ハーフとかクォーターとか、そういうのは分からなくて――」


 「分からない? なんで? 自分の家族でしょ、分からないってないんじゃない?」


 畳みかけるように問いを重ねる警官に、麗菜は恐縮したように身を縮こませる。


 「すみません。母は私を生んですぐに亡くなったので……」


 眼を俯かせる麗菜。警官は、もう興味もないと言わんばかりに小さく鼻を鳴らした。

 有無を言わせぬ高圧的な物言い。そして麗菜の沈んだ声を聞いてもなお崩さない横柄な態度。表情には出さないものの、イセルの頭はかなり熱くなっていた。


 「それで、そっちの君は――」


 「少なくともこの国の生まれではないな」


 続いてかけられる声を遮るように、イセルが冷ややかな声をかける。


 驚愕と焦燥に目を見開く麗菜。どうやら彼女は、自身の使い魔の今現在の感情を鋭敏に悟ったようだった。


 「……随分流暢な日本語だな。正直、言葉が通じるかどうか疑問だったが」


 麗菜と同様に瞠目していた男は、すぐに高慢な態度を取り戻す。しかし目尻が微妙にひくついていた。


 「言葉が通じるかは、俺は特に心配していなかったよ。だがそれでも、貴様みたいな無礼な輩と話が通じるなんて思っていないけどな」


 男の感情を煽るように、イセルは軽薄な笑みを浮かべて返す。男の顔の血色はすぐに鮮明になった。


 「ちょ、何言ってるんですか……!?」


 強気な態度――さらに言えば喧嘩を売り飛ばす態度に、麗菜は慌ててイセルを諫めようとする。


 「おいガキ、何だその口の利き方は!?」


 相当頭に血が上っているのだろう。公僕にあるまじき物言いで、男は怒りを露わにした。


 「それはこっちの台詞だ。出会い頭で挨拶もなしに、いきなり根掘り葉掘り問いただしてきたかと思えば、故人について不躾に触れて、挙句に詫びの言葉もなしだと? 市井の民を相手に踏ん反り返るのが衛士の仕事か?

 思い上がるな阿呆が、レイナに謝れ。そして俺たちの目の前からすぐに消えろ」


 表情険しく、目の前の相手を睨みつけるイセル。麗菜は余裕のない表情で視線を泳がせており、男の方もはち切れんばかりに表情を顰める。


 「調子に――!」


 男の右手が刀の柄に伸びようとする。刀を抜かれる前に無力化しようと考えたイセルは、もう一人の警官の様子を瞬時に探り、行動に移すのを止めた。


 「やめろ馬鹿が」


 もう一人の男が、若い警官の頭に拳骨を喰らわせた。殴られた方は頭を抱えて蹲り、苦悶の声を上げていた。


 「へ……?」


 緊迫した状況からの落差についていけず、麗菜の口から気の抜けた声が漏れる。麗菜のようにあからさまな反応をしないものの、イセルも呆気にとられたように目を点にしていた。


 場合によっては警官二人相手にする羽目になるかと考えたイセルだったが、年配の警官が意識を向ける相手がイセルたちではなく、若い警官の方であったため、イセルが実力行使という選択をせずに済んだのだ。


 「痛っつ……! 何するんですか!」


 「『何するんですか』じゃないよ、何してるんだ馬鹿。職務質問の練習させるつもりでまずは様子をって思ったけど、市民相手に何イキり倒してるんだ。チンピラかお前は」


 「チンピ……!? 俺たちは魔法警察官なんですよ!? そこらの警官とはわけが違うんです! それ相応の威厳を持った態度で――!」


 「ひよっ子が何を偉そうにほざいてるんだか。第一、威厳見せるのと威張り散らすのは全然違うだろ。ああ、もういいや。代われ」


 盛大に溜息を吐いた男は、若い警官を下がらせる。気色ばんだ様子で歯を食いしばった青年は、けれど何も言わずに渋々引き下がった。


 「うちの若いのが失礼しました。今年から警察官になったばかりの新米でしてね、右も左も分からん状態なんです。やる気はあるんですがちょいと空回りしてしまってるみたいで、少し多めに見てもらえませんかね?」


 気さくな雰囲気のおかげで、つい先ほどまで流れていた場の緊張感は立ち消えていた。


 「だ、大丈夫です! こっちは問題ありません! いいですよね!?」


 一触即発の高ストレス環境から脱して安心したのか、捲し立てるようにイセルに同意を求める麗菜。


 「あ、ああ……」


 先ほどまで剣呑な心地だったイセルだが、肩透かしを食らった今となっては、麗菜の言葉に頷くことしか出来なかった。


 「どうもどうも。見ての通り、おじさんたちは警察官です。あ、名前は高草木たかくさぎって言います。もう一人の方は有馬ありま、申し遅れてすみません」


 低姿勢な態度で懐から警察手帳を見せる高草木。後ろに控える有馬と呼ばれた警官は、不貞腐れた面持ちで顔を背けている。


 「ここ最近、関東周辺の海で国籍不明の不審船が、何回か見つかってましてね。乗組員もほぼ見つかってないんですよ。最近海の向こうは、魔法犯罪とかテロが多くなってますからねぇ。だからこうして、外国の人見かけたら職務質問してるんです。いきなりでごめんなさいねぇ、驚いたでしょ?」


