第44話:成長
「……そう言えば、あんたらの服。破れて血が付いちまってるだろ。一緒にカボード先生のところへおいでよ」
「あの先生、洗濯係までさせられてんのか?」
「いいや? 裁縫係もあの人だよ……まぁ、実際に仕事するのは精霊達だけど、彼らなら血の汚れも簡単に落として、元通りに縫い上げてくれる」
西田もシズも、着衣は本物の布で出来ている。少々斬りつけられ、血で汚れたからと言って、捨てる訳にもいかないだろうと、アミュレは気を回した。
「本当ですか? 良かった……捨てずに済むのは、嬉しいです」
シズにとっても、彼女の
無事に直せると聞いて、思わず安堵の声が零れた。
「あー……俺は別にいいよ。これ、一晩すりゃ勝手に直るんだ」
「直る? なにそれ、
「まぁ……そんな感じだな」
西田は半年ほど前に異世界に転移してきた。
その時に何故か寝間着ではなく学生服に着替えさせられていたが、とにかく西田の学ランは損傷しても、一晩経てば元通りになるのだ。何故かは分からないが――少なくとも、それで困る事はない。自分が神気の加護を得たように、服にもなんらかの力が宿っているのだろうと西田は考えていた。
「それじゃ……えと、シズで、良かったよね?」
「ええ、そうですよ」
「あんたは、この後も私に付いてきなよ。代わりの服を貸したげる」
「……あなたと私では、背丈が違いすぎませんか?」
アミュレの身長は160センチ強――西田と殆ど変わらない。
一方でシズは、それより頭一つ分以上小さい――おおよそ、140センチ以下。
衣服の貸与は不可能ではないが、裾を引きずる事になるのは、まず間違いない。
「いいよ。土の精霊に頼んで、縫い直してもらうさ」
「精霊魔術……あなたも使えるのですか」
「カボード先生に教わったのさ。ここじゃ、手札が多くて困る事はないからね。とにかく、任せて。どうせ明日の戦いに、こんな上等な布の服は着ていけないだろ?」
「……ありがとうございます。ですが、対価は大丈夫ですか? あなたの髪で支払うような事は、嫌ですよ」
「それは……ふふっ、心配いらないよ。彼らとの交渉次第で、なんとでもなるさ」
そうして二人は西田を置いて、まずは代わりの服を用意すべくアミュレの宿舎へ向かってしまった。残された西田は――特にしなくてはならない事も、行く宛もない。
何をしようかと考えて――気がつけば、剣を抜いていた。
そして先ほどの、冒険者達との戦いを思い出す。
直剣を肩に担ぐ。最初に戦った猟兵の男を思い出す。
右から斬りかかる為の構えから、左足を軸にして放つ、左方からの回転斬り。
その動作を模倣する――自分が見た時よりも、何倍も鋭く。
「……この動きは」
もう一度、構えを取る。今度はゆっくりと――目の前に敵がいる事を想定して。
対手が突きや、打ち下ろしに類する攻撃を仕掛けてくる。
それを回転の動作によって躱しつつ、敵を斬りつける。
剣を振り抜いた瞬間、西田は手応えを感じていた。
自分の強さが――完全に、一つ上の段階に昇った手応えを。
概念を理解したのだ――『攻防一体』という概念を。
再び、構えを取る。次に思い出すのは、猟兵の次に戦った剣士。刃の押し合いからの、指切り――右へ回り込み、対手の剣をいなしつつ、剣先を敵の胸元へ。
更に思い出す。次は槍使いの武僧――放たれた突きを左前方に踏み込み躱しつつ、右腕一本で腹を突く。
「俺は、強くなってるぞ」
西田が呟く。
思い描く次なる対手は、人を食ったような、目を細めた笑みを浮かべていた。
だが――仕掛けない。目を閉じ、深呼吸をして、精神を落ち着かせる。
自分の思い描いた幻を斬って、満足するような事はしたくなかった。
「ニシダ……あんた、何やってるの?」
ふと気がつくと、西田の傍にアミュレがいた。
「……見りゃ分かんだろ。素振りだよ、素振り」
「いや、素振りにしちゃ、あれこれ動き回ってるからさ。何か人には見えてないものでも、見えてるのかなって」
