第19話:魔導の都2

「少し、街を見て回るか? どうせこの時間のギルドは、混むだろうしな」

「……いえ、大丈夫です。そんな事は、特別案件をこなしてからでも出来ますから」


 シズは、努めて素気なくそう言った。

 が、彼女の尻尾はしゅんと下向きに垂れている。

 その返答が苦渋の選択だった事は、明らかだった。


「……オーケイ。それなら、中央通りだけ見ていこうぜ」


 冒険者協会は、どんな都市や町でも大抵の場合、その中心部に位置している。

 西田を含む大抵の冒険者は組合ギルドと呼ぶが、それは遥か大昔の話。今では、冒険者協会は立派な行政機関――それが街の中心部にあるのは、当然の事だ。


 そして――西田はあえて黙っていたが、エスメラルダの中央通りは門前よりも更に、目を見張るほど華やかだ。この街の目玉と言ってもいい。


 都市で生産された魔導具マジックアイテム、魔術で生成された飲食物、人工召喚により得られた魔物の加工品。それらが露店や、或いはもっと高級な店舗によって販売されているのだ。

 シズが馬車で貰ったお菓子も、元はここで研究開発されたものだ。

 ともあれ優れた装備を求めた冒険者や、魔導の最先端に魅了された旅行客がひしめく街路は煩雑だが、常に祭のような絢爛な空気が満ちていた。


 そう――満ちている、ではない。

 満ちていた、だった。


「……綺麗な街ですね。あなたが楽しげに語っていたのも、分かります」

「あ……ああ、そうだろ」


 中央通りは、西田が以前に訪れた時とは大きく様変わりしていた。

 露店の数は半分未満、道を行き交う人も疎ら。魔術的な紋様が其処此処に走り、そこに魔力の光が宿る、幻想的な街並みは健在だが――西田は困惑を禁じ得なかった。


「……どうかしたんですか?」

「いや……前来た時は、もっと活気があったはずなんだが……」

「あなたが一人ではしゃいでいたから、とか?」

「さらっと毒吐きやがるな、オメー……」


 異変の正体を聞き出せないかと、西田は手近な露店に立ち寄る。


「なあ、この街で何かあったのか? 前に来た時はもっと……賑やかだった気がするんだが」

「……あんた達、冒険者か」

「あ……ああ、例の特別案件を受けに来たんだ」


 露店の主は西田とシズをしげしげと見つめ――


「……悪いが、あんたらに売れる魔道具は何もないぜ」

「なんだって? どういう意味だ」

「勘違いすんなよ。別にあんたらだけが特別って意味じゃねえ」

「……だとしても、意味が分からねえぞ。説明してくれよ」

「ここんとこ、あんたらみたいに特別案件が目当ての冒険者が大勢来てな、魔導具を買って冒険に出てくんだ」

「……品切れしてるって事か?」

「話は最後まで聞きな。魔導具を買って、出ていって――半分くらいはな、そのまま帰って来ねえんだ」

「……それは、なんつーか……残念だ。けどよ、それでなんで俺達まで」

「ゴブリンどもに魔導具が渡って、冒険者が死んでちゃ、いい事なしだって事だ。ギルドと研究院から販禁令が出てんのさ」

「それは……仕方ねーな。魔導具頼りで最強を目指すってのも、変な話だしな……」


 加えるなら、労働者であり国防の予備戦力である冒険者の浪費は、大斂武祭の意図するところではない。

 魔導具を得た事で変に強気になって、死地に飛び込まれても困るのだ。

 どちらの観点から見ても、販禁令は適切な対策と言えた。


「まっ、そんな訳でこっちは商売あがったりって訳だ」

「……残念だな。コイツがこの街は初めてだって言うから、色々見せてやりたかったんだが」

「そりゃすまねえな嬢ちゃん。売ってやれんのは精々……これくらいなんだわ」


 店主は露店に並べた商品を顎でしゃくる。

 展示されているのは、金属製の串に突き刺した、蜜飴で包まれた林檎だ。


「……林檎飴、ですか?」


 魔導の都の売り物にしては、なんとも素朴な――と、シズはそれらを見つめる。

 瞬間、林檎の腹が怪物の顎門あぎとのように裂け、暴れながら、甲高い威嚇の声を上げた。


「きゃっ……!? な、なんですか、これ?」

「俺が品種改良して生み出した林檎、その名も――血塗れ姫ブラッディ・マリーさ!」


 店主は、楽しげに宣言した。

 エスメラルダは魔導の都。

 故にその住人の殆どは、程度に大小はあれど、魔術師だった。

 ここでいう魔術師とは、単なる戦闘員という意味ではない。

 何らかの分野において専門の知識と技術を備えた学士、技師の事を指す。