 世間話をするように、人受けのいい呑気な調子で高草木は言う。麗菜はホッと安堵した表情を見せるが、イセルは内心、有馬と相対した時よりも気を張っていた。


 一見すると油断して見える立ち姿は、その実、いついかなる時でも抜刀し対応できる間合いにイセルたちを捉えている。

 表情はにこやかながら、瞳の奥は静かな光を宿し、イセルと麗菜を油断なく観察している。

 何気ない所作や立ち居振る舞いが、高草木の高い力量を物語っていた。


 仮に高草木と戦うことになったとしても、イセルは自分が負けるとは思っていない。これは強がりや自惚れではなく、類推される高草木の実力とイセル自身の実力――魔力を失い、魔法を使えないという現在の状況を踏まえての実力――を客観的に比較した上での結論だ。


 しかしながら相手が魔導士であることに加え、魔力も得物もない今の状態では苦戦を強いられるほどには実力者である。さらにもう一人の警官が加わっては、お互いに無傷で済ませることはできない。


 ――すごいな。兵士でもないただの市井の衛士に、ここまでの実力者を使うのか。


 警戒すると同時に、イセルは日本という国の人的資源の豊富さに舌を巻いた。


 「全く、最近は物騒だし頭おかしい連中が多くて困っちゃいますね。反魔法掲げている団体は相変わらず多いし、『イノセント』だってまだ世界中で色々やらかしてるし」


 相手の口を緩ませるためか、はたまた単純に世間話をしたいだけなのか、何とも判断できない顔色で高草木は溜息をつく。



 「イノセント……」


 微かな呟きが、麗菜の口から零れ出た。彼女の表情も、その声音に合わせたように小さく翳る。


 ――レイナ……?


 耳慣れない言葉よりも、麗菜の小さな変化が気になったため、声をかけようとしたイセルだったが。


 「ああっと、ごめんごめん。つい長話になっちゃうのはおじさんの悪い癖でね。そんなわけでして、何か身分を証明できるものがあれば見せてほしいんですけど、どうかな?」


 「あ、はい」


 麗菜の表情の翳りは一瞬で消え、すぐに指示に従おうと鞄の中を探る。機会を逸したイセルも、同じように自身のポケットにある学生証端末を取り出した。


 「はいはいどうも……って、なんだ二人とも魔導士学校の学生さん? おじさんたちの後輩じゃあないですか」


 高草木は上機嫌に、二人から学生証端末を受け取る。


 「こっちはお兄さんのか。全然日本人ぽくないけど、帰化したのかな? ええと、イセル=ボーデルト=ミハイル=ファルザー……」


 イセルの学生証端末を操作し、画面に映し出された情報を読む高草木は、目を見開く。


 「それじゃ君が、例の異世界人か……!」


 イセルが召喚された経緯は、日本魔導士協会の公式発表がなされるまでは一般公開されないことになっている。だが魔導士学校に通う生徒は勿論、日本魔導士協会に所属している魔導士は全員、簡略ではあるがすでに通達されている。


 高草木はようやく警戒を解いたようで、視線を関心と興味に彩ったものに変える。後ろに控える有馬も驚愕に目を見開いていた。


 「名乗りはいらないみたいだな。先に言っておくが、学外に出る許可も学校長であるキョウカ殿から受けている。今回はこの世界の見聞を広めるために、こうして出歩いている。何か問題はあるか?」


 「いやいや、ないよ! そうかそうか君が……いやあ、お兄さん見た感じかなり『できる』人みたいだから、おじさんちょっと緊張してしまったんですよ。もし暴れられたら、やばい自分じゃ多分抑えられないどうしようとか思っちゃいまして。こんな強そうな兄ちゃん、それこそ海の向こうから来た物騒な連中だったらって考えるともうゾッとしなくてね!」


 先ほどとは違い、今度は純粋に安心しきった様子で軽く笑う高草木。やや馴れ馴れしいと思わなくもないが、朗らかに笑う姿を見て、イセルも苦笑を零す。

 イセルの見立ては正しく、彼の力量を測れるくらいには、やはり高草木は相応の実力を持っていた。しかしながら一先ず衝突する可能性はほぼないと判断したため、イセルもようやく警戒を解いた。


