第22話:戦場へ2

 西田は歩きながら、周囲を見回す。

 前哨基地の中には、中央指揮所の他にも住宅ほどの大きさの、石造りの建造物が幾つもあった。どれも、表面には多様な魔法陣が刻み込まれていた。

 加えて、地面にも何やら、地上絵めいた紋様が描かれている。

 西田には理解し得ぬ代物だったが、それは見た者に呪いをもたらす為の魔法陣だった。樹上からの偵察、強襲を阻害する為の措置である。

 一方で地上からではその紋様の全容が見えない為、呪いを受ける事はないという仕組みだ。


「――今回の増員は、外れですよ。とんだ甘ったれだ。あれでは遠からず、奴らに装備を献上するのが目に見えてる」


 中央指揮所に近づくと、ふと中から話し声が聞こえた。

 西田にもシズにも、聞き覚えのある声だった。


「……まずは一度、ここの防衛戦を経験してもらおう。どのみち、今の戦力では現状維持が精一杯だ」

「仕方ありませんね。協会も、もう少し送り付ける人材を厳選出来ないもんですかね。最強気取りの能無しは、もう見飽きました」

「――おい。さっきから好き放題言ってくれるじゃねーか」


 建物の入り口を潜って、西田は凄んだ。

 石造りの椅子に腰掛けていた、声の主――白衣の少女が、西田へ振り返る。


「……へえ、お早いお着きで。その素早さを、ゴブリン共の追撃に見せて欲しかったけど」

「だー! しつけーな! あんな雑魚をちょっとばかし逃したからって、ネチネチと――」

「その逃したゴブリンが、今度は別の誰かを襲うとは考えられなかった?」

「……あの程度の雑魚にやられるなら、それこそお前の言う外れなんじゃ――」

「この森には輸送隊や支援が専門の魔術師だって来る。逃したゴブリンが街の方へ向かう可能性だってある」

「う……」


少女の淀みない反論に、西田は二の句を継げなくなった。


「ふん……これだから、冒険者は嫌いなんだ。功名心ばかり立派で、いつも余計な手間をかけさせてくれる……」

「――初対面のあなたに、そこまで言われる筋合いはありません」


 少女の悪言を断ち切るように、シズがそう言い放った。

 シズにとって――実際には西田にとってもだが、強さを示す事は、自分自身の価値を肯定する事。それをただ功名心と切り捨てられれば、不快に思うのは当然だった。


「確かに私達はゴブリンの戦術を見誤りました。ですが、それだけです。次はもっと上手くやれます」

「はん、どうだか。あんたみたいなチビが、ここで上手くやれるとはとても思えないがね」


 そして不快は――すぐに怒りへと変わった。


「……なら、私よりも小さなゴブリンどもを、さっさと根絶やしに出来ないあなた達も、底が知れるというものですね」


 シズが挑発的な声でそう言うと、がたりと音を立てて、少女が立ち上がった。

 剣呑な眼光が、シズを見下ろす。

 シズもメイジャを睨み上げる。


「どうしましたか?」

「……表に出な。あんたらじゃ、あたしにも勝てないって事を思い知りゃ、ここにいる理由もなくなるだろ」


 少女は近くの壁に立て掛けていた長杖に手を伸ばす。

 瞬間、屋内に旋風が吹いて、得物を少女の手中へと運んだ。


「面白いですね。やってみせて下さい」


 当然、シズが引き下がるはずはない。

 西田は――思ったよりもトラブルが大きくなった事に戸惑いつつも、こう考えていた。この展開は悪くないと。

 先日シズがメイジャに完封された事からも、対魔術師戦闘の経験は、最強を目指す上で不可欠だ。もっとも――この魔術師が、一線級の実力者であればの話だが、と。


「――待ちたまえ、アミュレ君。今のは、君に非がある」


 しかし、結果としてシズと、魔術師の少女――アミュレの戦いは始まらなかった。


 制止の言葉を発したのは、アミュレの向かいの席に腰掛けていた、高齢の男だった。椅子に座っていても分かるほどの長身、身に纏うローブは黒く、生地は上等。鍔の大きな三角帽に、そこから垂れる長い黒髪、肌は蒼白。