「……何の為にこんなもん作ったんだ?」

「別に、伊達や酔狂って訳じゃないぜ。コイツぁな、寄り付く虫や鳥くれえなら逆に栄養にしまうんだ。勝手に共食いしてくれるから、間引きの必要もないしな!」

「虫除けくらい魔法でどうにでもなるだろうに、わざわざこんな……けど、折角だ。二つ貰うよ」

「毎度あり、銀貨ニ枚でいいぜ」


 西田が代金を支払い、受け取った林檎飴の一つをシズに渡す。

 そして今なお牙を剥く林檎を見つめて――大きく口を開いた。

 目一杯に大口を開けば、噛み付かれずに齧れるだろうという判断だが――しくじれば鼻か唇を逆に齧られる事になる。


「うおお、こ、こええ! クソ、この……! 食いにきーな畜生!」


 一方でシズは、そんな西田の様子を暫し眺めた後――


「……これ、後ろから齧ればいいのでは?」

「あ? ……あ、ああ! 確かに!」

「ふふ……面白いから、もう少しそのまま続けて下さいよ」


 西田の反応を笑ってから、シズは林檎の背中を齧った。


「ん……」


 口に含んだ瞬間広がる甘美な香り、弾力に富んだ果肉、仄かな酸味と強烈な甘み。

 シズは、声や表情の変化こそ殆ど見せなかったが――尻尾は大きく左右に揺れている。子供っぽい仕草や反応を隠したかったのだろうが、一歩及ばずだ。


「……なあ、やっぱこれ無理だぜ。こえーもん。もう普通に食っていいか?」

「え? ああ、ホントにまだ挑戦してたんですか? よくやりますね」

「テメエ、この野郎……!」


 異世界転移したばかりの頃、西田は、食に関しては現代日本ほどの充足は得られないだろうと考えていた――だが、それは間違いだった。

 この世界には魔法があり、闘気があり、それらによって生きる生物がいる。

 食材の滋養や質はむしろ、こちらの世界の方が大きく上回ってすらいた。


 さておき、西田も普通に背面から林檎を齧ろうとして――ふと、気づいた。

 シズの手中にある林檎飴が、ぴいぴいと鳴き声を上げて、その小さな体を震わせている事に。


「……これ、確かに美味いんだろうけどよう。売る前に動かないようにしといてくれよ。おっかねえし、後味悪いぜ」

「いや、それじゃ面白くねえだろ。罪悪感も感じちゃうしよ」

「その罪悪感を俺達に食わせる事にも、罪悪感を覚えてくれよ」


 ふと、シズはどうしているかと、西田が振り返る。

 彼女は構わず二口目を齧っていた。元々、森暮らしの犬人族だ。日本生まれの日本人と生命倫理が違うのは当然だった。


 と言うよりも――西田が気にしすぎているのだ。

 先ほど道中で、ゴブリンの集団を殺めた事を、引きずっているのである。

 勿論、今目の前にあるのは、ただの林檎だが――それでも悲鳴を上げられるとなると、ひどくやりづらい。


「――おい、あんた。あんまりボサっとしてると危ねえぞ」

「……あ?」


 ふと、店主が西田に声をかけた。

 そして――次の瞬間、西田の鼻に鋭い痛みが走った。

 散々に暴れた林檎が、串からすっぽ抜けて、西田の鼻に噛み付いたのだ。


「い、いててて! どうなってんだ!」


 ブラッディ・マリー血塗れ姫の顎門は、林檎自体の蜜によって固められているようだった。

 神気に守られた西田の鼻は、食いちぎられる事こそなかったが、硬化した蜜の牙が食い込めば当然痛い。

 すぐに両手で強引に顎を開かせて、林檎を引き剥がした。


「なーにやってんだい、あんた。そんなんでゴブリンどもと戦えんのか?」

「うるせえ……いい勉強になったよ、畜生……」


ともあれ――西田はまた一つ、教訓を得た。


「……噛まれる前に噛まねえと、痛い思いをする訳だ」


 西田が、引き剥がした林檎の顎を左手のみで押さえつけて、その背面を大きく齧った。林檎はか細い悲鳴を上げ、小さく打ち震えて、それきり動かなくなった。

 そのまま林檎飴を完食して、最後に、指に付いた蜜を舐め取った。


「……さて。それじゃ、行こうぜ」

「精々、森ん中じゃ気をつけなよ」

「分かってらあ。さっさと片付けて、ここをまた、うるせえくらい賑やかにしてやるよ」

「はは……期待せずに待っとくよ」


 西田とシズは改めて街の中心へ向かった。

 冒険者協会のエスメラルダ支部へは、すぐに辿り着けた。


「……ほら、見えたぜ。あの、どでかい木だ。あれがここのギルドだ」


 西田が顎で示した先には、見上げるほどの大樹がそびえ立っていた。

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