第61話:最後の敵

「――ええ。だから……これで軍神審判による調停を受けて、この戦争は終わる」


事切れたティラノの目を閉じて、血まみれの顔を拭いながら、マグノリアは言った。


「……気づいていたのですか。いや……そうか、『神託オラクル』があったのですね……」


 絶影が驚いた様子を見せて、しかしすぐに得心する。

 神の深い寵愛を受けた神官ならば、限定的に未来を知る事すら可能だ。

 だが――その未来を変えられるかどうかは、また別の話だ。

 仮に人間が殺しに来ると知っていても、負けるかもしれないと分かっていても、ティラノは人間を迎え撃ち、殺さずにはいられなかった。それに――その神託を得た時に、マグノリアも思ってしまったのだ。もう、潮時なのだと。

 だから彼女はティラノに何も告げなかった。

 これで終わるなら、終わってしまおう、と。


「軍神審判の準備は、出来ているのですか? もし良ければ、私に祝祷を任せては下さいませんか?」


 絶影が、アミュレを振り返った。アミュレは、僅かに難色を示す。

 軍神審判そのものに、何かはかりごとを織り込む余地はない。術者はあくまで神様に頼み事をするだけだからだ。だが――そもそも軍神以外の、神に祈祷を捧げられる可能性があった。追い詰められた神官には、「己を供物に奇跡を喚ぶ」という最後の手段がある。

 邪心感応の魔術に反応はない――が、高位の神官による『加護プロテクション』が防げるのは、物理的な現象に限らない。絶影が祭具を用意しているのなら、マグノリアの頼みを聞くメリットはない。


「……いいよ。好きにしなよ」


 だが――アミュレは結局、マグノリアの提案を受け入れた。

 メリット、デメリットの話ではない。

 彼女からは、自分と同じ――戦争で、色んなものを失った者のにおいがした。


「……ありがとうございます。では……」


 ティラノの額を名残惜しそうに一度撫でると、マグノリアは立ち上がった。

 そうして神樹の前へと歩いていって――両手を重ね、跪く。


高天原たかあまのはら神留かむづまりす、女神イブリスが御子、軍神マルス――」


 紡がれる祝詞に応じるように、神樹の魔力が渦を巻いて、吹き荒れる。

 たちまち神樹の周りは、互いの姿すら見えないほどの、魔力の嵐に包まれた。

 そして――西田は何故か、その嵐の中を見上げた。視線を感じたのだ。

 果たして、嵐のとばりの向こう側には――誰かがいた、気がした。

 姿は見えない。だが強大な、何者かがいると、西田は感じた。

 西田だけではない。シズも、アミュレも、絶影も、同じ感覚に襲われていた。


『――皆、見事な戦いだった。意志なき戦士どもでは、幾千の屍を積み上げようと決して見られぬ、技と、力と、魂の衝突』


 酒焼けした、しかし厚みのある声だった。いたく上機嫌で、楽しげな声色だった。


『我は満足した。素晴らしい戦いが見られた。いや、やはり戦争とはいいものだな』


 まるで演劇を見終えた後であるかのような語り口。

 不愉快だった。この場の誰にとっても。

 それでも絶影は、平静な表情を崩さなかった。


「……では以前に伺った通りに、この戦争の調停をして頂けるのですね?」

『調停? ああ、そう言えば、そんな話もあったな。うむ、いいだろう――もう、この戦場に用はない』


 不意に西田達の目の前に、巨大な剣先が降りてきて、地面に突き刺さった。見上げるほどに長く、巨大で、くさびのように分厚い剣だった。


『あー、では……ええと、おほん! 軍神マルスの名において、我、戦場の法を定めん――』

「――お待ち下さい」

『……ああ?』


 不意に、西田達の後方から声が聞こえた。嗄れた、老年の男の声。


「……ヴィクトル先生? どうして、ここに」

「軍神殿。その調停、取りやめにして頂く事は出来ませぬか」


 魔力の嵐を踏み越えて、いつの間にか、そこにはヴィクトルが立っていた。

 アミュレの問いかけも無視して、軍神を見上げている。


『取りやめぇ~? 嫌に決まっておろうが、馬鹿め。ゴブリンの王が死んだ今、この戦場に見どころなどもう――』

「そ、そうなんです、先生。勝手に動いた事は謝ります。でも、もう、ゴブリンの王は死んだんです。これ以上、みんなが命を懸けて戦う理由なんて――」

「――私が今から、この戦場にいる冒険者を、必要ならば魔術師も、全て殺してみせると言ったら、いかがでしょう」


 ヴィクトルは、やはりアミュレには目もくれず――そう言った。


「……先生?」


 ヴィクトルが右の爪先で地面を叩く。

 瞬間、西田達の周囲のあちこちで地面が割れた。

 数え切れないほどの、小さな亀裂。そこから、亡者アンデッドが這い出してくる。ゴブリンの亡者、人間の亡者。

 それに――木の葉を連ねたローブを纏った、姿なき亡者。


「『無影ファントム』……?」


 アミュレが、呆然とした声を零した。

 それは無影と名付けられた、凄腕の、ゴブリンの魔術師――と思われていたものだった。実際には、違った。それはただの亡者だった。エスメラルダの森で取れる魔力に満ちた葉に憑依させた、魔術師達の魂。

