第45話:出陣1

 そして、二日後の朝――西田が身支度を調えて宿舎を出ると、外には既に大勢の冒険者と、魔術師がいた。

 基地は深い朝霧に包まれている。魔術による現象だ。皆が装備を万全に整えている様子を、偵察のゴブリンに確認させない為の措置だった。


「……ん?」


 ふと、風の精霊が西田に寄ってきた。

 少し齧ってあるコーンブレッドと、コップに注いだ牛乳。

 カボードに、朝食を配ってくれるよう頼まれているのだ。


「……なんで齧ってあるんだ?」


 風精は頬を膨らませると勢いよく西田を指差して、それから宿舎を指差した。


「……俺が起きんのが遅いから、もう誰もいないと思って貰っちまった……で、あってるか?」


 風精がもう一度西田を指差した。

 その通りだし、悪いのはそちらだと言っているようだった。


「まぁ、そういう事なら仕方ねえか……ありがとよ」


 出陣前ならば、どうせ腹を完全に満たす必要はない――西田はそう思う事にした。

 そうしてパンと牛乳をさっと食べ終えて、コップを風精に返す。

 最後の礼に気を良くしたのか、風精は微笑みと共に手を振って、去っていった。


「……あら、ニシダ。もう少し寝ていても良かったんですよ」

「あん? 嘘つけ。もう殆ど揃ってるだろ、これ。むしろ俺が一番最後なんじゃねーだろうな」

「ええ、そうですよ。だからひっぱたいて起こそうかと考えていたのに。何故起きてきたんですか、もう」

「……朝っぱらから、随分な口利くじゃねーか、まったく……くああ……」


 手足の伸びをしながら周囲を見ると、冒険者同士の組手が目についた。

 出陣に備えての準備運動だろう。皆、真剣な表情だった。


「シズ、俺達も軽く体を動かしとこうぜ」

「ええ、そうしましょう」


 西田は剣を抜かない。万が一、怪我をさせるような事があっても困る。

 鞘を剣代わりにするのも、シズが相手では意味がない。

 柄がない分、鞘は剣よりも間合いが短く――つまり、シズが容易く弾き、懐に飛び込める。ただでさえシズの守勢は鉄壁だというのに、打つ手がなくなる。


 勿論、これは単なる準備運動だが――どうせなら、経験値を得られるような戦いがしたい。西田の考えはそうだった。

 そうして――シズが普段取っている構えを、見様見真似で取った。


「……なんのつもりです?」

「いや……こういう技も、覚えておきゃ役に立つかなって……」

「……だったら、もっといつもの構えに寄せた方がいいですね」

「いつもの? 剣持ってる時って意味か?」

「そうです。でないと結局、普段使えないじゃないですか」

「それは……確かに。って事は……こうか」

「もう少し、右手は手前に……いいですね。なかなか、様になっていますよ」


 西田の構えは、左手は腰の高さで開手かいしゅの状態、右手は剣を担いだ時よりもやや高めに振り上げた状態。概ね空手で言う、天地上下の構えとなった。


「では……」


 シズが獣牙の構えを取り――先手を取って前に踏み出す。

 とは言え、あくまで準備運動――その動きは緩やかだ。直後に放たれる突きも、やはり遅い。少なくとも、西田にとっては。

 周りで見ている冒険者達には、その動きは影しか見えなかった。


 腹部狙いの正拳を左手で捌き、同時に一歩前へ。

 右拳は既に振り上げてある――予備動作はいらない。

 剣を打ち下ろすように、振り下ろす――シズの左肩を、軽く叩いた。

 シズが、西田に微笑んで見せた。


「どうです? しっくり来るでしょう?」

「……確かに」


 西田も、にやりと牙を剥くように笑い返した。

 そうして再び、互いに構えを取り直して、手合わせを再開した。


「――ニシダ、シズ。これを」


 暫くするとアミュレがそこにやってきて、二人に向けて何かを投げた。