「んな訳ねーだろ……つーか、シズ。お前、何やってんだ?」
シズは一体どうしてか、アミュレの後ろに姿を隠していた。
「……ニシダ。一つ、約束して下さい」
「あ? なに? なんて言った?」
「約束して下さい……何を見ても、笑わないと」
「笑う? ……いや、お前見て笑う事なんて、ねえと思うけどよ」
「絶対ですよ」
そうしてシズが姿を見せる――恥ずかしげな表情で、俯き気味に。
両手で小さく纏めていた、着衣の裾から手を離す。
一言で言うならば――彼女に用意された衣服は、フリフリだった。
大まかな形は、先ほどまで着ていたワンピースと変わらない。
だが胸元や、袖や、裾がフリルで飾り立てられている。
アミュレの
西田は――何も言えなかった。
シズが元々、狼のような美貌と子犬のような愛嬌を兼ね備えている事は知っていた。それが更に、着飾る事でこうも化けるのかと――見惚れていたのだ。
「ニシダ。確かに私は笑うなと言いましたが……絶句するなとも、言っておくべきでしたね……!」
シズが恥ずかしさを誤魔化すように、大きく右拳を振り被った。
「待て待て! ちげーよ! 驚いてたんだ!」
「ええ、ええ、私にも分かっています。驚くほど似合っていないと――」
「落ち着けアホ! めちゃくちゃ似合ってるっつーの!」
「……え?」
「……あっ」
シズと西田が、殆ど同時に間抜けな声を零して、硬直した。
「……その、似合ってますか?」
「……おう」
それからお互い気まずそうに、そう言った。
アミュレがにやりと笑って、シズの後ろから、その顔を覗き込んだ。
「だから言ったでしょ、似合ってるって。精霊達の仕立てに間違いはないのさ」
「あ……ああ、そうだ。その服、精霊達に作らせたんだろ? めちゃくちゃ凝ってるけど……対価は大丈夫だったのか? あのおっさんは髭で支払ってたけど……」
気恥ずかしさから、西田が率先して話を逸らす。
「対価なんて、魔力を少し支払っただけだよ。交渉次第でコストを低く抑えられるのも、精霊魔術の良いところさ」
「……なんて交渉したんだ?」
「この子を好きに飾る権利をあげるから、服を作ってやってくれって」
「……ああ、なるほど。それでこんな気合入ってんのか……」
「かなりいい仕事が出来たって誇らしげにしてたよ。ほら」
アミュレがその場にしゃがみ込んで、右手を地面に触れた。
そこから流し込まれた魔力によって土精が一体、現れる。
土精はまずシズを見て、それから西田を見て――ぐっと、右手でサムズアップをしてみせた。めちゃくちゃいい笑顔だった。
「お、おう……良く出来てると思うぜ……」
西田は、何故自分にそんな仕草を見せるのか分からなかったが、そう答えた。
「……さて。それじゃ私は、明後日の準備をしてくるよ」
アミュレが立ち上がる。
「準備? 何か、手伝える事があるなら手を貸すぜ」
「遠隔通信用の魔導具を作れるなら、お願いするけど」
「……頑張ってくれ」
「あはは、気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとね」
アミュレは屈託なく笑った。いつも大人びて見える彼女の、年相応の笑顔だった。
二日後、この笑顔が曇るような事が、あってはいけない。
西田は強く、そう思った。
「……シズ。少し、手合わせしてくれよ」
「いいですけど……軽くですよ? 明日も襲撃がないとは限りませんし」
「分かってるよ。ちょっと試してみたい事があるんだ」
「へえ……それは、奇遇ですね。私も、さっきの戦いで幾らか学べる事がありました」
「なら、丁度いいじゃねえか。モノにしとこうぜ、今日の内に」
「……ですね。明後日は、しくじる訳にはいきませんからね」
西田が剣を肩に担ぐ。シズが獣牙の構えを取る。
手合わせは結局、日が暮れて、カボードが夕飯の支度を終えるまで続いた。
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