第58話:唯一の教え
かつてシズには師匠がいなかった。大人達は皆、彼女が望みのない闘法で才能を浪費する事を、よしとしなかった。
故に彼女は独学で拳法を学んでいた。主に
「――指南書? やめとけやめとけ! お前、もうそんなレベルじゃないだろ。俺が教えてやるよ」
だが、ある日の事だ。一人の冒険者がそんな事を言い出した。シズは、かちんと来た。当然だ。その頃には、シズの実力は既に村の大人達でも敵わないほどだった。
「へえ、面白いですね。是非、お願いします」
そう言いながら踏み込んで、突きを放った直後――シズは空を見上げていた。
「狼拳の、
打拳を左の手刀で捌かれ、更に右拳でカウンターを貰ったのだ。
「獣牙の構えってんだ。興味ねえか?」
男がシズを見下ろす。短い黒髪、細い垂れ目、無精髭だらけの、お世辞にも整っているとは言えない顔だった。
シズはその顔を――驚愕と、期待に満ちた表情で見上げていた。
それから数ヶ月ほど、男はシズに稽古をつけた。
シズの才能は、その教えを
「――――絶対、嫌です」
だが――たった一つだけ、習得を拒んだ教えがあった。
「まぁ……嫌なら仕方ねえけどよ。勿体ねえなぁ……
「嫌です。魔術師や
「あー……そういう訳でもねえんだけどなぁ。奴らのタマと、俺らのタマじゃ、同じタマでも意味がちげえっつうか……」
「……意味が分かりません」
「まっ……お前にはまだ早いのかもな。いつか痛い目見て、そん時に思い知るってのも大事か? そのまま死んじまわなきゃだけど」
「私は誰にも負けませんから、そんな事にはなりませんよ」
「もし、そうなったらお前マジに天才中の天才だよ。いいから、心の片隅にでも留めておけよ」
シズが、その言葉を思い出す。
「――拳法家こそ、飛び道具を使いこなせば、ビビるくれえに強くなれるってな」
そして――右の拳を突き出した。拳に宿った闘気が波打ち、迸り、空を奔る。
マグノリアはそれをメイスで弾いた。激しい金属音が響き、その右腕に軽い痺れが伝わる。それでも、その歩みは止まらない。
シズは――更に、今度は左の足刀で遠当てを打った。今度は神の御手に阻まれた。
構わず遠当てを打ち続ける。
遠当ての数を増やせば、強くなれる。魔術師や猟兵の飛び道具と、拳法家の飛び道具では意味が違う。その意味は未だに分からない。
それでも、かつて己が唯一拒んだ教え。それだけが、今は勝算だった。
「……悪足掻きを」
左正拳、右頂肘、右水平手刀打ち、左回し蹴り。
シズはひたすら、嵐のように、遠当てを打ち続ける。
神の御手や、地中からの槍が、シズを止めようと襲いかかる。それらを撃ち落とし、回避しながら、決して手は休めない。
魔術師や猟兵の真似事なんかしたくない――そんな考えは、もう頭の中になかった。ただ――負けたくなかった。西田は、きっとティラノを倒すだろう。そうして彼が振り返った時に、追い詰められた自分を見られたくなかった。不安げに声をかけられて、加勢が必要かなどと聞かれたら、きっと自分はもう西田と冒険を共にする事は出来ない。そう思っていた。
理屈ではない。それは感性と、プライドの話だった。
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