 手合わせの最中だったが、二人とも容易くそれを掴み取った。

 小さく精巧な耳飾りと、腕輪だった。


「なんですか、これ?」

「念信器さ。これを身につければ、もしはぐれても連絡が取り合える。耳飾りは装備するだけでいいけど、腕輪は、喋る時はこのダイヤルを、こう……そう、そうするの」

「……なるほどな。無線機みたいなもんか」

「ムセンキ? なんだい、それ」

「いや、気にすんな」


 耳飾りは、耳を挟み込むように装着するタイプだった。

 装備すると、飾りの一部が耳の内側に引っかかる。

 派手に動き回っても、そうそう外れてしまう事はないように作られていた。


「……見てよ」


 ふとアミュレが目配せで、自分の視線の先を見るよう促した。嬉しげな声だった。

 冒険者と魔術師が何人かで寄り集まって、話し合っている。

 連携、陣形の相談をしているのだ。

 先日、西田が打った演説は、本人が予期していた以上の影響を及ぼしていた。


「……あっちは、しっかり働いてくれそうだな」

「そう。だから私達も、しっかりやらなきゃね……それと、ニシダ」


 アミュレの声音が、一転して沈んだ。

 何か、好ましくない話をしようとしているのだと、すぐに分かった。


「……なんだよ」

「あんた、魔力を読む時に視線がどうとか言ってたでしょ」

「ああ……それが、どうかしたかよ」

「……腕の立つ魔術師なら、目を閉じたままでも狙い澄まして魔術を使える。あんまり、目に頼り過ぎちゃ駄目だよ」

「腕の立つって……お前よりもか?」

「私は……その気になれば、出来るけど。ヴィクトル先生は平気で出来る。恐らくは……無影ファントムも、そうだと思う」


 不意に、西田が眉をひそめた。その後ろでは、シズも険しい表情を浮かべている。


「……どうかしたの?」

「いや、なんつーか、その」

「その……無影って、何者ですか?」

「……はあ?」


 アミュレが、呆けた声を零した。


「あ……呆れた! あんたら、手配書に目を通してないの!? 一回も!?」

「いや……魔術について勉強したり、色々手合わせしてたら、時間がなくてよ」

「寝る前にでも見とけば良かったじゃない! ああ、信じらんない……」


 アミュレは項垂れ、頭を抱えて、深い溜息を零している。

 それでもなんとか気を取り直すと、再び西田とシズへ視線を戻した。


「……無影ファントムってのは、ゴブリンどもの魔術師さ。絶影と並ぶ、もう一匹のバケモノだ」

「絶影と……そりゃ、やべえな。どんな奴なんだ? 見た目は?」

「見た目の特徴は……分からないんだ」

「分からない? どういう事ですか?」

「奴は、木の葉を束ねたローブに分身ファントムを宿して、戦わせるんだ。そのたかが・・・分身と、私は渡り合うのが精一杯だった」

「……それは、かなりヤバそうだな」


 西田もシズも、今度こそ話の深刻さによって、険しい表情を浮かべた。


「本陣に入れば、奴の本体と出くわす事もあるかもしれない……気をつけてよ」


 シズの渾身の一撃を防ぐほどの腕前を持つアミュレが、分身を相手に渡り合うのが精一杯。西田は魔力こそ読めるようになったものの、魔術師の戦術は殆ど掴めていない。手に余る相手かもしれない――というのが、正直なところだ。


「――誰が相手だろうと、俺は負けねえよ。この戦争は、今日で終わらせる」


 それでも――西田は、戦いを前に弱音を吐くような男ではなかった。

 特に――同胞の死に深く傷心し、泣いていた少女の前では。


「……あはは。頼もしい事、言ってくれるじゃない」


 アミュレとて、それが根拠に乏しい強がりである事は分かっていた。

 それでも――それでもそう言ってくれた事が、嬉しかった。

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