 「いやぁ焦った焦った。ん? すると……お嬢ちゃんは芳麻麗菜さんでいいのかな?」


 「は、はい!」


 麗菜の学生証端末を確認することなく名前を呼んだ高草木。

 少し硬い声で返事ではあったが、高草木はそんな麗菜を、微笑ましいものを見るように目を細めた。


 「ハっ、天彩コンダクターの娘か」


 有馬の口から漏れ出た言葉を聞き、イセルの頭は再び熱を帯びだす。だがそれと同時に、高草木が再び拳骨を有馬の脳天に喰らわせていた。


 「~~~~!」


 今度は一度目よりも強かったようで、痛がり方や呻き声も尋常ではなかった。


 「痛ってえな、なんなんすかさっきから! いい加減俺も――!」


 「ん? いい加減俺も、なんだよ」


 厳しい視線と声音に当てられ、有馬は口籠る。


 「いい加減にしろよ阿呆が」


 短く放たれた叱責に、有馬は身を震わせ、恨みがましく睨むことしかできなかった。


 「いやあさっきからすみませんねうちの馬鹿が。きちんと言い聞かせておくんで、勘弁してください。それじゃお二人さん、お邪魔したね。良い休日を」


 高草木が二人の学生証端末を返す。


 「不審者や不審物を見かけた際は我々にご一報を。では小官たちはこれにて!」


 そうして最後は芝居がかった敬礼を見せ、高草木は有馬の首根っこを掴み引きずるように場を後にした。


 「何だったんだ、一体……」


 遠ざかっていく二人を視界に収めながら、気が抜けた声をイセルが漏らす。


 「イ、セ、ル、さ、ん?」


 だが隣からかけられた険しい声に、すぐに気を引き締める。麗菜が眉間に皺をよせ、イセルを睨んでいる。


 「レ、レイナ?」


 「何でそう、むやみやたらに突っかかるんですか!? 学校で他の生徒に絡まれるのとは訳が違うんですよ!?」


 「う……だがあのアリマとか言う男、あの態度も物言いも、怒らない方がおかしいだろ? 帯刀警官だかなんだか知らないが、衛士だからと言ってあんなのが許されるわけ――」


 「たとえそうだとしても、もう少し穏便に済ませる方法だってあります! 少なくとも、イセルさんはそんなことができない人じゃありません! 気に入らないから、腹が立つからってあんなに相手を怒らせて無駄にぶつかる必要なんてないです!」


 「ぐ……だ、だけど」


 「納得できないんでしたらいいです。もう今日のこれからの予定無しにして帰ります。今から行こうと思っていたお肉料理が自慢のお店も予約キャンセルで、お昼抜きにします」


 「う……」


 先ほどまでの強気な姿勢は消し飛び、目の前の少女の怒気にタジタジになるイセル。


 正直、イセルは麗菜の怒りに全て納得したわけではない。だが麗菜の言うことは正論であり、具体的に反論するのは難しい。


 何より今日のメインの目的は麗菜の気晴らしだ。こんなことで台無しになったとあっては、麗菜は勿論、ひよりにも会わせる顔が無くなってしまう。


 決して、楽しみにしていた学外の食事が消えてしまうからではないと、イセルは自分に言い聞かせる。


 「わ、分かった。次から気を付ける。すまなかった……」


 「本当に分かりました?」


 大きく何度も頷くイセル。しばらく強い視線を向けていた麗菜は、溜息をついて肩の力を抜く。イセルもようやく気を緩めた。


 「イセルさんが謝ってくれたから、今度は私の番です。私も謝罪と、それからお礼を」


 だが麗菜の言葉に、頭の中で疑問符を浮かべる。先ほどの緊迫した状況の原因の、大部分は有馬であったのだが、それ以外はやはりイセルが関わっている。麗菜が謝る必要性をイセルは感じていない。


 「イセルさんが学校の外に出るのは初めてなのに、こういう場合の対処の仕方を教えてなかったのは、私の配慮が足りなかったからです。それに本当はあの時、イセルさんが言ってくれる前に、私がきちんと声をあげるべきだったんです。本当に、ごめんなさい」


 そう言って頭を下げる麗菜に、イセルは慌てて声をかける。


 「いや、レイナが謝る必要はない。あの男の物言いに頭にきたのは事実だし、君の言う通り、他にやりようは――」


 「それから」


 イセルの言葉を遮り、麗菜が真直ぐな声で続ける。

 頭を上げた麗菜の表情は若干上気している。視線はしばらく落ち着かないように動かしていたが、やがて決意したように、真直ぐにイセルを見つめ。


「怒ってくれて、ありがとうございます。少しだけ、嬉しかったです」


 照れ臭そうにはにかみながら、それでもしっかりと告げられた言葉に、イセルはしばらく言葉を失った。柔らかな声と笑みに、胸が温かく締め付けられていた。


 「……ごめんなさい。怒られたり、お礼言われたり、訳分かんないですよね」


 何も言えなくなったイセルを見て、バツの悪そうに頬を掻きながら、麗菜は困ったように苦笑する。


 「そんなことない、俺は――」


 どんな言葉を告げるのかも定まらないままに、イセルは口を動かす。


 だがまるで狙い定めたように、イセルの腹から盛大な蠕動音が鳴り響く。麗菜はキョトンと目を丸くして、イセルは苦い表情で冷や汗をかいていた。


 「お腹、空きましたね。私もです」


 クスクスと笑みを零す麗菜。イセルは気恥ずかしさを覚えながらも、少女の楽し気な様子を見て安堵する。


 ――やっぱりいつもより、よく笑ってる気がする。


 イセルもまた、釣られるように笑い声を零した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る