 いかにも魔術師然とした、目つきの悪い、痩せぎすの男だった。


「……ヴィクトル先生」


 アミュレは承服しかねる、といった目つきで男――ヴィクトルを見返す。


「そんな目で睨んでも、駄目だ。謝りなさい」

「……こいつらが使い物になると分かったら、そうしますよ」


 そう言い捨てると、アミュレは建物の外へと出て行った。


「ちょっと、逃げるつもりですか? 使い物になると分かったら? だったら今すぐ思い知らせて――」

「やめとけ。下手に騒ぎを大きくして、追い出されてもつまらねえだろ」

「……すまないな、冒険者殿。私の生徒が、無礼な事を言った」

「生徒? あんたら……そうか、研究院の」

「ああ、私はヴィクトル・エグゾール。カルブンクルス研究院で、農業魔術学の教授を務めていた」


 エスメラルダの森の攻略は、冒険者達にとっては今まで「割に合わない特別案件」でしかなかった。だが、エスメラルダの住人にとっては違う。

 何らかの対処をしなければ、ゴブリン達はいずれ自分達の生活圏にまで這い寄ってくるのだ。魔術の専門家達が、先任としてここにいるのは当然の事だった。


「……だが、分かって欲しい事がある。あの子の言っていた事は、間違いではない。ゴブリンは見逃して、良い事は何もない……くどいと思うだろうが、情を掛けるような真似は、ここでは無しだ。理解してくれるね?」

「……ああ。それに関しちゃ、俺の考えが浅かった」

「ありがとう。では……早速だが、今後の方針について話をしよう」

「さっき言ってた、防衛戦……とやらについてか?」

「む、聞こえていたか。耳聡いのはいい事だ、ここでは役に立つ。ともあれ、そうだ……まずは君達の実力を測らねばならん。協会の基準では適格とされていても、実際にここから前線を押し上げるのは、半端な力量では務まらない」

「……それは、いつ、どうやって測るんだ?」

「ここ最近、奴らは小規模な夜襲を仕掛けてくるばかりだった。兵隊の数を揃えているんだろう。恐らくは今日か明日にでも、大規模な襲撃があると読んでいる。その時に、戦いぶりを見せてくれればいい」

「なるほど……それまでは、どこにいればいい? 見張りにでも立てばいいのか?」

「いや、見張りに立つにも経験と技量が必要だ。今は英気を養っていてくれれば、それでいい。宿舎は防壁沿いに複数ある。何処を使ってくれてもいいが、ベッドに私物が置いてあるなら、そこには先客がいると思ってくれ」

「了解。とは言え……いつ来るか分からないゴブリンどもを、ただベッドの上で待つのは……かえって気疲れしそうだな」

「……宿舎には遊技盤くらいなら置いてある。好きに使ってくれ」

「いや……」


 そう言うと――西田は部屋の隅にあった本棚に視線を向けた。

 元々視界には入っていて、近寄る口実を探していた、という様子だった。


「ここから、何か一冊貸してくれよ」

「……魔術の心得があるのかね?」

「別に、そういう訳じゃねえけど」

「……そこにあるのは学術書ばかりで、君達には退屈かもしれないぞ。読み物が欲しいなら要注意対象ネームドの手配書も纏めてあるが」

「魔術の勉強がしたいんだ。駄目なら諦めるけどよ」

「……いや、好きなものを持っていきたまえ」

「助かる、ありがとよ……シズ、どれが良さそうか、お前も見てみろよ」


 二人が本棚の前に並ぶ。


「『農畜産業と魔術の発展』『精神の魔法陣』『魔力の振る舞い』……この辺は多分、読んでもてんで理解出来ない奴だな」

「これなんかどうです?」


 そう言ってシズが本棚に手を伸ばし――背丈が届かず、目当ての本の背表紙を指先で撫でた。


「……これです、これ」

「『近代魔術概論』……よし、じゃあ、これを借りていくよ」

「うむ……出来れば汚さず、返してくれたまえ」


 そうして、西田とシズは指揮所を後にして、宿舎に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る