 冒険者達を襲わせて数を減らし――戦争を、長引かせる為に作られた虚像。


「――あんた、一体何考えてやがる!」


 ヴィクトルは答えない。西田が瞬時に飛びかかろうとして――瞬間、その耳元で大音響が爆ぜた。空気が割れるような、甲高い音だった。念信器からだ。ヴィクトルはアミュレの師だ。彼女の作った魔導具に干渉して誤作動させる事は、容易かった。


「く……そ……ざっけやがって……!」


 三半規管をやられた西田は、念信器を叩きつけるように捨てて、よろめく。シズもアミュレも、同様に動けない。

 ヴィクトルはその隙に身を翻して、魔力の嵐の外側へと姿を消した。逃げたのだ。死霊魔術によって継続的な火力が発揮される以上、闘士の近くに留まる理由はない。遥か遠方から魔術によって敵の位置を補足し、狙撃し続ければいい。


『――ふむ、これは……いいな。これは、面白い。たった一人の戦争か! 実に面白いぞ! よかろう! 調停は中止だ! お前達と、あの老魔術師の決着がつくまではな!』

「馬鹿な! そんな事が――」


 そんな事が、許されてしまうのだ。なにせ相手は神なのだ。

 それに――絶影は、それ以上の抗議の声を上げる事は出来なかった。

 亡者どもの数が多すぎるのだ。加えて先ほどの、同胞殺しを避けながらの激戦――その疲労も抜け切っていない。無駄口を叩いていられる余裕はなかった。


「クソ、あのジジイ……! マジで、俺達全員殺す気だぞ……!」

「ニシダ……こいつらの相手をしても、体力を削られるだけです。あの男を、追わなければ」

「分かってる……けどよぉ!」


 全員を殺すと宣言した以上、ヴィクトルはただ逃げただけではない。二人にも、それは分かっていた。この場を脱して追わなければならない。

 だが――周囲から、無数の悲鳴が上がる。近衛兵が、亡者どもに襲われていた。手足を深く斬られるなどして、無力化された彼らは、明らかに亡者の攻勢を捌けていない。マグノリアも、亡者に取り囲まれていた。生前の恨みからか、ティラノの死体を襲おうとする亡者どもを、必死に払い除けている。


「……今、俺達がここを離れたら……こいつら全員、間違いなく死ぬぞ」

「だからって、ここでずっと戦っていても――いえ、待ってください」


 ふと、シズが何かに気づいたようだった。張り詰めた表情で、周囲を鋭く見回す。


「ニシダ……アミュレさんは、どこです?」

「なん……だと……?」


 西田も亡者を切り払いながら、周囲を見る。

 だがアミュレの姿はどこにもなかった。


「あいつ……まさか一人であのクソジジイを追っかけたのか!?」

「……なんて事を。あの男……魔術の腕前は自分より上だと言っていたのに」


 目視に頼らない魔力のコントロール。それをアミュレは、その気になれば出来ると言っていた。ヴィクトルは平然とやってのけるとも。魔術師として、自分が師に劣る事をアミュレは知っていた。それでも、追わずにはいられなかったのだ。


「……あいつが、上手くやるのを祈るしかねえか」


 迫りくる亡者の頭を横薙ぎに両断すると、西田は強く地を蹴った。

 そうしてティラノの死体に群がる亡者どもを薙ぎ払い、振り返らないまま、叫ぶ。


「おい! あんた神官なんだろ! この亡者ども、なんとか出来ねえのかよ!」

「……輪廻の神に祈る時間を、稼いで頂けますか?」


 神官は祈りを捧げ、その願いを神に届ける。それには深い集中が必要とされ、更に精神の激しい消耗を伴う。加えて――捧げる願いに応じて、祈るべき神は違う。単に戦闘の援護が欲しいのなら、自分を最も寵愛してくれる神に祈るだけでいい。

 だが亡者の浄化に際して祈りを捧げるべきは、輪廻の神。

 戦争で、数多くの命を死地に送り出してきたゴブリンの女王は――深く深く祈らなければ、その声を聞いてはもらえない。


「――よし、おい聞いたかテメーら! テメーらの女王様が、亡者どもをなんとかしてくれるってよ!」


 だが西田は、そんな事はお構いなしに叫んだ。どの道、取るべき手は一つだった。

近衛の兵士達がマグノリアの元へ集まってくる。迷った者から死ぬ状況だ。皆、行動は迅速だった。


絶影シャドウリーパー! オメーがこっちを援護しろ! 俺達は――」


 叫ぶ西田。その視界の外、右方向から、不意に膨れ上がる魔力の気配。

 瞬間、西田の眼前を、空を斬り裂いて何かが通り過ぎた。

 シズの放った遠当てだ。西田の右方で、唸りを上げる遠当てと、獣の如く吠える炎の波濤が衝突して、爆ぜた。


「――私達は、あれを抑えます。どうかご武運を」


 そう言うなり、シズは地を蹴った。西田も、すぐに後に続いた。

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